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第一章 港町カルビナ篇

#06 黒幕と明かされる事実

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 夜が明けて、ミィナは結局持ち去ったお金をどうすることもできないまま、過ぎて行く時間をただ見送っていた。
 意を決して盗み出したものの、やはり二人に命を救われたことは事実であり、その恩を仇で返すことに良心が躊躇いを生んでいたのだ。だからわざと、遠回りになる道を選んで、ゆっくり歩いて……。石畳に目を落としてどれくらい歩いただろうか。ふと気が付くと、ミィナはとある一軒の酒場の前に立っていた。
 路地裏にある比較的大きな店。
 だがそれはただの表向きで、酒場として営業していた事など一度もない。外観に関しても、壁を植物が伝っていたり軒の所々が腐っていたりなど、通りがかりの人が見れば、廃屋と間違えられても不思議じゃない。
 遂に到着してしまった。ここには入ればもう後戻りは出来ない。いや、もう盗みを犯した時点で、後戻りなど出来ないのだ。だからミィナは、唾と一緒に色んな感情を飲み込んで、店の戸を力強く押した。
 ぎぃぃっと耳障りな軋みを上げて扉が開く。
 照明も無く、薄暗い店内。一歩足を踏み入れただけで、噎せ返るような埃臭さが鼻を突く。そんな中、カウンター席の真ん中に座る大柄な影があった。振り向いた彼が、ミィナを見て片眉を上げる。ドスの利いた低い声が尋ねた。
「あ? おう、何か用か」
「あの……デリックさんを、お願いします……」
 その言葉を聞いた男が徐に立ち上がる。腐りかけた床を軋ませながら歩み寄ると、ミィナを威圧的にじろりと見下ろした。そしてミィナを上から下まで吟味するように視線を走らせた後、つまらなさそうに鼻を鳴らした。
「ボスは今忙しい。後にしろ」
「急ぎの用事なんです……」
 食い下がるミィナに、男は面倒くさそうに小さく舌打ちをする。
「あのなぁ、ボスにはお前みたいなガキを相手にしてる暇なんかねぇんだよ。ほら、分かったらとっとと帰りやが――」
 男が言い終わらないうちに、ゾクッと冷たいものがミィナの背筋を這い上がった気がした。

「ねぇ君さぁ、その子が誰だか分かった上で追い払おうとしてんの?」

 そのセリフを発したのはミィナでも、眼前の男でもない。その声を聞くといつも、云いようの無い不快感が体を駆け巡る。爽やかで、気取った感じに、それなのに刃物のように鋭利で、冷たい声音。
 知らぬ間に彼の背後に忍び寄っていた、第三者のシルエットが浮かび上がった。
「君いらないから、死んで良いよ♪」
 大男の耳元で囁くように言う。同時に、トスッという鋭い何かが軟らかいものに突き刺さったような軽い音が、ミィナの耳に届いた。
 唐突に、大男が床に崩れ落ちた。
 そのままうつ伏せに倒れ、僅かに呻き声を漏らしながら幾度か苦しげに床を引っ掻く。それから、静かになった。それっきりピクリとも動かない。
「え、え……?」
 目の前で起きた出来事に、頭が付いて行かない。それでも何でか、身体が震えて瞳に涙が浮かぶ。滲んだ視界の中で、後に現れた人物――デリックがさも可笑しそうに肩を震わせ忍び笑った。
「そいつ、僕の部下のくせに分かってないよねー。ミィナちゃんを追い返そうとするとか、死んで当然でしょ。ほーら、これで心臓を一突きさっ」
 言って肩まである長い髪を掻き上げ、得意げに手の中のナイフをくるくる回して見せる。その刃はべっとりと血塗れて、生々しく輝いていた。足元の大男に目を落とすと、広い背中の真ん中より少し左上の辺りを中心に、まるで黒い穴のように血が滲んでいる。
 デリックがニッコリとした満面の笑みを崩さぬまま、冷ややかに言い放つ。
「うーん、死んでも邪魔だねコイツ」
 言うと、ごく当然の如く、部下の死体を店の隅に蹴り転がした。最早現実だと思いたくないほどの光景に、立ち竦むことしか出来ないミィナの顔を、デリックが嬉々として覗き込む。
「それで、わざわざ僕に何の用なのかな? もしかして、ようやく僕のものになる気になったかい天使ちゃん?」
 冗談めかして尋ね、まるで女性のように綺麗な手でミィナの首筋をぬらりと撫で付け、滑らかな栗色の髪を弄ぶ。
 ミィナは最大限の勇気で何とか恐怖を押し殺して、掠れた声を絞り出した。
「こ……これを、持ってきました……」
 震える声と共に、抱えていた布袋の口を開く。デリックはミィナから袋を受け取り中身を確認すると、ふ~んと顎に手をやり感心するように何度か頷いた。
「へぇ……一体何をしたのか知らないけど、本当に期限までにこれだけ集めて来るなんて流石の僕も驚きを隠せないなぁ」
 しかしミィナが欲しいのはそんな薄っぺらい褒め言葉などではない。
「これで……お姉ちゃんを返してくれるんです、よね……?」
「んー? ちょっと違うかな。僕は“返してあげられるかも”って言ったはずだけど」
 そんなことは今更大した差ではないだろうに。いずれにせよ、提示された150万GILLという金額をちゃんと用意したのだ。それがたとえ盗みを働いて手に入れたお金でも、約束は約束。
「……お姉ちゃんは、どこですか?」
 待ち切れずに問う。けれど対するデリックは、ニヤニヤと意味ありげな含み笑いをしているだけ。すると次の一言で、耳を疑うほどの衝撃的事実を宣った。

「いやー、もう少し早かったらねー。悪いけど、もう売れちゃったんだ」

 笑みを浮かべたまま告げられた言葉に、ミィナの表情が一瞬にして凍り付いた。
「え……」
 目を剥いて絶句するミィナの肩を、愉快そうに軽く叩く。
「丁度一週間くらい前かなっ。客の一人が君のお姉さんを随分気に入ったみたいでさ、値段も聞かずに買って行ったよ。僕もあくまで商売だからねぇ、代金を払えるかどうか保証出来ないミィナちゃんより、すぐにお金を支払えるそっちの客を優先するのは当たり前でしょ」
 耳元で何か喋っているのは分かるが、もはやどの言葉も今のミィナの耳には入っていない。あ……あ……と微かな吐息を漏らして頭を抱える。
「でもさ、君のお姉さんとしては本望なんじゃないのかな? 彼女には思ったより高い値が付いたから、あとで君には追加分の料金を渡しとかないとね」
「で、でもっ! 150万GILL用意したら返してくれるって――」
「だーかーらぁ、言ってないってば。僕は“150万GILLもあればお姉さんを買い戻せるんだけどね”って言ったの。他の客に先越されちゃったら当然ダメでしょ。ってわけで、はい、これは返すよー」
 変わらず不気味な笑顔のまま、金貨袋を差し出した。半ば放心状態でそれを受け取るミィナ。ここまで持ってきた時よりも更に、ずっしりと重みを増している気がした。
 ――間に合わなかった……。
 悔しさで頭の中が一杯になる。その思いに押し出されるように、滴が頬を伝った。そんな彼女を見てデリックは何を思い付いたのか、口角を吊り上げ二ィッと醜悪な笑みを浮かべた。
「だけど――」
 勿体ぶって一呼吸置く。
「ミィナちゃん次第では、どうにか出来るかも……ね」
「本当っ!?」
 わざとらしく言い添えられた呟きに、ミィナが敏感に反応する。デリックを見上げて期待の籠った眼差しを向けるが、しかしその希望も次の言葉で砕かれる事となる。
「うん。やっぱりさ、身内だから聞ける頼みってあるじゃん? ……だからもしも、ミィナちゃんが僕のものになるっていうなら、考えなくもないかな」
「それは……」
 またしても寒気が背筋を這い上がるのを感じた。
 たまにミィナには、デリックが冗談を言っているのか本気で言っているのか分からなくなる時がある。でも今は違う。彼の眼を見れば、その真意は明らかだ。
 確かにデリックは容姿こそ整っている。けれどその中身は、知れば吐き気すら込み上げてくるほど。
「ミィナちゃんが僕のものになってくれたら、絶対不自由はさせないよー? 女遊びもやめるしさ! それにこんな良い男、中々いないって」
 平気で他人を裏切り、気に入らない人間は平気で殺す。そんな彼を受け入れてしまったら、自分も同類になってしまう気がミィナはしていた。
 それにそもそも、この男はミィナのことを物としか見ていない。恐らくこの男が抱いているのは、愛などではない、ただの所有欲。単にミィナを自分の傍に置いておきたいだけなのだ。
 それでも、それだけで大切な家族が戻ってくると云うのなら、むしろ好条件なんじゃないか。と、不覚にもそんなことを思ってしまった。矢先――
「……んー、何か変なのがいるね。ミィナちゃんのお友達かな」
 言うが早いか、数歩後退すると同時に手にしていたナイフを頭上へ投じた。
 ナイフがヒュンッと空を裂いて、天井に深々と突き刺さる。それを発端にたちまち亀裂が広がったかと思うと、既に所々外光を通していた天井の一部がメキメキと音立てて崩落。
 木片と一緒に、もっと大きなもの――人間が落下してきた。
 その人物は空中で一回転して、丁度ミィナとデリックの間に軽快に着地。しかし如何せん足元は腐りかけの床板であり、その衝撃に耐え切れる筈もなく……。
「どぅわっ!?」
 という、明らかにデリックのものではない男性の悲鳴が響き、バリィッ! という音と共に目の前の人物が視界から消えた。一瞬の沈黙。しかしそれも、数秒と経たないうちに破られる。
 眼前に空いた大きな穴。そこから一人の少年がひょっこり顔を覗かせた。
「や~~~~びっくりしたっ!」
 驚愕の声を上げつつ穴から這い出てくると、服やズボンに付いた埃をぱんぱん叩き落とす。そんな彼は紛れもないミィナの顔見知りだった。
「え……ラトさん!?」
 仰天するミィナを、ラトはきょとんした顔で見つめ返す。彼が徐に口を開くが、しかし何事か発する前に新たな侵入者が入口から現れた。
「もー!! だから屋根の上から様子を見るなんて、止めときなさいって言ったのに!」
 艶のある亜麻色の長髪と、この場にラトがいることを鑑みれば、それが誰であるかは自然と思い当たる。
「リーシャさんも……どうしてここに!?」
 驚きを露わに尋ねると、リーシャは事もなげに答えた。
「ずっとミィナちゃんの跡をつけてたのよ、私たち」
「ええっ!?」
 驚愕に次ぐ驚愕。ずっと尾行されていたということは、お金を盗み出した時点で既に二人は気付いていたのだ。そうと分かると、今まで押し殺していた申し訳なさが改めて込み上げてくる。
「あ、あの――」
 と謝罪の言葉を口に仕掛けるミィナだったが、突然リーシャの眼差しが険しいものに変わったのを見て思わず口を噤(つぐ)む。その視線はミィナの背後へ向けられていた。釣られるように振り向き、そして息を呑む。
 こちらへ顔を向けるラトのこめかみの辺りに、デリックが何かを突き付けている。その、筒に取っ手が付いたような物の名は知らないが、武器であることはミィナもすぐに理解した。
「それ銃か……? 珍しいもん持ってんなぁお前」
 ラトが視線はただ正面の一点を見つめたまま、口だけを動かす。その言葉にデリックがニヒルな笑いを浮かべる。
「へぇ……これを知ってるんだ。まだレイクスティア国民の大半は銃を知らないと思ってたんだけど」
「まぁ俺たち、旅してるからな。たまに見る」
 きっとデリックは、ラトが怯える姿を想像していたのだろう。しかし予想に反して飄々とした態度を見せるラトに、デリックは苛立ちを覚えたようだった。
「……それよりさ、君たちはここに一体何をしに来たのかな? 屋根の上から盗み聞きしてたってことは、道に迷ってたわけじゃないよね?」
「おう、ミィナを助けにきた」
 その一言で、デリックの中で何かが切れたのをミィナは感じた。カチリと静かに撃鉄を起こす。

「君、ちょっとウザいから死んでいいよ」

 ラトの右手が閃いたのと、ガァンッ!! という銃声が響き渡ったのはほぼ同時だった。
 ――ように思えたのだが、実際は瞬きをする時間よりも圧倒的に僅かな差で、ラトの手が銃に触れた方が早かったらしい。発砲寸前に銃口を逸らされた銃が火を噴き、銃弾はラトの頬を微かに掠めて彼の眼前の空間を貫いた。
 つぅーっとラトの頬から一筋の血液が滴る。
 だが二カッと無邪気に笑うその表情は、どこか嬉しそうにすら見えた。デリックが忌々しさを隠そうともせず舌を打った。
「……何で僕が本当に撃つって思ったのかな?」
「んなもん、殺気で分かる」
 という回答に、デリックは表情を微動だにさせず言葉を継いだ。
「たとえそうだとしても、僕が引き金を引き始めてから動いたんじゃ普通は間に合わないと思うんだけどなぁ。……まぁいいや、でも今ので分かったよ。僕じゃ君には勝てそうにないね」
「おう、俺もそう思うぞ。だから喧嘩売る気なら止めとけ」
「は、喧嘩? 何を勘違いしているんだ君は? あんなのを見られて、見逃せるわけがないだろう」
 デリックが腹立たしげに部屋の隅を顎で示すと、ラトもそちらを見やる。その視線の先には、つい先刻デリックが自らの手で殺めた部下の死体が横たわっている。
 確かにラトもリーシャも未だ、デリックが手掛ける裏の商売の一端すら知らないが、しかし流石に殺人が罪に問われることは小さな子供にも理解できる。それだけで、デリックが二人の命を狙うには十分すぎるほどの理由になるのだ。
 しかし向き直ったラトの表情を見て、ミィナもリーシャもデリックでさえも、自分の推測が間違っていたことを悟った。
 ラトが目だけでなく口までもポカンと開けて、度肝を抜かれたような顔をしていた。
「まさか、今気づいたのか……?」
 どこかで見たようなやり取りに、ミィナは場違いにも微笑みを零してしまう。流石のデリックも溜め息交じりに呟いた。
「まったく……呆れた闖入者ちんにゅうしゃだな。まぁいずれにせよ、これでもう君たちを見逃す理由は無くなったわけだ」
 ゆっくりと店のカウンターの向こう側に回り込む。意地悪い笑みを浮かべるや否や、天に祈るように両手を広げ、パチンッと一度指を鳴らした。
 するとそれに応えるように、店の奥の扉、カウンターの下や、それまで壁だと思っていた回転扉など、各所からぞろぞろとガラの悪い男達が登場する。一体どこにこれだけの人間が潜んでいたのか不思議な程の人数が、ずらりとラトを取り囲んだ。
「さぁ、始めようか」
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