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第三章 ノーザニス地方篇

#17 足止めと死闘

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 遠ざかっていく二人の背中を肩越しに見送ったラトは、気合を入れ直すように剣を握る手に力を込めた。それからまた、地竜を真っ直ぐに見据える。
 と、そんな彼の頭の中に、しゃがれた地鳴りのような声が響いた。

『貴様も、あの、小娘たちも……逃がさん、ぞ……』

 それは、目の前のドラゴンから伝わる思念の声。見れば、威嚇するように牙を剥き出し、身も凍るような威圧的な視線をじっとラトへと向けている。

「……行かせるかよ」
『貴様に……それが、出来るのか?』
「やってみなきゃ分かんねぇだろ、そんなもん」

 もちろん、強がりだった。
 久々に体中を満たす恐怖という感情に、一筋の汗がラトの頬を伝う。オールブレイドの柄を握る手の平は既にじっとり湿って、小刻みに震えている。それは武者震いではなく戦慄。
 それでもラトは口元に不敵な笑みを浮かべ、胸の奥底から精一杯の闘志を絞り出す。剣にもう片方の手を添えると、姿勢を低くして半身に構えた。

「今度はこっちから行くぞ!」

 叫ぶと同時、ラトは谷を吹き抜ける一陣の突風となった。
 たった三秒足らずで三〇メトルもの距離を詰め、一瞬にして地竜に接近する。剣の間合いまで肉薄する直前、体を大きく捻って片足のみで制動を掛ける。回転と疾駆の勢いを乗せ、得物を全力で撃ち下ろした。

 片手剣の刃が地竜の角に命中する刹那、手中のオールブレイドがその重みを増すのを、加速された意識の中でラトは確かに感じた。瞬時に巨大化した刀身が、本来ならあり得ない速度で空を裂く。

 ――衝突。

 ガィィィィンッ!! という甲高い金属音が耳をつんざき、互いの接触部分から火花が弾ける。ビリビリと、骨の髄まで痺れるような不快な衝撃が腕を伝い、ラトは思わず顔を顰めた。

「硬ぇ……ッ!」

 渾身の一撃は容易く弾かれ、ラトは上体を大きく仰け反らせた。巨角を真ん中からへし折るつもりで繰り出した攻撃は、同じ重さを持ってラト自身へと戻る。反動によってラトが体を硬直させていたのは、僅か半秒ほどのごくごく短い時間だった。
 だがその時既に視界の中では、予備動作一つ無くぐるりと体の向きを変えた地竜が、攻勢に転じている。

 と、次の瞬間――凄まじい衝撃がラトを側面から叩いた。

 不意打ちではなかったため受け身は取れたものの、かつて経験した事の無い重撃にラトの身体が軋みを上げる。世界の全てが色付いた横線となり、景色が流れる。尻尾による殴打に吹き飛ばされたラトは、一本の黒矢の如く岩壁に突き刺さった。
 轟音、そして土煙。

「がはぁぁぁっ!!」

 背面から叩き付けられたラトが、肺の中の空気を全部吐き出すかのような声を上げる。地面に崩れ落ちながら胸を押さえて激しく咳き込んだ。しかし地竜が簡単に立ち直る隙を与えることはなく、ラト目掛けて猛然と迫る。

「――――っ!?」

 ラトは俯いたままで地竜を視野へ入れることはなかったが、気配は敏感に察知していた。震える足に鞭打って横へ跳ぶ。
 続く、再度の轟音と爆風。

 間一髪で必殺の突進を躱したラトだったが、しかし残るダメージが予想以上に大きく、着地に失敗。もんどり打って地面を転がったのち、うつ伏せに倒れた状態で停止した。

「……い……ってぇ……」

 片手剣に戻したオールブレイドを地面に突き立て、それを支えに何とか立ち上がる。よろめきながら再び剣を構えるものの、しかしその足元は未だおぼつかず、バランスを崩したように後方へたたらを踏んだ。

 視線の先では、突進を受けた岩壁が派手に崩落し、瓦礫の山を作っていた。
 普通に考えるならば、地竜はあの下敷きになっているはずだが、しかしこの闘いにおいて常識などというものは通用しない。それはラトも理解していた。
 瓦礫の中からいつまでも地竜が姿を現さないのは、荷重によって身動きが取れないからか、或いは――……。

 と、ラトがその思考に到達したのと、大地が鳴動し始めたのは、ほとんど同時だった。
「大剣ッ!」
 叫んだラトの足元に、稲妻のように亀裂が走る。と、次の瞬間――爆音を轟かせ、地中からドラゴンの巨大な全姿が聳え立った。ギャィンッ! とけたたましい金属音と共に、ラトは天高く打ち上げられた。

「んなもん食らうかっ!」

 突き上げを防いで真ん中からひん曲がった大剣を、今度は大上段に構える。それを振り下ろす際の遠心力を利用して体を縦に回転させる。
「槍ッ!」
 その声に呼応するようにオールブレイドに光が宿り、形を変える。鍔《つば》は無くなり、幅広な刀身の大部分が細長い柄(え)に。剣尖はより鋭利で頑丈な穂先に――。斬る事よりも、対象を貫くことに特化した武器へと変貌してゆく。

「刺さ……れっ!!」

 持てる力の全てを乗せた投擲。
 恐るべき硬度を誇る長大な槍が白色の光跡を引き、びゅんっ! と空気を切り裂いて宙を翔る。低い地鳴りを伴って着地したドラゴンの背中へと、一直線に吸い込まれて行った。

 ――結果、まるで岩のような粗い甲殻の隙間に、槍の穂先が見事に突き刺さった。だが逆に言ってしまえば、“それだけ”でもある。
 だから、まだ終わらない。

 槍に続いて落下するラトが、ぎゅっと右の拳を握り締める。――……手の平に爪が食い込み血が滲んでしまうほどに、強くきつく。
 そして握っていない方の左手を肩に添え、右腕を大きく振り被る。
「オオオッ!!」
 短く吠えながら、槍の石突きを思い切り殴り付けた。
 ごっ! という鈍い手応えと一緒に、僅かながらダメージの抜けた感覚があった。

「ガアアアァァァッ!!」

 突然、憤怒の雄叫びを上げた地竜が、頭や尻尾を滅茶苦茶に振り回しながら暴れ出す。道脇に立つ木々を薙ぎ倒し、岩石や岩壁に激しく体を打ち付け……その一撃一撃に背筋が凍るような威力を孕ませて、辺りに崩壊をもたらす。
 地竜の背に降り立ったラトは、何としてでも振り落とされまいと、深く刺さった槍の柄に必死にしがみ付いていた。

『……許さん……』

 と――唐突に、地竜の暴走が収まった。その行動が何を意味するものであるのか、はラトには分からなかったが、どこか嵐の前に静けさに似ているとも思った。だがいずれにせよ、離脱するにこれ以上の好機は無い。
 そう判断したラトは、迷うことなく槍の柄の低い箇所を掴むと、肩幅に開いた両足を力いっぱい踏ん張った。歯を固く食い縛り、全身の筋肉を使って槍を引っ張り上げる。

「ぐぬぬっ……」

 額に青筋を浮かべるラトだったが、その時、己の耳が捉えた微かな音に、ラトはピタリと動きを止めた。
 ぷしゅ~~っ! という気の抜けるような噴出音。それと共に地竜の背の至る所から噴射される、仄かに黄色みがかった気体が、ラトの体――もとい地竜自身をも瞬く間に包み込んでしまう。

 それが地竜の攻撃の一つである事は、ラトも即座に理解した。
 とは言え、キメラに毒を受けた時のように目が痛いだとか舌が麻痺するだとか、何か体に異変がある訳でもなく、特別な異臭がするわけでもない。仮にもしこれが毒ガスであっても自分には効かないし、慌てて離れる必要も無いだろう。
 そう考え、ラトは再び槍を握る腕に力を込め――……ようとして、ハッと気が付いた。

 ――違う。

 体の様子に変化がないのは……異臭がしないのは……毒性が薄いからではない。そもそも、毒などではないのだ。だとしたら地竜の、あの信じられない程の絶対的防御力を最大限に活かす攻撃方法とは、一体何だろう。
 そうして、僅か二秒足らずの思考の末に導き出した一つの結論は、ラトを心の底から震え上がらせた。

「やべぇっ……」
『…………遅い』

 ラトは刺さりっぱなしの槍から手を離し、地竜の背を、あらん限りの力を以って蹴り飛ばした。と同時に、地竜がガチッと打ち鳴らした牙の隙間から、微々とした火花が漏れ散る。



 パッと閃光が迸り、淀んだ雲を染め上げる。突如生まれた炎の塊が周囲一帯を焼き尽くし――爆音が、天地を揺るがした。
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