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第三章 ノーザニス地方篇
#16 説得と逃走
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「……危ねぇっ……!」
心底慄然したように、ラトが驚愕の声を上げた。空中で体を反して体勢を立て直した彼の手には、刀身の半ばから歪曲した大剣が握られている。
それを見たリーシャは、無意識の内にほっと胸を撫で下ろしていた。これほどまでに背筋が凍りつくような感覚を味わうのは、随分久しぶりだった。
何故ラトが無事なのかというと――攻撃を受ける直前、短剣として鞘に収まったままのオールブレイドを瞬時に大剣に変化させ、己の背面を守ったからだった。その、ラトの咄嗟の機転というか、戦闘における勘には感服するばかりだが……。
しかしリーシャが更に驚愕したのは、彼を襲った一撃の“重さ”であった。
魔法武器の全てが、銅や鉄などより魔力伝導率の高いミスリル銀製。そしてそのミスリル銀の強度は鋼をも軽く凌ぐというのに、それをああも簡単に歪ませるとは……――もし防御が間に合わず突進を直に食らっていたなら、今頃ラトの命は無かっただろう。
とは言え、オールブレイドは如何なる刃物にも“変形”する魔法武器。
「――短剣」
というラトの一声で、刃渡り半メトル足らずのダガーへと戻ったオールブレイドには、もう一切の歪みも認められない。
周囲の樹木よりも高く打ち上げられたラトは、地竜の背後一〇メトルの地点に軽やかに着地。同時に、ビシィ! と地竜に対して指を突き付けた。
「おいお前! 俺たちは敵じゃねぇって言ってんだろ! 何で攻撃してくんだっ!」
ラトが怒りを露わに声を荒げると、地竜がゆっくりとした動作で振り返る。正面から向かい合う形となった両者は、互いにじっと睨み合ったままチラリとも視線を逸らそうとしない。
不意に、ラトが苛立たしげに頭を掻いた。
「だからそれは俺たちじゃねぇんだって……」
ただ視線を交錯させているだけのように見えるが、その実、どうやら二者の間では当事者にしか分からぬやり取りが交わされているらしい。しばしの間、ピリピリと肌を刺すような張り詰めた空気が辺りを包む。
その静寂に終止符を打ったのは、大地を震わすドラゴンの咆哮だった。
「ゴアアアアアアアアアアッ!!」
その雄叫びは、反射的にリーシャの心身を竦ませた。意思とは無関係に、リーシャの中の一生物としての本能が大音量で警鐘を鳴らす。
地竜が再び、振り上げた巨角で地表に穴を穿った。
(また潜る……っ!)
そう身を硬くしたリーシャの前で、ドラゴンが先ほどとは違う行動をとった。地中へ消えることなく、一直線にラトへ向かって突進したのだ。
ガガガガガッ! と豪快に地面を抉る猛進は、ラトとの距離を転瞬に詰める。だが、斜め上方に跳躍することで間一髪それを躱した彼は、くるくると宙返りをしたのち、ドラゴンと入れ替わるようにリーシャとミィナの正面に着地した。
十数メトル離れた場所で、ドラゴンが雪混じりの土砂を巻き上げ停止する。
今は背を向けている地竜に険しい眼差しを向けたまま、ラトが口を開いた。
「リーシャ、ミィナ……お前らは逃げろ」
もはや命令にも近い口調に、リーシャは思わず反論してしまう。
「逃げろって……あんた一人で勝てるわけ――」
「二人でも無理だ」
断言した。あのラトがあっさりと、負けを認めた。その事をミィナはどうしても信じることが出来なくて、そんな時間が無いのは分かっているのに質問を重ねてしまう。
「何でですか……? だってラトさん、ドラゴンを倒したキマイラにも勝ったじゃないですか。水竜だって、リーシャさんと力を併せて――」
「キマイラがドラゴンに勝てたのは、きっとドラゴンの方が油断してたからだと思う。それに俺たちが水竜を殺せたのも、我を忘れてた上にかなり弱ってたからだ。……けど、あいつは違う」
地竜が再度こちらへ向き直る。
その様子を凝視したまま、ラトが肩から大きく息を吸った。後に吐き出された震えた吐息は、かつて無いほどに深く長いものだった。
普段は何を考えているのか分からず、時として、周囲の度肝を抜くような思いも寄らない行動を取るラトだが、今回に限っては、全くの正反対だった。リーシャには彼の心中が手に取るように理解できていた。
それはきっと、ラト自身が今までに感じたことの無い感情だから……。
それだけに多分、抑え方が分からないのだ。恐らく誰が見ても、今のラトが“緊張”しているのは一目瞭然だろうと思う。
明らかに、自然体のラトではなかった。
まるで己の中に湧き上がる感情を吞み込むかのように、一度、ラトがこくりと唾を嚥下する。それから徐に口を開いて、言葉の続きを口にした。
「本気のドラゴンには……絶対に勝てない」
視線の先で、地竜が力を溜めるように、体を横に折り曲げぐぐっと体を縮めると、尻尾と頭の先がくっ付くほどに丸まってしまった。
そのまま円を描くようにゆっくりと回りながら、傍の岩壁へ接近する。そして――
「行け!!」
ラトが絶叫し地を蹴ったのと、ドラゴンが蓄えた力を解放したのは、ほぼ同時だった。
跳ね戻る地竜の尻尾。
ズガァンッ! という硬質な爆音を轟かせて岩壁を打ち据えた。砕け散る無数の岩石片。その一つ一つが人頭ほどもあり、まさしく砲弾の嵐となってラトを襲った。
「片手剣ッ!」
その声に応じて、手にした短剣がショートソードに姿を変える。
ひゅ、ひゅんっ! と目にも留まらぬ速さで閃いた刃が、空中で幾つかの岩石を迎撃した。間髪容れず体を浮かせ、足元への飛来物を最小限の動きで回避。そして宙にいる間にも、更に二弾三弾を斬り捨てる。
対応可能な大きさのものは全て防いでいた。
それでも、撃ち漏らした――もしくは回避し切れなかった小さな破片が身体の各所を掠め、その度に肌に浅い傷痕が刻まれる。
その時、リーシャはあることに気付いてハッと息を呑んだ。
(一つも、こっちに飛んで来ない……)
それは何故か。考えるまでもなく、ラトがそう仕向けているからである。ただ滅茶苦茶に岩石を弾いているわけではなく、その方向をコントロールしているのだ。と、それを意識した途端、リーシャは咄嗟に動いていた。
ミィナの腕を掴むと、半分ほど無理やり彼女を引っ張り立たせる。
「ミィナちゃん行くよ!」
「で、でも、ラトさんを――」
「私たちがいたら邪魔になっちゃう!」
リーシャも実を言うと本当は、今すぐにでもラトの隣まで走って行って、彼に加勢したかった。仲間を、助けたかった。
けれど、喩えそうしたとして、自分があの闘いに付いて行けるのかと問われれば、自信は無い。どうせまたラトに庇われて、余計な負担を掛けてしまうのがオチだろう。
もはや、人が介入して良いレベルの話ではないのだ。
――――あいつなら……ラトなら、絶対に大丈夫。
ラトは自ら“勝てない”と宣言したけれど、きっと彼の事だ。どうにかして逃げおおせるに違いない。今は行動を別にしても、その内いつものように何処(どこ)かからひょっこり姿を現すだろう。だから、何も心配することはない。
きっと大丈夫。きっと……大丈夫だ。
そう己に言い聞かせるように心中で繰り返し呟きながら、重たい足を動かした。ミィナを連れ立って、気持ちとは反対の方向へ走り出す。
進むべき道の先へ、駆け出した。
心底慄然したように、ラトが驚愕の声を上げた。空中で体を反して体勢を立て直した彼の手には、刀身の半ばから歪曲した大剣が握られている。
それを見たリーシャは、無意識の内にほっと胸を撫で下ろしていた。これほどまでに背筋が凍りつくような感覚を味わうのは、随分久しぶりだった。
何故ラトが無事なのかというと――攻撃を受ける直前、短剣として鞘に収まったままのオールブレイドを瞬時に大剣に変化させ、己の背面を守ったからだった。その、ラトの咄嗟の機転というか、戦闘における勘には感服するばかりだが……。
しかしリーシャが更に驚愕したのは、彼を襲った一撃の“重さ”であった。
魔法武器の全てが、銅や鉄などより魔力伝導率の高いミスリル銀製。そしてそのミスリル銀の強度は鋼をも軽く凌ぐというのに、それをああも簡単に歪ませるとは……――もし防御が間に合わず突進を直に食らっていたなら、今頃ラトの命は無かっただろう。
とは言え、オールブレイドは如何なる刃物にも“変形”する魔法武器。
「――短剣」
というラトの一声で、刃渡り半メトル足らずのダガーへと戻ったオールブレイドには、もう一切の歪みも認められない。
周囲の樹木よりも高く打ち上げられたラトは、地竜の背後一〇メトルの地点に軽やかに着地。同時に、ビシィ! と地竜に対して指を突き付けた。
「おいお前! 俺たちは敵じゃねぇって言ってんだろ! 何で攻撃してくんだっ!」
ラトが怒りを露わに声を荒げると、地竜がゆっくりとした動作で振り返る。正面から向かい合う形となった両者は、互いにじっと睨み合ったままチラリとも視線を逸らそうとしない。
不意に、ラトが苛立たしげに頭を掻いた。
「だからそれは俺たちじゃねぇんだって……」
ただ視線を交錯させているだけのように見えるが、その実、どうやら二者の間では当事者にしか分からぬやり取りが交わされているらしい。しばしの間、ピリピリと肌を刺すような張り詰めた空気が辺りを包む。
その静寂に終止符を打ったのは、大地を震わすドラゴンの咆哮だった。
「ゴアアアアアアアアアアッ!!」
その雄叫びは、反射的にリーシャの心身を竦ませた。意思とは無関係に、リーシャの中の一生物としての本能が大音量で警鐘を鳴らす。
地竜が再び、振り上げた巨角で地表に穴を穿った。
(また潜る……っ!)
そう身を硬くしたリーシャの前で、ドラゴンが先ほどとは違う行動をとった。地中へ消えることなく、一直線にラトへ向かって突進したのだ。
ガガガガガッ! と豪快に地面を抉る猛進は、ラトとの距離を転瞬に詰める。だが、斜め上方に跳躍することで間一髪それを躱した彼は、くるくると宙返りをしたのち、ドラゴンと入れ替わるようにリーシャとミィナの正面に着地した。
十数メトル離れた場所で、ドラゴンが雪混じりの土砂を巻き上げ停止する。
今は背を向けている地竜に険しい眼差しを向けたまま、ラトが口を開いた。
「リーシャ、ミィナ……お前らは逃げろ」
もはや命令にも近い口調に、リーシャは思わず反論してしまう。
「逃げろって……あんた一人で勝てるわけ――」
「二人でも無理だ」
断言した。あのラトがあっさりと、負けを認めた。その事をミィナはどうしても信じることが出来なくて、そんな時間が無いのは分かっているのに質問を重ねてしまう。
「何でですか……? だってラトさん、ドラゴンを倒したキマイラにも勝ったじゃないですか。水竜だって、リーシャさんと力を併せて――」
「キマイラがドラゴンに勝てたのは、きっとドラゴンの方が油断してたからだと思う。それに俺たちが水竜を殺せたのも、我を忘れてた上にかなり弱ってたからだ。……けど、あいつは違う」
地竜が再度こちらへ向き直る。
その様子を凝視したまま、ラトが肩から大きく息を吸った。後に吐き出された震えた吐息は、かつて無いほどに深く長いものだった。
普段は何を考えているのか分からず、時として、周囲の度肝を抜くような思いも寄らない行動を取るラトだが、今回に限っては、全くの正反対だった。リーシャには彼の心中が手に取るように理解できていた。
それはきっと、ラト自身が今までに感じたことの無い感情だから……。
それだけに多分、抑え方が分からないのだ。恐らく誰が見ても、今のラトが“緊張”しているのは一目瞭然だろうと思う。
明らかに、自然体のラトではなかった。
まるで己の中に湧き上がる感情を吞み込むかのように、一度、ラトがこくりと唾を嚥下する。それから徐に口を開いて、言葉の続きを口にした。
「本気のドラゴンには……絶対に勝てない」
視線の先で、地竜が力を溜めるように、体を横に折り曲げぐぐっと体を縮めると、尻尾と頭の先がくっ付くほどに丸まってしまった。
そのまま円を描くようにゆっくりと回りながら、傍の岩壁へ接近する。そして――
「行け!!」
ラトが絶叫し地を蹴ったのと、ドラゴンが蓄えた力を解放したのは、ほぼ同時だった。
跳ね戻る地竜の尻尾。
ズガァンッ! という硬質な爆音を轟かせて岩壁を打ち据えた。砕け散る無数の岩石片。その一つ一つが人頭ほどもあり、まさしく砲弾の嵐となってラトを襲った。
「片手剣ッ!」
その声に応じて、手にした短剣がショートソードに姿を変える。
ひゅ、ひゅんっ! と目にも留まらぬ速さで閃いた刃が、空中で幾つかの岩石を迎撃した。間髪容れず体を浮かせ、足元への飛来物を最小限の動きで回避。そして宙にいる間にも、更に二弾三弾を斬り捨てる。
対応可能な大きさのものは全て防いでいた。
それでも、撃ち漏らした――もしくは回避し切れなかった小さな破片が身体の各所を掠め、その度に肌に浅い傷痕が刻まれる。
その時、リーシャはあることに気付いてハッと息を呑んだ。
(一つも、こっちに飛んで来ない……)
それは何故か。考えるまでもなく、ラトがそう仕向けているからである。ただ滅茶苦茶に岩石を弾いているわけではなく、その方向をコントロールしているのだ。と、それを意識した途端、リーシャは咄嗟に動いていた。
ミィナの腕を掴むと、半分ほど無理やり彼女を引っ張り立たせる。
「ミィナちゃん行くよ!」
「で、でも、ラトさんを――」
「私たちがいたら邪魔になっちゃう!」
リーシャも実を言うと本当は、今すぐにでもラトの隣まで走って行って、彼に加勢したかった。仲間を、助けたかった。
けれど、喩えそうしたとして、自分があの闘いに付いて行けるのかと問われれば、自信は無い。どうせまたラトに庇われて、余計な負担を掛けてしまうのがオチだろう。
もはや、人が介入して良いレベルの話ではないのだ。
――――あいつなら……ラトなら、絶対に大丈夫。
ラトは自ら“勝てない”と宣言したけれど、きっと彼の事だ。どうにかして逃げおおせるに違いない。今は行動を別にしても、その内いつものように何処(どこ)かからひょっこり姿を現すだろう。だから、何も心配することはない。
きっと大丈夫。きっと……大丈夫だ。
そう己に言い聞かせるように心中で繰り返し呟きながら、重たい足を動かした。ミィナを連れ立って、気持ちとは反対の方向へ走り出す。
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