僕たちは正義の味方

八洲博士

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 金曜日、何故か気分がプレミアム。特に予定はないのに、正体不明の期待感が沸き上がる。ぶっちゃけ、予定がないから多少の深酒は許される、という安心感があるのだが。職場である中学校はちょうど駅と駅の中間にあり、歩くのは結構な運動になる。それを嫌って車で通う先生方もいるが、徒歩組のメリットは帰りにちょっと一杯が楽しめる、これに尽きる。乗るなら飲むな。飲むなら乗るな。である。学校の教師としてはこの種の標語を守るのは当然なのである。
 まあ今日は心配事の一つが片付いたので、ささやかに祝杯を、という訳なのだ。話の流れで父兄の女性コーチが剣道部の一年女子を鍛えてくれることになり、この機会にプロの指導内容を参考にさせてもらおうと観察していたら、なぜか周囲から白い視線が集中していた。独身三十路の男性教師はそんなにも女生徒から信用されないものなのかと落ち込んだのは心の秘密だ。
 結果としては危機感を煽られた副顧問の香川が( 煽ったのは自分なのだが )コーチの指導内容を記録に残すようにと女子部員に依頼し、快諾されたという。
やったね、香川。グッジョブだ。
そんな副顧問に相変わらず男子部員の指導を手伝わせようとしたら金切り声を上げて爆発しそうになったので、やんわりとなだめて諭した。
曰く、道場主をも務める山下コーチの指導は独特過ぎて、学校の部活ではそのまま流用出来ない内容もあること。
近い将来、香川先生が女子剣道部の顧問になるのは確実なので部活の指導で相応しいものと、相応しくないものを選別するバランス感覚が求められること。
その為には男子部員の指導と見比べるのが大いに役立つ知識となること等を説明し、納得させた。
うむ。間違ってはいないし、うそも言ってない。だが結果としてはこれまでのように男子部員の指導を手伝って貰いつつ、山下コーチの指導を記録、研究するという作業を副顧問の香川先生に丸投げ出来ることになる。最初こそ自分自身でプロの指導を盗もうとしたものの、山下コーチが女性なせいかおかしな噂が流れ始めた。
江口教師が山下コーチに見惚れていると。
ひどい話だ。だが剣道素人の香川教師が山下コーチの指導を見学しているとなると、真面目な先生という美談になる。ただ同性というだけで。まあ実際に彼女は真面目に勉強しているのだが。いつまでもひねくれているのは良くないし変態教師の汚名も返上できそうなので、気持ちを切り替えるためにも、今日の
軍資金は多めに持ってきた。今日こそは酔っ払うつもりで。たまに与える自分へのご褒美、だからこそ気分が盛り上がる。

 カウンターに腰を据え、冷えたビールで喉を潤していると意外な人物と再会することが出来た。
 大学時代の剣道部の後輩で、たまたま顔を出した飲み会で面識が出来た男。野々村慎二だ。中学校の教師を希望というので先輩として同僚教師のグチを聞かせたところ、かなり参考になったという。聞けば隣の中学校に赴任して三年目でようやく板についた頃に環境が急変したというのだ。今は剣道部の顧問とか。
 きっかけは再放送された例のドラマだ。人気がなく、最後の部員が卒業していく三年生のみという剣道部は名前しか残らないはずだったのに。新年度には男子十五名、女子十名の入部があったという。顧問をしていた教師も定年で退職、慌てた学校側に指名されたのが彼、野々村だ。学生時代に経験があるという理由だけで碌な引き継ぎもなく顧問に任命されたとか。
ウチの副顧問の未来図かよ、それ。
 幸いというか、形から入る今時の子供は勝手に装備を整えていて、防具や備品の発注に追われることはなかったらしいが。その構成を聞くと同情を禁じ得ない環境がうかがえる。
 まず男子部員。全員が剣道初心者でレベルもだいたい同じくらい。まあ地道に育ててみるしかない状態だ。
 次に女子部員。十名の内、半数の五名がなぜか相撲の経験者。まあ、小学校に相撲部はあり得るし女子でも問題はない。しかし中学校に女子の相撲部はなかなか聞かない話だ。野々村の学校にも、まず相撲部がなかった。相撲経験者たる少女五名がドラマに憧れたとはいえ、剣道を志したのは学校にとっても都合が良い話だったろう。相撲を取るには土俵が必要だ。よその設備を借りるにしても場所が近いとは限らない。使用者が彼女達だけになるかもしれない施設を校内に作れるのか。そもそも施設は彼女たちの間に合うのか。根回し、予算確保、施工。彼女達が卒業したあとに完成しても次の使用者が現れるとは限らない。それが剣道となれば。少なくとも場所の確保は済んでいる事になる。もっとも、それは学校のするべき苦労という話だ。
 顧問としての苦労はまた別、である。三年生がゼロ、二年生もゼロ。新入生に先輩はいない。顧問の不在時にあとを任せる生徒がいないということは、部活の顧問としては目を離すことができないということだ。何しろ相手は形から入っただけの新人である。いわゆる常識が期待できない。当てても無効な足を狙ったり隙があると背後から打ち込んだり。視界が狭くなるし蒸れるからと面を付けずに打ち合ったり。落ち着いて考えれば危ないと分かる事に、ケガをするまでは気が付かないなど。初日にルールや礼儀を講義したが不評だった座学が正しく理解されたかは不安が残るという。
 個々の発言力が部内での強さに比例する風潮も彼の不安の種だ。剣道初心者としてのスタートラインは同じでも相撲経験者の少女五人は体がすでに出来上がっている。瞬間的な身のこなしや機敏さは相撲が格闘技であることを再認識させるだろう。彼女らの突進力は同級生の男子にすら鍔迫り合いを許さない。弾き飛ばされるのは防げても、体勢を崩して容易く一本を奪われしまう。
 そんな環境では早晩女子部員が天狗になりかねない。同年代との交流試合でもすれば天狗の鼻を折れるかもしれないが、まともな引き継ぎをしなかった野々村の学校には交流試合を組む伝手さえなかった。
 これは鬱憤晴らしが必要と野々村に酒を勧めながらも江口は考える。自分も失念していたが、恐らく香川も気づいていないだろう他校との交流試合。流石に今は無理だが、来年の夏か秋には試合が組めるかもしれない。いや、組むべきだ。
 一方、参考までにとこちらの剣道部の状況を知りたがる野々村に一年生の男女比や専属コーチの件を話す。もちろん、話せない内容まで漏らしてしまう江口ではなかったが、飲み過ぎた二人は自分に都合のいい解釈で話を進めてしまう。
 「先輩。やりましょうよ、交流試合。うちの一年生の鼻っ柱を叩き折るには、もう、それしかない、です」
 「いやあ、野々村よ。こっちでもいずれはと思っていたけど。( 来年の )夏くらいならやりたいな」
 「ええ。( 今年の )夏ですか。流石専属コーチのいる所は違いますねえ。夏ではちょっときついんで、( 今年の )秋なら、秋ならどうでしょう」
 「( 来年の )秋か・・・。( それなら顧問になった香川も慣れてる頃だろうし俺も手伝えば・・・)いけるかな。うん、いいんじゃないか、秋で」
 「本当ですか、江口先輩。ありがとうございます。よろしくお願い致します。約束ですからね、ホントに」
 一年女子が三人では試合なんてはなからムリと認識している江口教師と、一刻も早く、一年女子の天狗になった鼻っ柱を折りたい野々村教師。酔っぱらったこの二人の行き違いは、交流試合が正式に決まるまで正されることは無かった。
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