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再会編
01:成人式
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色鮮やかな振袖姿の女性の間に、信じられない格好の女がいた。
丸襟のリボンタイ付きのブラウスに、コルセットスカート。中にはハードパニエを着込んでおり、全身真っ白。所謂クラシックロリィタ姿。
今年成人を迎えたばかりの山本美香は、絵本から出てきた様な、親友の姿に溜息を吐きながら歩み寄った。
「美代子......あんた、それ、良く親が許したね~」
「許してくれなかったから、勝手に出てきましたー」
桜木美代子は、不貞腐れた表情で、御殿場市民会館の入り口に向かって歩き出した。そんな彼女に、美香はそっと寄り添う。
「なんかあったの?」
「......またお母さんの歪んだ愛情」
美代子はフンと鼻を鳴らした。
「私はみんなと同じ様な振袖を着たかったの。今流行ってる華やかなヤツ。それなのに、お母さんが、自分の娘時代に買ったやつを着ろってさ! 高くて良いヤツだからって。値段が問題じゃないって、なんで気付かないかな?!」
「だからって、随分思い切ったね~」
「持ってる服の中じゃ、コレが一番好きだから」
「まあ、それが良いね。ウチも蝶じゃなくて、薔薇の柄の奴が良かったんだけどね」
美香は美代子の価値観を否定しなかった。だから、二人は親友でいられるのだ。
「美代子、薬は?」
「今日は要らない。美香が一緒だから」
美代子は綺麗に笑い、周囲に目をやった。奇抜な格好を嘲笑し、陰口を叩いている人間が大勢いる。しかし、彼女は気にならなかった。
ブツブツケチを付けているのは、曲解した花魁姿で、髪の毛を山姥の様に盛り上げている女ばかり。理解を示してくれる人は、そもそもの話、大抵何も口にしない。だから、ロクでもない人間の、否定の言葉に気を使ってやる必要を、全く感じなかった。
「あ~、めんどくさい!! 早く都会に戻りたいよ~」
「そういや、星野さんは元気?」
美香が訊ねると、美代子の表情が凍りついた。“星野さん”......それは、美代子のアパートの洗面所に住み着いている、地縛霊。
「ん......まあ、元気だったよ。相変わらず痩せこけてはいるけど。しかし、さっさと成仏すれば良いのにねぇ」
「他殺じゃそう簡単に行かないでしょ。ていうか、良く住み続けられるよね」
「だって、家賃三万円だよ?! 水道は使い放題で二千円!! 浦安でコレは中々でしょ?! お化けぐらい我慢するさ。星野さん、アレでいて、結構親切だし」
「親切?!」
美佳は心底驚いて、身震いした。彼女は一度だけ美代子のアパートへ遊びに行き、星野さんと遭遇した。洗面所でふと顔を上げると、鏡に眉間から血を流した女性の姿が......。
何度思い返しても、息が詰まりそうになる。
美代子は飄々と笑った。
「ウッカリ、鍵を掛け忘れて出掛けた事があったんだけどさ、星野さんが空き巣をバッチリ追い返してくれて! ......まあ、お陰で心霊スポット扱いされて、深夜に懐中電灯の明かりを窓に向けて来る奴がいて、結構迷惑なんだけど」
「......好きで住んでるなら、何も言わんよ」
美香は、あまり物事に頓着しない性分で、そのマイペースさが、心に病を抱える美代子の救いとなっていた。
そう。美代子は深刻なうつ病、パニック障害と共生していた。けれど、彼女は、まだ諦めきれていなかった。
「最近学校はどう?」
美香が呑気に訊ねると、美代子はほんの少し表情を引きつらせた。
「別に、なんとも」
嘘だった。つい最近、とても大きな事件が起こったばかりだ。しかし、そんな重たい話は、晴れの日に似合わない。そのくらいの事は、美代子もわきまえていた。
「そっちは?」
「ルッコラとソラマメの植え付け」
「うわ~......大変だ」
(いや、私からすれば、お化けと同居の方が、数億倍大変なんだが)
美香は内心深い溜息を吐いた。美代子は、良くも悪くも変人に分類される。つきあうには、少しコツのいる相手だ。
「で? どうするの? 記念品だけ貰ったら、外で待ってる?」
「うん、そうする。......高校の連中には、絶対会いたくないし」
美代子は、ほんの少し拳に力を込めた。心や思考に空白が生まれれば、必ず現れる記憶がある。決して消えない、堪え難い屈辱の日々が蘇り、進む足を地面に縛り付ける。恐怖と怒りから、泣き崩れそうになる。
彼女は、高校時代、激しい虐めを受けていた。
市民会館の扉を潜る時、美香はさり気なく美代子の袖を摘んだ。その心遣いのお陰で、美代子は歩けた。
大ホールに入り、一番後ろの席に置かれていた紙袋を手に取る。パンフレット、生まれた年の新聞のコピー、記念品の......何故か......
「シケてんなぁ」
「その服装で、その言葉遣いは、どうかと思う」
美香は一応窘めつつ、自身も肩を落とした。
「なんで、トイレットペーパー? お金足りてないのかな......」
市のロゴマークと、”税金を納めよう!”の標語付き。美代子は派手なリボンのバッグにそれを押し込み、手を振った。
「それじゃあ、外で待ってるから」
「うん。どの辺にいる?」
「吹部の練習の時、楽器を搬入した所にいるから」
「分かった」
「じゃあね!」
美代子は元気良く駆け出した。駆け出して、走って、そして、そのままトイレに逃げ込んだ。幸い誰もおらず、個室に入れば喧騒は大分遠ざかった。
(落ち着け......落ち着け......)
水筒を取り出し、水を飲んだ。薬は......少し迷って、鞄に戻した。
(なんで......なんて惨めなの! これじゃあ、昔の私と同じ! トイレに隠れて......お弁当を食べていた私と......)
今は、友達がいる。けれど、人が怖くて堪らない。ふとした瞬間に嫌な記憶が、全てを覆い尽くしてしまう。
(みんな大人になってる。子供がいる子もいる。それなのに私は......)
その時、スマートフォンのバイブが鳴った。慌てて確認すると、声優事務所の所属オーディションのお知らせだった。
不参加。
そう入力して、返した。
(結局、この道もダメだった。私がダメにしてしまった......)
それから十五分経ち、開式の時間になってから、静かに個室を出た。
誰もいないロビーに、静かな足音が響く。
外へ出ると、真冬の風が頬に突き刺さった。
(1時間半......どうしよう?)
その時、ふとタバコの臭いがした。普段なら敬遠するその臭いに、何故か引き寄せられていた。というか、臭いの発生源と、目的地が一緒だったのだ。
大ホールの楽器搬入口の前で、振袖姿の女が、キャッチャー座りでタバコをふかしている。すこぶる不機嫌そうだ。
その顔には、どこか見覚えがあった。
「加奈......?」
美代子が声を掛けると、女は顔を上げた。
丸襟のリボンタイ付きのブラウスに、コルセットスカート。中にはハードパニエを着込んでおり、全身真っ白。所謂クラシックロリィタ姿。
今年成人を迎えたばかりの山本美香は、絵本から出てきた様な、親友の姿に溜息を吐きながら歩み寄った。
「美代子......あんた、それ、良く親が許したね~」
「許してくれなかったから、勝手に出てきましたー」
桜木美代子は、不貞腐れた表情で、御殿場市民会館の入り口に向かって歩き出した。そんな彼女に、美香はそっと寄り添う。
「なんかあったの?」
「......またお母さんの歪んだ愛情」
美代子はフンと鼻を鳴らした。
「私はみんなと同じ様な振袖を着たかったの。今流行ってる華やかなヤツ。それなのに、お母さんが、自分の娘時代に買ったやつを着ろってさ! 高くて良いヤツだからって。値段が問題じゃないって、なんで気付かないかな?!」
「だからって、随分思い切ったね~」
「持ってる服の中じゃ、コレが一番好きだから」
「まあ、それが良いね。ウチも蝶じゃなくて、薔薇の柄の奴が良かったんだけどね」
美香は美代子の価値観を否定しなかった。だから、二人は親友でいられるのだ。
「美代子、薬は?」
「今日は要らない。美香が一緒だから」
美代子は綺麗に笑い、周囲に目をやった。奇抜な格好を嘲笑し、陰口を叩いている人間が大勢いる。しかし、彼女は気にならなかった。
ブツブツケチを付けているのは、曲解した花魁姿で、髪の毛を山姥の様に盛り上げている女ばかり。理解を示してくれる人は、そもそもの話、大抵何も口にしない。だから、ロクでもない人間の、否定の言葉に気を使ってやる必要を、全く感じなかった。
「あ~、めんどくさい!! 早く都会に戻りたいよ~」
「そういや、星野さんは元気?」
美香が訊ねると、美代子の表情が凍りついた。“星野さん”......それは、美代子のアパートの洗面所に住み着いている、地縛霊。
「ん......まあ、元気だったよ。相変わらず痩せこけてはいるけど。しかし、さっさと成仏すれば良いのにねぇ」
「他殺じゃそう簡単に行かないでしょ。ていうか、良く住み続けられるよね」
「だって、家賃三万円だよ?! 水道は使い放題で二千円!! 浦安でコレは中々でしょ?! お化けぐらい我慢するさ。星野さん、アレでいて、結構親切だし」
「親切?!」
美佳は心底驚いて、身震いした。彼女は一度だけ美代子のアパートへ遊びに行き、星野さんと遭遇した。洗面所でふと顔を上げると、鏡に眉間から血を流した女性の姿が......。
何度思い返しても、息が詰まりそうになる。
美代子は飄々と笑った。
「ウッカリ、鍵を掛け忘れて出掛けた事があったんだけどさ、星野さんが空き巣をバッチリ追い返してくれて! ......まあ、お陰で心霊スポット扱いされて、深夜に懐中電灯の明かりを窓に向けて来る奴がいて、結構迷惑なんだけど」
「......好きで住んでるなら、何も言わんよ」
美香は、あまり物事に頓着しない性分で、そのマイペースさが、心に病を抱える美代子の救いとなっていた。
そう。美代子は深刻なうつ病、パニック障害と共生していた。けれど、彼女は、まだ諦めきれていなかった。
「最近学校はどう?」
美香が呑気に訊ねると、美代子はほんの少し表情を引きつらせた。
「別に、なんとも」
嘘だった。つい最近、とても大きな事件が起こったばかりだ。しかし、そんな重たい話は、晴れの日に似合わない。そのくらいの事は、美代子もわきまえていた。
「そっちは?」
「ルッコラとソラマメの植え付け」
「うわ~......大変だ」
(いや、私からすれば、お化けと同居の方が、数億倍大変なんだが)
美香は内心深い溜息を吐いた。美代子は、良くも悪くも変人に分類される。つきあうには、少しコツのいる相手だ。
「で? どうするの? 記念品だけ貰ったら、外で待ってる?」
「うん、そうする。......高校の連中には、絶対会いたくないし」
美代子は、ほんの少し拳に力を込めた。心や思考に空白が生まれれば、必ず現れる記憶がある。決して消えない、堪え難い屈辱の日々が蘇り、進む足を地面に縛り付ける。恐怖と怒りから、泣き崩れそうになる。
彼女は、高校時代、激しい虐めを受けていた。
市民会館の扉を潜る時、美香はさり気なく美代子の袖を摘んだ。その心遣いのお陰で、美代子は歩けた。
大ホールに入り、一番後ろの席に置かれていた紙袋を手に取る。パンフレット、生まれた年の新聞のコピー、記念品の......何故か......
「シケてんなぁ」
「その服装で、その言葉遣いは、どうかと思う」
美香は一応窘めつつ、自身も肩を落とした。
「なんで、トイレットペーパー? お金足りてないのかな......」
市のロゴマークと、”税金を納めよう!”の標語付き。美代子は派手なリボンのバッグにそれを押し込み、手を振った。
「それじゃあ、外で待ってるから」
「うん。どの辺にいる?」
「吹部の練習の時、楽器を搬入した所にいるから」
「分かった」
「じゃあね!」
美代子は元気良く駆け出した。駆け出して、走って、そして、そのままトイレに逃げ込んだ。幸い誰もおらず、個室に入れば喧騒は大分遠ざかった。
(落ち着け......落ち着け......)
水筒を取り出し、水を飲んだ。薬は......少し迷って、鞄に戻した。
(なんで......なんて惨めなの! これじゃあ、昔の私と同じ! トイレに隠れて......お弁当を食べていた私と......)
今は、友達がいる。けれど、人が怖くて堪らない。ふとした瞬間に嫌な記憶が、全てを覆い尽くしてしまう。
(みんな大人になってる。子供がいる子もいる。それなのに私は......)
その時、スマートフォンのバイブが鳴った。慌てて確認すると、声優事務所の所属オーディションのお知らせだった。
不参加。
そう入力して、返した。
(結局、この道もダメだった。私がダメにしてしまった......)
それから十五分経ち、開式の時間になってから、静かに個室を出た。
誰もいないロビーに、静かな足音が響く。
外へ出ると、真冬の風が頬に突き刺さった。
(1時間半......どうしよう?)
その時、ふとタバコの臭いがした。普段なら敬遠するその臭いに、何故か引き寄せられていた。というか、臭いの発生源と、目的地が一緒だったのだ。
大ホールの楽器搬入口の前で、振袖姿の女が、キャッチャー座りでタバコをふかしている。すこぶる不機嫌そうだ。
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