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風花姉、現る

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「ふぅ~……」

 思わずため息が漏れた。コンビニの袋がカサリと揺れる。
 なんで、こんなことを思い返すんだ。もう昔のことだろ。あの頃の俺は、ほんと幼過ぎた。今の俺なら解る、加奈が言った『大嫌い』は、きっとケンカを止めるために言ってくれたんだ。なのに俺は、それを理解できなくて……、加奈を傷つけた。

「あ~、くそっ」

 頭をガリガリとかく。
 加奈はあのときのことを、今はどう思っているんだろう。もしかして、もうそんなこと忘れている? いや、そんなことは……。
 気になって頭から離れない。ちょっと前まで仲良くしゃべっていたことが脳裏によぎる。思わずハッとした。もしかして、加奈がそういうふうに気遣ってくれていたのでは? だとしたら俺は……、また加奈の気持ちを理解せず、踏みにじるような事を……。
 視界に、まさやんの本屋さんが入った。もうすぐ着いてしまう。

 俺は……、どうするべきなのだろう……。ああ、もう!

 ぎゅっと手を強く握った。小学生のときと変わってない自分に腹が立つ。もう、過去のことに囚われるな。もう一度、仲良くすればいいだけだ。たとえそれが、つくろったものでも構わない。
 そう決めてドアを開けた。

「加奈! ただい――」
「おっかえりー!! た・い・ち~!!」
「へっ!?」

 張りのある明るい声に耳を疑った。でも加奈の声ではない。だが俺の疑問はすぐに晴れた。

「なっ!? ふ、風花ふうか姉!?」

 俺の視線の先には、よく見知った大人の女性がいた。風花姉が長い足を組んでパイプ椅子に座っていた。膝丈よりも短いベージュのパンツから伸びる艶やかな美脚が視界にちらつく。俺は視線を上向きに保ちつつ、風花姉の側に座っている加奈を見た。風花姉の白い腕が肩にまわされている。

「おっそいぞ~! 太一!! 可愛い女の子を2人も待たせるとは何事だぁ! まったく!! んぐんぐッ、ぷはぁ~!! くう~!!」

 風花姉が缶チューハイを盛大に煽っていた。加奈が、少し困り顔で口を開く。

「た、太一くん……、お、おかえり」
「お、おう。た、ただいま」
「もお~! なになに!? たどたどしい挨拶交わしちゃって! 熱々の新婚かっ!! なんちゃって♡」

 風花姉が加奈をぎゅっと引き寄せる。加奈がわたわたと虚しい抵抗をしているが、どうやら逃げれないみたいだ。って、なんだよこれ……。俺は額に手をやった。急に頭が痛む。てか、忘れてた……、風花姉の存在を。
 商店街の人達が、まさやんの本屋さんに多く来てたんだから、風花姉も現れることぐらい予想できたはず。くっ……、忙しかったからそんなこと頭に浮かばなかった。
俺は嘆息しながら風花姉に話しかける。

「あのさ、風花姉。もう店閉めてるんだけど」
「そんなの分かってるわよ。だ・か・ら! 来たんじゃない!! ねっ! 加奈ちゃん!」
「へっ!? い、いや、あの……」

 突然同意を求められ、加奈がなんと答えるべきか悩んでいた。おいおい、真剣に悩まなくて良いから。優し過ぎるだろ、加奈。まあ、そこが良いところなのだが。

「ふぅ~……」
 
 俺は盛大にため息を付く。さっきまで深刻に悩んでいた自分がバカみたいだった。まあでも今は助かった。
 俺は2人のところへ近づいた。そして風花姉から加奈を引きはがした。「いや~、加奈ちゃ~ん」と風花姉が名残惜しそうに嘆くが無視。

「でっ、喫茶店のマスターが何用で?」

 俺の抑揚のない声に、風花姉はにんまりと笑った。

「そりゃもちろん、加奈ちゃんと太一の、店番初日の労をねぎらいにきたのよ~。ではでは2人とも、今日はお疲れ様でしたっ!」

 と同時に、風花姉が新しいチューハイの缶を開けた。プシュッと小気味の良い音が俺の耳に痛く響く。何が労うだ、ただ飲みたいだけじゃねえか。
 レジカウンターの机には飲み干した缶が3本。おい、ペース早すぎないか? 俺が帰ってくるまで10分くらいしかたっていないはずなのに……。

「た、太一くん……、こ、こちらの綺麗なお姉さん……、風花姉さんってお、お知り合い?」
 
 加奈が小声で聞いてくる。

「ああ、この商店街で、喫茶店やってる人。んで酒飲むと、すごいたちが悪くなるダメな大人だ」
「そ、そうなんだ……。でも……、うん、なるほど……」
「あはははははっ! 聴こえてるぞ~、2人とも。でも私はだから許してあげよ~。さっ、盛り上がっていきましょう!」

 風花姉の威勢のいい声が店内に響き渡る。

「「はあ……」」

 加奈と俺の口から、ため息ともとれぬような返事が漏れる。すると風花姉が口をすぼめた。

「もう~、元気が無いぞ! ほらほら、こっち来なさいっ、2人とも」
「え? えっと……、は、はい」

 加奈が風花姉に近づこうとしたので、俺は両手に力を込めて止めた。なに真面目に言うこと聞いてんだ。ちょっとは危険を察しなさい。

「ひゃっ!? た、太一くん……!?」
「行くんじゃない、加奈」
「へっ!? い、いや、あの!?」
「何しでかすか分からないから。ここにいろ」
「あっ、そ、そういうこと!? で、でも、その、あの……」

 加奈が急に下を向いた。なにかそわそわしている。どうしたんだ?
 突然、風花姉がニヤリと不気味な笑みを浮かべた。

「そっか~。太一は、加奈ちゃんを離したくないのねぇ~、残念♡」
「へっ?」
 
 俺はそう言われて、初めて気付いた。俺の両手が、加奈の華奢な両肩を掴んでいることに。
 そ、そうだ。風花姉から加奈を引きはがす時に掴んで……。そして今は、自然と加奈の背中を受け止めるような形になっていて……。
 緩やかな肩の曲線が、加奈の羽織っている薄手のカーディガン越しに伝わる。それに、ふにっとした柔らかさを手のひらが敏感に感じ取っていて、って、バカか俺は!? 
 加奈の両肩から慌てて手を離した。そして加奈との距離を取る。今の俺はまるで、警官に銃を突き付けられ、両手を上げている様な形だった。俯いて、そわそわしている加奈に慌てて声をかけた。

「か、加奈! ご、ごめんっ! そ、その、不可抗力というか――、ぐえっ!?」

 喋ってる途中に、俺の首に白い腕が力強く絡んできた。一気に風花姉の側まで引き寄せられる。

「もう~、こっちに来たかったのなら素直に来なさいよ、照屋さん♡」
「そ、そんなわけあるか!! は、離せっ!」
「もう、照れちゃって」

 風花姉が腕に力を込める。
 うおっ……!? 
 ライトグレーのノースリーブニットから出ている、細くてしっとりとした腕が、俺の首元に吸いつくように触れる。きめの細かい生肌の感触がもう色々と生々しい。それに風花姉の体が俺に触れている。細身ながらも、しっかりとした肉付き。大人の女性らしいといえばいいのかわからないが、その柔らかな体の感触が、俺の服越しにやんわりと伝わってくる。と同時に俺の頬をかすめていく綺麗な亜麻色の髪。甘くて良い香りが鼻孔をくすぐり、抵抗する力をそいでいく。そして俺の目線が自然と、ニットを押し上げているふくよかな胸元に――、

「太一くん……」
「はっ!? はいっ!?」

 焦って上ずった声が出てしまった。耳にした声音がすごく恐かったから。声の方へ振り向くと、加奈が白けた目で見ていた。
もうやばい雰囲気しか感じない。

「えっと……、か、加奈、ぐえっ!?」

 風花姉が俺をさらに引き寄せて、耳元近くで話してくる。

「もう~、そんなに気になる? 私のおっ――」
「待て待て待てッ!! それを口にしちゃダメだろっ!?」
「何を?」
「そりゃ、おっぱ……、って違う違うっ!?」
「『い』。お後がよろしい様で」
「全然良くねえよっ!? なんだそのやりきった顔は!? は、腹立つ!!」
「ねえ、太一。それよりさ、加奈ちゃんが何か言いたそうにしてるよ?」
「へっ!?」
 
 風花姉に言われて我に返った。慌てて加奈に視線を向けると、

 ジトーーー。ジトッーーーーーー。ジトッーーーーーーーーーッ。

 冷たい視線をこれでもかと浴びせられていた。俺の背筋が震える。非常にまずい。

「か、加奈、お、怒ってる?」

 ニコッと加奈が笑った。怖いほどに。

「なんで……? 怒ってません。それよりさ……、仲……、良いんだね……?」

 ニッコリ。

 目を三日月のように細め、口元が歪んだ笑みを浮かべていた。ひっ!? こ、恐いっ!!
 
「そうなのよ~、仲良しというか、それ以上の関係?」
 
 風花姉がウリウリと、人差し指で俺の頬を突いてくる。ばっ!? バカ!? な、何言ってんだ風花姉!?
 すると加奈の目線が益々冷気を帯びていく。 

「へぇ~……、そうなんだ。そうなの……? 太一くん?」

 加奈が光の無い黒い瞳で見据えてくる。

 ち、違う!? な、何かすごいご、誤解してるぞ、加奈!! 

 そう言いたくても、恐くて俺は、口をパクパク動かすことしかできなかった。
 
 もうどうしたら良いか分らず、『陰』と『陽』の入り混じるカオスな空気に、俺はしばらく翻弄されていた。
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