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まったく心当たりのない理由で婚約破棄されるのはいいのですが、私は『精霊のいとし子』ですよ……?【カイン王子視点】

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「国守の精霊様に誓って」


 そう告げた瞬間の、見開かれた彼女の瞳に見蕩れた。
 黒曜石のような瞳に光が散って、息を飲むほど美しくて――この輝きを間近で見たかったのだと、ずっとその権利が欲しかったのだと、理解していたつもりのことを実感する。


(本当に兄上は、愚かですね。……その愚かさが、私を救ったのですが)


 心中でひっそりと思う。
 アリシア・デ・メルシスという無二の人を、たかだか家の力が強くて、見た目が兄好みで、耳障りのよい言葉ばかりを吹き込む女性に言い寄られただけで手放すなんて。


(まあ、でも私だって、アリシア殿から言い寄られればなんでもしたでしょうし……。もちろん、彼女は婚約者のいる身でそんなことを考えもしなかったでしょうし、そんな彼女だから精霊様たちも彼女を好むのでしょうが)


 兄は愚かだが、自分も愚かだ。
 彼女が――アリシアが傷つくかもしれないとわかっていて、兄がしようとしていたことを止めなかった。
 兄が彼女を手放せば、彼女を自分の婚約者にできるかもしれなかったから。

 そのもくろみは的中して、彼女は自分の婚約者になった。
 王家としては『精霊のいとし子』を在野に放つわけにはいかない。それを盾に父王たちに交渉して、正式な婚約者の地位も手に入れた。

 ……それが彼女の真の幸せにはつながらないと、わかっていたのに。
 彼女の隣にいたいという自分の欲を優先して、彼女を完全に王家から解放することをしなかった。
 解放しようと思えばできなくはなかった。代わりに自分の自由はなくなっただろうが、それが彼女の幸せにつながるのならと考えはしたのだ。
 けれど結局、自分は彼女をつなぎ止める方を選んだ。

(……自分の欲の深さがいやになりますね)


 心中でひとりごちると、己に憑いてくれている精霊様がこちらを気遣うような気配を感じた。


(大丈夫、大丈夫です。私は彼女をつなぎ止めた上で、そうしなかった場合以上の幸せを彼女に与えられるように努力すると決めたのですから)


 それに、彼女が自分の申し出を受け入れてくれたとき、彼女の周りにいた他の精霊様も祝福をしてくれた。だから己の選択が、彼女の不幸につながるとは判断されなかったのだ。


「大丈夫。……大丈夫ですよ」


 己に、そして精霊様に言い聞かせるように呟く。
 彼女に関することについては、すぐに不安になってしまう。それだけ自分が彼女に心奪われているということなのだろうけれど。
 彼女への『欲』を抱いたときから、いつだって迷ってきた。
 迷って、迷って、ずっと『何もしない』を選択してきた。それが正しかったのか、間違いだったのか、今もわからない。

 けれど、もう自分は動いたのだ。ならば、彼女を幸せにするために全力を尽くすだけだ。


(自分がこんな『欲』を持つなんて、あの日まで考えもしていなかったのに)


 身分の低い、精霊信仰の篤かった側妃から生まれた、『精霊憑き』の王子。
 生まれてすぐに生みの母を亡くしたことで、王にすら持て余された己を、小さく、小さくして生きてきた。そうしないと、命をゆるされなかったからだ。
 精霊信仰の薄い現王妃は、王家の血筋から出た『精霊憑き』をことさら疎んだ。『人は精霊なくしても生きられるはずだ』という信条を持っているらしいので当然かもしれない。王家と精霊との関係を断ち切る方向に動いている中で、己の存在は目障りそのものだったのだろう。
 また、彼女の生んだ第一王子と生まれ月が数月しか違わなかったのも疎まれる原因に一役買っていた。そして、王子としての最低限の教育を受けさせられる中、自分が第一王子よりも優秀だと周りがほめそやしてきたことが決定打だった。
 自分に――第二王子にもっと上の教育を、と教育係が進言するたびに、王妃からの刺客は増えた。そのすべては憑いてくれている精霊様が事前に察知してくれたので、命こそ助かったが、心は死んでいくばかりだった。

 ……そんなころだった。己に憑いている精霊様が彼女の――『精霊のいとし子』のことを教えてくれたのは。
 精霊と戯れる彼女の映像を見せてくれて、いつか彼女のもとに行こうと、そうすればきっと幸せになれると教えてくれた。
 その『自由』には、王家から在野に下ることの他に、『精霊憑き』からの解放も含まれていた。精霊様がいなくなれば死しか待っていないが、精霊様がいることで命を狙われ続ける。だからこその提案だったのだろう。

 『精霊憑き』からの解放は、本心で言えば望んではいなかった。恐れ多いことだけれど、精霊様を、触れあうこともなく亡くなった母や、親としての顔を全く見せない父の、代わりのように思っていたから。
 けれど、『精霊のいとし子』のもとへと行きたいという気持ちは、精霊様に引きずられる形で心の中に宿ったから、それだけを目標に、死なないように、取るに足りないものと思われるように、いつか王籍から外れたいと言ってもゆるされるような存在であるように生き続けた。

 それを変えることになったのは、彼女の存在が世に知られてからだ。
 『精霊のいとし子』の彼女は、『精霊のいとし子』として世間に出ることを拒んでいた。ゆえに、彼女の周りの精霊が、彼女が『精霊のいとし子』だとわからないように、世界を騙し続けていた。
 しかし、それを世界の事象を紐解く者たち――『解読者』に、暴かれてしまったのだ。
 彼女は――アリシア・デ・メルシスは、否応なく世間に引きずり出されることになった。同時に、自分がいつかと抱いていた夢も砕け散った。

 どう考えても彼女の本意ではない形で、彼女は『精霊のいとし子』として知られ、王都へとやってきた。
 それからだ。それから自分は『第二王子』として不自然ではない程度に、権力を得ていくことにした。精霊様からの情報によって彼女の幸せは王都にはないとわかっていたから、彼女をいつか王都から出す――王家から解放するために、ある程度の権力が必要だった。

 そう――最初はそのつもりだったのだ。

 王宮の庭園で、精霊様たちと戯れる彼女を、見てしまうまでは。

 映像とは違う生身の彼女が、精霊様たちに向ける笑みを見た瞬間、ああ、と思った。


 ――『その笑顔を、自分にも向けてほしい』。


 湧き上がった欲に戸惑った。それが自分の抱いたものなのか、精霊様が抱いたものなのか、悩みもした。

 それがどちらでもあっても、どちらもであっても、消えない欲を抱いたのは確かで。

 『精霊憑き』の自分と『精霊のいとし子』の彼女が知り合うことで、精霊信仰がさらに力を持つことを危惧した現王妃が、彼女との接触を阻止してくるのを理由に、彼女と一切関わりを持たないことを選択した。その『欲』によって、自分が彼女の前でどんな行動をとってしまうかわからなかったからだ。

 大昔からの慣例で、『精霊のいとし子』は王家の者と縁づかせられる。精霊信仰の篤いこの国であれば、いずれ王となる第一王子――兄の婚約者に据えられるのはわかっていた。――それが彼女の意にそぐわないことも。

 けれど、抱いてしまった『欲』のせいで、彼女を王家から解放する方向に動くことに迷いが出た。兄の婚約者――ひいては未来の王妃になったところで、彼女はきっと幸せにはなれないとわかっていたのに。

 何の行動も選べないでいるうちに、母親と同じで精霊信仰の薄い兄が、彼女をないがしろにするようになった。それどころか、彼女を嵌めて婚約破棄にこぎつけようとしていることも、精霊様を通じて耳に入ってきた。

 そこが、転機だったのだと思う。

 迷って、迷って――自分は『何もしない』を選んだ。
 もしかしたら彼女は傷つくかもしれない、王家に失望して精霊様の力を借りてどこかへ行ってしまうかもしれない。

 それでも、賭けた。彼女の隙につけいることができるのではないかと期待して。

 ――そうして迎えた、兄が整えた彼女との婚約破棄の場で。

 彼女はまったく傷ついた様子はなくて、それどころか精霊様たちの『やり返し』を止めようとまでしていて。

 彼女にとっては当たり前の行動だったのだろうけれど、その『優しさ』にさらに『欲』が膨らんだ。

 初めて彼女に近づいた。ふらついた彼女を支えようと抱いた肩はとても華奢に感じて、壊してしまいそうだと思った。
 自分を見てぱちぱちと瞬く瞳をいつまでも見ていたい気持ちだったけれど、まずは場から離れることが先決だと判断して、兄に釘を刺して場を後にした。

 そうして言葉を交わした彼女は、やっぱり精霊様から聞いていたとおりの人で――。

 最後の最後まで迷っていたけれど、結局自分は彼女に求婚した。

 彼女を幸せにできる自信があったわけではない。抱いていた『欲』が先行してのことだったけれど。

 それを口にしてしまったからには、もう彼女を幸せにするしかないのだ。

 幸せで、いてほしい。……共にありたい。その二つを両立するには。


(ともかく、要努力、ですね)


 精霊様たちが祝福してくれたときに彼女が浮かべた笑みを思い返して、気合いを入れ直す。
 己の手で彼女を幸せにするために、また一歩を踏み出した。
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