古国の末姫と加護持ちの王

空月

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(……兄様は、何かわかってて、ああ言ったのかな)

  かつて、リルの祖国たる秘された国――『古国イースヒャンデ』の成り立ちを語ったセクトは、最後に『いつかの未来にお前が、この国の内で留めている知識を、あるいは歴史を、誰かに話すべきだと考えることがあったなら。その時は、お前の裁量でそれを行なって構わないよ。お前がそのような状況に置かれることこそ、そうすべき時が来たのだということだろうから』と結んだ。
  まるで今日この日のことを予見していたようだ、とリルは思う。セクトにそのような異能はなかったはずだが、異能なしで予見していたとしても不思議ではない――そんな風に思っていることをセクトに知られれば『お前は僕を一体何だと思っているのかな。生憎と僕は凡人の枠を出ない、生まれ以外は普通の人間だからね。面白おかしい特殊能力なんてものはないよ。夢見がちなのもほどほどにしておくといい』と呆れた眼差しで見られること間違いなしだが。

  当時は、セクトが何を言いたいのかはわからなかった。そもそも、リルがイースヒャンデを出なければ、セクトが言うような『リルが誰かに国内で留められている知識や歴史を話す』なんてことはありえないし、そんなことが起こったなら、セクト自身が前置いたように、リルは教えられた全てを忘れさせられる可能性が極めて高かったから、そんな事態は起こるはずがなかったのだ。
  けれど現実に、リルはセクトが口にしたような状況に在る。セクトの言った『そうすべき時』は今なのだと、リルは誰に告げられるでもなくわかっていた。

  だからリルは、真っ直ぐにザイ=サイードを見据え、彼が知りたかったであろう事柄を口にする。
 それはもしかしたら、彼が抱いているかもしれない希望を、木端微塵にすることと同義だろうと理解していても。……知らないままに、報われることのない希望を抱くよりは、と考える己の思考が、独りよがりなことも、わかっていて。

 「一般に言われる個人の『魔力』は、『魔力因子』と『発現因子』――これは便宜上の呼び名になりますけど――によって現れます。この二つの保有量が多ければ多いほど、常時体内に蓄積できる、他者に感じ取れる『魔力』も多いことになる。魔力血統は、この二つの因子が多く発現しやすい血筋なんです。そして、その傾向のある血筋を掛け合わせれば、さらに因子は多量に発現しやすくなる。……双方の因子が釣り合う形だったら、ただ魔力が多いだけのことです。何の問題もない。……」

  そこまで話したところで、食い入るようにリルを見つめていたザイ=サイードが、ふと目を伏せた。そうして口を開く。

 「成程な。その言葉の流れからすれば――我もお前も、そうではない、ということか」

  静かな声音だった。かなしいまでの冷静さに、リルは胸が塞がれる心地だった。こうまで冷静に思考を巡らせることができる彼が、ここに至るまで生きやすかったはずはないとわかったから。

 「……そう、です。あなたもわたしも、保有している因子が釣り合っていない。――もっと言えば、片方が欠けている。わたしは『魔力因子』が、あなたは、高い確率で『発現因子』が。だから、『魔力がない』と言われる状態になっているんです」
 「厳密には違うと?」
 「『魔力因子』と『発現因子』が組み合わさった状態を『魔力』と呼ぶから、『魔力がない』という認識になるだけで、因子そのものは存在するんです。欠けている因子を補うことができれば、理論上は魔力を生み出すことはできる」
 「……だが、それは『理論上』なのだろう?」

  ほんの少し、皮肉気な雰囲気の問い方だった。言おうとしていたことまで先回りして理解してしまうような彼の頭の回転の速さが、リルはただただかなしかった。

 「……そうです。今はまだ、理論でしかない。わたしやあなたは、身の内の因子を、『魔力』として扱うことはできない」

  シーズが研究を続けてはいる。けれど、そもそもが『魔力がない』とされている人間の数は未だ少ないのだ。さらに言えば、『魔力因子』が欠けているとされる人間は複数確認されていても、『発現因子』が欠けているとされる人間は、偶然見つかったリルだけしか今のところ確認されていない。
  リルの返答を聞いたザイ=サイードは、僅かに顔を伏せた。影となったその表情は、リルからは確認できない。
 肩が震えるのに泣いているのかと思ったリルだったが、その予想は低く響く哄笑に裏切られる。

 「……くくっ、……はは、そうか……成程な……」

  合間に漏れた声は、自嘲のようにも、ただ口を滑り出ただけの空虚なもののようにも聞こえた。

 「――我の母は、他人に触れることで魔力を感じ取る才に長けていた」

  ふと笑いを途切れさせたザイ=サイードは、ぽつりと呟くように言った。

 「そも、王族の産は厳重な魔力封じの下で行われる。母であれ子であれ、強すぎる魔力が生みの際に暴走する可能性は高い。故に、それに気付いたのは我が母だけだった。――我から『魔力』が感じ取れぬ、ということを」

  それは独り言のような響きを内包してはいたけれど、きっと彼がずっと、誰かに吐き出してしまいたかったものなのだろう。そう察せたから、リルはただ黙って耳を傾ける。

 「母は恐れた。自身が不貞を為していないことは誰よりも己が知っている。だが、王族にあるまじき『魔力』の弱さ――お前の言によれば、ほんに『無』であるということだが――それが、不貞を示すと、少なくとも周囲はそう考えることを悟った。故に、我が母は偽った。自分の才を――王に目をかけられるほど秀でていたそれを逆手にとって、自分の生んだ赤子は魔力封じがなければ暴走するような魔力を帯びていると偽った。そして、与えられた宮にて、我の質を秘匿し続けると――そのために、どんなことでも行うと決めたのだ」

  ――『どんなことでも』。
  その言葉の重さは、この部屋に溢れる『魔力封じ』の数が物語っていた。そうして、壁際に直立している、気配がまるで感じられない、リルをここへ案内した存在――人間の形をした、人間ではなくなった・・・・・・・・・のだろう存在からも。
  ありとあらゆる手段を用いて、ザイ=サイードの母は『魔力がない』というザイ=サイードの特質を隠そうとしたのだろう。例えそれが、禁忌に触れるような法であっても。
  自然と向いたそれらへの視線から察したのだろう。ザイ=サイードは今度こそ、はっきりと自嘲した。

 「……禁呪にすら手を染めて、母は私に魔力がないという事実を隠し続けた。せめて誰か、母が秘め事を共有できる相手がいれば、何かが変わったのかもしれぬ。だがそれも――最早詮無いことだ」

  シャラ・シャハル王家の内情など、リルは知らない。けれど、曲がりなりにも契りを交わした相手である国王すら、彼女が秘事を打ち明ける相手とはならなかったのだと、その言葉が示していた。もしかしたら、彼女が最もザイ=サイードの特質を隠したかった相手は、国王だったのかもしれないとすら思う。

 「……それでも、国王の子が我のみであった頃はよかった。けれど、アル=ラシードが生まれた。――その額に、【加護印《シャーン》】を抱いて」

  【加護印《シャーン》】は、初代王が精霊から与えられたという加護の徴だ。何よりも正統な、シャラ=シャハル王家の血を引く証とも言える。
 それを持つ者が、よりによって『発現因子』を持たない魔力血統と同時期に現れたのは――いっそのこと、皮肉というほかない。

 「母は、狂うた。……否、もう疾うに狂うていたのかもしれぬ。そも、無理な話だったのだ。我が、ただ王位継承者サーリヤである間はなんとでもなろう。だが、即位してしまえば、母の望むように隠し続けることなど不可能だ。それがわからぬほど、母は蒙昧ではなかった。それでも、もうどうすることもできなかったのだろう。故に狂うた。さらに深く。目に見えて、壊れていった」

  その声に哀切が、あるいは後悔が――感情が乗せられていれば、まだしも救われたとリルは思う。
 けれど、語る言葉はどこまでも平坦で乾いていて、自身と母親のことを語っているのだとは思えないほど。

 (ああ、そうか、この人は、もう――)

 「愚かであった。先のない選択をした母も、全てを承知していながら、ただ流されるだけであった我も」

  そうしてザイ=サイードは笑う。嗤う。

 「狂うた末に、母は死んだ。うたうように、呪うように、自身の潔白を繰り返しながら。――我はそれを、証明できぬというのに」

  それは非情なまでに、事実だけを語る声だった。どうしようもない現実を、呑み込んでしまった者の、声だった。

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