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高校三年生になってから、いままで以上に時間の流れがはやい気がする。
ぼーっとしているうちに、梅雨になった。まさに、そういう感じだった。一年をとおして、もっともイヤな季節だと思うのは、自分だけではないだろうと浩一は思った。
今日も雨だと聞いただけで、朝から気がめいってくる。学校までの道のりが遠く感じる。
──この雨のなか、学校へ行かなきゃならないぼくたちも楽じゃないよなあ
浩一は、しかめっ面になり、うんざりしながら重い足を進ませる。
二日前の雨は集中豪雨というほどにすさまじく、傘など役に立たなかった。なんでこんな日に学校へ行かなきゃならないのだと、生徒の誰もが雨にも学校にも嫌気がさした。
男子よりも女子の方が悲惨で、夏服の白い制服の下からブラジャーの跡が背中に浮き出ているのが、男子たちを慰めていた。
授業中、浩一は自分の斜め右前にすわる友理奈に目を向ける。彼女は本当に大学へ進学せずに、就職するのだろうか。
浩一の家庭も、それほど裕福な家庭ではない。自分のまわりの生徒たちにしても、だいたいが同じような生活環境にある。
浩一が自分の両親から感じるのは、「わが子のためなら、なんとかしよう」という親心だ。口うるさい親であっても、自分を想ってくれる親の愛情は、なんとなく伝わってくる。
それがふつうの親であり、家庭ではないかと浩一は思うのだが、まだ社会に出たこともない未成年の浩一には、大人の事情はわからない。
──吉野も、たいへんだな
彼女のために、なにができるわけでもない。これ以上、友理奈のことは考えないようにしようと、浩一は黒板に視線を移した。
気合いの入らないまま中間試験がはじまり、そして終わる。
大学へ進学することを希望する浩一だが、返却されたテストの点数を見て、予定どおり三流大学を受験するしかないと確信する。
数日後──梅雨が続くなか、久しぶりに晴天にめぐまれた。雨の降らない日は、ホッとする。傘をもたずに通学するのは軽快だと、ほとほと実感する。
放課後になり、帰ろうとした浩一は、校門を出たところで「あっ」と思い出した。クラスのちがう谷本という生徒に、ゲームの攻略本を貸してくれと頼まれていたのだ。
二年生のときに同じクラスだった谷本は、モテない連盟の同志だ。就職組の彼は、学校を卒業すれば、親が経営する鉄工会社で働くことが決まっている。
彼のことを思い出した浩一は、足早にひきかえし、自分の教室にもどった。だが、来ると思っていた谷本はいなかった。
そのかわり、友理奈が机を前にして、頭を両手でかかえこむように座っている。髪の両サイドをおさげにした友理奈は、後ろから見てもひと目で彼女だとわかる。
しばらく呆然となっていた浩一は、彼女に声をかけた。
「吉野」
誰もいない教室で、いきなり名前を呼ばれて驚いた友理奈がその声にふり向く。
「森川くん?」
友理奈は、まるで病を患ったかのように表情が暗い。大学受験はこれからなのに、彼女はすでに不合格の結果をいいわたされたような顔をしている。
浩一は心配になる。
「なにかあったのか?」
浩一がそう言うと、なんとも歯切れの悪い返事がかえってきた。
「うん……いや……」
もしや、と思った浩一は、深刻な顔つきになって友理奈に問いただす。
「まさか、いじめられているのか?」
「ち、ちがうちがう、全然そんなんじゃないから」
友理奈はあわてて否定する。浩一は彼女のそばまできて、椅子に座った。
無意識に身体がうごいた。ともかく、友理奈の話を聞きたかった。彼女もそれに応えるように、浩一に向かってぽつぽつと語りはじめる。
浩一にしても友理奈にしても、男女二人きりで話をするのは、めずらしいことだ。ろくに言葉をかわしたこともない二人だったが、おたがいに違和感はなかった。
まるで、いつもそうしているかのような雰囲気が、彼らを包んでゆく。
「わたし、進学のことでお父さんと……」
友理奈の話では、父親が中小企業の工場で働いているのだが、会社の業績がおもわしくないらしい。
くわしいことはわからないが、友理奈の父親は、娘が卒業すると自分が勤める会社に就職することを望んでいるようだ。会社の方も、来年は事務員を一人だけ募集するようで、友理奈であれば無条件で雇ってあげると社長は言っていたという。
だが、友理奈は大学へ進学したいと思っている。ようするに、お金の問題である。
浩一は、浮かない顔をしている彼女にたずねた。
「確か、生活が苦しい家庭であれば、無料で大学へ行けるんじゃないの?」
「審査に通らなかったのよ」
その審査がどういう基準でなされるのか、彼らにはさっぱりわからない。また奨学金を受けるにしても、生活費まで面倒をみてくれるわけではない。
高校進学の際に、他地区にある私立の進学校へ行かずにこの学校を選んだのも、経済的な理由があったのだ。
友理奈の母親はスーパーのパートに勤めているが、たいした稼ぎにはならないらしい。そういう家庭状況のなかで、友理奈と彼女の父親は、卒業後の進路のことで揉めているのだ。
浩一は、友理奈の家庭がこれほど厳しい状態にあるとは、思ってもみなかった。
テレビのニュースでは、景気は回復してきていると報道しているが、いまでも一千万円以上の負債をかかえて倒産する会社が、実際にあるのだ。
企業の残業が事あるごとに問題になるのだが、それは残業しないと会社はやっていけないということを証明しているようなものだ。
しかし、学生の浩一たちにはまだ未知の世界であり、まったくピンとこないのが実状である。
友理奈が、ため息をついた。
「こんなこと、森川くんに相談しても仕方ないんだけど」
そのとおりだ。浩一が友理奈のために、彼女の家庭のためにしてやれることは、なにもない。
己が無力であることを、思い知らされるだけだ。
「でも、ありがとう。話を聞いてくれて、ちょっとスッキリした」
友理奈も、自分のなかにイヤな想いがどんどん溜まっていたのだろう。そういう心のゴミの捌け口を見つけられず、苦しんでいたのだと浩一は思う。
──少しは役に立ったかな
浩一は、無力な自分をなぐさめた。
「じゃあ、わたし帰るわね」
友理奈がそういって席を立ったとき、谷本が教室の扉から顔をのぞかせているのが目にはいった。
「あ、谷本!」
全然、気づかなかった。いつから教室をのぞいていたのか。
浩一は、焦ったように谷本の方へ近よって行く。女子と二人きりで話しているところを見られると、変な噂が立ちかねない。
谷本は怪しげな顔をして、思ったことをそのまま口に出した。
「おまえ、吉野とできてたのか?」
「いや、ちがう」
本当に、まずいところを見られたものだと冷や汗が出る。
ぼーっとしているうちに、梅雨になった。まさに、そういう感じだった。一年をとおして、もっともイヤな季節だと思うのは、自分だけではないだろうと浩一は思った。
今日も雨だと聞いただけで、朝から気がめいってくる。学校までの道のりが遠く感じる。
──この雨のなか、学校へ行かなきゃならないぼくたちも楽じゃないよなあ
浩一は、しかめっ面になり、うんざりしながら重い足を進ませる。
二日前の雨は集中豪雨というほどにすさまじく、傘など役に立たなかった。なんでこんな日に学校へ行かなきゃならないのだと、生徒の誰もが雨にも学校にも嫌気がさした。
男子よりも女子の方が悲惨で、夏服の白い制服の下からブラジャーの跡が背中に浮き出ているのが、男子たちを慰めていた。
授業中、浩一は自分の斜め右前にすわる友理奈に目を向ける。彼女は本当に大学へ進学せずに、就職するのだろうか。
浩一の家庭も、それほど裕福な家庭ではない。自分のまわりの生徒たちにしても、だいたいが同じような生活環境にある。
浩一が自分の両親から感じるのは、「わが子のためなら、なんとかしよう」という親心だ。口うるさい親であっても、自分を想ってくれる親の愛情は、なんとなく伝わってくる。
それがふつうの親であり、家庭ではないかと浩一は思うのだが、まだ社会に出たこともない未成年の浩一には、大人の事情はわからない。
──吉野も、たいへんだな
彼女のために、なにができるわけでもない。これ以上、友理奈のことは考えないようにしようと、浩一は黒板に視線を移した。
気合いの入らないまま中間試験がはじまり、そして終わる。
大学へ進学することを希望する浩一だが、返却されたテストの点数を見て、予定どおり三流大学を受験するしかないと確信する。
数日後──梅雨が続くなか、久しぶりに晴天にめぐまれた。雨の降らない日は、ホッとする。傘をもたずに通学するのは軽快だと、ほとほと実感する。
放課後になり、帰ろうとした浩一は、校門を出たところで「あっ」と思い出した。クラスのちがう谷本という生徒に、ゲームの攻略本を貸してくれと頼まれていたのだ。
二年生のときに同じクラスだった谷本は、モテない連盟の同志だ。就職組の彼は、学校を卒業すれば、親が経営する鉄工会社で働くことが決まっている。
彼のことを思い出した浩一は、足早にひきかえし、自分の教室にもどった。だが、来ると思っていた谷本はいなかった。
そのかわり、友理奈が机を前にして、頭を両手でかかえこむように座っている。髪の両サイドをおさげにした友理奈は、後ろから見てもひと目で彼女だとわかる。
しばらく呆然となっていた浩一は、彼女に声をかけた。
「吉野」
誰もいない教室で、いきなり名前を呼ばれて驚いた友理奈がその声にふり向く。
「森川くん?」
友理奈は、まるで病を患ったかのように表情が暗い。大学受験はこれからなのに、彼女はすでに不合格の結果をいいわたされたような顔をしている。
浩一は心配になる。
「なにかあったのか?」
浩一がそう言うと、なんとも歯切れの悪い返事がかえってきた。
「うん……いや……」
もしや、と思った浩一は、深刻な顔つきになって友理奈に問いただす。
「まさか、いじめられているのか?」
「ち、ちがうちがう、全然そんなんじゃないから」
友理奈はあわてて否定する。浩一は彼女のそばまできて、椅子に座った。
無意識に身体がうごいた。ともかく、友理奈の話を聞きたかった。彼女もそれに応えるように、浩一に向かってぽつぽつと語りはじめる。
浩一にしても友理奈にしても、男女二人きりで話をするのは、めずらしいことだ。ろくに言葉をかわしたこともない二人だったが、おたがいに違和感はなかった。
まるで、いつもそうしているかのような雰囲気が、彼らを包んでゆく。
「わたし、進学のことでお父さんと……」
友理奈の話では、父親が中小企業の工場で働いているのだが、会社の業績がおもわしくないらしい。
くわしいことはわからないが、友理奈の父親は、娘が卒業すると自分が勤める会社に就職することを望んでいるようだ。会社の方も、来年は事務員を一人だけ募集するようで、友理奈であれば無条件で雇ってあげると社長は言っていたという。
だが、友理奈は大学へ進学したいと思っている。ようするに、お金の問題である。
浩一は、浮かない顔をしている彼女にたずねた。
「確か、生活が苦しい家庭であれば、無料で大学へ行けるんじゃないの?」
「審査に通らなかったのよ」
その審査がどういう基準でなされるのか、彼らにはさっぱりわからない。また奨学金を受けるにしても、生活費まで面倒をみてくれるわけではない。
高校進学の際に、他地区にある私立の進学校へ行かずにこの学校を選んだのも、経済的な理由があったのだ。
友理奈の母親はスーパーのパートに勤めているが、たいした稼ぎにはならないらしい。そういう家庭状況のなかで、友理奈と彼女の父親は、卒業後の進路のことで揉めているのだ。
浩一は、友理奈の家庭がこれほど厳しい状態にあるとは、思ってもみなかった。
テレビのニュースでは、景気は回復してきていると報道しているが、いまでも一千万円以上の負債をかかえて倒産する会社が、実際にあるのだ。
企業の残業が事あるごとに問題になるのだが、それは残業しないと会社はやっていけないということを証明しているようなものだ。
しかし、学生の浩一たちにはまだ未知の世界であり、まったくピンとこないのが実状である。
友理奈が、ため息をついた。
「こんなこと、森川くんに相談しても仕方ないんだけど」
そのとおりだ。浩一が友理奈のために、彼女の家庭のためにしてやれることは、なにもない。
己が無力であることを、思い知らされるだけだ。
「でも、ありがとう。話を聞いてくれて、ちょっとスッキリした」
友理奈も、自分のなかにイヤな想いがどんどん溜まっていたのだろう。そういう心のゴミの捌け口を見つけられず、苦しんでいたのだと浩一は思う。
──少しは役に立ったかな
浩一は、無力な自分をなぐさめた。
「じゃあ、わたし帰るわね」
友理奈がそういって席を立ったとき、谷本が教室の扉から顔をのぞかせているのが目にはいった。
「あ、谷本!」
全然、気づかなかった。いつから教室をのぞいていたのか。
浩一は、焦ったように谷本の方へ近よって行く。女子と二人きりで話しているところを見られると、変な噂が立ちかねない。
谷本は怪しげな顔をして、思ったことをそのまま口に出した。
「おまえ、吉野とできてたのか?」
「いや、ちがう」
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