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♯46
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その日の授業が終わると、千鶴は未乃梨と一緒に音楽室に顔を出した。音楽室の前には、いつものワインレッドのヴァイオリンケースを肩に提げた凛々子が待っていた。
「お二人とも、お疲れ様。未乃梨さんはフルートパートに断ってこなくていいの?」
「大丈夫です。ゴールデンウィークの本番は先輩たちに話を通してあるし、合奏以外は自由に個人練習なので」
未乃梨は元気に凛々子に応えた。
未乃梨と凛々子とコントラバスを抱えた千鶴の三人は、音楽室を出ようとしたところで顧問の子安とすれ違った。子安は「これはこれは」と三人を見て相好を崩した。
「フルートにコントラバスに、そちらの君はヴァイオリンか何かかな? 室内楽の練習でもやるのですか?」
「ゴールデンウィークに、私と千鶴と、こっちのヴァイオリンの仙道先輩と、あと学校外の弦楽器の人たちとで演奏に行く用事があるので、その練習です」
代表して答えた未乃梨に、子安は興味深そうに頷いた。
「そうでしたか。そういう、部活の外での演奏の機会はなかなかありませんから、しっかり勉強して、本番は楽しんできて下さい」
千鶴は「あ、そうだ」と何かを思い出したように声を上げた。
「子安先生、コントラバスの弓だけ、その本番で借り出しても良いですか?」
「構いませんよ。楽器本体はいいんですか?」
凛々子が、千鶴に代わって答えた。
「私の所属しているユースオーケストラのコントラバスを借り出すので、大丈夫です」
「ユースオーケストラというと……この辺だと、星の宮かな。仙道さんはそちらの所属ですか?」
「はい。そこでコンサートミストレスをやらせて頂いています」
子安は凛々子の素性を知って、「それはお見逸れしました」と頷いた。
「せっかくの機会ですし、江崎さんと小阪さんの指導を宜しくお願いします。特に江崎さんですが、吹奏楽部では弦楽器の専門家と知り合う機会がなかなか持てませんので、色々教えて上げて下さい。それでは」
子安は凛々子に頭を下げると、音楽室に集まっているトランペットのパート員を引き連れて「今日はお天気も良いですし、外で基礎練を見直してみましょう」と言いながら音楽室を出ていった。
「穏やかでいい先生ね。学校外の活動にも理解があるし」
子安に心証を良くしたらしい凛々子に、未乃梨は「うーん……」と考え込んだ。
「子安先生、確かに優しい先生だけど、ちょっと指導がぬるいっていうか」
「そうなの? 私、うちの高校の吹奏楽部、のんびりしてて好きだけど?」
頭に疑問符を浮かべる千鶴に、未乃梨はため息をついていた。
「こないだコンクールメンバーだけで集まった時に言われたのよね。『コンクールも大事ですが、それより皆さんには吹奏楽に限らずたくさんの音楽的な経験を積んでもらうことはもっと大事です』って」
「てことは……ジャズ研と掛け持ちしてるサックスの高森先輩みたいに、部活外でも演奏するのはアリ、ってこと?」
目を丸くする千鶴に、凛々子は「まあ」と微笑んだ。
「ますます素敵な先生じゃない? 吹奏楽以外にも見識がおありみたいだし」
「うーん……コンクールの練習がまだ本格的に始まらないのはちょっと」
ちょっとだけ不満げな未乃梨は、千鶴や凛々子と音楽室を出ようとしてふと視線を感じた。
未乃梨の視界の端に、音楽室を出ていこうとする未乃梨たちを睨むベリーショートの髪の少女が映っていた。
(あれ……確か、こないだの合奏で千鶴の隣にいたテューバの子?)
そのベリーショートの少女は、「おーい、蘇我、パート練習行くぞー」と上級生に呼ばれて、不機嫌そうに踵を返した。
その日の放課後の千鶴と凛々子と未乃梨の合わせは、朝に合わせたときにも増してスムーズに進んだ。
「主よ、人の望みの喜びよ」では、千鶴と未乃梨は最早楽譜を見ないで互いを見ながら合わせられるほどになっていた。
凛々子は顎に挟んでいたヴァイオリンを空き教室の机に下ろすと、二人に告げた。
「この曲はあとは瑞香と智花がきた時に合わせれば完成かしらね。ちょっと休憩にしましょう」
「はーい。よいしょ、っと」
千鶴はコントラバスを床に寝かせると、ブレザーを脱いで両腕を天井に向けて大きく伸びをした。未乃梨もフルートを置くと、まるで運動部員が整理体操をしているように肢体を伸ばす千鶴を見た。
「コントラバスって、ストレッチとか必要なんですか?」
「千鶴さんは楽器を始めたばかりだし、特に必要よ。私だって、ヴァイオリンの練習のあとはあんな風に身体を伸ばしたりすることもあるのよ」
「弦楽器って、そんなことするんですね」
「そう。小さい子のレッスンで、弾く前に準備体操みたいなことをさせる先生もいたりするのよ」
凛々子の説明を聞きながら、未乃梨は千鶴が伸ばす腕や、逸らした胸元から腰回りにかけての身体の線に目を奪われていた。並の男子よりずっと背の高い千鶴の長い腕の柔らかな線や、無防備に逸らしたブラウスの胸元にはっきりと見える盛り上がりは千鶴が同性だということを未乃梨にしっかりと思い起こさせていた。
ふと、未乃梨は凛々子に耳元で囁かれた。
「千鶴さんのこと、気になるの?」
「えっと……それは――」
言い淀んだ未乃梨を、教室の外からの声が乱暴に遮った。
「ちょっと。部活中にどうして関係ない曲を練習してるの?」
未乃梨も凛々子も、身体を伸ばしていた千鶴もその声に振り向いた。
声の主はあのベリーショートの髪の少女、テューバパートの一年生の蘇我だった。
「しかも部外者と一緒に? あんたたち、勝手なことばっかりして、頭おかしいんじゃないの?」
蘇我は、三人の表情には目もくれず、一方的に怒気を吐いた。
(続く)
「お二人とも、お疲れ様。未乃梨さんはフルートパートに断ってこなくていいの?」
「大丈夫です。ゴールデンウィークの本番は先輩たちに話を通してあるし、合奏以外は自由に個人練習なので」
未乃梨は元気に凛々子に応えた。
未乃梨と凛々子とコントラバスを抱えた千鶴の三人は、音楽室を出ようとしたところで顧問の子安とすれ違った。子安は「これはこれは」と三人を見て相好を崩した。
「フルートにコントラバスに、そちらの君はヴァイオリンか何かかな? 室内楽の練習でもやるのですか?」
「ゴールデンウィークに、私と千鶴と、こっちのヴァイオリンの仙道先輩と、あと学校外の弦楽器の人たちとで演奏に行く用事があるので、その練習です」
代表して答えた未乃梨に、子安は興味深そうに頷いた。
「そうでしたか。そういう、部活の外での演奏の機会はなかなかありませんから、しっかり勉強して、本番は楽しんできて下さい」
千鶴は「あ、そうだ」と何かを思い出したように声を上げた。
「子安先生、コントラバスの弓だけ、その本番で借り出しても良いですか?」
「構いませんよ。楽器本体はいいんですか?」
凛々子が、千鶴に代わって答えた。
「私の所属しているユースオーケストラのコントラバスを借り出すので、大丈夫です」
「ユースオーケストラというと……この辺だと、星の宮かな。仙道さんはそちらの所属ですか?」
「はい。そこでコンサートミストレスをやらせて頂いています」
子安は凛々子の素性を知って、「それはお見逸れしました」と頷いた。
「せっかくの機会ですし、江崎さんと小阪さんの指導を宜しくお願いします。特に江崎さんですが、吹奏楽部では弦楽器の専門家と知り合う機会がなかなか持てませんので、色々教えて上げて下さい。それでは」
子安は凛々子に頭を下げると、音楽室に集まっているトランペットのパート員を引き連れて「今日はお天気も良いですし、外で基礎練を見直してみましょう」と言いながら音楽室を出ていった。
「穏やかでいい先生ね。学校外の活動にも理解があるし」
子安に心証を良くしたらしい凛々子に、未乃梨は「うーん……」と考え込んだ。
「子安先生、確かに優しい先生だけど、ちょっと指導がぬるいっていうか」
「そうなの? 私、うちの高校の吹奏楽部、のんびりしてて好きだけど?」
頭に疑問符を浮かべる千鶴に、未乃梨はため息をついていた。
「こないだコンクールメンバーだけで集まった時に言われたのよね。『コンクールも大事ですが、それより皆さんには吹奏楽に限らずたくさんの音楽的な経験を積んでもらうことはもっと大事です』って」
「てことは……ジャズ研と掛け持ちしてるサックスの高森先輩みたいに、部活外でも演奏するのはアリ、ってこと?」
目を丸くする千鶴に、凛々子は「まあ」と微笑んだ。
「ますます素敵な先生じゃない? 吹奏楽以外にも見識がおありみたいだし」
「うーん……コンクールの練習がまだ本格的に始まらないのはちょっと」
ちょっとだけ不満げな未乃梨は、千鶴や凛々子と音楽室を出ようとしてふと視線を感じた。
未乃梨の視界の端に、音楽室を出ていこうとする未乃梨たちを睨むベリーショートの髪の少女が映っていた。
(あれ……確か、こないだの合奏で千鶴の隣にいたテューバの子?)
そのベリーショートの少女は、「おーい、蘇我、パート練習行くぞー」と上級生に呼ばれて、不機嫌そうに踵を返した。
その日の放課後の千鶴と凛々子と未乃梨の合わせは、朝に合わせたときにも増してスムーズに進んだ。
「主よ、人の望みの喜びよ」では、千鶴と未乃梨は最早楽譜を見ないで互いを見ながら合わせられるほどになっていた。
凛々子は顎に挟んでいたヴァイオリンを空き教室の机に下ろすと、二人に告げた。
「この曲はあとは瑞香と智花がきた時に合わせれば完成かしらね。ちょっと休憩にしましょう」
「はーい。よいしょ、っと」
千鶴はコントラバスを床に寝かせると、ブレザーを脱いで両腕を天井に向けて大きく伸びをした。未乃梨もフルートを置くと、まるで運動部員が整理体操をしているように肢体を伸ばす千鶴を見た。
「コントラバスって、ストレッチとか必要なんですか?」
「千鶴さんは楽器を始めたばかりだし、特に必要よ。私だって、ヴァイオリンの練習のあとはあんな風に身体を伸ばしたりすることもあるのよ」
「弦楽器って、そんなことするんですね」
「そう。小さい子のレッスンで、弾く前に準備体操みたいなことをさせる先生もいたりするのよ」
凛々子の説明を聞きながら、未乃梨は千鶴が伸ばす腕や、逸らした胸元から腰回りにかけての身体の線に目を奪われていた。並の男子よりずっと背の高い千鶴の長い腕の柔らかな線や、無防備に逸らしたブラウスの胸元にはっきりと見える盛り上がりは千鶴が同性だということを未乃梨にしっかりと思い起こさせていた。
ふと、未乃梨は凛々子に耳元で囁かれた。
「千鶴さんのこと、気になるの?」
「えっと……それは――」
言い淀んだ未乃梨を、教室の外からの声が乱暴に遮った。
「ちょっと。部活中にどうして関係ない曲を練習してるの?」
未乃梨も凛々子も、身体を伸ばしていた千鶴もその声に振り向いた。
声の主はあのベリーショートの髪の少女、テューバパートの一年生の蘇我だった。
「しかも部外者と一緒に? あんたたち、勝手なことばっかりして、頭おかしいんじゃないの?」
蘇我は、三人の表情には目もくれず、一方的に怒気を吐いた。
(続く)
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