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しおりを挟む「ちょっと待ってて、お雑煮作って来る。あと…まぁいいや、待ってて」
「シンビィは?」
瑞稀は最近動物病院にお世話になり始めた老猫が気になる。
「元気だよ。今連れてくるよ。彼女、最近調子が良いんだ。機嫌も良いし…」
渚はどこか意味ありげな顔で瑞稀にそう言うが、瑞稀はその様子に少し首を傾げる。
渚はストーブを点け、瑞稀を炬燵に入れると、そう言って自宅へ戻った。
体が暖かくなると心地の良い眠気が訪れてくる。
体を横にして、その温もりに身を委ねると、体の奥の方まで解れてくる気がした。
玄関が開く音がする。
随分早いな、と瑞稀は薄ら目を開けた。
だが、目に映ったのは、渚よりも長い足と、絶対に履かないであろう色褪せたジーンズのパンツだった。
瑞稀が大きく目を見開く。
「…須藤」
その声に、瑞稀は飛び起きた。
まさか…と顔を上げると、そこにはえらくご満悦のシンビィを抱いた伊瀬が立っている。
「ごめん…。でも先生が、須藤がシンビィに会いたいって言うから先に連れてって…」
瑞稀はあまりに驚いて声が出ない。
シンビィ…と伊瀬が言って下に降ろそうとするが、シンビィは伊瀬にガッチリとくっついて離れようとしない。
渚よりも、瑞稀よりも、シンビィは伊瀬が良いらしい。
「もう帰るから。突然来てごめんな。でも、顔見れて良かった」
瑞稀と目を合わさず、伊瀬がそう言う。
「…いや。私こそ…」
連絡を返さなくてごめんね、と喉まで来ているのに瑞稀は声に出せない。
謝っても、どうしようも無い事だと分かっているから。
ほら、シンビィ、と何度も伊瀬は瑞稀の方へシンビィを寄越そうとするが、頑としてシンビィは伊瀬の元を離れない。
短くない時間そんな事を繰り返して、その押し問答が段々可笑しくなってくる。 伊瀬の声にも笑みが混じりはじめた。 それに釣られて、瑞稀も軽く笑みを溢す。
「はぁーい。お待たせー」
玄関から賑やかな声がして、渚が大きな盆に鍋と餅を載せて居間に入って来る。
「やっぱりシンビィは伊瀬くんがいいのね。伊瀬くんも冷めないうちに一緒に食べよ」
渚がそう言うと、勝手知ったる瑞稀の家のキッチンで食器を出して用意し始めた。
瑞稀も体を起こして、渚の元へ向かう。
「…なんで」
瑞稀が小声でそう言っても、渚は手を止めない。
「伊瀬くん、たまに顔出してくれたんだよ。瑞稀と連絡つかないからって。そしたらシンビィが凄く彼に懐くから、時々僕が手離せない時病院連れてって貰ったり、逆に留守番してくれたりしてくれたんだよ。頼りになるね、彼」
伊瀬が人に好かれるのは知っていたが、それは動物も例外で無いらしい。
「…」
「彼だって、瑞稀が帰って来た理由はわかってる。全部終わったからって。それでも、瑞稀を心配して気にかけてくれてるんだから。そんな顔しなくて良いし、瑞稀は自分が決めたことを全うした。それだけだよ」
渚は肘で瑞稀を小突く。
出汁の良い香りが辺りに満ちる。
それだけ…
確かに、それだけのこと…
全部終わったのだから。
瑞稀は後ろを振り返り、大きな体を丸めてシンビィと遊ぶ伊瀬を見た。
本当に伊瀬は優しいのだろう…
だが、その優しさが、無数の棘となって瑞稀に突き刺さる。
だから、遠ざけたのに…
「はい、あったかいうちに食べよー」
渚はお椀を取り出すと、手際よくそれをよそう。
食べ終わり、瑞稀がお茶の用意をして、皆で炬燵を囲んだ。
「さて…瑞稀、体調はどう?一応これ飲んでね」
渚はそう言うとポケットから薬を取り出した。
「…」
何の薬?と瑞稀は言おうとしたが、言葉を飲み込む。
伊瀬は相変わらずシンビィを撫でて、目線を上げない。
「間に合って無いかもしれないけど。とりあえず、出来ることはしておこう」
渚は先程と打って変わって、真面目な声でそう言った。
「妊娠…」
瑞稀がポツリと呟くと、伊瀬の手が止まった。
「瑞稀のしたいようにしな…。僕は、瑞稀のしたい事を支える」
瑞稀は薬を見ると、すぐにそれを飲み込む。
「…明日も飲んでね。後は様子を見よう」
喬一の子供…
欲望に身を任せて、命を授かるなんて、自分はなんて愚かで残酷な人間なのだろう。
だが、そんな未来は考えたくも無い。
非道だと思われても良い。
純真な赤子の目に映る自分の姿に、きっと瑞稀は耐えられないだろう…
瑞稀はそっとお腹に手を当てた。
もしαなら、取り上げたれる?
瑞稀の父親のように…
じゃあ、Ωだったら…?
現実の事を考え始めると瑞稀は苦しさを覚える。
泣く資格も無いのに、瑞稀は泣きたかった。だが涙は一滴も出てこない。
瑞稀は伊瀬を見る事も出来なかった。
だが、きっと、これで…もう、伊瀬は以前のように、瑞稀には微笑んではくれない…
そのことだけが頭の中でハッキリとしていた。
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