うつ病は甘えなの?

楪 彩郁

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2016/03/03 不眠症と金縛り

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 2016年3月3日。

 この日もまた病院へ。私の体調は良くもならず、悪くもならず。胃薬で炎症を抑えてはいるものの、食欲は戻らず、体重は減る一方。このとき、元の体重から10㎏近く落ちていた。スーツのウエストがぶかぶかになってしまったので、ベルトで締めて無理矢理着ていた。

 この当時の症状は、主に以下の5つ。
・倦怠感
・食欲不振
・過呼吸(主に帰宅後。仕事中も頻発)
・希死念慮による気分の落ち込み
・切迫性尿失禁

 投薬治療をしていても、副作用もつきまとうし、必ずよくなるわけではない。不眠症だけは、寝る前にサインバルタを飲むことで、その副作用を借りて回避していた。しかし、先生の言っていた「一番の薬は、休養をとること」ができていないので、快方にも向かっていない。早く4月になってほしい、週3日の休みがもらいたいと思っていた。

 先生も、「4月になればちょっとは楽なのかな?」と困ったように首を傾げていた。早く仕事を辞めるように何度も忠告しているのに、私が一向に辞めようとしないので、もうどう対処していいのか分からなかったのかもしれない。先生を困らせてしまい、本当に申し訳ないと思う。

 そして、3月は仕事の繁忙期だった。休みが潰れ、出社しなければならない日が続く。その分、他の日に早退させてもらったり、遅く出社させてもらったりと配慮はしてもらったのだが、まとまった休養がとれないせいで、生活のリズムが狂ってしまった。その結果、不眠症が再発した。

 ただの不眠症ではなく、金縛りも伴った。夜中に金縛りで目が覚め、数分間身体が硬直し、幻聴がする。それは知らない女性の声だったり、動物の声だったり、部屋の中に誰かが入ってくるような物音だったり。時には腕や足を誰かに掴まれているような感覚もあった。金縛りが解かれた後は眠るのが怖くなってしまい、それから夜が明けるまで眠れない、そういう日々が続く。もちろん、そのせいで仕事中に眠りこけるようになった。

 2016年3月25日。

 前日の夜、過呼吸になったところまでは覚えている。名前を呼ばれながら身体を揺り起こされ、目を開けると心配そうに顔を歪めた母がいた。私は、床の上に転がったままだった。気絶していたのだ。

 「今、何時!?」と言って飛び起きた。もう昼過ぎだ。出社時間はとっくに過ぎ去っていた。母は、私の上司から連絡を受けて飛んできたらしい。鞄の中に入ったままだったスマホを確認すると、上司から何十件にも及ぶ着信が入っていた。

 「仕事に来てないって電話があって。何度電話しても出ないから、お母さんに様子を見てきてもらえないかって言われたんだよ」と、母が涙ぐみながら言った。最悪の事態が頭を過ぎってしまい、母は泣きながら車を運転してきたらしい。合鍵で中に入ったら、私が倒れていたということだ。私は母に謝り、上司にも謝罪の電話を掛けた。

 上司の計らいにより、その日は有給休暇をとらせてもらえることになった。不眠症が再発していたことや、過呼吸になる癖がついてしまっていることを母に話すと、「すぐに先生に相談に行くよ!」と言って、病院に診察可能かの連絡をとってくれた。受付時間内であれば問題ないとのことで、私は急いで入浴を済ませ、母が買ってきてくれたおにぎりを1個だけ食べて、病院に向かうことにした。

 A先生は、不眠症が再発してしまったことに対し、苦い顔をした。「あと少しで4月なので……」と、私もまだ食い下がったが、「もう一度、仕事を続けるべきかよく考えてね」と諭すように話をされた。不眠症治療薬であるベルソムラ錠を処方してもらい、これで薬は6種へと増えた。

 4月は目前に迫っていた。今更、続けるという約束を覆すわけにはいかない。ベルソムラを飲むことでどうにか睡眠時間を確保し、ほんの少しだが、私は体調を回復させることができた。

 それにより、私は「まだ頑張れる」と錯覚してしまった。周囲に迷惑を掛けまいと、4月からも奮闘することになったのだ。
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