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6.ハイドランジアは、冷酷な美にその身を染める

姉と弟

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 序列最下位――。
 穂積が以前語った、真宮家のカースト制度のことだろう。

――真宮の支配体系において、頂点は碧眼の男性、次は黒眼の男性、その次が黒眼の女性であり……碧眼の女性は最下位の扱いとなる。即ち、役立たずな欠陥品だと。

「え……。母さんは、碧眼だったの?」

 香乃は思わず口を挟んでしまった。
 
 母親の瞳は黒系の色ではあるが、漆黒色ではない。
 日本人にはよく見られる、茶色がかった瞳の色だ。

「まさか……母さんもあなたのように、瞳を移植したとか……」

 しかし穂積は、それを否定した。

「いや。元が碧眼であったのなら、香乃は五体満足な健常者には生まれつかない。遺伝子上の問題だから」

――真宮で碧眼に生まれた女性は、碧眼どころか正常な真宮の遺伝子を残せない。

(確かにそう言われていたわ。だったら……)

「香乃のお母さんは、本家に住んでいて駆け落ちしたのだと聞いていた。それを聞いた時、俺は父さんの姉だし、俺が生まれる前のことだしと特に突き詰めて考えていなかったけれど、考えてみれば、父さんと半分しか血が繋がらない彼女が、男系の本家にいたのが不自然だ。そして、男系でありすぎた真宮本家も不自然だった」

 男系――。

(そうだわ。わたしの記憶の中でも実際のこの家でも、女性……彼のお母さんに会ったことがない……。彼の話題にすら上らなかったような……)

「今さらなんだけれど、あの……あなたのお母さまは、ご健在なのよね?」
「宿下がりをした。消息は不明だ」
「え……」

 戸惑いを見せる香乃とは違い、穂積は至って淡々として言った。
 そこから彼の寂寥感を垣間見ることは出来ず、逆に香乃にはそれが違和感を覚えた。
 母に対する感情が見られないのは、穂積が真宮の人間としての人格を否定され、穂月の道具を強いられていたからこそなのだろうか。
 それとも真宮本家に住む子供は、皆そうなのだろうか。

 当主も、穂月も。

(だから、独裁社会を築くのを当然と思い、自分の思うがままの力を見せつけるのかしら)

 昔を思い出しても、穂積を取り巻く環境は異常だ。
 それがまかり通るのは、父系の力が強すぎるからなのかもしれない。
 もしそこに母性が少しでもあれば、穂積の心も早くから救われていただろうに。

「真宮本家において、直系の子供を生んだ女性は、数年後には役目を終えた奉公人のように宿下がりをさせられる。女子が生まれれば、その子を連れて。真宮本家に住める男子は、正妻が産んだ長男のみ。妾腹が産んだ男子や、姉妹は分家となる」

 正妻とは、まるで真宮を引き継がせるための子供を生むだけの道具のように扱われ、同じ女性である香乃は思わず眉を潜めた。
 するとそれを見て取った穂積が香乃に言った。

「大丈夫。俺は香乃にはそんな目に遭わせはしないから」

 さらりと、強く言った穂積。
 未来を確約している言葉と微笑に、不意打ちを食らった香乃は赤くなって口をぱくぱくさせる。
 ……彼の中では、香乃が正妻になるのは決定事項のようだ。

(ううう、ご当主の顔が怖くなった……)

「父さん。香乃のお母さんが、駆け落ち出来る年齢まで本家にいられた特別な理由は、彼女もまた誰かに道具として使われていたからですよね。逃げ出さないように真宮本家で監禁していたのでは? それでも結局は逃げ出してしまったことになるけれど」

 当主は答えを頑なに拒否をしている。

 香乃は、見返りを求めた母親の姿を思い出す。
 あれは病的というよりも、そう育ったかのように自然だった。
 彼女にとってみれば、子供が親に恩恵をもたらすのは当然なのだ。
 その理由は血の繋がりによるものではない。

(それはなぜ?)

 碧眼至上主義の上に男尊女卑である真宮家。
 そこから逃げ出しても、母親は真宮の血を引くのは変わらなく。

――従姉弟がどうのの問題じゃない。あなたはこの先、その碧眼のせいで香乃を食らうわ。

「俺と穂月は双子だから、互いが道具になりえるとしても、香乃のお母さんは誰の道具に? 真宮家の要人全般とみるのなら、駆け落ちした彼女をなんとしてでも取り戻したはずだ。なぜ逃がしたままにして、香乃ごとまた真宮の本家に来させることが可能だったんです?」

(碧眼……)

「少なくとも昔は、俺と穂月と香乃が会っていることはよしとされていた。それなのに、なぜ突然、父さんも香乃のお母さんも掌を返したかのように……」

 そこで穂積は目を細める。

「突然ではなく、穂月が死んだから?」

 ひくりと、当主の頬が動く。

 穂積に呼応するようにして、香乃は呟く。

「直系の碧眼……。わたしが、きー……穂月さんに対して特殊な血をしていたように、わたしの母も、碧眼に対して特殊なんですか?」

 香乃の問いに、当主は重々しい口を開く。

「……そうだ。お前も、お前の母も、その母も……いつの代からか、お前達は真宮の中でも、異分子となった。真宮の碧眼を生かすことが出来る唯一の女子達」

(わたしの母方は、碧眼に特殊な血筋……)

「ということは。母の手術痕は……碧眼の持ち主に対してなされたということですか? しかしその時、穂積さんも穂月さんも生まれていなかった。だったら、違う碧眼の持ち主は存在していたと?」

 血の特殊性が碧眼相手と限定されるのなら、昔にも、他に碧眼がいたのだということになる。

「そんな。碧眼は穂月以外には生まれていないと、父さんは!」

 ふたりの眼差しを受けて、当主は実に深いため息を零す。

「……真宮には守らねばならないものがある。そのひとつが碧眼を崇め、碧眼を絶やさぬこと」
「それはなぜ!?」

 穂積の問いに、当主は渋い顔をする。

「理由など我々が知る必要はない。そうだと先代より教えられ、そうだと後代へ伝えて行く。それが真宮だ」

 当主は理由を知らないのだ。
 知らぬまま、碧眼主義を踏襲しているだけだ。

「疑問には思わないのですか、父さん。なぜ日本人である真宮に碧眼が生まれるのか。真宮の血統がそこまで大切であるのなら、なぜ異人の血を引く証拠である碧眼を重要視しているのか。昔ながらの和の屋敷で、なぜ洋を取り入れる必要があったのか」

 確かに穂積の言う通りだと、香乃は思う。
 真宮家の純血保守を目的としているのなら、碧眼は忌まれるものだろう。

「真宮の先祖は、武家でも公家でもなく、ただの商人だった。それが明治時期に主にロシアとの貿易で儲け、この屋敷を作るまでになった。そこに改装を加えて、奥の院を作り、無理矢理洋風を取り入れたのは、大正期。その時に、虹彩を識別出来る機械が取り付けられたんでしたよね。機械は時代によって最新式になっていったとはいえ、機械が必要だということは、碧眼主義になっていたということだ。一体なにがあったのか……それを疑問に思わない父さんではないはずだ」

 僅かに、当主の眉が動く。

「その秘密が、自分が住んでいる屋敷の一部……奥の院にあると聞いたら、普通は見てみたくなりませんか?」

(穂積はなにを言おうとしているの?)

「――見たんですよね、父さんは。奥の院に、なにがいたのかを」

 穂積はなにかに行き当たっているようだった。

「どうして母さん? 母さんは碧眼ではないのに、奥の院に出入りなんて……」
「俺は機械の中を見たわけではない。登録された碧眼がのみが奥の院に入れると、父さんから聞いていただけだ。碧眼以外の者達をひとりひとり、奥の院に入れるかどうかなど調べたことはなかった」

 虹彩認識を機械制御しているのなら、確かに機械に登録さえ出来れば、何度でも出入りは出来るだろう。……その必要性があり、屋敷の責任者に認められた人間に限定されるだろうが。

「だけど、一方的に体を提供する側のはずの母さんが、なぜ自由に出入り出来る権限を?」
「それはきっと、そこに誰がいたのかでわかるだろう」
「……っ」
「俺の予想では、機械の登録……いわば招待客を誰にするのかは、奥の院のからしか出来ないはずだ」
「え……」

(彼は、誰がいると想定しているの?)

「ですよね。父さん」

 まっすぐに向けられる穂積の碧眼。
 そこから逃れるように顔を背けた当主は、その唇を震わせた。

(なに? 怯えているの?)

「父さん」
「……っ」
「俺の碧眼は、穂月のもの。俺は……あなたと同じ黒い瞳で生まれた息子です」
「……」
「恐らくもう俺は、真実に行き着いている」

 その言葉が決め手になったかのようだ。
 逃れきれないと諦めたように、当主は目を細めてぼそりと言った。

「香乃さんのお母さん……姉は、真宮においては特殊な扱われ方をしていた。虐げられるというより、いないもののようにして扱われていた。この屋敷ではかなり異質な自由人だったといえる。真宮の帝王学の勉学に明け暮れていた私が彼女と初めて会ったのは、赤襦袢を着た彼女が庭で、大輪の白菊を引き千切りながら、狂ったように笑い、ひたすらくるくると回っていた姿だった。私は怖くなりながら、お前は誰だと尋ねると、彼女は笑った」

――あら、あなたには私が見えるのね。

(無関心という虐げね。彼とはまた違う、虐待をされていたのか)

「彼女は菊香と名乗り、後に私の義姉だと知った。出会いこそは異様だったが、話してみるときさくで話しやすい。そして彼女の面倒見もよかった。私はこの新たな家族が気に入り、彼女に心を許した。彼女は花が好きで、とりわけ細長い花弁がたくさんの、白く大きな菊……」
「アナスタシアですか?」

 香乃の答えに、僅かに目を細めた当主は苦笑いをする。

「そんな名前なのか、日本の花なのに」

(あれ? 母さん、アナスタシアってアレンジメントにも使わないけれど?)

 なにか思うところがあるのだろうか。

「まあいい。彼女は花を活けるのが好きで、私は花を活けるのを見るのが好きで。よく部屋から抜け出しては、彼女の活けた花を見ながら、ひとには言えない本音を零しては、彼女に諫められていた。私にとって義姉は、宿下がりをして顔を見たこともない母代わりでもあった」

(そんなに仲良くしていたなんて、なんだか意外……)

「だが父は、私が近づくのをよしとしなかった。それでも構わず私は姉を追いかけ回したが、常に姉の姿が屋敷にあるとは限らなかった。むしろ会えない時の方が多い。屋敷から出たことがないと言っているのに、なぜ屋敷から姿が消えるのか。それについて姉は答えてくれなかった」

 当主はため息をつくと、話を続けた。

「……ある時、私はそのアナスタシアとやらをたくさん両手に抱えた姉が、どこに行くのか、こっそりと後を追った。そこは、私に近づくなと厳命されていた、奥の院だった。彼女が機械に目をかざすと、開かずのドアが開いた」

(やはり、奥の院に出入り出来たんだ、母さんは)

「閉じようとするドアに足を差し込み、さらに後をつけた。その中には豪奢な洋間があり、その中で姉は……白いドレスを着た、見知らぬ美しい女の足元に縋るように座りながら、声をかけていた」

 そして当主は、穂積を見ながら言う。

「その女は銀髪をして、魔性の……碧眼をしていた」

――私だって娘が心から好きになった男性がいるのなら祝福したいわ。だけど彼は駄目。真宮の血を引く魔性の……碧眼の持ち主は。

「姉は催眠術にかかっているかのような恍惚とした表情で、こう笑いかけていた」

――おかあさん。
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