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3.ブーゲンビリアは、あなたしか見えないと咽び泣く
強引で、だけど悲痛で
しおりを挟むどうすればいい。
好きでたまらないひとを諦めるのは。
どうすればいい。
牧瀬を真宮のように愛するには。
――逃げるな、もういい加減。
真宮の手をとりたい。
とって、自分も好きなのだと言いたい。
――……蓮見。俺を切るのなら、俺はいらねぇって、欲しいのは真宮なんだって、俺に言えよ!
牧瀬の心を思うと、身体が引きちぎれそうだ。
土壌に戻され、また咲こうとしている勿忘草が、もう引き千切らないでと訴えている。
泣いて訴えている――。
「ごめん、なさい……」
香乃は、声を絞り出して言った。
「わたしには……応えられません」
涙が流れるから、香乃は片手で目を覆う。
「だから、わたしのことは忘れて下さい」
牧瀬とのキスで伝えたはずの、勿忘草の反対の花言葉を真宮にぶつけて。
言いたくない言葉で、自分の心を自ら抉っていく。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
あなたが、好きです。
現在進行形で言えなかった言葉。
それでも、九年前の恋情は彼に言えたから。
だから――満足しなければ。
真宮の手を払おうとしたが、真宮に握られた香乃の手に、ぎゅっと力が入れられた。
その手は持ち上げられ……今度は手のひらが、ひやりとした肌に触れる。
驚いて目を開くと、香乃の手は真宮の頬に添えられ、勿忘草色の瞳がじっと香乃を見ていた。
「……逆効果です、蓮見さん」
「え……」
「その逃げ方は……愛おしくてたまらなくなる」
それは怒りというより、どこまでも慈愛に満ち、見ているだけで切なくなってくるものだ。
香乃の中で咲いた勿忘草のように、引き千切るなと哀切に訴えている。
「期待してしまう。あなたは……少しは俺を向いてくれているのだと」
「違っ」
慌てて反論をしようとした香乃をなだめるように、優しく真宮は言った。
「……俺は、忘れられるような簡単な恋をしていません。昔からずっと」
「……っ」
「あなたに逃げられるのは、慣れています。慣れたくはなくても」
真宮の眼差しは悲哀に満ちたもので、不意になにかの面影がだぶる。
ゆらゆらと揺れる瞳をしたそれは、優しい声を出した。
――約束だよ。
それがリフレインのように、段々と声が低くなり、真宮の声になる。
「約束、します」
真宮はやるせなさそうに言った。
「俺はあなたを忘れない」
その言葉に、胸の奥が音をたてた。
奥底にあるものが、見つけて欲しいと自己主張をしているように。
「『わたしを忘れないで』。あなたが教えてくれた勿忘草を、その花言葉を、何度でもあなたに捧げ、守ります」
(わたしが、教えた?)
出逢った時既に、真宮は勿忘草を纏っていた。
今まで花言葉の意味を口にした覚えはない。
「わたし……教えてない……」
真宮はただ笑う。
まるで荒野に一輪だけ咲いている勿忘草のように、儚げに。
「あなたのために、このホテルの名前も勿忘草にしました。逃げるあなたを俺が見失っても、あなただけは俺を見失わないように。勿忘草を持つところに俺はいると……あなたに告げるために」
――……蓮見さんはお好きなんですか、勿忘草。
心臓が、どくんと震えた。
「そのために、俺はある」
――そうですか。それは……残念です。
「どういう……」
(わたしは、なにかを忘れているの?)
どうしても、真宮の妄執だとは思えないものがあった。
「聞きたいですか?」
「はい」
香乃はしっかりと頷いた。
聞かなくてはならないと、自分の中で声がするのだ。
なにか忘れているものがあるのなら、思い出したい。
……夢と関係するのだろうか。
あの傲慢な〝きーくん〟が彼だと?
(そんなはずがない。彼は死んだのよ)
断定出来るだけの根拠が、曖昧な夢に起因している限り、香乃が思い出そうとしているものはどこまでも不確かなものだ。
だからこそ、確かめたいと香乃は思った。
「では、金曜日――俺が頼んだ仕事の最終日。九時に、この近くにある帝王ホテル上階にあるBARでお待ちしてます」
「え……」
真宮は少し強張った顔をして言った。
「もし来て頂けるのなら。俺が勿忘草について、いえ……俺の心の内をお話します」
「今、話して頂けないんですか?」
すると真宮は苦笑した。
「あなたを離したくないからとはいえ、いつも勤務中、俺はあなたに迫っている。秘めていたものを語るのが、さすがに自分の職場で勤務の合間というのも、ムードがないなと……。まあ、図書館の倉庫であんなことをしておいて今さらかもしれませんが。正直、ムードがあれば少しはあなたも和らぐかもしれないという、下心はあります。俺達には、ムードが足りないと思いませんか?」
「し、真剣に聞かれても……。ノ、ノーコメントで」
すると真宮は小さく笑った。
「では、場を改めて、ゆっくりあなたに告げさせて貰います」
香乃が知りたいことは、もれなく、真宮の愛の告白つきらしい。
香乃が決死の思いで拒んだことは、なかったことにされ、仕切り直しを目論まれているようだ。
しかも今度は、ムードある環境で。
(わたしも頑固だと思うけれど、このひとも相当ね。わたしの涙って、一体……)
そして――。
「部屋を予約していきます。来てくれるのなら、あなたを家に帰しません」
とんでもない条件をつけてきたのだ。
「な!」
「来て下さらなければ、もう二度と……あなたが知りたいことは、あなたには語りません」
真宮はふっと笑う。
「ひ、卑怯です!」
「はは。あなたを手に入れるためなら、どんな手も使う――これが今の俺です。だてに真宮を背負って、総支配人をしていない」
痛いくらいの視線は、懇願の光も混在していた。
「……わたし、行きませんから」
香乃の言葉に少し緩んだその手を、香乃は引き抜いた。
真宮に触れられた手が、熱く疼いている。
「それでも待っています」
真宮は寂しげに微笑んだ。
「待つことには慣れてますので、お気になさらずに」
強引な手法を使ってくるくせに、耐えようとするその顔は悲痛さに満ちていて。
香乃は、心がぎゅっと締め付けられそうになった。
……真宮に魅入られていればこそ、物陰に立つ牧瀬の姿に気づかない。
そして、彼が誰からの電話を受けていたのかも――。
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