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  Final Moon 25

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 最初は、美幸夫人が今でも朱羽と専務を傷つけようとしているのだと思った。忍月支配を目論む中で、ふたりを今まで通り恐怖で取り込もうと。
 
 しかし話を聞く限りにおいて、その様子を観察している限りにおいて、美幸夫人はタエさんを代理にはしているけれど、タエさんが副社長を使ったように、忍月を乗っ取ろうとか壊してやろうとか、そこまでの黒い執念は感じないのだ。

 そう思うと、タエさんが副社長を使ってシークレットムーンにしたことは、美幸夫人の指示だったのだろうかと疑問を覚える。

 彼女は本当に、自分の意のままに動く次期当主を、打ち立てようとしたのだろうか。

 ……あたしは、そう思えなかった。

 忍月本家に住んでからの長い年月の中、そうした野望があったのなら、とうに行動していると思う。彼女は当主ほどにないにしても、権威があるのだから、もっとうまく出来たはずなのだ。

 そしてなにより、気丈な態度をとる彼女はそうした……かつての彼女を虐げた者達のような、支配欲だの金銭欲だのいう、世俗めいた欲望があるようには思えない。

 それを願って動いた時点で、彼女は免罪符をなくすから。
 彼女は、虐げた者達と同じ穴のムジナだったのだと、彼女もまた、不相応な望みを持つから虐げられたのだと、彼女が認めることになる。

 あれだけ自分は被害者だと言うのなら、彼女自身が憎む輩と同じにならないような気がするんだ。彼女の矜持にかけて。

 愛する夫も、八つ当たりのように欲望をぶつけた専務もいない屋敷に、表面はどうであれ彼女を内心疎んじる当主がいて、今も昔も欲の権化になりえる使用人がいて、肩身狭い思いをしていながら、姉妹で尚この本家に居る。

 本家への愛情がないのに、それでも執着している理由は?

 朱羽の詰るような声が続く。

「その姿を嫌悪するのなら、早々と屋敷から出て治療でもなんでもすればいい。屋敷にはあなたの顔をしたタエさんが、美幸さんのふりをしてくれているのだから、この家にあなたはいなくてもいいのだから。あなたがこの屋敷でしたいことは、タエという名の使用人の仕事ではないでしょう?」

 当主も辟易するほど、本家に固執する理由は?
 確執があるタエさんに協力を願い、自分のふりをさせ、タエさんを自由にさせている理由は?

 彼女の傀儡ではないのなら、タエさんの意味はなに?

「――と、思っていました。が、俺の知らないところに、また違う真実があるのだとしたら、俺の固定概念が真逆であったのなら、また違う見方も出来る」

 ああ、朱羽。

 そうだ、あたしが彼女に抱いているものが、もし"逆"だとしたら。
 彼女は忍月を恨み続けているという先入観すら、反対であったのなら、事実はまた変わってくる。

「正直、なぜあなたは今の……そのスタイルを貫こうとするのか、理解に苦しむ。だけど、あなたもまた、どんな理由によるものとしても忍月の血が流れている者達と同様、忍月のためにと我が身を投げ出すのであれば、これほど哀れなことはない。恐らくそれは、他人には理解を得られない、あまりに身勝手すぎるものだから」

 朱羽が行き着いたもの。

「朱羽、おい……もしかして……」

「恐らくは」

 専務が行き着いたもの。

 その先に見えるのは――。
 

「ああ……それが、あなたの行き着いた結論なんですね」


 あたしの言葉に、老女の澱んだ目が肯定するように揺れる。

「かつてこの忍月にあなたがかけた呪いを、そしてあなたがかけられていた呪いを、あなたは今……消そうとしている。あなたを中心に乱れた本家の規律を正すために、核であるあなたを使用人から切り離そうとしている。それが、使用人が言っていた呪いの正体です。あなたは容貌を利用した」

 老女は否定をしないで、静かに目を伏せた。

 使用人が、自分の立場をわきまえずに好き勝手に女主人の座を夢見るのは、美幸夫人を軽んじられるほどに、彼女と密接すぎたから。

 正しい規律……主従関係を明確にさせるには、彼女を恐れさせる必要があった。しかし彼女は人前に出られない容貌となり、彼女は遠隔的に"噂"を拡大したのではないだろうか。

 彼女が老いたタエさんのふりをして、夫人を噂する使用人達にああも厳しく叱咤したのは、自分の悪口に憤怒した……だけではなく、呪いと怒れる老女というホラー的な演出にも思えて仕方がない。

 滑稽とも自虐的とも言える、二役を演じたおかげで、呪いは真実味を帯び、使用人達は美幸夫人の噂も出来ないほどに、恐れるようになった。
 
 そしてさらに使用人達を追い詰めたのは、シゲさん。

 おかしな力をもつとされる美幸夫人を世話するシゲさんが、噂の肯定も否定もしなければ、噂は勝手に尾ひれをつけて膨らんでいき、皆が創り出した妄想にて美幸夫人を恐れ、従うようになる。

 恐怖の利用が正しいとは言い切れないけれど、その上下関係こそが、女主人と使用人の正しい関係と……忍月に失われていた秩序を回復しようとしたのだ、美幸夫人は。

 問題は、なぜ美幸夫人がそんなことをしようと思ったのか。
 忍月の犠牲者が、なぜ忍月の救済に乗り出したのだろう。

 あたしは、それがまだわからない。

「なによ、その呪いって」

 この場でわからないのは、タエさんのみ。
 驚いたままの沙紀さんは……わかったようだ。

 美幸夫人の代理をしているタエさんが、美幸夫人の真意をわからないのなら、やはり、副社長を使ったのはタエさんだけの独断の可能性が高い。

 タエさんは、他人のあたしでさえ行き着いたものを、わかっていない。
 なぜ美幸夫人が、矜持を捨ててまで自分の身代わりをさせているのかを。

 わからないのは、死んだ男を巡る確執のせいなのだろうか。
 双子なのに、理解をしようとしなかったのか。

「それは……「話すな」」

 あたしが説明しようとしたら、美幸夫人が反対した。

「私を理解出来ぬ者は、無理に理解させようとしなくてもよい。それでいい。私は、理解を求めたいわけではない」

 美幸夫人は朱羽と専務を見て言う。
   
「……ただ……思うのだ。私が苦痛を味わいながらもこの本家で、私が創り出せたものがなにもない。そのことが、無性に寂しいと」

 それは当主も似たことを言っていた。

「姉達がいても、この心の渇きは癒やされることがなく。そこで初めて、あのひとを理解出来た気がする。愛する父親が居ても尚、血の繋がるものを残そうとしたわけが」

 美幸夫人は、静かに静かに言った。

「……遺書が、あったのだ、あのひとの。それをあのひとがまだ元気なうちに書いて入れたのだろう、私の鏡台の引き出しの奥に入っていた。まだ死んでもいない時に」

「遺書!? 聞いてないわ、私……」

「……燃やした。跡形もなく」

「どうして!?」
 
「遺書にはこう書かれてあった。意識がなくなったら殺してくれと。そして私に忍月を託すと。それが、私が嫌っている男からの最期の頼みだと。……死後も私を忍月に縛る、どうしようもなく身勝手なものを、残しておきたくなかったから、燃やした」

「そんな、美幸……っ」

「死ぬのが決定事項だと、死んでも尚私を縛ろうとするのが腹立たしく、許せなかった。私をこんな目に遭わせておいて、そんなに死にたいのならとっとと死ねばいい。……生命維持装置をやめるよう、私は医者に言った」

 厳しい面持ちの美幸夫人に、タエさんが悲鳴のような声を上げる。

「黙れ。あのひとが余命幾ばくもないと知ったお前が、あのひとが抵抗する体力もないのをいいことに、病室に忍びこんでなにをしていたのか、私が知らないとでも思ったのか! その腹に、あのひとの子供は宿ったのか!?」

「そ、それは……」

 ……姉妹揃って専務へのような逆レイプ、ドロドロだ。

「医者が生命維持装置を外した瞬間……、意識ないはずのあのひとの目から涙が零れた。渉のようにその場面が頭に焼き付いて離れない。……あのひとは生きたかったのか、それとも、病気の苦しみから解放されて嬉しかったのか。どうしてもその答えが見つけられない。いまだ、私を縛るのだ」
  
 それは――。
 
「あたしは、そのどちらでもないと思います」

「え?」

「ありがとうと、そう言った気がします。あなたはどんな思惑があったにしろ、きちんとご主人の遺志を継いでくれたのですから」

 そう、夫が遺書に残した……意識がなくなったら殺してくれ……その遺志を、彼女は受け継いだに過ぎない。

 人道的に倫理的に反した"殺意"の形ではないかもしれないけれど、それでも故人の望みだったのならば、それを詰ることは出来ない。

「ご主人が望んでいるものを、あなたはしてあげた。ご主人は、どんなに辛いことでもあなたなら、してくれると信じていた。だから、ありがとうと妻に感謝をしたのだとあたしは思います。……そこに相思相愛の夫婦の形が見えてきませんか? 子供がいなくても、あなたとご主人は」

「……っ」

 強くいようと毅然としていた美幸夫人の表情が崩れた。

 そこから見えるのは、悲哀。それは後悔にも似て。
 そんな人間的な感情が出せるのだと思ったら、なぜかあたしは……ほっとした。
 
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