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  Final Moon 24

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「妹すらなにか企んでいるようだし、ひとりぼっちが寂しくて、旦那様に助けて欲しかったんでしょう? 愛情イコール子供ではないのだと、そう安心したかっただけなんでしょう?」

 専務の苦しみを一番にわかって心を痛めたであろう沙紀さんは、その真っ直ぐな瞳で、専務を苦しめた張本人と対峙する。

 その眼差しは強く、だけどどこか怒りを帯びながらも慈愛深いものさえ垣間見せる。
 小柄な沙紀さんが大きく見えるのは、その大きな心にあるのか。

「……愛情などあらぬわ」

 しかし老女は、強い口調で否定する。

「他に女を作って子供を産ませている男を、好きになると思うか! お前なら、好きになれるのか! 渉の子供を私や名取川の養女が産んでいたら、それでも渉を愛せるというのか!」

 ……まるでそう言い聞かせているかのように。

 あたしは想像してみる。

 あたしは子供が産めないとして、朱羽が子供が欲しくて他の女との間に子供を作ったら。

 あたしはその子供を認めることが出来るだろうか。
 朱羽と一緒に、その子供を愛せるだろうか。
 
 ……色々なものが心に渦巻き、がんじがらめになりそうだが、それでも朱羽が人工授精ではない妊娠を望んでいたら――。

 もしかするとあたしは、最終的には頷くかもしれない。
 嫉妬と悲憤に駆られながらも。
 
 あたしは聞いた。

「美幸さんは、ご主人との間に、子供は欲しくなかったんですか?」

「え……」

「もしも子供が産める身体であったのなら、ご主人が希望する通りに、子供を産んでいたんですか?」

 老女は僅かに動揺する。

「私は、子供を産んだ経験はないですが、それでも……あたしが妊娠出来るというのなら、朱羽が子供を望んでいたのなら、あたしは喜んで子供を産みたいと思います。沙紀さんもそうでしょう。美幸夫人は、ご主人との間に、子供を望んでいたんですか?」

「そ、それは……」

「ではなぜ、ご主人の子供を宿している女達に、そこまで苦しい想いをされたのですか? 妊娠が出来る身体であってもなくても、嫌いな男との間の子供は欲しくないと思えば、相手の女にももっと違った反撃の仕方があったと思います」

「……っ」
 
「……あたしも、沙紀さんが指摘された通り、あなたがご主人との間に子供を望んでいたとしか思えない。産みたいのに産めなかったから、辛かった。あなたは当主を好きだったのかもしれませんが、気持ちが身近な男性に移っただけ。それとも当主をまだ愛し続けていると言うんですか?」

「恨みこそすれ、愛してなどないわ! 当主も、あのひとも!」

「しかし当主の子供を宿したいとは思わなかったんでしょう? 渉さんと寝ても、渉さんの子供が欲しいと思いましたか? そこまで渉さんに許していたんですか? 女である自分を慰めるための子供を欲していたと?」 

「産みたくない、どの男の子供も欲しくない! あのひとが子供子供と言う度に、嫌悪するだけで子供のいる未来も想像出来なかったし、絆されなかった! 勝手なことを言うではない!」 

 老女は駄々をこねるように叫ぶ分、あたしは平静さを強めた。

「美幸さん。……屋敷の外の小屋のようなところに、廃棄車がありました。そこから出てきたのは、子供用のぬいぐるみとか玩具でした。それも古くて、かなりの量。あなたはそれを知りませんか?」

「……し、知らぬ」

「お話を聞いていれば、ご主人の子供を宿した女達はこの屋敷では産んではいないよう。渉さんですら、生まれたのは外部でそこから屋敷に入ってきた」

「……っ」

「だとしたら、あのたくさんの子供の玩具は、彼女達が集めたものとはいえない。だとすれば、誰が買い求めて、誰が捨てたものを、ここの従業員が拾ったのでしょう。かなり古いものを」

「……っ」

「私はご主人が、美幸さんとの子供を夢見て玩具を取りそろえていたのだと思います。そりゃあ、子供が産めない身体はそれはプレッシャーになる。だけど、子供が生まれないことをプレッシャーに思うのは、相手が嫌いではないからではないですか?」

 老女の白濁した瞳が揺れている。

「あなたはあのたくさんの玩具を見て、ただの拒絶反応しか出なかったんですか? その玩具であなたとご主人の子供が笑うその姿を、彷彿はしませんでしたか? その未来が来て欲しいとは思わなかったんですか?」

 澱んだ瞳の中の、ひと筋の若い光が。

「もしそう思ったのなら、そうした光景を羨ましく思えた瞬間から、美幸さんは、相手がご主人だからその子供を産みたいという気持ちに変わっていったのでしょう。相手を特定して望むことは、その相手が特別だからとは思えませんか?」

「……ち、違っ」

 美幸夫人は揺れながらも認めようとしない。

 わかっていて認めたくないのか、無自覚だから認めたくないのか、それはあたしにはよくわからないけれど、当主に操をたてたいわけではないのなら、もうこれはすれ違いだ。

 痴情のもつれが、子供の代……専務と朱羽にかかってきたのだ。

 大人達はいい。
 好き勝手に恋愛して子供を産めるけれど、どんな子供も親は選べられない。

 大人の事情なんて知る前に、勝手に自己保身で忍月に染まった美幸夫人から手を出されて、子供であった専務は恐怖を抱えた。

 それが現実、それが真実。
 そして、それを美幸夫人が理解していないことも。

「なあ、美幸さん。俺は……忍月に来てあなたを初めて見た時に、母親を含めて、ぎすぎすしてひとの温もりが感じられない本家の中で、一番のまともなひとだと思いました」

 専務が真情を吐露していく。

「あなたは、緊張しすぎて胃が痛くなって蹲っていた、俺の腹を……撫でてくれたんです。誰にでも緊張はするものだからと」

 老女は覚えていないような顔をした。

「母親ですら、緊張で腹が痛いと言ったら女々しいことは口にするなと叱られた中で、あなただけだった」

 沙紀さんが、震える専務の横に寄り添い、背中を撫でる。

「この屋敷の中ではあなただけが俺の気持ちをわかってくれると思っていた。俺は……母よりあなたの方を慕っていたんです」

 悲痛さに震える声。
 
「なぜ俺の部屋に入ってきて、嫌がる俺とセックスをしたんですか。なぜ泣き叫ぶ俺の手を縛り付けて、あなたは自分だけの欲望を俺にぶつけたんですか。なぜ、俺の母親を俺の前で燃やしたんですか。なぜ、あなたを嫌いにさせたんですか!」

「渉……」

「あなたは、血の繋がった人間が焼ける匂いを嗅いだことがありますか? あなたにとって恨んでいる女であっても、俺にとっては産んで育ててくれた唯一無二の女なんです。どれだけあなたを傷つける酷いことをしていても、俺には母だった。焼き殺せてあなたは気分よかったかもしれないけれど、母の肉が溶けて悪臭が放たれるその悪夢が俺の中から消えない。俺の母へのあなたの憎悪は、俺が引き継いだ。あなたへの憎悪となって、延々と巡るこの恐怖から抜け出せない。俺も誰かを殺せばいいのか? そうしたら消えるのか、あなたにかけられた、忍月の呪いは!」

 老女は目をそらした。

「そらすなよ、俺を見ろよ!! あんたは忍月に染まっていない、あんたには責任はないというのなら、あんたに好き勝手に道具にされた俺を!! やましいところがないのなら、俺を見れるはずだろう! 俺に悪夢を植え付けたのが、当然のことだというのなら!」

 老女はなにも言わずに目をそらしたままだ。
 老女だけではない、その姉妹もバツが悪そうな顔をしている。

「俺が沙紀と巡り会えなかったらと思うと寒気がしてくる! 今俺が俺でいられるのは、壊れていた俺がこうしてこの場に立ち会えるのは、沙紀のおかげだ! 人間不信だった俺を、沙紀と月代さんが救ってくれた。生きていてもいいと、言ってくれた。わかるか、あんたも生きる理由が見いだせないのと同様に、俺だって生きている意味も価値もわからなかった。あんたに俺の心を壊されて! それがなんだ? 死んだ親父に振り向いて貰いたくて、だから俺を犠牲にしたのか!? 俺は一体なんなんだよ!」

 悲しい。
 専務の心が悲しい。

 当主に真情を口にしたとき以上に、悲しい。

 あたしが掴んだままの朱羽の手が震えていた。
 朱羽の唇が戦慄いていた。
 
「朱羽!! お前も言いたいことあるだろ!? 言え!」

 悲痛な想いを、朱羽が受け継いだ。

「俺は……母の最期に会いたかった」

 静謐なる痛々しさ。

「あなたにとって俺の母親は、浪費癖が激しくて忍月の寄生虫で、追い出してみてもシャブ漬の上で行きずりの男の子供を身ごもった、どうしようもなく堕落した女でも、……俺にとっては、たったひとりの母親なんです。母親だから、俺は……我慢して我慢して、心臓発作が起きるまでのストレスを抱え込んだ」

 朱羽は俯きながら、ぽつりぽつりと話す。

「俺がいる家に男を連れ込んで、その動物じみた痴態を子供に見せつける母親であっても、今まで食事なんて作ってくれたことがなく、男漁りに出かけるどうしようもない女でも、こんな生活が嫌で解放されたいと家出をしても、それでも……きちんと食事をしているのか、寒い夜には家で暖かくしているのか、気になって戻ってしまう……そんな母親だったんです」

「朱羽……」

「……弟がいたこと、今初めて知りました。どんなに狂っておかしくなろうとも、俺の名前を呼んでいたことも知りました」

 顔を上げた朱羽は、詰るような眼差しを美幸夫人に向けた。

「あなたに、俺の母親の死の事実を、勝手にどうこうしていい権利なんてない!」

 声音は怒りに震えて。

「あなたは、俺や母の家族のつもりなんですか? だからあなたの判断で、俺に知らせなくてもいいと思ったんですか? 俺の母親がどんな状態で死んだのかその事実が、なんであなたの事情で隠されないといけないんだ!」
 
 朱羽は言った。

「子供の気持ちがわからず、自分の都合で事実をねじ曲げることが当然の権利だと思っているのなら、あなたを虐げた忍月の輩と同じだろうが! 俺や渉さんの母親があなたを虐げる権利がないのと同様に、俺や渉さんをどうこうする権利は、あなたにはない! 権利があると思っていたのなら、俺と渉さんの影に、亡き父を感じていたからだろう! だから正妻の権限をと! 忍月が与えたその地位の権限を、あなたは血の繋がらない俺達に行使していただけだ!」

 いつも慇懃な態度を崩さなかった朱羽の荒々しい物言いに、老女は震えた。
 
「今だってそうだ! 妹を身代わりにさせて、そして俺や渉さんの幸せを邪魔しようとする! 口出しするのは母親気取りだからか!? 母親が憎ければ子供まで憎いか!? 憎いのは誰だ! なぜあなたの妹に、俺は気持ち悪く触られないといけないんだよ! そこまで俺は、どう扱ってもいいそんな虫けらのような存在なのか!?」

 美幸夫人だけではなく、タエさんも押し黙る。

 朱羽は、タエさんに向き直った。

「元はといえばあなたの恋慕のせいなんだろう!? なんであなたは、子供を巡ってドロドロとした愛憎劇が繰り広げられる忍月の屋敷で、妹を庇わなかった!? ざまあみろとでも思っていたのか!?」

 タエさんは怯えた顔をした。

「俺の父が振り向かないとわかった時点で、あなたは退散すべきだった! それをよってたかって妹の敵になるから、妹の暴走を止める奴がいなかったんだろう!? それなのに、よくのうのうと妹の代わりが出来るな! 妹のふりをして俺をどうこうできると思ったその傲慢さ、恥を知れ! さらに言えば、影武者の分際で次期当主を据えられると思うな、身の程を知れ!」

 空気が朱羽の怒りでびりびり震える。

「しゅ、朱羽さま、タエは……」

「あなたもだ、シゲさん! 長女なら父がいなくなった時点で、ふたりを問答無用で退散させるべきだった! 妹たちが壊れていくのを助長させたのは、あなたの責任もある!」

 シゲさんは押し黙った。

「確かに忍月はあなた達の親の敵だ。だが苦しんでいるのは、シゲさんの妹達だろうが! 忍月に染まって常識がわからなくなった妹達をなぜ殴ってでも、外に出さなかった。なぜあなたまで中に入ってきたんだ!」

「……わ、たしは……」
 
「教えて下さい」

 あたしは三人に言った。

「なぜそこまで嫌な思いをしていながら、朱羽の父親が死んでも尚、忍月にこだわるのですか? 渉さんや朱羽を傷つけることが目的なんですか?」


 ……あたしが知りたいのはそこだ。


 子供を巡って壊された美幸夫人の心もわからないでもないからだ。

 しかしあたしは、美幸夫人というひとは地位や権威に執着しているようには思えないのだ。
 
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