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  Final Moon 23

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「朱羽の母親は、媚びることがうまくて、色々な高級品をあのひとから買って貰っては、それを自分のステータスにして勝ち誇っていたような女だった。身体を武器に金をねだる……まあ前身は私と同じ水商売系だ」

 朱羽の表情が険しくなる。

「男を誘う術を心得ており、あのひともころりといってしまった。そして朱羽が腹にいるのを知るや、あのひとと私を脅してきたのだ。次期当主にしろと。子供を産めない女などさっさと捨てて、朱羽を認知して跡継ぎにしろと。そして勝手に私の部屋に入り、窓から私の私物を捨てて笑った。今日からこの部屋に自分は棲まうのだと。次期当主を産めない女は、使用人部屋に行って、自分に仕えろと」

 その時の美幸夫人を考えてみる。

 自分の夫に取り入った女が、与えられた金品を愛情だと勘違いして、子共を身ごもっただけで優位に立っていると思えるその傲慢さ。

「……旦那様や当主に相談しなかったんですか? タエさんでも……」

「タエの、私に対する反感はとうに見抜いていたわ。相談をすれば、タエが乗っ取るだろう」

 タエさんが気まずそうにした。

「男達は、子供がいるというだけであの女を大事にした。渉の母親の時もそうだ。私が怒ったりする度に、子供がいるのが羨ましくてヒステリーをあげているだけだと思われた。そして朱羽の母親にも言われた。悔しければ、子供を作れと。若くはないお前に子供を産めるのかと。……子供が産めないというだけで、私の人格は否定されていったのだ」

「それでも愛人の子。正妻である美幸さんを蔑ろに出来るわけが……」

「だから、私は自由にされた。なにをしてもいいと。……私を気遣うふりをしただけで、女同士のいざこざが面倒になっただけだ。愛人を管理するのが私の務めだと、勝手に言われた。……この鬱屈とした思いはどこにいけばいい。私は女ではないのか? 年老いたり、子供が産めぬならば、それだけで私の存在価値はないのか? なぜ夫の浮気相手を、私がまとめねばならぬ。なぜ良いようにされても、我慢しないといけぬ――」 
 
 同じ女として、彼女の悲しみに共感して、胸が痛む。

 確かに嫁いだ動機は復讐とか色々あっただろうけれど、それでも自分が虐げられるとは思わなかったはずだ。

 やり場のない思い――。
 
「あの女は、天下を取ったかのように傲慢に振るまい、女主人のようになって私を正妻の地位から引きずり落とそうとした。私の矜持は、彼女によって打ち砕かれた。そんな女が、お前の母親よ」

 美幸夫人が、朱羽の辛そうな眼差しを丸ごと受け止めた。

「そして私にこう言った」

――なに、その反抗的な目。そんなに私を追い出したいの? 主人面して? だったら、出ていってあげましょうか。私に1億出すか、私の子供を認知して跡継ぎにするか。

「1億……」

「あの女は、忍月の金を手に入れるために、当主やあのひとの弱みを握って脅していたようで、それに辟易していた当主が、ぼんと1億、手切れ金として渡した。子供は要らないから、出て行けと」

 その時は要らないと言われ、今は要ると言われている朱羽が可哀想だ。

「そう思ってなかったんだろう彼女は、渋々出ていったが、それで味をしめたのか、それ以降も金をせびり来た。しかし忍月の男達が、金を出さない強硬な姿勢を見せた時、あの女は、忍月に寄生するために子供を使おうとした。お前にエリートの道を歩ませ、そのまま忍月に入れようとした。1億も貰いながらも、がめつい女よ」

 あたしは朱羽が有名私立学校に進んでいたのを思い出す。

「しかし家には、お金がなかった! だから俺はバイトをして……」

 そうだ、朱羽は苦労していたのだ。

「渡した金は湯水のようにあの女が使った。しかしお前はいいところの学校に入れたのだろう? なぜあの女がその資金を貯めていたのか、そこに執念じみたものを感じたことはなかったのか? お前が行きたいのだと言っていたのか?」

「……っ」

「そして。その金で遊んだ暴力団絡みの男に薬を打たれ、あの女は壊れた」

「薬……」

「お前はあの女が男なしではいられない身体になっていたのを知っているのか? お前はあの女の狂ったような淫乱ぶりを知っていたのだろう? なぜそのようになったのかと、考えたことはなかったのか。生まれつきだと?」

「俺は……」

 泣きそうな朱羽の手をきゅっと握った。

 頑張れ、どんな真実が出ても、挫けるな。
 そう思いながら、手を握る。
 
「自業自得よ。あの女は働きもしない、お前を養おうともせず、親権を放棄していた堕落した女。自分がよければそれでいい、忍月は止めどなくわき出る金の泉だと軽んじた。金と男に狂ったあの女を、渉が精神病院に入れたな」

「はい」

 専務が頷く。

「あの女はお前達がいない間に、妊娠が発覚した」

「……妊娠?」

 朱羽が強張った声を出す。

「そうだ、お前の弟だ。誰の子かわからぬ、いいだけ麻薬漬になった母体に宿った子供よ。その設備がなされていなかったため、別の病院に転院した。なにも私が望んで移したわけではない。必要があったから移しただけだ。嫌いな女であろうと、私には出来ぬ子供がまた腹にいるのであれば、見殺しにも出来ぬだろう。あの女ひとりだけなら、放置させるが」

「しかし、母さんは食べるものを取り上げられて餓死したと……」

「妊娠ゆえか麻薬の後遺症ゆえか、強い幻覚に襲われたようで、食物に糞尿をかけて、朱羽の名前を呼んで顔になすりつけていたという。それを取り上げ、手足を拘束の上に食べ物を出せば、泣き騒いで拒食したため、母胎ともに重篤な状態になり、死んだそうだ」

「そんなこと、医者に聞いたこともなかった」

 専務が言うと、美幸さんは薄く笑った。

「当然。私が止めた」

「なぜ?」

「あの女は、自らをあのひとの正妻だと言い張り、あのひとに一番愛されている母子だと言った。いつもお金をくれて、子共を育てているのだと……それが許せなかった。たとえ狂っていて、幻覚が見せたものだとしても、あのひとが死んだ後、遺された女がそう思って口にして……過去を歪ませることが。だから死んだ事実だけを口にするように医師に言った。狂っておかしなことを言っていたことを、私は認めたくなかった」

 別に美幸夫人は、朱羽の母親を殺そうとしていたわけではなかったのか。

「当然に私には殺意があった。この屋敷でも、渉の母親が死んだ後、今度は成り上がりのあの女が出てきて、他の使用人達を扇動していたのだから。だがその殺意は形にしてはおらぬ。結果的には、死なせてしまったが、朱羽の弟が私の殺意が悪しきほうに行かぬよう、正してくれた」

 美幸夫人はあたし達を見た。

「殺意を抱くことは許されないことなのか? 殺意を抱いたから、私は朱羽の母親を殺したということになるのか?」
 
 なにも言えずにいる中、沙紀さんが毅然と言った。

「あなたが免罪符を得て、自分はまともだというのなら、なぜ渉と寝ていたんです。憎い女の子供と」

 美幸夫人は言った。

「渉は、私の性欲の捌け口だ」

 専務と沙紀さんの顔が歪んだ。

「私はただ耐えねばならぬのか? 私にも本能というものがある。子供が産めぬ身体は、性欲を宥めることもしてはならぬのか?」

 ああ、その考えは。

「……あなたは、忍月の考えに染まってしまったんです、美幸さん」

 あたしと同じ考えを、沙紀さんが悲しそうに言った。

「虐げることに対する正当性を主張することで、あなたも、まともな判断が出来ずに黙認していた旦那様や当主同様、正常と異常の境界線を越えてしまった。傷つけられる悲しみを知っているのに、渉を傷つけ苦しませることに、自分の擁護で正当化しようとしていただけのこと。自分がいいのだから、ひとになにをしてもいい……その考えは、忍月の人々となにが違いますか?」

 老女は同様に乱れた息をしている。

「それと、渉に手を出したというあなたの行為にどんな心理的な意味があるのか、あなたは気づいていないようですね」

 沙紀さんは冷ややかに言う。

「それは渉の父親の代理。あなたが求める夫が振り向いてくれないから、渉と寝たんでしょう? 渉は子供が欲しいなど言わない子供だから、あなたは渉より優位な"女"になれるから。自分は、"男"が反応する"女"であることを再確認したかったから」

「な……」

「もっとはっきり言いましょう。あなたは、子供ばかりであなたの"女"を必要としない旦那様を愛していた。あなたもまた、タエさんと同じひとを好きになってしまっていた」

 あたしは息を飲んだ。

「そ、そんなことは……」

「そうですか? 私にはさっきからあなたが、旦那様に正当に愛されたいと言っているだけのようにしか聞こえません。あのひととの子供が出来たからといって、あのひとの一番になるのを許したくない。自分は子供がいなくても愛されたい。……そんな風に」

――あの女は、自らをあのひとの正妻だと言い張り、あのひとに一番愛されている母子だと言った。いつもお金をくれて、子共を育てているのだと……それが許せなかった。

――私は子作りの道具としてしか見られていなかった。顔を合わせば子供子供……どれだけ私の心が傷ついたか、あやつはしらぬ。
 
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