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Final Moon 3
しおりを挟む~Wataru Side~
本家で育った俺が、本家を出てひとり暮らしを始めたのは、俺が辞令を受けてN.Yから戻った時だ。
朱羽は、俺の一人暮らしをしている姿しか知らない。
忍月本家の給仕達は、表面上おとなしいが腹の中は真っ黒な奴らばかりだ。なにより俺や弟達の母親が、メイドから愛人に収まって子供を産むパターンが多かったため、その恩恵に与(あずか)ろうとしているのが丸わかりだ。
ババアが闇に葬っていることを知らぬ女達は、呑気なものだ。
上が上なら下も下。
欲に腐りきっているのが、成り上がりの忍月本家だ。
男というのは、老齢の執事と庭師と下足番には居るが、口がきかねぇ耳が聞こえねぇそんな奴らばかりだ。これも情報漏洩防止とか、ジジイは笑ってぬかしやがったが、じゃあ女はなんなんだよ。
男に絶対服従するのが女だという、男尊女卑の精神にジジイは立っている。
俺もわかっている。
本来ならば俺が忍月の当主の座を継げばいいだけのこと。
朱羽が可愛いなら、カバが可愛いのなら、そして月代さんの会社を守るためなら、俺が一刻も早く忍月に入ればいい。
だけど、沙紀と会ってしまった。
沙紀を失いたくなくて。
本家では俺が選んだ庶民の沙紀を正妻にすることが叶わず、死と隣り合わせにしてしまう危険から、後継者になると言い出せない俺に、朱羽もカバも沙紀も、結城も衣里も三上も他社員も、向島も、名取川さんも矢島さんも、そして月代さんだって、一度もそうは言わなかった。俺を責めなかった。
朱羽のためなどといいながら、兄のくせに朱羽を助けてやれず、自分勝手な幸福だけを願うこの俺が、忍月の血特有の……狡猾で性悪な男だ。
それを誰もがわかっていながら、朱羽の手助けを望み、俺を慕って俺を信用してくれるのが、正直心苦しいほどに。
俺はなにも犠牲を出さずにいていいのか。
朱羽とカバだけに苦しみを与えて、それで本当にいいのか。
そう思っていた俺に、沙紀が泣きながら言った。
――私は、温室の花じゃない。陽菜ちゃんと同じ、踏みつけられてもなにをされても、愛する男を取り戻すためなら強くなれる。渉が傷ついているのを、私黙って見ていられない。
――渉は、朱羽くんを救うために渉しか出来ない方法があるでしょう。朱羽くんらは本家のことを知らないの。渉しかわからない。考えて。誰にも恐れられるその頭脳で、未来を読んで。私は、どの位置に居ればいい?
俺もまた、女は弱いものだと男が守らないといけないものという、そんな固定観念に囚われていたのかもしれない。
俺は、男として先に沙紀を忍月にやった。
特にババアに気に入られろと。
ババアはすぐ、身体の奉仕を求めてくるだろう。それを乗り切れと。
沙紀から意気揚々としたLINEが来た。
"寝技は私の得意技! クソババアは失神して朝までぐっすり(笑)"
柔道も空手も、とにかく武闘の種目は有段者の沙紀に、生温い環境で欲にまみれたババアが敵うはずがない。
その上に、沙紀は寝ているババアの耳元にずっと囁いていたそうだ。
"「私は吾川さんの激しすぎるセックスに、体力が持ちません」"
3日後あたりから、ババアに言われたそうだ。
――あなたのテクニック、素敵。また夜、部屋に来て。
……すまん、カバ。お前の催眠療法とやらの応用だ。
そのうちババアは、沙紀を見ただけで身体を濡らし始めるかもしれねぇな。人間の記憶や思い込みって、厄介なものだ。
まあ沙紀になにかあれば飛んで行くつもりだったが、もともと沙紀はタフだ。しかも劣等感のカタマリ。さらには沙紀をものにするまで、俺が職権乱用して散々セクハラパワハラをしてやったから、なにを言われても動じない。
見合いの時、ジジイはカバに揺れた。
だからカバがジジイを動かすことは出来るかもしれねぇ。
拒絶しか考えてなかった俺や朱羽達と、ジジイとの妥協案。
血が繋がる祖父と孫だから、わかりあえると……カバは言った。
本家で朱羽が俺に言った。
「渉さん……。もし義母と当主が丸くなり、会社も潰されず、陽菜や沙紀さんとの将来を見据えた付き合いをしてもいいという、そんな話になったらどうする?」
「なりたいのか、忍月の当主」
「ううん、俺にはそれまでの力がない。相応しいのは渉さんだと思ってる。俺には知識も経験も足りなすぎる」
確かにこいつは、社会に出たばかりだ。
「……もし渉さんが当主になるとして、沙紀さんが正妻に認められたとして、なにか厄介になるものはなに? 忍月の専務をまだやってたいの?」
「いや、別に忍月コーポレーションはどうでもいいな。俺があそこにいるのは、月代さんの会社を守りたいからだけだ。忍月コーポレーションに未練があるのなら、とっくにジジイの提案受けて社長になってる」
「……俺がなりたくないから、渉さんに押しつけているわけではないんだ。それだけは勘違いしないで。押しつけて終わる話だったら、とっくにしてる」
「ん」
「もしも、話合いがうまくいって、本家から美幸さんを追い出すなりなんなり出来たとして、当主が俺達の今の境遇に理解を示してくれたとして。もしも俺達が当主がしてきたこと、彼女がしてきたことを許せると思える日がくるとしたら。……渉さんが当主になって、さらに改革をしていくのがベストだと思う」
朱羽の眼差しはまっすぐだ。
「それは、すべての環境が渉さんの願うものになったらという前提の話だからね?」
フォローをいれるのは、俺が忍月が嫌いだということを知っているからだろう。
「今の保守派の当主なら忍月を変えられる力はない。だけど渉さんは違う。お世辞抜きにして、渉さんはトップを目指せるひとだと思うから。知識も経験もある。だてに、社長職を打診される専務をやっていない。……だけど俺は、すべてが不足している。俺が立つには、時期が早すぎるんだ」
「朱羽……お前……」
「渉さん。未来のことはどう変わるかわからない。だけど……俺の一案は、渉さんの当主の座を、いずれ俺が引き継ぐ。その時渉さんと沙紀さんに子供が出来ていたら、今度は俺が返してもいい。次期当主が育つまで、現当主は仕事を教えていく……そんな未来があってもいいと思うんだ。……俺と渉さんが、力を合わせて作る未来が」
「つまり今のワンマンな形ではなく、当主と次期当主が一体になって進めると?」
「そう、形式上は役があるけれどね。正直俺は肩書きがあろうとなかろうとどうでもいい。そんなものは気にしないタチだし。だけど俺は、シークレットムーンに籍をずっと置いて貰うけどね」
「はは、二足のわらじでやるつもりか? 財閥とシークレットムーンを」
朱羽は頷いた。
「駄目かな。結城さんのシークレットムーンは必ず大きくなる。そこと提携しながら、忍月を大きくしていくのは。そんな贅沢な夢は実現出来るとは思えない?」
「そんなこと、いつ考えてたんだ、お前」
「見合いの時。陽菜が当主に、拒絶ではなく迎合の道をというのを聞いて、思ったんだ。当主は俺達に引き継がせたい。その線を貫くとして、俺達にも出来ることはあるなと」
確かに、あの時カバが、理解しあえと言った言葉は俺もなにか心に突き刺さるものがあった。
親を亡くしたカバは、家族の断絶を望んではいない。
どうでもいい、親と祖父母ではあったが、カバに言われて小さくなっているジジイを見た時、ざまあと思う反面、同情が芽生えたのもまた事実。
どうでもいい血なのに、血が繋がるものを笑って見過ごすことが出来なかったのもまた事実。
俺は財閥を継ぎたくはないし、ジジイも大嫌いだ。
ババアはどうでもいいが、ジジイには……俺には、本当に小さい頃、笑って抱き上げてくれた思い出があったのを、その時ふっと思い出した。
消せぬ血の繋がりというものがあるのかもしれない。
生きている限り。
だとすれば。
朱羽の言うように、俺達にとって困った要素がない環境ならどうなんだ?
俺は考えた。
沙紀が居て、沙紀だけを妻に出来て。
今の本家の体制を変えて、ジジイをおとなしくさせてババアを追い出すことが出来たら。
俺は別に、忍月コーポレーションが好きなわけでもねぇけど、働きたい。仕事上の駆け引きや、競り合いが好きだ。規模を拡大できたら、興奮が止まらない。
俺と朱羽が居れば、海外にも手を広げられるかもしれねぇ。
忍月コーポレーションに朱羽が居た時に、ほんの僅か抱いた世界の夢が、実現できるかもしれねぇ。
「他の兄さん達がどう言うかはわからないけど」
「会社を潰されずにすむんだ。俺が恩を売って、あいつらなりに会社を大きくして借りを返して貰えば、世界の忍月財閥になれるな」
「ふふ、渉さん……いけない目をしてる」
「なんだよ、それ!」
「あはははは」
「中々面白い案じゃないか、朱羽。だけど俺がやるなら、どでかくするぞ。それをすべて背負いきれるか、お前。もしかして余裕なくして、カバに愛想つかされるんじゃ?」
すると朱羽は笑った。
「やだなあ、渉さん。俺はひとりではない。陽菜がいる。俺がどこにいても、陽菜と友達と仲間が、辛い時は助けてくれるから」
とても晴れやかで、爽やかな顔で。
「彼女は仕事が大好きなんだよ。俺が大好きな皆も、仕事が好きで。一緒に仕事が出来るのって、すごく楽しいと思わない?」
「はっはっは。お前かなりシークレットムーンに感化されたな。忍月コーポレーションに居た時のお前に、今の台詞は死んでも出てこねぇぞ」
「だろうね。俺の人格形成にも、シークレットムーンで働くことはプラスになると思う」
本気に考えてみようか。
沙紀を喪わずに、そして朱羽に引き継ぐことが出来るのなら。
沙紀とカバも仲がいいし、絶対あのババアのようになる奴らではない。
結城や衣里も、三上や木島も……身分や肩書きで姿を変える奴らじゃない。人間の本質を見て動く奴らばかりだ。
いいですかね、月代さん。
あなたの子供達を、俺も結城と共に面倒みることは。
その時、ノックの音がした。
「失礼します。ご挨拶にお伺いしました」
入って来たのは――。
「私、執事見習いの吾川と申します。お見知りおきを」
出したはずの沙紀が、唇に指をたてて言った。
なぜここに居る!
沙紀は、閉めたドアを嫌そうに指さす。
誰かがいると言っているのだろう。
「ああ、俺は長男の渉、こいつは四男の朱羽。よろしくな」
「よろしくお願いします、吾川さん」
沙紀は笑いながら、ポケットから封筒を取り出し、朱羽に渡した。
『朱羽へ』
カバからの手紙だとわかった途端の朱羽の顔!
カバに骨抜きだ、俺もひとのこと言えねぇけどよ。
「では、なにかございましたら、お申し付け下さいませ」
「え、行っちまうの?」
久しぶりに会えたのにつれない沙紀。割と本気でそう言うと、沙紀は唇に立てた人差し指をボンボンと、唇に叩いて見せた。
それは誘惑にしか見えねぇよ。
だから俺は、その指を外して代わりに俺の唇を押しつける。
ああ、こんなおとなしいのは駄目だ。
もっともっと、いつものどでかい奴を。
「――っ!! ――っ!!!」
慌てる沙紀が可愛くて、念入りに愛を込めてやる。
コンコンコン。
『吾川さん? ご挨拶はおすみかしら?』
これはクソババアの声だ。
おいこら、朱羽。
頭から花咲かせてねぇで、フォローしろよ!
足で朱羽の臑を蹴り飛ばすと、封筒を開けようとしていた朱羽は状況に気づいたようだ。
俺は沙紀に口づけたまま、うるせぇババアをおとなしくさせろと目で指示をする。
朱羽は今にも開きそうなドアに慌てて背をつけ、開かないように踏ん張っている。
「おっと、渉さん! 歓迎のプロレス技をかけないで下さい。ドアが、ドアが」
足でドアを蹴り飛ばす朱羽。
歓迎のプロレス技ってなんだよと思いつつ、深いキスを堪能した俺。
『なにをなさってるの?』
「技です技! 渉さん、プロレス大好きなんです! ああ、危ない!」
ひときわ大きく、ガツンと足で蹴り飛ばした。
『渉さん、渉さん! おやめなさい。渉さん!?』
「渉さん、早く!!」
あのクソババア、どれだけの力で俺の沙紀を奪うつもりよ。
そう思ったら、ぜぇぜぇと肩で息をする沙紀が、にっこり笑った。
そして――。
「殺す気かっ、ボケッ!!」
俺が投げ飛ばされた時、ドアが開いた。
「……吾川さん、大丈夫?」
「大丈夫です。私、激しいので!」
ぽっとするクソババアに、俺は笑いたいのを必死で堪えた。
『朱羽へ
専務と元気でいる?
連絡とれないの、凄く心配です。無事であるようにと、心から願ってます。
あたしは元気!
今朝は朱羽の夢、見たの。嬉しかった!
今日これから、名取川家にご当主が来ます。
うまくいくかわからないけれど、あたしは当主にもう一度お話してみます。
傷ついてもいいから、真心を込めて。
それが過ぎれば、明日会えるね。
監視役とか怖いけど、早くその場に行きたい。
朱羽に会いたい。
離れているの、3日だけなのに、すごく恋しいんだ。
すごく、すごく……。
朱羽が本当に好きです。
このまま離れて生きることはできません。
早く、朱羽を取り戻しにいきます。
追伸
シークレットムーンの皆が、名取川家に集まって話していたの。
もしも酷い祖父が改心して、怖い義母さんがなんとかなって。
あたしと朱羽の交際を認めて貰えたら。
朱羽と専務の因縁が、もしも薄れてくるようであるのなら。
やはり他の兄弟も当主になりたくないというのなら。
専務と朱羽のふたり体制で当主になるのどうかなって。
朱羽はシークレットムーンに通いながら、専務を補佐する形に。
専務が当主で朱羽が次期当主との形でもなんでもいい。
専務と朱羽の頭脳があれば、無敵だし。
今までの忍月財閥を変えられる。
あ、だけど朱羽はシークレットムーンと両方だよ?
シークレットムーンは朱羽にずっと居て貰います!
朱羽はシークレットムーンの朱羽だし、仮に財閥を継いでも、朱羽は変わらないとあたしは信じているから。変わらないような財閥を作って?
専務がシークレットムーンを救おうと、あたし達を指揮してくれたように、あたし達と朱羽、専務の関係は今まで通りで、あたし達は今まで通り会社を大きくしながら、今度は忍月財閥のお手伝いをするの。
あたし達、専務も大好きでね。さらに朱羽のためなら喜んで動くって。
感謝より実益の方がいいかなとか、皆で話してたんだよ。
忍月を拒絶するだけが道ではない。
お祖父様が考えてくれるのなら、双方が納得できる道を模索するのがベストのようにあたしには思うの。
拒絶は、話してみても駄目だった最後の時に。
どうだろう。
因習や慣習に囚われない、新たな財閥をお兄さんと築くというのは。
専務と朱羽の化学変化を、あたしは……あたし達は、見てみたい。
陽菜より』
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