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7:Blue Moon 1

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 ~Blue Moon~

 月の満ち欠けは、約29.5日を周期として繰り返される。そのため月の周期のずれにより、数年に1度、1ヶ月の中で1日と30日または2日と31日の組み合わせで2回の満月を含む=ブルームーンとなる。

 元々は「1季節3か月ごとに4回ある満月のうちの3度目の満月」とされていたが、現在では「ひと月のうち満月が2回来ること」の意味に定着しつつある。

 また、大気中の塵の影響により月が青く見える現象もブルームーンと呼ぶが、かなり稀でいつ起こるか予測できないとされている。

 

◆once in a blue moon

 極めて稀なこと、決してあり得ないこと





 ***


 夢を見た。

 あたしは高校時代の、赤いリボンをつけたセーラー服を着ている。

 通り過ぎる景色が、見慣れた正門、古ぼけた赤煉瓦の喫茶店、寂れた小さな社がある神社、遊具がない小さな公園、コンクリート塀で挟まれた緩やかな上り坂と移り変わるのは、高校から自宅に向かっているのだろう。

 やがて、自宅にほど近い三叉路にさしかかると、後ろから声をかけられた。

 学ランを着て自転車を漕ぐ、見慣れた顔の五人の男子生徒の集団だ。

「あれ、――は?」

 いつも中心にいるはずのあたしの彼氏がいない。

 集団は朗らかに言った。
 彼は後でうちに来ると。だからそれまで、うちに居ていいかと。

「勿論いいよ。でもチサはバイトで家に居ないよ? チサか――が戻って来たら、携帯に連絡しようか? それまでどこかで遊んでれば?」

 妹はかなりの美少女で、彼女目当てによく彼らはうちに集っていた。
 彼らはなぜかにやにやしながらあたしを見て、そして言った。

「――がさ、面白いゲームをしようって言うからさ。お前の家で遊ぶよ」

 彼らが口にしたのは、彼氏ではない名前。

「うちで? で、その――は?」

「ここで待ち合わせ。……ああ、来た来た」

 あたしは、――が苦手だった。

 同い年に思えない、昏く澱んだその瞳を見ていると、なにか危険な道を外してしまいそうな……そんな危うさがあるのだ。

 ――は、馬鹿で明るい彼氏とは違い廃れた感じがして、キレたら怖い……そんな危うさがある、典型的不良の厄介なタイプに思えたからだ。

 彼氏は友達だと言っているが、どうしても彼には彼氏に対して友情というものを感じなかったのだ。彼氏を見る目が冷ややかすぎて。

「おーい、――!! 意外に早かったな」

 皆が興奮気味にあたしの背後に手を振る。

 現れたのは……。


   ・
   ・
   ・
  
   ・


 目が覚めると――、

「よかった起きて。うなされてたよ、怖い夢でも見た?」

 朱羽が心配そうな顔であたしの前髪を掻き上げるようにして、頭を撫でていた。

 心配そうながらも、甘い甘い朱羽の顔が至近距離にある。

 あたしは腕というより、彼の胸に頭をつけ、彼の片手で胸に抱かれるようにして寝ていたようだ。

 朝の光が差し込んでいて、朱羽が朝霞に包まれぼんやりと見える。

 気怠げな朱羽の美貌。あたしに向けられるとろりとした目は眠いのか色気なのかよくわからない。

 どこか朱羽の線が霞んでいるように思えるのは、あたしもまだ微睡んでいるのか。

「あ……夢?」

 どちらが夢なのかわからなくて、軽く混乱してしまう。

 ここに朱羽と抱き合うようにして、ひとつの布団に入っていることか。
 それとも、思い出したくないと忌避して記憶に封印していた高校時代か。

「どんな夢?」

 頭を傾げるようにして、あたしの顔を覗き込む。

 ……どこか霞む朱羽が消えないように、あたしもまたじっと朱羽の顔を見つめると、綺麗な微笑みを向けられる。

「高校の頃の。今まで見たことなかったのに」

「……。故郷の土地に居て、俺に秘密を話したからかもしれないね」

 ああ、この眠たそうにも思える甘ったるい声も、身体に悪い。
 連鎖反応のように甘えたくなる。

「記憶……とも違うような。現在と混ざっている」

「え?」

「結城が若返って……学ラン着て出てきたの。ありえないけど、驚いて」

「結城さんが?」

「そう。あたしを罵倒した彼氏の友達で、あたしが苦手だった男で。しかも名前も違うというのに」

「なんて名前?」

「あ……わからないや。実際、元彼の友達は沢山居て、妹目当てでうちに来たのに、顔も思い出せない。多分……、結城があたしの同級生みたいなおかしなことを言ったから、そんな夢になったんだと思うけど……」

「……あなたのハジメテの相手って、その嫌な元彼?」

「あたしの……ハジメテ?」

 まっすぐな茶色い瞳に、不思議そうな顔をしたあたしが映る。

「……多分、そうだと思う。それ以前に、付き合った記憶がないから」

 朱羽は怪訝そうな顔を向けてくる。
 
「記憶、ないの? ハジメテの。セックスはしたんだろう?」

「元彼とした記憶がないの。だけど、満月のことがばれた時に、色々罵倒された内容が、セックスに関してだったから、多分……ハジメテでも、それ以降でも、あたしにとって元彼は記憶に残っちゃいけない存在なんだろうと思う。思い出したくないの、無性に。身体が震えて拒絶する。幸せな時もあったんだろうけれど、あたしにはそこに触れたいと思えないの」

「好き……だったの?」

「多分、ね。今となっては、それすらよくわからない。やっぱり、裏切られるってとっても辛いことだから」

 あたしは朱羽に縋るようにしがみつくと、朱羽の手が全裸のままのあたしの背中に回る。
 温かいから不意に不安になる。この温もりがいずれ消えちゃわないかと。

「朱羽は、満月のことを知っても傍にいてくれるよね? あいつみたいに、言いふらしたり気持ち悪いって……嫌いになって離れていかないよね?」

 朱羽の唇があたしの額に落ち、その手があたしの後頭部を撫でる。

「信じて、俺は離れないよ。あなたが仮に殺人鬼だったとしたも、俺がやめさせてあげる。だから満月のことは、逃げるのではなく、一緒に解決していこう。これからはいい思い出に塗り替えればいい」

「……うん」

 あたしの未来はどうなっているかわからない。

 だけどあたしが進むの道に、朱羽が傍に居てくれたのなら……、それだけでその未来は明かりが差し込んでいる気がする。

 ふっと朱羽が笑った。

「あなたを、九年前みたいに淫らにさせる満月問題が解決しても、あなたを全力で愛するのに手抜きはしないから、安心して」

「なっ」

 朱羽はあたしの顔を覗き込みながら、その目をゆっくりと細める。

「言っただろう、狂わせてあげるって。これからの方が大変だよ?」

「ちょ、朱羽……っ」

 Sだ、ドSだ!
 なんで発動しちゃうのよ。

「九年前の俺とは違うよ? 特に……美味しそうに舐めているあなたは、もうわかっていると思うけど」

「――朱羽っ」

 真っ赤になったあたしの頬を、親指で撫でながら朱羽は言う。

「なにを想像したの? 舌を絡めたキスのことだけど」

「!!!!」

「あはははは! いやらしいな、陽菜は」

「朱羽の方がいやらしいもん!」

 絶対わかってて、あたし引っかけたに違いない!
 
「そうだよ、知らなかった? 俺がいやらしいってこと」

「ひ、開き直った!」

「だってそういう風に俺に仕込んだのは、あなただろう? 九年前、なにも知らないいたいけな俺をホテルに連れ込んで、明け方まであなたは俺になにを教えていたかわかってる?」

「し、知らないっ!」

「知らない? じゃあ教えてあげようか? あなたが悦ぶ前戯での愛し方や奥深くまで繋げる方法。凄くいやらしい体位で繋がったよね」

 囁く声が、あたしの子宮を疼かせる。

 九年前、忘れていた記憶なのに、あの時の気持ちよさが身体に蘇るようだ。今は挿れて貰えない朱羽のを、あたしはねだって胎内に収めて、あまりの気持ちよさに悶えていたんだ。途中から主導権は奪われ、十五歳の朱羽にイカされ続けられていた。

「思い出した?」

 朱羽の手があたしの下腹部を優しく撫でる。

「ここの奥に俺のを挿れると、あなたは凄く悦んだよね? 子宮口を俺のでノックしたら、あなたはよがっていたよね。十五歳相手に。俺、うまくて激しかったんだっけ?」

「わ、忘れてよっ」

 足を摺り合わせたのを朱羽は見逃していなかった。

 あたしの足の間に自分の足を入れてくる。

 微妙にあいた隙間がもどかしい。

「やだね、忘れないよ俺は。九年後のセックス、楽しみだね」

「……っ」

「避妊具、ひと箱じゃたりなくなるね」

「朱羽っ!!」

 恥ずかしくて顔に手をあてると、その手をとられて握られる。
 そのまま上に上げると、朱羽は目を伏せ、繋げたあたしの手の甲に唇を押し当てた。

「な、なに!?」

「願掛け」

「願掛け?」

「そう。俺の我慢が報われますようにって」

「………」

「なにせあなたは、あれだけ俺に愛されてイッたのに、俺の腕の中で結城さんを夢に出すくらいだから」

 うっすらと開いた目は不機嫌そうに細められ、あたしを詰るようだ。
 
「出すって、勝手に出ただけで……」

「……俺があなたを愛したのに、まさかあなたは、結城さんに愛されていると思ってたんじゃないだろうね」

 どうして、このひとは。

「繋がりたいっていうのは、結城さんに言ってたんじゃないだろうね!?」

 結城に対して、ここまで嫉妬をするのだろう。

 あんなに男の顔で、あたしにいやらしいことをしてイカせたくせに、ブルームーンまでは繋げないって、あんなに苦しそうにしていたくせに、どうしてこんな甘えたの駄々っ子のような顔を見せるんだろう。

 胸が切なくなるほどに愛おしくて仕方がない。

 この気持ちに乗せて、朱羽が本当に好きだと言いたいけれど、朱羽がブルームーンまで我慢しようとしているのなら、あたしも我慢しよう。

 朱羽の気持ちも気になるけれど、だけどあたしはそれより、この心を伝えたい。

 好きで好きで、ずっとこうして離れたくないくらい、ひとつになって溶けてしまいたいくらい、こんなに好きになったのだと、こんなに朱羽の前では女でいるのだと……、伝えたい。

 枯れたあたしの心に朱羽が潤いをもたらした。

 満月ではないのにここまで渇望していることを、ブルームーンでうまく伝えられればいいけれど、快楽に走りそうで怖い。

 手紙を書いておこうかな。

 繋がれた勢いで生じた気持ちだと思われないために、繋がれなくても好きだということを、先に手紙に書いておこうかな。それでブルームーンの時に渡すの。

「ねぇ、陽菜。なんで否定するとどころか、そんな顔するんだよ」

 朱羽がむくれている。

 否定する……って、なんだっけ。

「なんで結城さんの話題で、そんな女の顔になるんだよ!」

「女……きゃっ」

 苛立ったらしい朱羽に強く抱きしめられた。
 また朱羽の匂いが強くなる。

「本当にあなたがいつもの意識あると、ロクなことないね。あなたが俺を求めるのは、いやらしくなっている時だけかよ」

 朝から甘い朱羽の匂いに、意識飛びそう。

「めちゃくちゃ腹立つ」

 なんて可愛いんだろう。
 こういう気持ちを、萌えるって言うんだろうか。

「……結城、嫌い?」

 何も答えがなく、ぎゅうぎゅぅあたしの身体を締め付けるように腕に力を入れる。その力の強さこそが、彼の嫉妬なんだろう。

「仲良くなれそうにない?」

「………」

「………」

「……仲良くして欲しいの?」

 ははは、むくれてるむくれてる。

「だって結城はとっても大好きな友達だもの。だったら朱羽にも好きになって貰いたい」

 返事がない。

「朱羽は、結城は嫌?」

「嫌じゃないけど……」

「でも、仕事では仲良くやってるよね? 嫌そうな顔、してないよね?」

「………」

「………」

「……、結城さんは……嫌いじゃないけど」

「けど?」

「……いつもあなたを、男の目で見てるから。あんな目で、いつも結城さんはあなたを抱いていると思えば」

「別に……いつも通りじゃない。別にそんな変な目なんて……」

「あなたがいつも通りだとしか感じないなら、あなたが結城さんの男の部分を許容しているということだ。あなたは満月と満月以外を区別していると言っていたけど、実際あなたは結城さんに対して友達じゃなくて女で。そう思ったら」

 朱羽は目をそらし、言い淀む。

「そう思ったら? 言って?」

「結城さんにとって、自分の役目を奪い、突然現れてあなたを抱こうとしている俺は……、大嫌いで殴り飛ばしたいと思うのに、結城さん……それを見せないから。大丈夫か、無理するなよとか、優しい言葉かけてくれるし。色々俺を和ませようと、面白い話もしてくれる。病室ですら、気を遣ってくれる」

「………」

「だから俺も、あのひとを憎めない。満月だけでもあなたが欲しいと、あなたを男として抱きたいと、そう言っている結城さんの気持ちも、俺……わかるから」

「………」

「結城さんはいい男だ。仕事も出来るし、人望もあるし。あなたも皆……全面的に信用している。それに比べたら、俺はいつもひとりで動いているから、他のひと達のことを気遣えない」

「朱羽、こっち見て」

 朱羽の顔に両手を添えた。

「結城が好きなんだね、朱羽は」

 朱羽の瞳が揺れた。

「朱羽が仕事頑張っているのは、あたしのためじゃない。結城のためでもあるんでしょう? ひとを気遣えないなら、倒れかかっている会社であんなに動いてくれないよ。朱羽は色々なひとを助けてくれた」

「………」
 
 あたしは少し息を吸い、吐くと同時に部下として言う。

「課長。課長は皆から頼りにされてますよ。あたしもそうだけど、結城も社長も残る全社員も、宮坂専務も沙紀さんも。実際課長は、何度も会社の危機を救いました。今回もそうです。それなのに、結城より仕事が出来ない、人望がないなんて言わないで。それは思い違いです。それに結城はあなたを嫌っていない。それはあいつの口から聞いたし、何年も友達をしていたのだから、それくらいわかります。結城はあなたになら背中を向けられる。それくらいの信頼を寄せている」

「……陽菜……」

「あたしは部下として、上司のあなたを尊敬しています。仲間として同僚として、心底頼りにしてます。ひとりの男として……あなたはあたしの中の女を目覚めさせた。あなたがあたしを可愛いというのなら、そうした顔を見せるのはあなたの前だけ。結城じゃない」

「陽菜……」

「この続きは、ブルームーンで言わせてね」

 潤んで揺れる瞳。

 視線が、熱く絡み合う。

 どらからということはなく、自然と唇が重なり、舌を絡め合うとふたりから甘い声が漏れる。

 互いを弄るように絡め合い、言葉の代わりにあたしは朱羽を求める。

 部屋に差し込む朝の光が、はだけた朱羽の背中を照らし出す。

「朝、だね」

 朱羽が笑って唇を離す。

「朝、だね」

 あたしも笑いながら、朱羽を見上げる。

「三日目の夜は、俺と一緒だよ?」

「……うん」

 ちゃんと結城に言おう。

 あたしは朱羽が好きだと。だから結城の気持ちに応えることが出来ないと。結城は言ったから。

 満月のことを朱羽が受け入れてからじゃないと、話し合わないと。

 結城なら、きっとわかってくれる――。

「嵐は……止んだようだね。これならあなたの家の探索もできる」


 ……待ち受けるものがなにか知らずに。

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