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  Waning Moon 5

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 ~Wataru Side~


 会議が終わった。

 議題は、向島の動きとシークレットムーンの今後について。

 ビルに救急車が止まって、月代さんを乗せた担架が運ばれたんだ。当然のようにうちの上役達は事情をご存知で、俺と反目している副社長が、月代さんが目を覚めてもいないのに、そんな会議をやると言い出した。

 結果は、日々の俺の手回しの方が早かったようで、ムーン買収の話を俺が持ち出した時に、頭ごなしに反対していた……俺の反対勢力の副社長一派を、今日のところはなんとか凌ぐことが出来た。

 時間の問題、俺の力の問題。

 今後攻め立てられても、シークレットムーンが劇的に変わらないと俺の力が及ばなくなる。
 維持の説得性がなくなる。

 朱羽から連絡を貰った時、俺は車で外に出ていたところで、そのまま東大付属病院に直行した。

 お前の方が大丈夫かよと思った……今にも倒れそうな真っ青な顔のカバを見ていると、朱羽がぶっ倒れた昔を思い出した。間近で朱羽が倒れる様を見ていた俺も、あんな様子だったのかもしれない。

 今まで生きていた人間から命が喪われる……その瞬間に立ち会うのが、人間にとって一番の恐怖だと思う。

 俺だってアメリカで心臓発作を起こして蹲る朱羽を見るのに、慣れることはなかった。

 医者や看護師を本気で尊敬するよ。

 東大付属病院は、泌尿器科で有名なところで、その噂を知っていた俺は、昔、男性器が不調と零していた月代さんに紹介してみた。

 東大付属病院には、死んだ親父がかかっていて、それである程度のことなら知っていたからだ。

 その結果、がんだの手術だの言われた時は驚いたけれど、転移はないとがんは落ち着いたと、そう明るく話していたというのに。

 月代さんの容態が気になって仕方がない。

 無理をさせてしまったことを悔やむ。

――月代さん、お願いがあるんです。どうかムーンをうちに下さい。俺が守りますから!

 守るなんて口だけだ。

 経営がそこまで悪くなかったムーンに、向島で揺らがせてしまったのは俺のせいだ。

 ……向島が競合する事業の和解案として、何度も欲しがった朱羽を、俺が渡さずにムーンに入れたから。

 向島の専務と俺は大学の同期で、仲が良かったのに今は――。
 
――こんなこと頼めるの、月代さんしかいないんです。他の奴に朱羽の……はさせたくない。俺のために、どうか引き受けて頂けませんか!? この通りです!

 朱羽のために、俺は尊敬する月代さんを病気にさせたようなものだ。

 余命宣告を聞くことになろうとは――。

――……プールで社長に言われたんです。もしも自分になにかあった場合は、結城に後を継がせろと。衣里を泣かせるなと。……言われたのに、長くはないと。
 
 俺は専務室の壁をがんがんと殴って、殴った腕に頭をつけた。

 ちくしょう、泣けてくる。



 午後十時――。

 遣わせた沙紀から連絡がない。

 沙紀は強い。弱い人間を底辺から引っ張り上げる力がある。

 あれだけ派手に泣いていたカバや衣里、そして結城の力になれればと行かせたけれど、大丈夫だろうか。

 沙紀と朱羽があの三人を支えてくれればと思うのだが……。


 俺はスマホの画面を出し、まずは沙紀に電話をかけた。

『はいは~い』

「沙紀か、俺だ。そっちになにか変わったことは?」

『部長はまだ目を覚まさないわ。結城くんと衣里ちゃんが部長から離れないから、今朱羽くんと陽菜ちゃんが無理矢理につれて、ソファとゲストルームのベッドに横にさせたわ』

「そうか。医者はなにか?」

『炎症の状態は、若干だけど良くなってきたみたいだから、とりあえずは人工呼吸器の危機は免れたわ。意識戻るの、時間の問題だって言ってた』

「よくなっているのならよかった。……仕事の帰りにすまないな」

『いいのよ、私だって気になる……ちょっと、それ私のよ!!』

「どうした?」

『今、病院内のコンビニに来て飲み物を買おうとして……はあああ!?』

「おい、沙紀?」

『だから、その一本しかないジュースは私が買うの! 先に私が手を出したじゃないの、なんで無理矢理持って行くのよ! 女相手に遠慮もない……子供じゃないから大人に従わなくたっていいじゃ……私28歳の大人なんだからこの時間起きててもいいでしょう!? 疑うなら私の免許見なさいよ、ほらほら!』

「沙紀!」

 誰かと喋っているらしい。

 低い男の声が聞こえてくるが、内容までは聞き取れない。
 
『はあああ!? なにその理屈! 世界はあなた中心で回ってないわ! 医者の俺様なんて、最悪!! ……こんなところで医者が、エロ本なんて買わないでよ!! いらないわよ、プレゼントされても困る……学習ってなによ失礼ね!!』

「………」

『童顔貧乳で悪かったわね! ひとが気にしていることを……どうして顔だけが取り柄の男って、こんなに残念なのかしら! ええ、しみじみ感じるわ! あなたも女にだらしないんでしょ! いかにも女をとって食いそうな肉食獣みたいな感じだものね、私に近寄ったら投げ飛ばすからね! はあああ!? 肉弾戦!? いいわよ、タイマン受けて立とうじゃないの! 外出なっ!!』

 ぶちっ。

「おい、沙紀……。大丈夫かよ……」

 俺は通話の切れたスマホを眺めて、ため息をついた。

 だけどまあ、医者が相手なら強いのはいないだろう。ヤクザとか族あがりなんて、いるわけないだろうし。

 可哀想にな、相手の医者。

 俺なんて、両思いになるまでに何度飛ばされたことか。

「まあ病院だし、相手医者だし、思い切り沙紀が投げ飛ばしたとしても、命には別状ないだろう」

 俺はスマホで朱羽を呼び出した。

「もしもし、大丈夫か?」

『はい、なんとか落ち着いてます』

「月代さんに貼り付いていたふたり組は、ちゃんと身体を横にしてるか?」

『すぐ起きてくるので、今鹿沼さんが結城さんをつれて、真下さんのいるゲストルームに閉じこもってます。説教しているみたいで、俺が社長のところについてます。沙紀さんは……』

「ああ、コンビニだろ。さっき話した。……はは。強いカバが居てよかったな。……どうだ、羨ましいだろう。苦楽を共にした同期っての。お前はいつもひとりだものな」

『……はい。正直なところ、羨ましい超えて妬けます』

「はは。もっと心を広く持てよ」

『……』

「朱羽、ため込むな。なんだ、なにがひっかかる?」

 YESもNOも言えない時、朱羽は大抵自分の中でため込む時だ。
 それを出してやるのが、俺の務めだと思っている。

 何年も一緒に暮らして、カバめがけてお前が立ち直っていく様を見てきたんだ、誤魔化せると思うなよ。 

『……俺の元では彼女、笑おうとして絶対泣かなくなりました。逆にふたりの元で泣いている。それが、俺には歯がゆくて……。俺、彼女に気を遣わせるだけで役に立ってないと思ったら、なにも出来ない自分が……嫌だな、と。彼女を包める、大人に……なりたい……』

 ああ本当にこいつ、なんでこんなに可愛いんだろう。どんな顔してこんなこと言ってるんだよ、俺照れてきちまったじゃねぇか。

 カバよ、お前は貴重な場面を見逃しているぞ。

「逆に言えば、お前にだけは気丈に振る舞っているということは、お前は結城と違うんだろうさ。ポジティブに行け」

『……はい』

 なにやら沈みがちの朱羽の声に、俺はくすりと笑った。

「なんだ、まだなにかあるか?」

『……彼女だけではなく、結城さんも真下さんも可哀想で。どれだけ社長を慕っていたか、わかるから』

「うん」

『俺もあの社長好きです。会社に入る前に、俺言われたんです』

 "鹿沼と結城と真下とタッグを組めば、面白い世界が見れるぞ"

『結城さんと組んで仕事が面白いと思えました。だから変わりゆく会社を、社長に見て貰いたいです』

「……お前がそんなことを吐露するの珍しいな。感化されたか、元気なカバ達同期に。……恋愛以外に、感情が出てきたか」

『かもしれません。俺があの輪に呼ばれないのが、寂しい……そう思います』

「ふふ、少しずつ、変わって行けよ朱羽。じゃないと、俺が無理してムーンを呼び寄せた意味がなくなる」

『……はい、渉さんと社長には感謝してます』
 
「俺の代わりに社長を頼む。なにかあれば真夜中でもいつでもいいから、電話を寄越せよ」

『はい、わかり……もう、朱羽くん聞いてよっ!!』

 沙紀が帰ってきたようだ。

『あの医者強いったらありゃしない! この私が、引き分けなんて~!』

 そうか、沙紀と引き分けだったのか。

『悔しいことに、あいつタバコくわえたまま全く本気出してなかったの。それなのに、私勝てなかったの! 朱羽くん、スマホなんていいから』

 ぶちっ。

 ……まあいいさ。沙紀に相手にされてなくても、あの医者の方がお気に入りだとしても……よくないだろう、それは!!

 俺は、いずれ沙紀と結婚する。

 朱羽に、好きな奴から愛される喜びというものを与えてやりたい。世界が変わること、俺は沙紀によって知ったから。


 ……カバ、決して「同情」で結城を選ぶなよ。

 同情は愛じゃねぇんだぞ?

 俺は、お前が自然に朱羽を目で追うようになった、お前の心を信じたい――。
 
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