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二章
記憶
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当たり前だが、マッチもライターもないのだから、火をおこすにも時間がかかる。やり方も原始的で、乾いた平たい木に、枝をキリのようにして煙が出るまで擦る。燃え滓を木の皮を細かく裂いたものに移して、優しく息を吹きかけると、たちまち火があがった。
「──すごい!! すごいすごい!!」
「そんな褒められることでも……」
火起こしを直に見るのは初めてで、興奮してはしゃぐ葵に、テツは呆れたように言いながらも、その頬はほんのりと染まっていた。
枝をくべてさらに火を大きくすると、たちまち洞窟の中は暖かく快適になっていく。火があるというだけで、身も心も癒され、とても安心できた。
***
「やっぱ、この方が落ち着く」
洗った着物をその火に当てて乾かすと、二人はようやく元通りの身なりに戻った。
「そうか? 俺は何でもいいけど」
「まあ、おかげで助かったけど……」
「なんなら素っ裸だって気にしないぞ」
「さすがに通報するわ」
冗談か本気か、テツは快活に笑っている。水波盛の男は基本的に大雑把なのだろうか。テツとリンが極端なだけかもしれないが、ワイルドすぎるのも考えものだ。けれど、そんな二人に助けられてばかりなのも事実。
葵自身、ずっと身の内に引っかかるものがあった。
(足でまといは、自分だ)
二人は決して口にしないが、最初から気付いていた。ここに来るまでの間、葵は何もしていない。ただ、ついて歩いていただけ。
自分が生きるために逃げ出したというのに、助けてもらわなければ何もできない。
リンは、「何でも利用しろ」と言ったが、なかなかそんなふうには割り切れない。
「火の起こし方を教えてください!!」
葵が土下座すると、テツは不思議そうに首を傾げた。
「……いいけど、別にわざわざ覚えなくたっていいんだぞ?」
「それじゃあダメなの!! ずっと二人にやってもらってばかりだし、私だって役に立ちたい」
「たってるよ」
「全然たってない!!」
気休めの言葉は、今は逆に辛い。
自分もなにか役に立ちたい。でなければ、増していく無力感に押し潰されそうだった。
そんな葵の真剣な眼差しを受けながらも、テツは「ほんとだって」と笑った。
「葵が地下に来なかったら、俺はあそこ出られなかったし、リンだって今頃どうなってたか……。お前は一晩で二人の運命を変えちまったんだぞ。十分すげーだろ」
「それは死にたくなかったから、自分の為だったわけで……」
「じゃあなんであいつも一緒に連れてきたんだよ?」
「それは……」
テツが真面目な顔をしたので、葵は少し緊張した。もともとテツはリンを連れてくることには反対だったのに、それを無理やり押しきったのだ。
口には出さなくとも不満に思っているのかもしれない、と葵は不安になる。
「だって、あのままじゃあんまりだし……」
遠慮気味に答えると、突然テツが吹き出した。予想に反して笑うテツに呆気にとられる。
「お前って、お人好しだよな」
身に覚えのない葵はきょとんとする。
「ふつう自分を殺そうって奴、助けるかよ」
「……怒ってる?」
「いいや」
覗き込むように顔色を伺うと、テツは怒るどころか清々しく微笑った。
「お前のそういうところ、好きだ」
葵は口ごもってしまった。どう返していいか、わからなかったのだ。
ずっと、なるべく目立たずに生きてきたおかげか、学校では大きなトラブルもなかったし、クラスメイトにも嫌われるということはなかった。だが、好かれることもなかった。
〝どこにでもいる〟〝気付けばいる〟
それが他人から見た葵の印象だった。内気な葵に興味を持つ人などいない。葵自身もそれで良かった。
けれど、心のどこかでは誰かに好かれたかった。「好きだと言われてみたかったのだ。一番は養父母にだが、その願いは叶わないだろうと諦めていた。
そんなにも欲しかった言葉なのに、いざ言われてみると、脳みそが追いつかないせいで実感がわかない。礼のひとつくらい言わなくては、と思うのに、それすら喉の奥でつっかえて出てこなかった。ただ、テツのように、素直に気持ちを口にできることを羨ましく感じた。
テツはそんな葵の態度を気にすることもなく、火を絶やさないように乾いた木をくべた。
「雪花もそうしてたと思う」
テツは火をぼんやりと眺めたままで、まるでそこに映像でも見えているかのようだ。
「優しい奴なんだ、ものすごく」
その横顔は笑みを浮かべているものの、漂う哀愁を隠しきれてはいない。
「雪花だけじゃない。巫女はみんなそうだ。まっ先に犠牲になろうとする。そういうふうに仕込まれるんだ。赤ん坊の時から……」
「──教育……?」
本殿で何度か聞いた言葉だ。
テツは小さくうなずいた。
「けど、誰だって死ぬのは怖い。まだ生きたいに決まってるのに、そんな当たり前のことも言えない。その些細な願いすら許されない。我慢して、みんなのためになるのが嬉しいって笑うんだ」
「そんなの、ほとんど〝洗脳〟じゃない」
葵は愕然とした。
とてもじゃないが、そんな気持ちにはなれない。だが、物心がつく前からそう教え込まれていたらどうだろうか。
そう考えるとゾッとした。
「犠牲の上に成り立っている水波盛が嫌いだ。それに縋る奴らはもっと嫌だ」
テツが持っていた枝を火の中に放り投げると、その勢いで火の粉が上がった。
顔をあげたテツからは、いつもの笑顔が消えていた。
「──俺はそうはならない」
その言葉には悲壮感に似たものがあるが、葵はなぜか救いのように感じた。
ようやく火から視線を外したテツは、至極真剣な眼で葵を見つめた。
「いいか、絶対巫女だって知られちゃダメだ!! 病人がいても、視憶を使うんじゃないぞ!!」
「う、うん……。でも、病気と視憶、どう関係があるの?」
なんだ知らなかったのか、とテツは目を丸くした。
「視憶は、罪を映し出すって教わった。罪悪感とか後悔とか、とにかく、そいつが負い目を感じていることだって……」
「罪……」
心当たりがあった。
葵が視たのは、養父の不倫、ナナは隠れて信人と付き合っていることだった。
二人とも、罪悪感はあったということなのか。
「病の原因が穢れなら、視憶すれば治る。けど、取り払った穢れは消えてなくなるわけじゃない。視憶した巫女が罪を共有することで肩代わりしただけだ」
「じゃあ、穢れっていうのは、完全にはなくならないの?」
「ああ。巫女は普通の人よりも穢れが発症しにくいんだ。だから消えてなくなったと勘違いする奴も中にはいる。でもそれは間違いだ。人から人へ移しただけ。穢れを多く背負えば、巫女だって病気になる。そうなったら……」
その続きは聞かずともわかった。
(──最後はあの穴に落とされる。〝浄化〟と称して……)
結局、水巫女というのは、利用されるだけされて殺される運命なのだ。
「それで雪花を逃がそうとしたの?」
「ちょっと違う」
葵は首を傾げた。
「雪花は逃げるつもりはなかったんだ。何度も説得しようとしたんだけど……」
あいつ全然聞いてくれなくってさ、と苦しげに笑った。
葵は無意識に、テツの手を包み込むように両手で握った。そうした方がテツの為になるような気がしたのだ。ひょっとしたら、巫女としての本能のようなものなのかもしれない。
テツはそれには無反応のまま言葉を紡いだ。
「だったらせめて、なにか願いはないのかって言ったら──」
-----------------------------
『ないよ、そんなの。だって、私が……、巫女という存在がみんなの〝願い〟なんだから』
木々が生い茂る丘の上から村を眺めながら、巫女の装いの少女が言った。おかっぱの黒髪を両サイドで綺麗に結わえていて、顔を動かす度に結い紐の飾りが揺れるが、振り向かないから後ろ姿しか見られない。
「お前にだって叶えたい願いくらいあるだろ? 巫女だからとか、関係なく」
『そんなこと言ってるから、いつも神王様に叱られるんだよ』
「い、いいだろそんなことは!!」
恥ずかしげに言う声はまだ声変わりもしていない、少年のものだ。少女は袖を口に添え、くすくすと笑った。まだ年端もゆかないというのに、その仕草はやけに大人びている。
『夢ならあるよ』
「夢?」
葵は心が弾んだ。
少女の胸の内に秘めた想いを聞くのは初めてだったのだ。そんな少年の心と同調している。
『今すぐ叶わなくたっていいの。あの世でも、来世でもいい──いつか、私の家族に逢いたいな』
「なら、行こう!!」
寂しげな声に、たまらず少年が提案した。
「雪花の親に、会いに行こう!!」
『できないよ。私は災蝕を止めなくちゃ。でないと、国だけじゃない──。この国のどこかにいる父上や母上、妹だって死んじゃうかもしれない』
「──なら!! ちょっと抜け出して、親に逢えたら戻ればいい!!」
え、と小さな声をもらして、雪花は顔をあげた。その小さな胸に、希望が浮かんだのが見て取れた。
しかし、葵にはわかった。少年は戻る気がないことに。親に逢えたら、巫女としての役割を捨ててくれるかもしれない、と考えていた。あわよくば、そのまま両親と逃げて欲しいと……。
「居場所は調べればわかるんだから、探す時間もいらない。真っ直ぐ行って、帰ってくればいい。俺が護衛するから!!」
『そんなことしたら、規則違反で罰が──』
「わかってる。戻ったら、罰もちゃんと受ける!! 大丈夫、たいしたことないさ!!」
『だ、だめだよ!! そんなこと、させられない……!!』
「いいんだ!!」
少年は、雪花の肩を掴むと、向き合った。
「このまま儀式を迎えたら、俺、ぜったいに一生後悔する。これは俺の為でもあるんだ!!」
それは本心だった。初めて口にした夢を叶えてやりたい。そして、できることなら雪花の命を絶つことはしたくない。
だがこれは、この少年の優しさであり、弱さでもある。
『ほんっと、神子様らしくないんだから』
呆れたように言ったあと、少女は嬉しそうに微笑った。
『──ありがとう、リン』
-----------------------------
「──お姉ちゃん……」
葵はその少女を知っている。
本殿で、巫女の間に入る前に見かけた女の子。その顔は、幼い頃の葵にそっくりだった。
(ずっと、本殿に居たんだ……!!)
血を分けた姉は、ずっと見守っていてくれていたのだ。
そしてあの夜、テツに引き合わせてくれた。
「──視憶、使うなって言ったそばから破るなよ」
「ご、ごめん……」
テツは呆れたような、でも少し安心しているように、苦笑いした。
「……逢えたか?」
「私の子供の頃にそっくりだった」
「そっか、よかったな」
「──うん!!」
葵が満面の笑みで頷くと、テツはどこか恥ずかしそうに微笑った。
しかし、葵には気になることがあった。
「でも、どうして握手した時は視えなかったんだろう?」
それは地下牢でテツに出会った時のこと。手を組むことになって握手した時には何も視えなかったのだ。
「そりゃあ巫女を拒んだり、心を閉ざしていたら視えるもんも視えないだろ」
「えっ? 私、拒まれてたの!?」
「俺じゃなくて、葵が拒んでたんだ。俺のことを」
「あー……」
否定できなかった。半裸で顔は仮面に隠された状態で牢屋に閉じ込められていた男だ。それに対面早々、あんな脅され方をされたら警戒する。
「で、でも、道中手を貸してもらったりもしたよ?」
「あの時は俺もお前も気が逸れてたからな。視られる側も巫女に心を開かなきゃならない」
しかもけっこう恥ずかしいんだぞ、とテツは頬をかいた。
確かに、胸の内を見せるのは勇気のいることだ。血が繋がっていたとしてもなかなかできることじゃない。葵は未だにそれができない。
(それなのに、この人は見せてくれたんだ)
テツは葵に向き直ると、真剣な眼差しで忠告した。
「とにかく、もう絶対に使っちゃだめだからな」
「わ、わかった」
テツの忠告を素直に聞き入れる。葵としても、他人の記憶を覗くようなことはしたくないし、病に侵されるのも避けたい。
けれど、ひとつわかったことがある。
(養父とナナは、ちゃんと心を開いていてくれてたんだ)
だから二人が抱える罪が、葵に視えてしまったのだ。だが、大好きな人の全てを見た途端、拒絶してしまった。
人と向き合うというのは、難しいことだ。
(あの時は無理だった。でも今は……)
養父母と話がしたいと思っている。
ナナにも伝えたいことがある。
死ぬ気になれば何でもできると言うが、葵の場合はそれが叶うかどうかはわからない。
葵が密かに自嘲したことに、テツは触れなかった。
「──すごい!! すごいすごい!!」
「そんな褒められることでも……」
火起こしを直に見るのは初めてで、興奮してはしゃぐ葵に、テツは呆れたように言いながらも、その頬はほんのりと染まっていた。
枝をくべてさらに火を大きくすると、たちまち洞窟の中は暖かく快適になっていく。火があるというだけで、身も心も癒され、とても安心できた。
***
「やっぱ、この方が落ち着く」
洗った着物をその火に当てて乾かすと、二人はようやく元通りの身なりに戻った。
「そうか? 俺は何でもいいけど」
「まあ、おかげで助かったけど……」
「なんなら素っ裸だって気にしないぞ」
「さすがに通報するわ」
冗談か本気か、テツは快活に笑っている。水波盛の男は基本的に大雑把なのだろうか。テツとリンが極端なだけかもしれないが、ワイルドすぎるのも考えものだ。けれど、そんな二人に助けられてばかりなのも事実。
葵自身、ずっと身の内に引っかかるものがあった。
(足でまといは、自分だ)
二人は決して口にしないが、最初から気付いていた。ここに来るまでの間、葵は何もしていない。ただ、ついて歩いていただけ。
自分が生きるために逃げ出したというのに、助けてもらわなければ何もできない。
リンは、「何でも利用しろ」と言ったが、なかなかそんなふうには割り切れない。
「火の起こし方を教えてください!!」
葵が土下座すると、テツは不思議そうに首を傾げた。
「……いいけど、別にわざわざ覚えなくたっていいんだぞ?」
「それじゃあダメなの!! ずっと二人にやってもらってばかりだし、私だって役に立ちたい」
「たってるよ」
「全然たってない!!」
気休めの言葉は、今は逆に辛い。
自分もなにか役に立ちたい。でなければ、増していく無力感に押し潰されそうだった。
そんな葵の真剣な眼差しを受けながらも、テツは「ほんとだって」と笑った。
「葵が地下に来なかったら、俺はあそこ出られなかったし、リンだって今頃どうなってたか……。お前は一晩で二人の運命を変えちまったんだぞ。十分すげーだろ」
「それは死にたくなかったから、自分の為だったわけで……」
「じゃあなんであいつも一緒に連れてきたんだよ?」
「それは……」
テツが真面目な顔をしたので、葵は少し緊張した。もともとテツはリンを連れてくることには反対だったのに、それを無理やり押しきったのだ。
口には出さなくとも不満に思っているのかもしれない、と葵は不安になる。
「だって、あのままじゃあんまりだし……」
遠慮気味に答えると、突然テツが吹き出した。予想に反して笑うテツに呆気にとられる。
「お前って、お人好しだよな」
身に覚えのない葵はきょとんとする。
「ふつう自分を殺そうって奴、助けるかよ」
「……怒ってる?」
「いいや」
覗き込むように顔色を伺うと、テツは怒るどころか清々しく微笑った。
「お前のそういうところ、好きだ」
葵は口ごもってしまった。どう返していいか、わからなかったのだ。
ずっと、なるべく目立たずに生きてきたおかげか、学校では大きなトラブルもなかったし、クラスメイトにも嫌われるということはなかった。だが、好かれることもなかった。
〝どこにでもいる〟〝気付けばいる〟
それが他人から見た葵の印象だった。内気な葵に興味を持つ人などいない。葵自身もそれで良かった。
けれど、心のどこかでは誰かに好かれたかった。「好きだと言われてみたかったのだ。一番は養父母にだが、その願いは叶わないだろうと諦めていた。
そんなにも欲しかった言葉なのに、いざ言われてみると、脳みそが追いつかないせいで実感がわかない。礼のひとつくらい言わなくては、と思うのに、それすら喉の奥でつっかえて出てこなかった。ただ、テツのように、素直に気持ちを口にできることを羨ましく感じた。
テツはそんな葵の態度を気にすることもなく、火を絶やさないように乾いた木をくべた。
「雪花もそうしてたと思う」
テツは火をぼんやりと眺めたままで、まるでそこに映像でも見えているかのようだ。
「優しい奴なんだ、ものすごく」
その横顔は笑みを浮かべているものの、漂う哀愁を隠しきれてはいない。
「雪花だけじゃない。巫女はみんなそうだ。まっ先に犠牲になろうとする。そういうふうに仕込まれるんだ。赤ん坊の時から……」
「──教育……?」
本殿で何度か聞いた言葉だ。
テツは小さくうなずいた。
「けど、誰だって死ぬのは怖い。まだ生きたいに決まってるのに、そんな当たり前のことも言えない。その些細な願いすら許されない。我慢して、みんなのためになるのが嬉しいって笑うんだ」
「そんなの、ほとんど〝洗脳〟じゃない」
葵は愕然とした。
とてもじゃないが、そんな気持ちにはなれない。だが、物心がつく前からそう教え込まれていたらどうだろうか。
そう考えるとゾッとした。
「犠牲の上に成り立っている水波盛が嫌いだ。それに縋る奴らはもっと嫌だ」
テツが持っていた枝を火の中に放り投げると、その勢いで火の粉が上がった。
顔をあげたテツからは、いつもの笑顔が消えていた。
「──俺はそうはならない」
その言葉には悲壮感に似たものがあるが、葵はなぜか救いのように感じた。
ようやく火から視線を外したテツは、至極真剣な眼で葵を見つめた。
「いいか、絶対巫女だって知られちゃダメだ!! 病人がいても、視憶を使うんじゃないぞ!!」
「う、うん……。でも、病気と視憶、どう関係があるの?」
なんだ知らなかったのか、とテツは目を丸くした。
「視憶は、罪を映し出すって教わった。罪悪感とか後悔とか、とにかく、そいつが負い目を感じていることだって……」
「罪……」
心当たりがあった。
葵が視たのは、養父の不倫、ナナは隠れて信人と付き合っていることだった。
二人とも、罪悪感はあったということなのか。
「病の原因が穢れなら、視憶すれば治る。けど、取り払った穢れは消えてなくなるわけじゃない。視憶した巫女が罪を共有することで肩代わりしただけだ」
「じゃあ、穢れっていうのは、完全にはなくならないの?」
「ああ。巫女は普通の人よりも穢れが発症しにくいんだ。だから消えてなくなったと勘違いする奴も中にはいる。でもそれは間違いだ。人から人へ移しただけ。穢れを多く背負えば、巫女だって病気になる。そうなったら……」
その続きは聞かずともわかった。
(──最後はあの穴に落とされる。〝浄化〟と称して……)
結局、水巫女というのは、利用されるだけされて殺される運命なのだ。
「それで雪花を逃がそうとしたの?」
「ちょっと違う」
葵は首を傾げた。
「雪花は逃げるつもりはなかったんだ。何度も説得しようとしたんだけど……」
あいつ全然聞いてくれなくってさ、と苦しげに笑った。
葵は無意識に、テツの手を包み込むように両手で握った。そうした方がテツの為になるような気がしたのだ。ひょっとしたら、巫女としての本能のようなものなのかもしれない。
テツはそれには無反応のまま言葉を紡いだ。
「だったらせめて、なにか願いはないのかって言ったら──」
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『ないよ、そんなの。だって、私が……、巫女という存在がみんなの〝願い〟なんだから』
木々が生い茂る丘の上から村を眺めながら、巫女の装いの少女が言った。おかっぱの黒髪を両サイドで綺麗に結わえていて、顔を動かす度に結い紐の飾りが揺れるが、振り向かないから後ろ姿しか見られない。
「お前にだって叶えたい願いくらいあるだろ? 巫女だからとか、関係なく」
『そんなこと言ってるから、いつも神王様に叱られるんだよ』
「い、いいだろそんなことは!!」
恥ずかしげに言う声はまだ声変わりもしていない、少年のものだ。少女は袖を口に添え、くすくすと笑った。まだ年端もゆかないというのに、その仕草はやけに大人びている。
『夢ならあるよ』
「夢?」
葵は心が弾んだ。
少女の胸の内に秘めた想いを聞くのは初めてだったのだ。そんな少年の心と同調している。
『今すぐ叶わなくたっていいの。あの世でも、来世でもいい──いつか、私の家族に逢いたいな』
「なら、行こう!!」
寂しげな声に、たまらず少年が提案した。
「雪花の親に、会いに行こう!!」
『できないよ。私は災蝕を止めなくちゃ。でないと、国だけじゃない──。この国のどこかにいる父上や母上、妹だって死んじゃうかもしれない』
「──なら!! ちょっと抜け出して、親に逢えたら戻ればいい!!」
え、と小さな声をもらして、雪花は顔をあげた。その小さな胸に、希望が浮かんだのが見て取れた。
しかし、葵にはわかった。少年は戻る気がないことに。親に逢えたら、巫女としての役割を捨ててくれるかもしれない、と考えていた。あわよくば、そのまま両親と逃げて欲しいと……。
「居場所は調べればわかるんだから、探す時間もいらない。真っ直ぐ行って、帰ってくればいい。俺が護衛するから!!」
『そんなことしたら、規則違反で罰が──』
「わかってる。戻ったら、罰もちゃんと受ける!! 大丈夫、たいしたことないさ!!」
『だ、だめだよ!! そんなこと、させられない……!!』
「いいんだ!!」
少年は、雪花の肩を掴むと、向き合った。
「このまま儀式を迎えたら、俺、ぜったいに一生後悔する。これは俺の為でもあるんだ!!」
それは本心だった。初めて口にした夢を叶えてやりたい。そして、できることなら雪花の命を絶つことはしたくない。
だがこれは、この少年の優しさであり、弱さでもある。
『ほんっと、神子様らしくないんだから』
呆れたように言ったあと、少女は嬉しそうに微笑った。
『──ありがとう、リン』
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「──お姉ちゃん……」
葵はその少女を知っている。
本殿で、巫女の間に入る前に見かけた女の子。その顔は、幼い頃の葵にそっくりだった。
(ずっと、本殿に居たんだ……!!)
血を分けた姉は、ずっと見守っていてくれていたのだ。
そしてあの夜、テツに引き合わせてくれた。
「──視憶、使うなって言ったそばから破るなよ」
「ご、ごめん……」
テツは呆れたような、でも少し安心しているように、苦笑いした。
「……逢えたか?」
「私の子供の頃にそっくりだった」
「そっか、よかったな」
「──うん!!」
葵が満面の笑みで頷くと、テツはどこか恥ずかしそうに微笑った。
しかし、葵には気になることがあった。
「でも、どうして握手した時は視えなかったんだろう?」
それは地下牢でテツに出会った時のこと。手を組むことになって握手した時には何も視えなかったのだ。
「そりゃあ巫女を拒んだり、心を閉ざしていたら視えるもんも視えないだろ」
「えっ? 私、拒まれてたの!?」
「俺じゃなくて、葵が拒んでたんだ。俺のことを」
「あー……」
否定できなかった。半裸で顔は仮面に隠された状態で牢屋に閉じ込められていた男だ。それに対面早々、あんな脅され方をされたら警戒する。
「で、でも、道中手を貸してもらったりもしたよ?」
「あの時は俺もお前も気が逸れてたからな。視られる側も巫女に心を開かなきゃならない」
しかもけっこう恥ずかしいんだぞ、とテツは頬をかいた。
確かに、胸の内を見せるのは勇気のいることだ。血が繋がっていたとしてもなかなかできることじゃない。葵は未だにそれができない。
(それなのに、この人は見せてくれたんだ)
テツは葵に向き直ると、真剣な眼差しで忠告した。
「とにかく、もう絶対に使っちゃだめだからな」
「わ、わかった」
テツの忠告を素直に聞き入れる。葵としても、他人の記憶を覗くようなことはしたくないし、病に侵されるのも避けたい。
けれど、ひとつわかったことがある。
(養父とナナは、ちゃんと心を開いていてくれてたんだ)
だから二人が抱える罪が、葵に視えてしまったのだ。だが、大好きな人の全てを見た途端、拒絶してしまった。
人と向き合うというのは、難しいことだ。
(あの時は無理だった。でも今は……)
養父母と話がしたいと思っている。
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