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刹那編

第二十一話 朧げな記憶

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 いつも通り下界を満喫した刹那は、数日ぶりに領域へ帰って来た。
 玄関の引き戸を開けようとした時、刹那は違和感を覚えて庭先の方に視線を向ける。

「あいつら、いないのか……?」

 今は昼の時間帯。
 いつもこの時間は、夕凪が紫雨に稽古をつけているはずだが、庭からは竹刀を撃ち合う音と威勢の良い声が聞こえない。

「座学に変更したのか?」

 そう思いながら、刹那は玄関に足を踏み入れ、引き戸を閉めた。
 靴を脱ぎ、板張りの廊下を歩き出した時、右方から声が聞こえた。

「い、――え……」

「――しな――いいよ」

 この声は、夕凪と紫雨だ。
 どうやら夕凪の部屋から聞こえる。

「やっぱ変更したんだな……」

 いつも通り紫雨は、夕凪から座学を受けていると思った刹那。
 このまま夕凪の部屋を通り過ぎて、自分の部屋に向かおうとする。

「刹那は……知っているんですか?」

 夕凪の部屋を通り過ぎようとした時、紫雨の口から自分の名前が出て来て、刹那は足を止めた。

(オレ? 何の話をしているんだ……?)

 話の内容が気になった刹那はふすまの前に立ち、聞き耳を立てる。

「刹那には近いうちに話すつもりだよ。いずれこうなると思っていたから……」

 話の途中だからか、刹那は会話の内容が理解できずにいた。

 ――毒龍どくりゅうの魂、夕凪の使命。

 聞き取れたこの言葉に何を意味しているのか、刹那は思考を巡らす。
 そこで、夕凪の口から衝撃の言葉が発せられる。

「……いずれ毒龍に魂を喰われて、もう死んだのも同然……たたがみになる」

 ドクン、と刹那の心臓に脈を打つ。

(……は?)

 夕凪の口から発せられた宣告に、刹那は驚愕きょうがくして固まった。
 一体どういうことなのか、刹那は二人がいる襖に手を掛けようとした時、ガタン! と大きな音がした。
 次に紫雨の声が聞こえた。

「……夕凪さんが抱えている気持ちは理解しています。でも……俺は夕凪さんに死んでほしくない。たとえ許されないことをしたとしても……俺は夕凪さんと一緒にいたいんです」

 必死に訴える紫雨の言葉に、刹那は襖に添えていた手を離す。
 今ここで横入りするべきではないと思ったのだ。
 刹那は再び夕凪と紫雨の会話に聞き耳を立てる。

「最初はそこら辺を這っている蛇と大差変わらなかったのにさ。だんだん対話する度、龍に進化していくのは驚いたよ。前までは自力で抑えることはできたけど、もう対話だけじゃ鎮めることができなくなった……」

 自嘲に話す夕凪の一つ一つの言葉に、刹那は全てではないが、話の内容が半分見えてきた。
 理由は不明だが、夕凪の身に毒龍という呪いに等しい魂が棲んでいること。

 その毒龍に自身の霊力を吸収され、夕凪は霊力を生産する力を出せなくなった。
 夕凪は領域を出て、視界に入った人間と妖怪を攫って霊力の原動力となる生き血を喰らっていた。

 そして、夕凪がどういうつもりかわからないが、自分と紫雨の縁を切ろうとしていることがわかった。

(意味わかんねぇ……)

 夕凪の『縁を切る』という判断に、刹那は納得できずにいた。
 そこで、夕凪は言いたいことを言い終えたのか会話が止まる。
 だが、紫雨は終わらせまいと次々と言葉を発する。

「復讐のために感情を押し殺しているのなら、俺と刹那は生き餌として利用価値があるはずです。夕凪さん……俺と刹那の縁を切るのも……心のどこかで巻き込みたくないと思っているんじゃないですか?」

 紫雨の推測に、刹那はハッと顔を上げる。

(何だよそれ……もし紫雨の言う通りなら……――)

 すると、刹那の脳裏にぶれた映像が流れる。
 それは若い女性が小さい子供の手を引き、納屋なやに隠れさせる光景だった。

(何だ……この感じ……)

 映像が流れたその時、刹那の中で恐怖と不安が湧き上がる。

「また……いなくなってしまう」

 呟いた独り言に、刹那は怪訝けげんになる。

(また? 何だよ……またって?)

 自分が発した言葉なのに言っている意味がわからず、刹那は混乱する。
 そんな中、襖の向こうでドサッと重い物の倒れる音が聞こえ、刹那の意識が逸れる。

「……随分と口が達者になったね……紫雨」

「そうさせたのは、あなたですよ……」

 雰囲気からして、夕凪と紫雨が口論しているようだ。
 刹那はそっと襖を少し開け、中の様子を伺う。
 襖の向こうでは、夕凪が紫雨の上で馬乗りになり、首を押さえつけていたのだ。

(おいおい……流石にヤバいぞ)

 ここで止めないとまずいと判断し、刹那は襖を開けようとする。
 しかし、刹那の不安は杞憂きゆうで終わった。

「どうせもう縁を切るわけですから、夕凪さんは何も罪悪感を感じなくていいんですよ」

「本当は怖いくせに……僕と出会う前は今のような目に遭っていたのに……」

「あなただからいいんです……これで少しでも助けになれるなら、俺はそれでいいんです」

 紫雨の思いがけない言葉に、夕凪は動揺して震える。

「何で……拒絶しないんだよ……」

 夕凪の目からとめどなく涙があふれ、泣き顔を隠すように紫雨から離れる。
 紫雨はそれを見て、夕凪の背中に両腕を回して抱き寄せた。
 まるで幼子をあやすように、紫雨は虚脱状態になっている夕凪に言葉を掛ける。

「俺は夕凪さんに協力する覚悟はできています。だから……夕凪さんが俺を守ってくれたように、俺も夕凪さんを守らせてください」

「ははっ……本気かよ」

 紫雨の言葉で破顔する夕凪を見て、刹那は自分たちと縁を切るのを思い直したのだと感じた。
 刹那は二人に気づかれないようにきびすを返し、夕凪の部屋から離れた。

(オレは……)

 あの感じからして、近いうちに夕凪は自身のことを刹那に打ち明けるだろう。
 刹那は湧き上がる緊張をき消すように、口の中に飴を放り込むのだった。


  ✿ ✿ ✿


「ぐ……ぐぅ……」

 男が腹を押さえて、刹那の目の前でうずくまる。
 やがて、凍りついたように動かなくなると、刹那は爪先で男の体を軽く蹴る。

「やっと大人しくなったか……」

 刹那は気を失った男の首を持ち上げると、皮膚に牙を突き立てた。
 口からのどにかけて、男の命の源である原動力が体に流れ込んでくるのを感じる。
 やがて体内は満たされ、刹那は男の首から牙を引き抜く。

「……まじぃな。薬でもやってんのか?」

 刹那は忌々いまいましそうに、口内に残った血をぺっと吐き出す。
 夕凪が自身のことを打ち明けられた日から、刹那は下界を頻繁ひんぱんに出入りすることが多くなった。

 刹那は夕凪の全てを聞いて驚愕はしたが、否定や拒絶することもなく彼に協力する道を選んだ。
 そして、道中で衝突した男と喧嘩した後、生き血の採取を繰り返している。

「帰るか……」

 刹那は上着のポケットに手を入れた時、あることを思い出した。

「あー……くそっ。飴ねぇんだった」

 いつも持ち歩いている飴の入った巾着袋を落としてしまったのだ。
 刹那は探してはみたが見つからず、飴を食べられない日が続いていた。

「口直ししてぇのに……」

 刹那は口寂しさを紛らわすように親指の爪を噛むのだった。


  ✿ ✿ ✿


 領域に辿り着いた刹那は玄関の引き戸を開ける。

(早く風呂に入るか……)

 皮膚や髪にこびりついた血を洗い流そうと、刹那は風呂場に向かう。
 板張りの廊下を直進したところで、見知った人物と出くわす。

「あ、刹那。帰ってたんだ」

 紫雨だった。
 数日間領域を空けていた刹那に会うのは久しぶりで、紫雨は驚いた顔をする。
 が、刹那の衣服に返り血が付着していることに気づき、不快に眉を寄せる。

「また喧嘩……よく飽きないね。見た感じ、強引に血を摂取したみたいだね」

「あ? テメェも同じことをしてるだろ」

「俺は相手の同意を得て血を摂取してるんだよ。というか……今のやり方続けていると、下界を歩けなくなるよ」

「暗示で記憶をぼかしてるからいいんだよ」

「普通の人間は騙せても、陰陽師ならそうはいかないよ。甘く見てると、そのうち足をすくわれるよ」

「……いちいちうるせぇな」

 これ以上、小言を聞きたくなく、刹那は紫雨を無視して横を通り過ぎる。
 紫雨は呆れるようにハァと溜め息を吐くが、不意に何かを思い出したかのように振り向いた。

「あ、そうそう。これ、見つけといたよ」

 紫雨は懐から取り出した物を刹那に投げ渡す。
 振り返った刹那は、投げ渡された物を見事にキャッチした。
 手の中には、刹那が探していた飴の入った巾着袋があった。

「おい。これ、どこにあったんだ?」

「交番に届いてたんだよ。名前は知らないけど、女子高生が拾ってくれたみたいだよ」

「ふーん……」

「感謝しなよ。届けてくれた子と俺に」

「お前な……」

 刹那はかったるそうに紫雨に近づくと、彼にヘッドロックをかました。

「ほんっと、生意気な口利くようになったな! 引き籠ってた時の方がかわいく思えるわ!」

「む、昔の話しないでよ! てか、痛い!」

 あれから幾年が経過し、夕凪のメンタルケアのお陰で紫雨は自傷行為をしなくなり、顔色も良くなっていた。
 紫雨は夕凪と行動を共にしてから、おどおどしていた態度がはきはきと物を言うようになり、いつも下を向いていた顔が真っ直ぐ前向きになったのだ。

「先輩であるオレを敬えよな!」

 刹那は言いながら、紫雨を乱暴に放す。

「後輩をイビる先輩なんか敬えるわけないだろ!」

「イビってねぇ、躾だ」

 刹那は紫雨に構う気をなくしたのか、風呂場に繋がる廊下を歩いて行く。

「おい」

 急に刹那は立ち止まり、「ほらよ」と唐突に上着のポケットから取り出した物を空中に投げる。

「おっと」

 投げ出された物が紫雨の手の中に届く。
 刹那は受け取ったのを確認すると、何も言わずに再び廊下を歩き出す。

「お礼のつもりなのかねぇ……」

 紫雨の手の中に包装された飴が転がっていた。
 それを見て、紫雨はふっと微苦笑を浮かべるのだった。
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