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第三章 連続通り魔事件

第六話 様々な感情

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「……ん」

 窓から朝日が差し込み、沙希は目を覚ます。
 視線で辺りを見回すと、何の変哲へんてつもない自室が視界に入る。
 いつもの日常の始まりに、沙希は昨日のことが現実味を感じられず、夢だと認識してしまう。

(ん……?    何かくすぐったい……)

 フサフサとした感触が頬を撫で、さらに沙希の覚醒を早めたようだ。
 ゆっくりと敷布団から上半身を起こし、ぼんやりとした目で隣に視線を向けた。

「ん⁉︎」

 唐突に視界から飛び込んできたものに、沙希は驚きで固まってしまった。
 視線で『それ』を観察すると、通常の大きさを超えるほどの黒い狼が沙希の隣で寝息を立てていたのだ。

「え、え? 子犬って……一晩でこんなに成長するんだっけ……?」

 突然の状況で沙希の頭の中はぐちゃぐちゃになり、思考が追いつかなかった。
 混乱する沙希の心情を知らず、黒狼は目を覚まし、むくりと体を起こした。

 同じ姿勢で萎縮した筋肉を伸ばそうと前足を伸ばし、背中をらせていた。
 黒狼は大きい欠伸あくびを零してから、呆然とする沙希に目をやる。

「何変な顔をしてんだ?」

 口から出た黒狼の聞き覚えのある声に、沙希は瞬時に昨日の出来事が現実だと突きつけられる。

「え? もしかして……風夜?」

「ああ、四足獣姿しそくじゅうすがたは初めてだったな」

「何でいるの……?」

「あの後気を失ったお前を運んでやったんだぞ……というか、まだ寝ぼけているな。昨日のこともう忘れたのかよ」

「忘れてない……死ぬかと思ったんだから。いきなり十メートル以上の大蛇だいじゃの退治をさせられるし」

 不服な表情をする沙希に、風夜は謝罪のつもりなのか、自分の頭をぎゅっと彼女の腹に押し付ける。

「悪かったよ……。何はともあれ、結果的に立派な陰陽師の役目は果たせたんだからさ。もっと喜べよ」

(喜ぶべきなのか……?)

 半ば強引で陰陽師にされた風夜に対し、多少怒りを覚えたが、冷静に考えると万事解決になったことは理解した。

「夢だったらよかったのに……」

 沙希はボフッと起こした体を敷布団に沈ませた。


  ✿ ✿ ✿


 沙希は昨日のことを考えながら、学校への道を歩いている。

「…………」

 沙希は右手首に付けているリストバンドを下げる。
 神器を手にしてから、沙希の右手首に五芒星ごぼうせい刺青いれずみが刻まれていた。
 それを見て、沙希は自分が陰陽師になったのだと実感する。

「ハァ……自覚したくないけど、本当に私、陰陽師になっちゃったんだね……」

「沙希! おっはよ!」

「わ!」

 突然背中を叩かれ、沙希は小さく飛び跳ねる。

「そんなに驚くことないでしょう」

「あ、莉央。おはよう」

「どうしたの? ぼーっとしてたけど」

「あー……昨日遅くに寝ちゃったからさ」

「ゲームでもやってたの? ちゃんと睡眠取んないとダメだぞ」

「あはは、はーい」

 沙希はリストバンドをそっと上げ、刻印を隠した。


  ✿ ✿ ✿


 午前の授業が終わると、授業で静寂せいじゃくに包まれていた教室は、一斉に生徒たちの賑やかな声で雰囲気が変わる。
 待ちに待った昼休みが訪れ、生徒たちはそれぞれ自分なりの時間を過ごしている。

「沙希。あたし、職員室にノート届けるから、隆と先に食堂に行ってて」

 莉央の机の上には、四時限目の日本史で生徒たちが書いたノートの束がまとめてある。
 日本史係である莉央は授業が終了したら、集めたノートを職員室に持っていくことになっていた。

「わかった……って、量多くない? 半分持つよ」

「いいっていいって。これはあたしの担当なんだから」

 そう言うと、莉央はノートの束を腕の中に移動させる。

「じゃあ、また食堂でね」と沙希に言った後、軽々と教室を出て行った。

 薄い冊とはいえ、一人一人のクラスメイト分はそれなりの重量なのだが、莉央は苦にした様子もなかった。

(すごいな……運動部だからかな)

 そう感心しつつ、沙希は財布を手に教室を出たのだった。


  ✿ ✿ ✿


 二組の教室に行ってみると、授業が体育だったのか教室は少数の生徒しかいなく、まだ更衣室にいるのか隆の姿はない。
 それなら、先に食堂で席を取って待とうと考えた。

「!」

「うおっ!」

 角を曲がろうとした時、沙希は走って来た男子生徒とぶつかってしまった。

「チッ……ぶねぇな」

 彼は吃驚きっきょうする沙希をにらみつけると、不機嫌そうに舌打ちをする。

(何この人、感じ悪っ……)

 いきなりぶつかってきて謝りもせず、まさか悪態をつかれるとは思ってもみなかった沙希。
 一気に嫌な気分になり、沙希は早くその場から立ち去ろうとする。

「おい、待てよ」

 そのまま食堂まで向かおうとする沙希の前をさえぎるように、先ほどぶつかった男子生徒が立ち塞がっていた。

「ぶつかっておいて、ごめんもなしかよ」

(はぁ?)

 彼の発言に沙希は呆れて言葉も出なかった。
 先にぶつかってきたのは彼の方だから、沙希が謝罪する筋合いはない。
 納得がいかないと顔が出たのか、彼は眉間みけんしわを深くさせる。

(あ……これはヤバいかも)

 改めて彼の上履きの色を見ると、二年生だということを知った。
 よく見ると、独特に制服を乱しており、髪を染め、耳にピアスを開けてある。
 いかにも不良だ。

「…………」

 彼の威圧感に、これ以上逆らうような態度を取ったら何をされるかわからない。
 不本意だが、身の危険を感じた沙希は、ここは諦めて謝罪することにした。

「あ、いた!」

 謝罪を口にしようとした時、突然割り込んだ声に沙希はハッと顔を上げる。
 振り返ると、廊下の奥から莉央がこちらに走って来るのが見えた。

「お待たせ! 早く食堂行こう!」

「わ! ちょっと!」

 莉央は有無を言わさず勢いで、沙希の腕を引っ張る。

「おいコラ! 待てよ!」

 突然の状況に間抜けな顔をしていた彼は、立ち去る沙希と莉央を見て我に返り、大声で怒鳴る。
 莉央は沙希の腕を引っ張ったまま彼の怒号を無視し、廊下を前進しようとする。
 その態度に彼は逆上すると、二人の前を遮るようにまた立ち塞がる。

「あの、通れないんですけど」

「通れないようにしてんだよ。俺に言うこと無しで立ち去るつもりかよ」

「は? アンタに言うことなんか何もないんだけど」

「ちょ……」

 この不穏な空気に、沙希は険悪な顔つきをする二人を交互に見る。
 莉央は一旦沙希から手を離すと、守るように背後に隠す。

「お前一年だろ。先輩に向かって何生意気な口利いてんだよ」

「アンタみたいな傍若無人な奴を先輩って呼べるわけないし、ただ学年が上ってだけで偉そうにするなよ」

 莉央は怯む様子もなく、饒舌じょうぜつは止まらない。

「な……!」

「そんなに先輩って呼んで欲しいんなら、あたしら後輩に尊敬できるように出直して来いよ」

 そう言って、莉央は悪そうな笑みを浮かべる。

「テ、テメェ……!」

 彼の拳が強く握られる。
 明らかに女子相手の莉央に殴り掛かりそうだ。

「おい、何をしている!」

 彼の背後を通り越した先に、教員が沙希たちの方へ駆け走って来るのが見えた。
 近くにいた生徒が呼んだのか、教員は彼に向かって険しい顔を向けている。

「! うわっ、ヤッベェ!」

 危機を感じた彼は、沙希と莉央を置いて一目散に逃げて行った。
 教員も二人の脇を通り抜け、そのまま彼を追い掛けて行った。

「…………」

 短い間があった。
 それを最初に打ち破ったのは莉央だった。

「沙希、早く食堂行こう。昼休みが終わっちゃう」

「え?」

 莉央は何事もなかったかのように、食堂へ続く廊下を歩き始めた。
 先ほどのことで戸惑いが残っているため、沙希は慌てて莉央の背中を追う。

「今日は何にしようかなー。Aランチは昨日食べたから、Bランチにしよっかな」

「莉央」

「んー?」

「さっきはありがとう。私が言えなかったことをズバッと言ってくれて。すごいスカッとした!」

「いいって、アタシが嫌だっただけだから。それより、沙希は大丈夫だった?」

「私より莉央だよ。さっきの人かなりの不良みたいだったし、また絡まれることになったらヤバいよ」

「あんなの兄貴と比べたらどうってことないよ。仮にあの場でアタシが殴られたら、倍で殴り返していたから」

 得意な笑みで拳を見せる莉央に、沙希は呆れるように息を吐く。

「もう……また無茶言う。莉央は女の子なんだから、怪我をする真似だけは絶対にしないでよ」

「はいはーい!」

「…………」

 沙希は悠々と歩く莉央の背中を見て、自分は守られてばかりだな……と感じた。
 助けてくれたのは勿論嬉しかったが、逆に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
 ふと小学生の時の記憶を思い出す。

 沙希にってたかっていじめる男子たちに、莉央は男子相手に体張って守ってくれたことがあった。
 男子たちと喧嘩した後、泣きながら何度も謝る沙希に、莉央は肌に傷を負っても屈託くったくのない笑顔で「あたしが許せなかっただけだから、沙希は何も悪くない」と言った。

 だけど、そんな強くてどんなことでも怯まない莉央を沙希は誇らしく思った。
 今度は自分が誰かを守れる人間になりたいと思うようになったのだ。

「莉央」

 声を掛けると、背を向けていた莉央が振り返る。

「ん、何?」

「もし、莉央にピンチなことがったら、今度は私が助けるからね」

 こうして面と向かって言うのは照れくさかったが、沙希は素直に自分の気持ちを述べた。

「ありがとう。気持ちだけ受け取っておくよ」

「あ、今の絶対信じてないっしょ?」

「ははっ。って……それより早く食堂行こうよ! 食べる時間なくなっちゃう!」

「うん!」

 普段通りに莉央と談笑をしながら、沙希はありふれた昼休みを過ごすのだった。
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