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第二章 迫り来る影
第五話 初戦闘
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「そういやお前。初対面の俺に竹刀でぶん殴ろうとしていたよな」
日本刀と沙希の組み合わせに、風夜は朝の出来事を思い出すよう呟く。
「だって、朝起きて知らない人がいたら、誰だってパニックになるよ」
「普通、真っ先で警察に連絡するだろ。まあ、今はこんな話関係ないか……竹刀を持っているってことは、お前、ヤンキーやってたのか?」
「やっとらんわ! 部活よ、剣道部。私を一体どんな奴だと思ってるんだ?」
「お前なら、ありえると思ってな」
わざとらしくニヤリと笑う風夜。
「そうなったら、世界中竹刀持っている人は皆ヤンキーじゃない。こう見えても私、中学の時に試合で勝ったことあるのよ」
沙希が自信満々に言うと、風夜は重い腰を上げる。
「じゃあ、その実力があるなら大丈夫だな。早速行くか」
「どこに?」
「今持っていた神器で鬼神を狩るんだ。神器を持っているからには、お前は完全な陰陽師だ」
「え? えぇー!! 無理無理!! 絶対無理!!」
沙希は首と空いた手で必死に振る。
「この世の災いから守る陰陽師。かっこいいじゃん」
「だから、私に陰陽師は無理だって! 私はどこにでもいる普通の女子高生だし、そんないきなり、ヒーローみたいなポジションできっこないよ!」
「さっきから無理無理うるせぇな。とっとと行くぞ」
「うぁ!」
風夜は片腕を沙希の腰に回すと、ひょいっと持ち上げ、肩に担いだ。
そして、そのまま玄関に向かう。
「ちょっと、風夜! 降ろして! どこに連れて行くつもりよ!?」
沙希は風夜の背中をボカボカと叩くが、硬く引き締まっている背中はびくともしない。
風夜は沙希の攻撃に微動だにせず、黙って外へ出る。
「嫌だああぁ……!」
ドアが閉まる直前、誰もいないマンションの自室で沙希の声が空しく響いた。
✿ ✿ ✿
「ねぇ、ここって……」
風夜に連れて来られた場所は町の端にある森の中だった。
もうすっかり日も暮れて、辺りは暗かった。
(何だろう……この感じ)
沙希はこの森に入ったことはないが、周囲は冬でもないのに何故か木に茂っている緑の葉が薄茶色に変色して枯れていた。
「ここも枯れてる……」
沙希は何気なく足元に落ちている小枝を拾う。
「あ……」
拾い上げただけなのに、小枝は灰みたいにボロボロに崩れていった。
「もうここにも手が回っていたか……」
風夜は険しい表情で親指の爪を噛んだ。
「そう言えば、風夜。何でお酒なんか買ってきたの?」
この森に来る途中、風夜はコンビニに寄って酒を買ってきた。
風夜が酒を持ってレジに並んでいた時、店員は疑うような目で風夜を見ていたことを沙希は思い出す。
「未成年者は販売できないのに、よく店員さん誤魔化せたね……」
そう言うと、風夜は「あー……」と言った。
「あの店員に、俺が二十歳越えた青年に見えるように幻術掛けたんだ」
「うわ……それ詐欺でしょ」
「人間界の法律が厳しすぎるんだよ。俺の故郷の聖域は、十五歳で飲酒解禁だぜ」
「へぇー……ん?」
サラッとした発言に沙希は風夜の顔を見る。
風夜は見た目の年齢からして、幼さを残した中学生ではなく、それよりも年嵩だ。
「てことは……風夜はもう成人しているってこと!?」
「ああ」
風夜は当たり前のように頷く。
「あ……そうなんだ」
あまりにも衝撃なことに、沙希は風夜と手に持っている酒を交互に見てしまう。
「まさか、そのお酒……風夜が飲むの?」
「飲まねぇよ。これは武器として買ったんだ。ここだったら、人もあんま来ねぇし。思う存分、奴と戦えるな」
「奴って?」
「俺の気を送ったから、後数秒したら来る」
「え?」
――ずるり
どこからか引き摺るような重たい音がした。
そして、次第にその音が大きくなると、二人のいる場所が揺れ始めた。
「わ! 地震!」
「来たか」
「ひっ……!」
前方の木から赤く光る両眼が現れ、沙希は血の気が引いた。
木々から見える黒いシルエットは、引き摺るように沙希たちに近づいて来る。
そして、雲に隠れていた月が顔を出し、月光で黒いシルエットの輪郭をはっきりとさせる。
サアアアアアァァ!
(で……でっかぁ――‼︎)
そこに現れたのは、何十メートルほどの巨大な黒い大蛇が吼え声を上げた。
ぬめりとした黒い鱗、すぐにでも沙希たちを丸呑みしてしまうような大きな口。
真っ赤な両眼を細めて沙希たちを見下ろしている。
「ついに現れたか。……つうか、前よりでかくなってるな」
「風夜……。まさか、風夜の言っていた、鬼神って……」
「こいつだ」
風夜は即答で言った。
「えぇー‼︎」
「とっとと終わらせるぞ」
「あんなの無理ぃ――‼︎」
沙希はくるりと背を向け、一目散に逃げ出す。
「おい、陰陽師が逃げてどうすんだよ!」
風夜は逃げる沙希の腕を掴む。
「放してよ、風夜! あの差はもう結果が目に見えでしょ! 蛙が蛇に食べられに行くってもんだよ!」
「何のための神器だよ。それで、あいつをぶった切ればいい話だろ」
「蛇って執念深いって言うでしょ! もし、仕返しされたら……」
「理性も自我も失った化け物に躊躇いなんかいらねぇよ……――って、おい、前!」
「え?」
風夜の視線の方向に振り返ると、大蛇の長い胴体がこちらに伸びて来るのが見えた。
大蛇はカァーッ‼︎ と顎を大きく開き、沙希たちに襲い掛かって来る。
「うわぁー!」
沙希は思わず目を閉じる。
「あっぶねぇな……」
すんでのところで風夜は沙希を脇で抱え、高く跳躍する。
避けたのと同時に、大蛇の頭部はドシン! と地面に直撃して砂埃が舞う。
風夜は沙希を抱えたまま、それを煙幕に利用して木々に身を隠す。
大蛇はS字にくねらせ、シュルルッと気持ち悪い舌の音をさせながら沙希たちを探している。
「見つかるのも時間の問題だな」
「し、死ぬかと思った……」
沙希は手で胸を押さえ、肩で息をする。
「あいつは、『蟒蛇』っていう蛇妖怪だ」
「蟒蛇……? 鬼神じゃなくて……?」
「鬼神は、理性や自我を失った妖怪につけられる名前だ。元は妖怪らしい名前だったんだ」
「そう、だったんだ……」
「あいつは俺の故郷に囚われていた牢獄から脱走して、本能のまま好き勝手に植物の生命力を喰い荒らしたんだ」
だから、この森の植物が枯れていたのだと沙希は納得する。
「そもそも鬼神って、妖怪と何が違うの?」
「鬼神は、この世を彷徨った悪霊が体を求めて妖怪に取り憑いた存在なんだ」
「え? 悪霊……」
その単語に、沙希は理解が追いつくのに時間が掛かってしまう。
「妖怪が鬼神になる事例は大きく分けて二つ。一つは、妖怪が死体となった時に乗っ取られる。悪霊は常に入れ物となる体を求めているからな」
そんでもう一つは……と風夜は話を続ける。
「人間を喰ったことで鬼神になることがある」
「え⁉︎」
風夜の衝撃の言葉に沙希は驚愕する。
「人間の血肉には、妖怪からして強い依存性があるんだ。たまに中毒を引き起こして、我を失った妖怪の心の隙をついて悪霊に体を乗っ取られるんだ」
でも、と風夜は言う。
「体を乗っ取ることはできても、理性や自我を失った悪霊に肉体のコントロールは皆無だ。次第に歪みが起きて、崩れてしまうんだ」
まるで、ゾンビだよな……と風夜は溜め息を吐く。
「まぁ、取り敢えず鬼神は、悪霊が妖怪の体を乗っ取った存在だと覚えておけばいい」
「わ、わかった……」
衝撃のあまり沙希はその言葉しか出てこなかった。
あまりにも情報量が多すぎて、沙希の頭はパンクしそうになる。
「……何か弱点とかってないの?」
「神器で急所の首を斬れば一瞬でくたばる。神器に宿している力は妖怪にとって猛毒だからな」
「首を斬れって……あの素早さと大きさじゃあ難易度高くない?」
そう言うと、風夜は片手に持っていた酒を沙希に差し出す。
「タイミングを見つけて、これで動きを鈍らせるんだ。そんで酔っ払った隙に首を斬り落とせ」
まるで八岐大蛇の神話の退治法だ。
あまり乗り気でない沙希は突き出された酒を渋々と受け取った。
「須佐之男みたいに上手くいくかなー……」
沙希は酒を持ち上げ、瓶の中で揺れている液体を見つめるのだった。
✿ ✿ ✿
沙希は周囲に並んでいる木々の中央に立ち尽くす。
(自信はないけど、ここまで来たんなら……やるしかない!)
沙希は震える足を叱咤し、日本刀を前に向ける。
「よし……! 蟒蛇! 来い!」
大声で叫ぶと、どこからか這いずる音が聞こえてきた。
沙希は日本刀を構え、蟒蛇が来るのを待つ。
這いずる音は近づくにつれて、地鳴りが響く。
そして、その音の主が姿を現した。
(来た!)
前方の木々を倒しながら、目の前に蟒蛇が現れた。
「えい!」
沙希は挑発するように、足元にあったいくつかの小石を蟒蛇に投げつける。
小石が鱗に当たると蟒蛇は怒り狂って、沙希に殺意剥き出した目で睨みつける。
「こっちよ!」
沙希は蟒蛇に背を向け、木々の中に入る。
蟒蛇は血走った眼で、逃げる沙希を追い掛ける。
沙希は振り向きながら、蟒蛇の様子を伺う。
(まだよ……まだ……後少し……)
一本一本の木を避けながら、沙希はタイミングを見計らう。
「よし、ここだ! 風夜!」
沙希は頭上の木の枝で待機している風夜を呼ぶ。
「来たか。そんじゃ……」
風夜は木の枝から蟒蛇の胴体に飛び降りると、彼の両手に光が帯び、手甲鉤が装着する。
「おーらよ!」
風夜は蟒蛇の胴体を鉤爪で引き裂くと、蟒蛇は地の底に響くような吼え声を上げた。
蟒蛇の黒い胴体に次々と赤い筋ができていく。
「こんなもんか」
風夜はやることが終えたかのように両手から手甲鉤が消える。
そして、蟒蛇の胴体から跳躍して沙希の隣に並ぶ。
「この辺りなら大丈夫ね」
沙希の思惑通りに、蟒蛇は木々を動き回ったせいで胴体が絡まり動けずにいた。
(よし……作戦通り。これならいける!)
蟒蛇は激しく暴れて、胴体を解こうとしている。
このままにしておくと木が倒れ、また襲い始める。
「これでも飲みなさい!」
沙希は酒の瓶ごと、蟒蛇が悔しそうに口を開けている隙に投げ込んだ。
蟒蛇は酒が入った瓶をパクリと飲み込むと、次第に大人しくなった。
動きが弱まり、蟒蛇の黒い鱗が酔っ払ったかのように赤くなり始めた。
「王手だ、沙希」
「うん」
沙希は蟒蛇の首の前に立ち、日本刀を蟒蛇の首に向ける。
風夜に教えてもらった通り、日本刀に力を込めると青白い雷が纏う。
不思議なことに、口から自然と言葉が発せられる。
「雷の舞!」
喝を発し、雷を纏った日本刀を横一線に振ると、蟒蛇の首に目掛けて鋭い雷の衝撃波が通る。
蟒蛇の断末魔が聞こえたのは、ほんの一瞬だった。
首を切断された蟒蛇は灰のように崩れ落ち、吹いてきた風に乗って消えていく。
蟒蛇の吼え声と雷響が止むと、静寂に包まれた。
(無我夢中で体が動いたけど……私、やったの? ――あれ……)
それが戦いの終わりだと実感した直後、沙希は全身を襲う倦怠感に力が抜け、強烈な眠気で瞼が重くなる。
「おっと……」
もつれる沙希の体を風夜は咄嗟に支えた。
次第に沙希は限界が近づき、風夜にもたれる形で意識を手放した。
「霊力のコントールが不十分だから、体力まで余計に消費したんだな……」
風夜は慎重に沙希の体の向きを変え、起こさないよう背負った。
「こいつ案外素質あるな……」
風夜は背中で寝息を立てる沙希に呟き、マンションの帰路へと辿って行くのだった。
日本刀と沙希の組み合わせに、風夜は朝の出来事を思い出すよう呟く。
「だって、朝起きて知らない人がいたら、誰だってパニックになるよ」
「普通、真っ先で警察に連絡するだろ。まあ、今はこんな話関係ないか……竹刀を持っているってことは、お前、ヤンキーやってたのか?」
「やっとらんわ! 部活よ、剣道部。私を一体どんな奴だと思ってるんだ?」
「お前なら、ありえると思ってな」
わざとらしくニヤリと笑う風夜。
「そうなったら、世界中竹刀持っている人は皆ヤンキーじゃない。こう見えても私、中学の時に試合で勝ったことあるのよ」
沙希が自信満々に言うと、風夜は重い腰を上げる。
「じゃあ、その実力があるなら大丈夫だな。早速行くか」
「どこに?」
「今持っていた神器で鬼神を狩るんだ。神器を持っているからには、お前は完全な陰陽師だ」
「え? えぇー!! 無理無理!! 絶対無理!!」
沙希は首と空いた手で必死に振る。
「この世の災いから守る陰陽師。かっこいいじゃん」
「だから、私に陰陽師は無理だって! 私はどこにでもいる普通の女子高生だし、そんないきなり、ヒーローみたいなポジションできっこないよ!」
「さっきから無理無理うるせぇな。とっとと行くぞ」
「うぁ!」
風夜は片腕を沙希の腰に回すと、ひょいっと持ち上げ、肩に担いだ。
そして、そのまま玄関に向かう。
「ちょっと、風夜! 降ろして! どこに連れて行くつもりよ!?」
沙希は風夜の背中をボカボカと叩くが、硬く引き締まっている背中はびくともしない。
風夜は沙希の攻撃に微動だにせず、黙って外へ出る。
「嫌だああぁ……!」
ドアが閉まる直前、誰もいないマンションの自室で沙希の声が空しく響いた。
✿ ✿ ✿
「ねぇ、ここって……」
風夜に連れて来られた場所は町の端にある森の中だった。
もうすっかり日も暮れて、辺りは暗かった。
(何だろう……この感じ)
沙希はこの森に入ったことはないが、周囲は冬でもないのに何故か木に茂っている緑の葉が薄茶色に変色して枯れていた。
「ここも枯れてる……」
沙希は何気なく足元に落ちている小枝を拾う。
「あ……」
拾い上げただけなのに、小枝は灰みたいにボロボロに崩れていった。
「もうここにも手が回っていたか……」
風夜は険しい表情で親指の爪を噛んだ。
「そう言えば、風夜。何でお酒なんか買ってきたの?」
この森に来る途中、風夜はコンビニに寄って酒を買ってきた。
風夜が酒を持ってレジに並んでいた時、店員は疑うような目で風夜を見ていたことを沙希は思い出す。
「未成年者は販売できないのに、よく店員さん誤魔化せたね……」
そう言うと、風夜は「あー……」と言った。
「あの店員に、俺が二十歳越えた青年に見えるように幻術掛けたんだ」
「うわ……それ詐欺でしょ」
「人間界の法律が厳しすぎるんだよ。俺の故郷の聖域は、十五歳で飲酒解禁だぜ」
「へぇー……ん?」
サラッとした発言に沙希は風夜の顔を見る。
風夜は見た目の年齢からして、幼さを残した中学生ではなく、それよりも年嵩だ。
「てことは……風夜はもう成人しているってこと!?」
「ああ」
風夜は当たり前のように頷く。
「あ……そうなんだ」
あまりにも衝撃なことに、沙希は風夜と手に持っている酒を交互に見てしまう。
「まさか、そのお酒……風夜が飲むの?」
「飲まねぇよ。これは武器として買ったんだ。ここだったら、人もあんま来ねぇし。思う存分、奴と戦えるな」
「奴って?」
「俺の気を送ったから、後数秒したら来る」
「え?」
――ずるり
どこからか引き摺るような重たい音がした。
そして、次第にその音が大きくなると、二人のいる場所が揺れ始めた。
「わ! 地震!」
「来たか」
「ひっ……!」
前方の木から赤く光る両眼が現れ、沙希は血の気が引いた。
木々から見える黒いシルエットは、引き摺るように沙希たちに近づいて来る。
そして、雲に隠れていた月が顔を出し、月光で黒いシルエットの輪郭をはっきりとさせる。
サアアアアアァァ!
(で……でっかぁ――‼︎)
そこに現れたのは、何十メートルほどの巨大な黒い大蛇が吼え声を上げた。
ぬめりとした黒い鱗、すぐにでも沙希たちを丸呑みしてしまうような大きな口。
真っ赤な両眼を細めて沙希たちを見下ろしている。
「ついに現れたか。……つうか、前よりでかくなってるな」
「風夜……。まさか、風夜の言っていた、鬼神って……」
「こいつだ」
風夜は即答で言った。
「えぇー‼︎」
「とっとと終わらせるぞ」
「あんなの無理ぃ――‼︎」
沙希はくるりと背を向け、一目散に逃げ出す。
「おい、陰陽師が逃げてどうすんだよ!」
風夜は逃げる沙希の腕を掴む。
「放してよ、風夜! あの差はもう結果が目に見えでしょ! 蛙が蛇に食べられに行くってもんだよ!」
「何のための神器だよ。それで、あいつをぶった切ればいい話だろ」
「蛇って執念深いって言うでしょ! もし、仕返しされたら……」
「理性も自我も失った化け物に躊躇いなんかいらねぇよ……――って、おい、前!」
「え?」
風夜の視線の方向に振り返ると、大蛇の長い胴体がこちらに伸びて来るのが見えた。
大蛇はカァーッ‼︎ と顎を大きく開き、沙希たちに襲い掛かって来る。
「うわぁー!」
沙希は思わず目を閉じる。
「あっぶねぇな……」
すんでのところで風夜は沙希を脇で抱え、高く跳躍する。
避けたのと同時に、大蛇の頭部はドシン! と地面に直撃して砂埃が舞う。
風夜は沙希を抱えたまま、それを煙幕に利用して木々に身を隠す。
大蛇はS字にくねらせ、シュルルッと気持ち悪い舌の音をさせながら沙希たちを探している。
「見つかるのも時間の問題だな」
「し、死ぬかと思った……」
沙希は手で胸を押さえ、肩で息をする。
「あいつは、『蟒蛇』っていう蛇妖怪だ」
「蟒蛇……? 鬼神じゃなくて……?」
「鬼神は、理性や自我を失った妖怪につけられる名前だ。元は妖怪らしい名前だったんだ」
「そう、だったんだ……」
「あいつは俺の故郷に囚われていた牢獄から脱走して、本能のまま好き勝手に植物の生命力を喰い荒らしたんだ」
だから、この森の植物が枯れていたのだと沙希は納得する。
「そもそも鬼神って、妖怪と何が違うの?」
「鬼神は、この世を彷徨った悪霊が体を求めて妖怪に取り憑いた存在なんだ」
「え? 悪霊……」
その単語に、沙希は理解が追いつくのに時間が掛かってしまう。
「妖怪が鬼神になる事例は大きく分けて二つ。一つは、妖怪が死体となった時に乗っ取られる。悪霊は常に入れ物となる体を求めているからな」
そんでもう一つは……と風夜は話を続ける。
「人間を喰ったことで鬼神になることがある」
「え⁉︎」
風夜の衝撃の言葉に沙希は驚愕する。
「人間の血肉には、妖怪からして強い依存性があるんだ。たまに中毒を引き起こして、我を失った妖怪の心の隙をついて悪霊に体を乗っ取られるんだ」
でも、と風夜は言う。
「体を乗っ取ることはできても、理性や自我を失った悪霊に肉体のコントロールは皆無だ。次第に歪みが起きて、崩れてしまうんだ」
まるで、ゾンビだよな……と風夜は溜め息を吐く。
「まぁ、取り敢えず鬼神は、悪霊が妖怪の体を乗っ取った存在だと覚えておけばいい」
「わ、わかった……」
衝撃のあまり沙希はその言葉しか出てこなかった。
あまりにも情報量が多すぎて、沙希の頭はパンクしそうになる。
「……何か弱点とかってないの?」
「神器で急所の首を斬れば一瞬でくたばる。神器に宿している力は妖怪にとって猛毒だからな」
「首を斬れって……あの素早さと大きさじゃあ難易度高くない?」
そう言うと、風夜は片手に持っていた酒を沙希に差し出す。
「タイミングを見つけて、これで動きを鈍らせるんだ。そんで酔っ払った隙に首を斬り落とせ」
まるで八岐大蛇の神話の退治法だ。
あまり乗り気でない沙希は突き出された酒を渋々と受け取った。
「須佐之男みたいに上手くいくかなー……」
沙希は酒を持ち上げ、瓶の中で揺れている液体を見つめるのだった。
✿ ✿ ✿
沙希は周囲に並んでいる木々の中央に立ち尽くす。
(自信はないけど、ここまで来たんなら……やるしかない!)
沙希は震える足を叱咤し、日本刀を前に向ける。
「よし……! 蟒蛇! 来い!」
大声で叫ぶと、どこからか這いずる音が聞こえてきた。
沙希は日本刀を構え、蟒蛇が来るのを待つ。
這いずる音は近づくにつれて、地鳴りが響く。
そして、その音の主が姿を現した。
(来た!)
前方の木々を倒しながら、目の前に蟒蛇が現れた。
「えい!」
沙希は挑発するように、足元にあったいくつかの小石を蟒蛇に投げつける。
小石が鱗に当たると蟒蛇は怒り狂って、沙希に殺意剥き出した目で睨みつける。
「こっちよ!」
沙希は蟒蛇に背を向け、木々の中に入る。
蟒蛇は血走った眼で、逃げる沙希を追い掛ける。
沙希は振り向きながら、蟒蛇の様子を伺う。
(まだよ……まだ……後少し……)
一本一本の木を避けながら、沙希はタイミングを見計らう。
「よし、ここだ! 風夜!」
沙希は頭上の木の枝で待機している風夜を呼ぶ。
「来たか。そんじゃ……」
風夜は木の枝から蟒蛇の胴体に飛び降りると、彼の両手に光が帯び、手甲鉤が装着する。
「おーらよ!」
風夜は蟒蛇の胴体を鉤爪で引き裂くと、蟒蛇は地の底に響くような吼え声を上げた。
蟒蛇の黒い胴体に次々と赤い筋ができていく。
「こんなもんか」
風夜はやることが終えたかのように両手から手甲鉤が消える。
そして、蟒蛇の胴体から跳躍して沙希の隣に並ぶ。
「この辺りなら大丈夫ね」
沙希の思惑通りに、蟒蛇は木々を動き回ったせいで胴体が絡まり動けずにいた。
(よし……作戦通り。これならいける!)
蟒蛇は激しく暴れて、胴体を解こうとしている。
このままにしておくと木が倒れ、また襲い始める。
「これでも飲みなさい!」
沙希は酒の瓶ごと、蟒蛇が悔しそうに口を開けている隙に投げ込んだ。
蟒蛇は酒が入った瓶をパクリと飲み込むと、次第に大人しくなった。
動きが弱まり、蟒蛇の黒い鱗が酔っ払ったかのように赤くなり始めた。
「王手だ、沙希」
「うん」
沙希は蟒蛇の首の前に立ち、日本刀を蟒蛇の首に向ける。
風夜に教えてもらった通り、日本刀に力を込めると青白い雷が纏う。
不思議なことに、口から自然と言葉が発せられる。
「雷の舞!」
喝を発し、雷を纏った日本刀を横一線に振ると、蟒蛇の首に目掛けて鋭い雷の衝撃波が通る。
蟒蛇の断末魔が聞こえたのは、ほんの一瞬だった。
首を切断された蟒蛇は灰のように崩れ落ち、吹いてきた風に乗って消えていく。
蟒蛇の吼え声と雷響が止むと、静寂に包まれた。
(無我夢中で体が動いたけど……私、やったの? ――あれ……)
それが戦いの終わりだと実感した直後、沙希は全身を襲う倦怠感に力が抜け、強烈な眠気で瞼が重くなる。
「おっと……」
もつれる沙希の体を風夜は咄嗟に支えた。
次第に沙希は限界が近づき、風夜にもたれる形で意識を手放した。
「霊力のコントールが不十分だから、体力まで余計に消費したんだな……」
風夜は慎重に沙希の体の向きを変え、起こさないよう背負った。
「こいつ案外素質あるな……」
風夜は背中で寝息を立てる沙希に呟き、マンションの帰路へと辿って行くのだった。
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ゼネラル侯爵家に嫁いで三年、私は子が出来ないことを理由に冷遇されていて、とうとう離縁されてしまいました。なのにその後、ゼネラル家に嫁として戻って来いと手紙と書類が届きました。息子は種無しだったと、だから石女として私に叩き付けた離縁状は無効だと。
その他にも色々ありましたが、今となっては心は落ち着いています。私には優しい弟がいて、頼れるお祖父様がいて、可愛い妹もいるのですから。
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