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第十三章 隠された真相
第六十六話 囚われ
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――ひっく……どう、して……う、うぅ……。
階段の一段一段を下りる度、声が大きくはっきりと、嗚咽交じりに言葉も聞こえてくる。
――何で……僕は……。
程無くして地下に辿り着くと、声がピタリと止んだ。
沙希は立ち止まり、辺りを見回す。
どうやらここは罪人を監禁するための座敷牢のようだ。
壁に取り付けられた燭台の上で仄暗い炎の光が揺れている。
「誰かいるの……?」
沙希が声を掛けても、声主は返事をしなかった。
座敷牢に近づいてみると、木柵の向こうに声主の正体と思われる小柄な人影が蹲っていた。
(子供……?)
薄暗い座敷牢に目を凝らすと、十歳くらいの幼い男の子が目を閉じて眠っていた。
蹲る彼の手足には頑丈な枷が嵌められていて、鎖がともなく知れない闇の中に伸びていた。
沙希は扉を開けようと木柵に触れる。
「いっ……!」
突然、頭痛が襲い、沙希は顔を歪めた。
でも、それは一瞬で治り、沙希の脳裏にノイズ交じりの映像が流れる。
徐々にぶれた映像が正常になると、あの座敷牢が浮かび上がった。
その中で夕凪が狂気じみた怒濤を上げながら、頑丈に閉ざされた格子を壊れんばかりの勢いで拳をぶつけていた。
「どういうことだよッ!! 話が違うじゃないかッ!! 何で!? 結月をどうするつもりだッ!?」
何度も格子に拳をぶつけても、牢屋は夕凪を嘲笑うかのようにびくともせず、壊れる気配はない。
「ここから出せッ!! 開けろ! 開けろ! 開けって!! 開けええええぇぇぇ――ッ!!」
牢屋の外側には結界札が貼られていて、夕凪がどんなに足掻いても、弾かれる一方だったのだ。
この方法が無意味だとわかっていても、夕凪は諦められなかった。
「……!」
繰り返していくうちに、牢屋に貼られていた結界札が内側の攻撃を吸収し続けたせいか、仄かに色褪せた。
そして、ようやく結界札の効力が切れ、するりと剥がれ落ちたのだ。
何度も格子を殴り続けたせいか、夕凪の両拳は痛々しいほどに赤黒く腫れ上がっていた。
拳から来る激痛が思考を支配したが、夕凪は気にしている暇はなく、すぐに地下の階段を駆け上がった。
地上に着くと、夕凪は瞬時で四足獣に姿を変え、山の中に飛び込んだ。
そして、辿り着いた場所で夕凪を待っていたのは、底知れぬ絶望だった――。
「……!!」
顔を上げた沙希はハッとする。
(今の……夕凪の記憶?)
沙希はもう一度、座敷牢を見返す。
薄暗い視線の先に、男の子は変わらず目を閉じて眠っていた。
「え……」
沙希は一瞬自分の見間違いかと思った。
男の子はすぅっと大きくなり、大人びた青年の姿になった。
夕凪だ。
(ここで……夕凪は……)
――僕は……何もできなかった……。
ぽつん、と夕凪の声が響いた。
目の前の夕凪は蹲ったままだった。
――助けられなかった……守れなかった……。
――あの時気づいていれば……結月は殺されることはなかった……。
これは夕凪の心の声なのだろうか。
一つ一つの言葉に、後悔の苦しみが伝わってくる。
もしかしてここは、夕凪が囚われている世界なのではと沙希は思った。
「気づいた時には、もう手遅れだった……」
目の前に、座敷牢に眠っていた夕凪が起き上がっていた。
沙希たちに語り掛けてくるその表情はどこか悲しげだった。
「決行の夜に、僕は結月と村人たちと共に毒龍が棲む湖へ向かうはずだった。でも、毒龍討伐に向かう途中、村人たちは突然、僕を座敷牢に閉じ込めて、結月を拉致同然に連れ去った」
夕凪の口元が引き結ぶ。
「牢を破って、急いで駆けつけた時、僕は悪い夢でも見てるんじゃないかって思ったよ。目の前は血の海で、肉片化した毒龍の死体が浮かんでいた。結月は……自分が殺されると悟った時、起爆の術式を発動させて、毒龍もろとも道連れにしたんだと思う……」
「…………」
沙希たちは言葉を挟まず、黙って聞いていた。
「現実だって認識した時、僕は気が狂いそうになった。そして、結月を守れなかった僕に生きる資格はないと思った……。だから、穢血に塗れた毒龍の肉を食べて死のうとした」
毒龍の肉を食べたのは、力を得るためではなかったらしい。
「そうすることが自分への罰になる。その時は正しいって、そう思ったんだ。けど……意識が朦朧とする中、あいつ……毒龍の声が聞こえた。奴は、僕にこう言った……主を奪った奴らに復讐したいと思わないかって……」
夕凪は少し間を置いて話を続けた。
「それを聞いて、僕の中で何かが切れた……。抑え込んでいたどろどろした感情が湧き上がって、どうしようもなくなって……」
結月を守れなかった自分に対しての怒り、自分たちを裏切った村人たちへの憎しみが混ざり合い、その感情をどこへぶつけていいのかわからず暴走してしまった。
それがいつしか、人間に復讐することで、結月への償いだと思い込んだのだろう。
でも、それが夕凪を縛りつける〝枷〟になっていた。
「こんなことをしても結月は帰って来ない……何も変わらないってわかってた。けど、そう思うより他、何も考えられなかった……」
夕凪は全てを諦めてしまったかのように息を吐いた。
「沙希って言ったね。君に頼みがあるんだ」
夕凪は沙希の顔を見返す。
「君の神器で、僕を殺して」
「え……」
「僕が正気のうちに殺して欲しい……この距離なら確実に狙える」
「なに、言って……」
そんなことを言われて、できるわけなかった。
それでも夕凪は、自分の死を切望していた。
「僕の独り善がりの行動が……関係のない人たちを巻き込んだ。だから、僕を殺して全部終わりにして……」
沙希はどう言葉を掛けていいのかわからなかった。
でも、心の傷を負っている夕凪を放っておくわけにはいかない。
「ナギ」
沙希の肩に乗っていた風夜が地面に降り立つ。
それと同時に、霊力が回復したのか人型に戻ることができた。
風夜は格子の間に手を伸ばし、夕凪の肩を掴んだ。
肩に触れられる熱を感じた夕凪は俯かせた顔を上げ、希望を捨て去った瞳で風夜を見た。
「お前は本当にそれでいいのかよ」
「フウちゃん……」
「俺も、千明が死んだ時は悲しかったよ……辛かったよ……。どうしようもなくなって、千明の後を追って死のうとも考えてた……」
風夜の瞳が真剣を帯びる。
「受け入れるのは辛いけど、それでも向き合わないといけない」
風夜はずっと苦しめられていた傷と向き合うことができた。
だからこそ、夕凪にも向き合って欲しかったのだ。
「でも……僕は取り返しのつかないことをしてしまった……もう戻れない。罪を犯した僕に、生きる資格はない……」
「確かに、起こってしまった過去を変えることはできない……ナギが今までしてきたこともな。でも、お前のお陰で救われた奴がたくさんいる。その繋がりを全部捨てるのかよ……」
「それは……」
その時だった。
夕凪の懐から光る物が顔を出し、三人の間に転がった。
そこにあったのは、手の平サイズで柄のない丸鏡だった。
縁は銅で造られており、鏡面は傷もなく滑らかだった。
「……?」
鏡から放つ不思議な光に三人は魅入っていると、虚空を写していた鏡が水面に雫が落ちたかのように波紋を描いた。
すると、鏡面から強い閃光が放たれ、沙希たちがいる周囲の景色が消え、ぼんやりと空白が広がった。
「え、何……どうなってるの?」
沙希は驚いて周囲を見渡す。
隣にいる風夜と夕凪も突然変わった景色に驚き戸惑っている。
三人は固まったまま動かないでいると、先ほどまで真っ白で延々と続いていた空間が高々とした数々の木が四方八方に彩られた。
「⁉︎」
夕凪は目を大きく見開いた。
信じられないと言いたげに、視線の先にいるはずのない人物がこちらに歩いて来るのだ。
二人は夕凪の視線を追い掛けると、巫女装束に身を纏った一人の女性がいた。
「何で……」
風夜は巫女を見た途端、夕凪と同様に驚きで言葉を失った。
(綺麗な人……)
二人とは反対に、沙希は彼女の美しさに見惚れていた。
長い艶やかな黒髪を腰まで下ろし、白百合のような肌と静けさを帯びた黒い瞳。
清楚で上品な佇まいをした二十代くらいの美しい女性だった。
「結月……」
動揺しながら女性の名前を呟いた夕凪に、沙希は目を見開く。
「え! ……この人が」
目を疑う人物が現れ、沙希は驚いたが、すぐに警戒が解けた。
草を踏み締めてこちらに来る結月は、三人の姿が見えていないかのように通り過ぎたのだ。
それだけではなく、周りの景色は山の緑と土の匂いはなく、風にそよぐ木々の音しか聞こえなかった。
まるで立体映像でも見ているようだ。
(もしかして……)
沙希の考えが正しければ、この空間は過去の景色を映しているのだろう。
✿ ✿ ✿
その光景は、夕凪と結月が依頼で訪れた村での出来事だった。
村に取り憑いた毒龍の足取りを掴むため、二人は毒龍の住処である湖を捜索していた。
「夕凪」
結月は山の中を歩いていると、視線の先に広大な湖の淵で夕凪を見つけた。
「結月、ここで間違いないよ」
湖を覗き込んでいた夕凪は顔を上げ、結月の方を向いた。
「日が出ているせいか、今は湖の底で眠っているそうね」
結月は夕凪の隣に屈み、湖の底から微かに地鳴りのような声が聞こえた。
顔を上げ、周囲の景色を見渡せば、毒龍の瘴気の影響なのか高々とした木々は枯れ果て、鳥の鳴き声も聞こえない。
まだ日は高いはずが、この場所だけ夜みたいに薄暗かった。
「結月、一旦山を下りようか……」
「そうね……」
ここにいたら、酸欠状態になるかと思うくらい重苦しい空気が流れていた。
二人は湖を離れ、一目散に山を下りたのだった。
✿ ✿ ✿
下山すると、暖かい太陽の光が二人を包み、新鮮な空気が肺に流れ込む。
二人は立ち止まり、その場でぜいぜいと肩で息をする。
しばらくして、呼吸が落ち着くと、結月は夕凪に視線を向け、話を切り出した。
「夕凪。私は村長に調査の報告に行くから、先に戻ってて」
「それなら僕もお供するよ」
「私一人で十分だ。それに、夕凪は私よりかなりの霊力を消耗したからね。だから、先に休息を取った方がいいよ」
「これくらい平気だよ……こんな状況で単独行動は危険だ」
「報告に行くぐらいで大袈裟だなぁ……大丈夫だよ。それに、私はもう幼子ではない」
「…………」
結月に言い切られ、夕凪は押し黙る。
毒龍の犠牲となった数名の陰陽師と真神たちのことがあったせいか、夕凪は少しでも離れるだけで結月がどこかに行ってしまうのではないかと不安で堪らなかったのだ。
「じゃあ、行って来るよ」
結月は夕凪の有無を聞かず、村道の方に足を進めた。
離れていく結月に、夕凪は反射的に追い掛けようとしたが、一歩踏み出しただけで、すぐにその場に立ち止まった。
(何やってんだろう……結月を信じないでさ……)
夕凪は踵を返し、結月とは反対方向の道を歩き出した。
階段の一段一段を下りる度、声が大きくはっきりと、嗚咽交じりに言葉も聞こえてくる。
――何で……僕は……。
程無くして地下に辿り着くと、声がピタリと止んだ。
沙希は立ち止まり、辺りを見回す。
どうやらここは罪人を監禁するための座敷牢のようだ。
壁に取り付けられた燭台の上で仄暗い炎の光が揺れている。
「誰かいるの……?」
沙希が声を掛けても、声主は返事をしなかった。
座敷牢に近づいてみると、木柵の向こうに声主の正体と思われる小柄な人影が蹲っていた。
(子供……?)
薄暗い座敷牢に目を凝らすと、十歳くらいの幼い男の子が目を閉じて眠っていた。
蹲る彼の手足には頑丈な枷が嵌められていて、鎖がともなく知れない闇の中に伸びていた。
沙希は扉を開けようと木柵に触れる。
「いっ……!」
突然、頭痛が襲い、沙希は顔を歪めた。
でも、それは一瞬で治り、沙希の脳裏にノイズ交じりの映像が流れる。
徐々にぶれた映像が正常になると、あの座敷牢が浮かび上がった。
その中で夕凪が狂気じみた怒濤を上げながら、頑丈に閉ざされた格子を壊れんばかりの勢いで拳をぶつけていた。
「どういうことだよッ!! 話が違うじゃないかッ!! 何で!? 結月をどうするつもりだッ!?」
何度も格子に拳をぶつけても、牢屋は夕凪を嘲笑うかのようにびくともせず、壊れる気配はない。
「ここから出せッ!! 開けろ! 開けろ! 開けって!! 開けええええぇぇぇ――ッ!!」
牢屋の外側には結界札が貼られていて、夕凪がどんなに足掻いても、弾かれる一方だったのだ。
この方法が無意味だとわかっていても、夕凪は諦められなかった。
「……!」
繰り返していくうちに、牢屋に貼られていた結界札が内側の攻撃を吸収し続けたせいか、仄かに色褪せた。
そして、ようやく結界札の効力が切れ、するりと剥がれ落ちたのだ。
何度も格子を殴り続けたせいか、夕凪の両拳は痛々しいほどに赤黒く腫れ上がっていた。
拳から来る激痛が思考を支配したが、夕凪は気にしている暇はなく、すぐに地下の階段を駆け上がった。
地上に着くと、夕凪は瞬時で四足獣に姿を変え、山の中に飛び込んだ。
そして、辿り着いた場所で夕凪を待っていたのは、底知れぬ絶望だった――。
「……!!」
顔を上げた沙希はハッとする。
(今の……夕凪の記憶?)
沙希はもう一度、座敷牢を見返す。
薄暗い視線の先に、男の子は変わらず目を閉じて眠っていた。
「え……」
沙希は一瞬自分の見間違いかと思った。
男の子はすぅっと大きくなり、大人びた青年の姿になった。
夕凪だ。
(ここで……夕凪は……)
――僕は……何もできなかった……。
ぽつん、と夕凪の声が響いた。
目の前の夕凪は蹲ったままだった。
――助けられなかった……守れなかった……。
――あの時気づいていれば……結月は殺されることはなかった……。
これは夕凪の心の声なのだろうか。
一つ一つの言葉に、後悔の苦しみが伝わってくる。
もしかしてここは、夕凪が囚われている世界なのではと沙希は思った。
「気づいた時には、もう手遅れだった……」
目の前に、座敷牢に眠っていた夕凪が起き上がっていた。
沙希たちに語り掛けてくるその表情はどこか悲しげだった。
「決行の夜に、僕は結月と村人たちと共に毒龍が棲む湖へ向かうはずだった。でも、毒龍討伐に向かう途中、村人たちは突然、僕を座敷牢に閉じ込めて、結月を拉致同然に連れ去った」
夕凪の口元が引き結ぶ。
「牢を破って、急いで駆けつけた時、僕は悪い夢でも見てるんじゃないかって思ったよ。目の前は血の海で、肉片化した毒龍の死体が浮かんでいた。結月は……自分が殺されると悟った時、起爆の術式を発動させて、毒龍もろとも道連れにしたんだと思う……」
「…………」
沙希たちは言葉を挟まず、黙って聞いていた。
「現実だって認識した時、僕は気が狂いそうになった。そして、結月を守れなかった僕に生きる資格はないと思った……。だから、穢血に塗れた毒龍の肉を食べて死のうとした」
毒龍の肉を食べたのは、力を得るためではなかったらしい。
「そうすることが自分への罰になる。その時は正しいって、そう思ったんだ。けど……意識が朦朧とする中、あいつ……毒龍の声が聞こえた。奴は、僕にこう言った……主を奪った奴らに復讐したいと思わないかって……」
夕凪は少し間を置いて話を続けた。
「それを聞いて、僕の中で何かが切れた……。抑え込んでいたどろどろした感情が湧き上がって、どうしようもなくなって……」
結月を守れなかった自分に対しての怒り、自分たちを裏切った村人たちへの憎しみが混ざり合い、その感情をどこへぶつけていいのかわからず暴走してしまった。
それがいつしか、人間に復讐することで、結月への償いだと思い込んだのだろう。
でも、それが夕凪を縛りつける〝枷〟になっていた。
「こんなことをしても結月は帰って来ない……何も変わらないってわかってた。けど、そう思うより他、何も考えられなかった……」
夕凪は全てを諦めてしまったかのように息を吐いた。
「沙希って言ったね。君に頼みがあるんだ」
夕凪は沙希の顔を見返す。
「君の神器で、僕を殺して」
「え……」
「僕が正気のうちに殺して欲しい……この距離なら確実に狙える」
「なに、言って……」
そんなことを言われて、できるわけなかった。
それでも夕凪は、自分の死を切望していた。
「僕の独り善がりの行動が……関係のない人たちを巻き込んだ。だから、僕を殺して全部終わりにして……」
沙希はどう言葉を掛けていいのかわからなかった。
でも、心の傷を負っている夕凪を放っておくわけにはいかない。
「ナギ」
沙希の肩に乗っていた風夜が地面に降り立つ。
それと同時に、霊力が回復したのか人型に戻ることができた。
風夜は格子の間に手を伸ばし、夕凪の肩を掴んだ。
肩に触れられる熱を感じた夕凪は俯かせた顔を上げ、希望を捨て去った瞳で風夜を見た。
「お前は本当にそれでいいのかよ」
「フウちゃん……」
「俺も、千明が死んだ時は悲しかったよ……辛かったよ……。どうしようもなくなって、千明の後を追って死のうとも考えてた……」
風夜の瞳が真剣を帯びる。
「受け入れるのは辛いけど、それでも向き合わないといけない」
風夜はずっと苦しめられていた傷と向き合うことができた。
だからこそ、夕凪にも向き合って欲しかったのだ。
「でも……僕は取り返しのつかないことをしてしまった……もう戻れない。罪を犯した僕に、生きる資格はない……」
「確かに、起こってしまった過去を変えることはできない……ナギが今までしてきたこともな。でも、お前のお陰で救われた奴がたくさんいる。その繋がりを全部捨てるのかよ……」
「それは……」
その時だった。
夕凪の懐から光る物が顔を出し、三人の間に転がった。
そこにあったのは、手の平サイズで柄のない丸鏡だった。
縁は銅で造られており、鏡面は傷もなく滑らかだった。
「……?」
鏡から放つ不思議な光に三人は魅入っていると、虚空を写していた鏡が水面に雫が落ちたかのように波紋を描いた。
すると、鏡面から強い閃光が放たれ、沙希たちがいる周囲の景色が消え、ぼんやりと空白が広がった。
「え、何……どうなってるの?」
沙希は驚いて周囲を見渡す。
隣にいる風夜と夕凪も突然変わった景色に驚き戸惑っている。
三人は固まったまま動かないでいると、先ほどまで真っ白で延々と続いていた空間が高々とした数々の木が四方八方に彩られた。
「⁉︎」
夕凪は目を大きく見開いた。
信じられないと言いたげに、視線の先にいるはずのない人物がこちらに歩いて来るのだ。
二人は夕凪の視線を追い掛けると、巫女装束に身を纏った一人の女性がいた。
「何で……」
風夜は巫女を見た途端、夕凪と同様に驚きで言葉を失った。
(綺麗な人……)
二人とは反対に、沙希は彼女の美しさに見惚れていた。
長い艶やかな黒髪を腰まで下ろし、白百合のような肌と静けさを帯びた黒い瞳。
清楚で上品な佇まいをした二十代くらいの美しい女性だった。
「結月……」
動揺しながら女性の名前を呟いた夕凪に、沙希は目を見開く。
「え! ……この人が」
目を疑う人物が現れ、沙希は驚いたが、すぐに警戒が解けた。
草を踏み締めてこちらに来る結月は、三人の姿が見えていないかのように通り過ぎたのだ。
それだけではなく、周りの景色は山の緑と土の匂いはなく、風にそよぐ木々の音しか聞こえなかった。
まるで立体映像でも見ているようだ。
(もしかして……)
沙希の考えが正しければ、この空間は過去の景色を映しているのだろう。
✿ ✿ ✿
その光景は、夕凪と結月が依頼で訪れた村での出来事だった。
村に取り憑いた毒龍の足取りを掴むため、二人は毒龍の住処である湖を捜索していた。
「夕凪」
結月は山の中を歩いていると、視線の先に広大な湖の淵で夕凪を見つけた。
「結月、ここで間違いないよ」
湖を覗き込んでいた夕凪は顔を上げ、結月の方を向いた。
「日が出ているせいか、今は湖の底で眠っているそうね」
結月は夕凪の隣に屈み、湖の底から微かに地鳴りのような声が聞こえた。
顔を上げ、周囲の景色を見渡せば、毒龍の瘴気の影響なのか高々とした木々は枯れ果て、鳥の鳴き声も聞こえない。
まだ日は高いはずが、この場所だけ夜みたいに薄暗かった。
「結月、一旦山を下りようか……」
「そうね……」
ここにいたら、酸欠状態になるかと思うくらい重苦しい空気が流れていた。
二人は湖を離れ、一目散に山を下りたのだった。
✿ ✿ ✿
下山すると、暖かい太陽の光が二人を包み、新鮮な空気が肺に流れ込む。
二人は立ち止まり、その場でぜいぜいと肩で息をする。
しばらくして、呼吸が落ち着くと、結月は夕凪に視線を向け、話を切り出した。
「夕凪。私は村長に調査の報告に行くから、先に戻ってて」
「それなら僕もお供するよ」
「私一人で十分だ。それに、夕凪は私よりかなりの霊力を消耗したからね。だから、先に休息を取った方がいいよ」
「これくらい平気だよ……こんな状況で単独行動は危険だ」
「報告に行くぐらいで大袈裟だなぁ……大丈夫だよ。それに、私はもう幼子ではない」
「…………」
結月に言い切られ、夕凪は押し黙る。
毒龍の犠牲となった数名の陰陽師と真神たちのことがあったせいか、夕凪は少しでも離れるだけで結月がどこかに行ってしまうのではないかと不安で堪らなかったのだ。
「じゃあ、行って来るよ」
結月は夕凪の有無を聞かず、村道の方に足を進めた。
離れていく結月に、夕凪は反射的に追い掛けようとしたが、一歩踏み出しただけで、すぐにその場に立ち止まった。
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