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第十章 嘘と真実

第四十七話 嘘

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 朝方になると、沙希は一人地下で竹刀の素振りをしていた。
 時計の秒針が規則正しく刻む中、沙希は今夜に実行する不安を紛らわすように、祐介から教わった剣術を繰り返している。

「…………」

 一通りの素振りを終えると、沙希は壁に寄り掛かって休憩を取る。
 肌に伝う汗をタオルで拭きながら、沙希は昨日言った風夜の言葉を思い出していた。

『俺を拾ったこと、後悔してねぇか……?』

 風夜は何を思って、あの言葉を口にしたのか沙希にはわからなかった。

(結局何も言えなかったな……)

 昨夜、公園から帰って来た沙希と風夜はそのまま何も言わず、部屋に戻ったのだ。
 会話を必要最低限しかしない二人からしていつも通りに思えるが、変化は確実にあった。

 それは、中途半端しかできなかった会話での気まずい雰囲気や、様子が明らかにおかしく、それを隠している風夜。
 当たり前だったものが少しずつ変わっていく感覚が沙希の中で起き始めていた。


  ✿ ✿ ✿


 自主稽古でかいた汗をシャワーで流した後、沙希は自分の個室に向かっていた。

「あ……」

 二階に上がると、個室から出て来た風夜と出くわす。

「はよ……」

 眠たげな顔をした風夜が言う。

「おはよう。あ、風夜の朝食、キッチンにラップして置いてあるから」

「そっか……」

 それだけ言うと、風夜は沙希と入れ替わるように一階へ下りて行った。

(風夜にはああ言ったけど……やっぱり、ちゃんと聞いた方がいいよね……)

 沙希は何とかして風夜と会話をしようとタイミングを計っていた。
 しかし、風夜から見えない壁みたいなものを感じ、全く隙がなかった。

 例え話すことができても、風夜の口から拒絶の言葉が出て来る気がして、沙希は向き合える自信がなかった。
 話したいけど話せない。

 そう言った矛盾むじゅん思考の繰り返しだった。
 気づかぬうちに、沙希と風夜の間で亀裂きれつが生じ始めていた。


  ✿ ✿ ✿


 祐介が運転する車の中で、助手席にいる陽向はぼんやりと窓の外を眺めている。
 二人は例の廃病院の見取り図を署で調べ終え、沙希たちが待つ南雲宅へ向かう途中だった。

「…………」

 祐介はちらりと陽向の横顔を見やる。
 決行の日だからなのか、陽向は車に乗ってから口数が少なく、窓の景色を眺めていたのだ。
 いつも太陽のようなまぶしい笑顔をする彼が大人しいことに、祐介は何だか落ち着かない様子だった。

「陽向」

 祐介が名を呼ぶと、遅れてハッと顔を上げた陽向は運転席の方を向く。

「何? ユウ」

「すぐ近くにアイス屋があるんだ。休憩がてら食べに行こうか。俺の奢りだ」

「ホント! やったぁ!」

 陽向はパッと大きな目をキラキラと輝かせた。

「じゃあ、おれ! いちごとミルクのタブル!」といつもの活気な声で、祐介にアイスの要望をした。

「…………」

 目の前の信号が青に切り替わると、車が動き出す。
 陽向はうきうきした気分で鼻歌を歌っているが、祐介はさっき見せた表情が作り笑顔だということを見逃さなかった。


  ✿ ✿ ✿


 車内を出ると、外はひんやりとした空気に包まれていた。
 夏の厳しい日照りが続いたせいか、大地にうるおいを与えるように雨の降ることが多くなった。
 上を見上げれば、灰色の涼しい曇り空の天候が続いている。

「お待たせ」

 アイス屋で二人分のアイスを購入した祐介は、近くの公園のベンチに腰掛ける陽向の前まで戻って来た。

「待ってました~!」

 陽向は早く頂戴ちょうだいと言わんばかりに、祐介から自分が要望したアイスを受け取ると、すぐにかぶりつく。
 陽向の一口一口が異様に早く、程無くして手にしていたアイスがなくなった。

「ん~! うまい!」

「食べるの早いな……」

 幸せそうにアイスを口にする陽向の隣に祐介も腰掛けると、購入したアイスを口にする。

「ユウは何にしたの?」

「コーヒーとバニラのダブル」

 そう言って、祐介は二種類の味を組み合わせたアイスをかかげる。

「一口ちょうだい!」

「仕方ないな……ほら」

「あー……ん⁉︎」

 陽向は期待な笑みで大口を開けた途端、祐介は伸ばした手を引っ込め、アイスを頬張った。

「ん……コーヒーの苦味とバニラの甘さがマッチしてる」

「ユウ、性格悪いぞ!」

 悪戯いたずらっぽく笑う祐介に、陽向はふくれっ面になる。

「あ、おい」

 祐介は次の一口を口に運ぼうとした時、陽向は祐介のアイスを持つ手を掴み、隙をついて頬張った。

「一口でかいぞ」

「さっきのおかえし~」

 ニシシッと陽向は仕返しとばかりに笑うと、祐介は「たく……」と微苦笑を浮かべる。

「ねぇ、ユウ……」

 陽向の声がいを帯びる。

「何だ?」

「……ごめんね。おれに気を遣ってくれたんだよね……。決行の日だから、不安でいっぱいでさ……」

「今までと違う戦闘になるからな……俺だって不安だ」

「あはは……不安になってるのは、おれだけじゃないよね」

「陽向」

 陽向が苦笑を浮かべると、不意に祐介が真剣な声で名前を呼んだ。

「何?」

「お前、『本当』は何が不安なんだ?」

「……! え? ユウ、何言ってるの?」

「ごまかすな……夕凪の件もそうだけど、同時に何かを隠していることに俺が気づいていないと思ってたか?」

「…………」

 見透かすような視線が突き刺さり、陽向は戸惑いの表情を浮かべた。

「陽向を責めているわけじゃない。ただ……陽向が何を思っているのか聞きたいんだ。話してくれるか……?」

 沈黙ちんもくが流れた。

「そうだね……ユウの言う通りだよ。おれが不安になっているのは、夕凪のことだけじゃないんだ……」

 陽向は観念したように溜め息を吐いた。
 彼の表情は車内で窓の景色を眺めていた時と同じで、どこか憂いを帯びていた。
 そして、視線を地面に落としたまま震える声を発する。

「ユウ……ごめん。おれ、ユウたちに嘘吐いてたんだ……」

「嘘?」

 勇気を振り絞って一歩踏み出した言葉は、祐介が予想もしないものだった。
 陽向が祐介たちにどんな嘘を吐いたのかは不明だが、彼が辛い思いを抱いてまで必要なことだったのだろうと祐介は大方悟った。

「おれさ……」

 陽向はひざの上で両拳をギュッと握り締め、話を切り出そうとした時だった。
 朝方なのに突然辺りが暗くなり、頭上に流れていた灰色の雲が黒く渦状に歪んだ。

「――やあ、また会ったね」

 祐介と陽向は驚きに見開いた目で顔を上げた。

「っ!」

 闇が濃くなった広場の中央から何者かが二人の方へ歩いて来る。
 渦状に黒く固まった雲から鼓膜こまくを揺らすような雷が鳴り響いた途端、眩しいくらいの青白い雷光が走った。

「……!」

 一瞬雷光で照らされた人物に、祐介は思わず手にしていたアイスを落としてしまった。
 まだ食べ切れなかったアイスが地面に転がり、砂で汚れる。

「夕凪!」

 どうしてここに夕凪がいるのか疑問はあったが、祐介と陽向は勢いよくベンチから立ち上がると、反射的に戦闘態勢に入る。
 祐介は両拳に炎の霊力をまとわせると、夕凪に向かって走り出す。

 一気に拳を突き出すと、夕凪は顔色一つ変えずに軽々と避けていく。
 不意に祐介は両拳を引っ込め、夕凪から距離を離した。

「ハアッ!」

 これを狙っていたのか、夕凪の背後に鋭利な苦無くないを手にした陽向が距離を詰めていた。
 祐介に気を取られていて、夕凪は背後に回った陽向の気配に気づかなかったようだ。

 だが、夕凪は動揺する素振りなく、正面を向いたまま日本刀を引き抜き、突き出された苦無を防いだ。
 そして、防いだまま体を振り返らせ、陽向の持つ苦無に勢いよく押し込む。

「くっ……!」

 陽向は体をひねって後方へ飛ぶと、祐介の隣に着地した。

「ユウ、気をつけて……」

「わかってる……」

 二人は軽く息を切らしながら、目の前で不気味に微笑をたたえる夕凪を鋭い視線で見返す。

「さて、そろそろかな……」

 夕凪はあやしい笑みを浮かべながら、すぅっと目を細めるのだった。
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