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第3話 行き先、茶の味
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朝四時、目が覚めた。年々起きる時間が早くなっている気がする。
今日は、妻と一緒に最近オープンしたカフェに行く予定だ。そのお店は朝七時から開店しており、モーニングセットが美味しいと話題になっている。
店に入ると、若い店員さんが案内してくれた。白を基調とした店内。メニューを見ると、カラフルで派手なドリンクが目立っていた。
なんだか落ち着かない。
私たちはさっと食べ、お店をあとにした。
「コーヒーは美味しいけれど、若者向けのお店だったわね」
「そうだね」
妻の言葉に、私はうなずいた。
帰る途中で妻とわかれ、私はそのままカフェ・ボヌールへと向かう。裏口では、もうすでに萌花ちゃんが待っていた。
「もーう! 遅いですよ、マスター」
「ごめんごめん。お待たせ」
ブーイングを受けながら、鍵を開けた。
やっぱりここは落ち着く。木の温かみを感じつつ、大きく深呼吸した。少し経つと、裏口から「こんにちは~」と静哉くんが現れる。
今日もお客様に幸せな時間を、と心の中で唱えながら、私はエプロンのひもをキュッと結ぶ。営業中の札を扉にかけた。
◇
――お客様を知らせる鈴が鳴り、私と同年代くらいの男性が入ってくる。白髪まじりで猫背の彼は、物珍しそうに店内を眺めた。
「いらっしゃいませ」
「一人です」
「ご案内いたします」
彼をカウンター席の端へ案内し、メニュー表と水を用意した。
老眼だろうか、彼は眉間にしわを寄せる。メニュー表に近づいたり離れたりを繰り返し、チラッと私に目を向けた。
「あの、どれがおすすめですか?」
「私のおすすめは抹茶ラテですね」
「じゃあそれで」
「かしこまりました」
私は一礼してから裏方へと移動する。
抹茶碗に抹茶とグラニュー糖を入れ、お湯を少し注いだ。茶筅を軽く持ち、手首を前後に動かして抹茶を点てる。
シャカシャカという心地良い音に耳を傾けながら、最後に茶筅をグルっと回した。氷と牛乳を注いだグラスに、先ほどの抹茶を入れて出来あがりだ。
「お待たせいたしました。抹茶ラテでございます」
「どうも」
男性はそっけなくそう言い、ゆっくりと口に運んだ。一瞬目を見開いたあと、もう一度口に含み「うまいな……」と呟く。
「抹茶は疲労回復、認知症や虫歯予防の効果があるんですよ。私もよく家で飲んでいます」
「そうなのか……あなたがこの店のマスターですか?」
「はい、柏木と申します」
「柏木さん、ご家族は?」
「今は家内と二人で暮らしています」
「そうなんですね。私は今日、家でゴロゴロしていたら、家内に買い物行ってこいって追い出されまして」
はははっと笑いながら、彼は頭を掻いた。
定年退職したばかりの彼――雪崎正志さんは、職がなくなった今、毎日やることがないそうだ。仕事が生きがいだったのだという。
買い物の帰りにぶらぶらしていたところを、なにかに吸い寄せられるようにこの店に来たと言った。
店内ではテーブル席に座る若い男女四人組が、なにやら楽しそうに話していた。萌花ちゃんと静哉くんも、話に混ざっているみたいだ。理想としているアットホームな雰囲気のお店に近づいてきて、私は嬉しく思った。
彼らから視線を外すと、雪崎さんは壁に貼られた写真をじっと見ていた。食い入るように見つめるその姿に、私は思わずクスリと笑う。
そんな私に気づいたのか、雪崎さんは少し恥ずかしそうにしながら姿勢を戻した。一枚の写真を指さしながら、彼はおもむろに口を開く。
「これ、フランスですよね」
「はい。今年のゴールデンウィークに行ってきたんです」
「そうでしたか。新婚旅行がフランスだったので、なんだか懐かしくて」
雪崎さんは照れたように笑った。
「そうだ。旅行を趣味にしてみたらいかがですか?」
「旅行、ですか?」
「はい、先ほどやることがないっておっしゃっていたので。雪崎さんは今まで熱心にお仕事してきたそうですし、ゆっくりできる時間を使って、色々なところに行ってみると楽しいと思いますよ」
「たしかに長らく遠出はしていないですね。……旅行、良いかもしれません」
――それから、雪崎さんのお仕事の話を聞いたり観光スポットについて語り合ったり、時間はあっという間に過ぎていった。
「ごちそうさまでした。もっとお話したかったんですが、帰りが遅いと家内がうるさいので」
「私も同年代の方とお話できて楽しかったです。ありがとうございました」
雪崎さんを見送り店内に戻ると、静哉くんが顔を真っ赤にしていた。なにやら恋バナというやつで盛りあがっているみたいだ。微笑ましい様子を眺めていると、静哉くんは慌てて私の元に駆け寄ってきた。
「マスター、交替してください! 僕もう恥ずか死します!」
「なんだい、ハズカシって」
肩をすくめる私に、彼は小動物のようにくっついてきた。
「静哉さんの初恋の話を聞いてたところだったんですよー。マスターもまざります?」
茶目っ気たっぷりの萌花ちゃんは今日も楽しそうだ。
「萌花ちゃん、昨日はセクハラだって言ったのに、僕には色々聞いてくるんですよ」
困った表情で私に訴えかける静哉くん。仲が良くてなによりだ。
「静哉くんの初恋か、私もぜひ聞いてみたいなぁ」
「ええ……、唯一の味方が……マスターまで悪ノリしないでくださいよ」
静哉くんはそう言って肩を落とした。
「静哉さんかっこわるーい」と萌花ちゃんは茶化す。
今日も平和なカフェ・ボヌールは、温かい笑い声で満たされた。
今日は、妻と一緒に最近オープンしたカフェに行く予定だ。そのお店は朝七時から開店しており、モーニングセットが美味しいと話題になっている。
店に入ると、若い店員さんが案内してくれた。白を基調とした店内。メニューを見ると、カラフルで派手なドリンクが目立っていた。
なんだか落ち着かない。
私たちはさっと食べ、お店をあとにした。
「コーヒーは美味しいけれど、若者向けのお店だったわね」
「そうだね」
妻の言葉に、私はうなずいた。
帰る途中で妻とわかれ、私はそのままカフェ・ボヌールへと向かう。裏口では、もうすでに萌花ちゃんが待っていた。
「もーう! 遅いですよ、マスター」
「ごめんごめん。お待たせ」
ブーイングを受けながら、鍵を開けた。
やっぱりここは落ち着く。木の温かみを感じつつ、大きく深呼吸した。少し経つと、裏口から「こんにちは~」と静哉くんが現れる。
今日もお客様に幸せな時間を、と心の中で唱えながら、私はエプロンのひもをキュッと結ぶ。営業中の札を扉にかけた。
◇
――お客様を知らせる鈴が鳴り、私と同年代くらいの男性が入ってくる。白髪まじりで猫背の彼は、物珍しそうに店内を眺めた。
「いらっしゃいませ」
「一人です」
「ご案内いたします」
彼をカウンター席の端へ案内し、メニュー表と水を用意した。
老眼だろうか、彼は眉間にしわを寄せる。メニュー表に近づいたり離れたりを繰り返し、チラッと私に目を向けた。
「あの、どれがおすすめですか?」
「私のおすすめは抹茶ラテですね」
「じゃあそれで」
「かしこまりました」
私は一礼してから裏方へと移動する。
抹茶碗に抹茶とグラニュー糖を入れ、お湯を少し注いだ。茶筅を軽く持ち、手首を前後に動かして抹茶を点てる。
シャカシャカという心地良い音に耳を傾けながら、最後に茶筅をグルっと回した。氷と牛乳を注いだグラスに、先ほどの抹茶を入れて出来あがりだ。
「お待たせいたしました。抹茶ラテでございます」
「どうも」
男性はそっけなくそう言い、ゆっくりと口に運んだ。一瞬目を見開いたあと、もう一度口に含み「うまいな……」と呟く。
「抹茶は疲労回復、認知症や虫歯予防の効果があるんですよ。私もよく家で飲んでいます」
「そうなのか……あなたがこの店のマスターですか?」
「はい、柏木と申します」
「柏木さん、ご家族は?」
「今は家内と二人で暮らしています」
「そうなんですね。私は今日、家でゴロゴロしていたら、家内に買い物行ってこいって追い出されまして」
はははっと笑いながら、彼は頭を掻いた。
定年退職したばかりの彼――雪崎正志さんは、職がなくなった今、毎日やることがないそうだ。仕事が生きがいだったのだという。
買い物の帰りにぶらぶらしていたところを、なにかに吸い寄せられるようにこの店に来たと言った。
店内ではテーブル席に座る若い男女四人組が、なにやら楽しそうに話していた。萌花ちゃんと静哉くんも、話に混ざっているみたいだ。理想としているアットホームな雰囲気のお店に近づいてきて、私は嬉しく思った。
彼らから視線を外すと、雪崎さんは壁に貼られた写真をじっと見ていた。食い入るように見つめるその姿に、私は思わずクスリと笑う。
そんな私に気づいたのか、雪崎さんは少し恥ずかしそうにしながら姿勢を戻した。一枚の写真を指さしながら、彼はおもむろに口を開く。
「これ、フランスですよね」
「はい。今年のゴールデンウィークに行ってきたんです」
「そうでしたか。新婚旅行がフランスだったので、なんだか懐かしくて」
雪崎さんは照れたように笑った。
「そうだ。旅行を趣味にしてみたらいかがですか?」
「旅行、ですか?」
「はい、先ほどやることがないっておっしゃっていたので。雪崎さんは今まで熱心にお仕事してきたそうですし、ゆっくりできる時間を使って、色々なところに行ってみると楽しいと思いますよ」
「たしかに長らく遠出はしていないですね。……旅行、良いかもしれません」
――それから、雪崎さんのお仕事の話を聞いたり観光スポットについて語り合ったり、時間はあっという間に過ぎていった。
「ごちそうさまでした。もっとお話したかったんですが、帰りが遅いと家内がうるさいので」
「私も同年代の方とお話できて楽しかったです。ありがとうございました」
雪崎さんを見送り店内に戻ると、静哉くんが顔を真っ赤にしていた。なにやら恋バナというやつで盛りあがっているみたいだ。微笑ましい様子を眺めていると、静哉くんは慌てて私の元に駆け寄ってきた。
「マスター、交替してください! 僕もう恥ずか死します!」
「なんだい、ハズカシって」
肩をすくめる私に、彼は小動物のようにくっついてきた。
「静哉さんの初恋の話を聞いてたところだったんですよー。マスターもまざります?」
茶目っ気たっぷりの萌花ちゃんは今日も楽しそうだ。
「萌花ちゃん、昨日はセクハラだって言ったのに、僕には色々聞いてくるんですよ」
困った表情で私に訴えかける静哉くん。仲が良くてなによりだ。
「静哉くんの初恋か、私もぜひ聞いてみたいなぁ」
「ええ……、唯一の味方が……マスターまで悪ノリしないでくださいよ」
静哉くんはそう言って肩を落とした。
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