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第三部 第一章――再会
第七話 女騎士の信仰心
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城下街の様子を見に行く日になった。
馬車に乗って、蟹座は気性が危険すぎるしあの外見が少し目立つので黒雪には禁止され、付き添って良いのは鴉座一人となった。
それならばと陽炎は黒雪に、お前も一人だけの護衛兵にしろと睨んだが、それはあっさりと承諾された。
きっと、彼は己が星座と恋愛するならば何でも惜しまないし、その過程も見たいのだろうし、護衛なんて居たって居なくたって同じなのだろう。
陽炎と鴉座は思わず、黒雪に中指を立てたくなったが、それは許されない。
何故城下街を見に行くことになったかと言うと、城専用妖術師がこの日、街の人々によって選ばれる日だからだ。
だからか、黒雪はいつもに比べて、威圧感がより増していて、恐怖属性を持ってしまった鴉座はそれに怯える。
「……我が愛しの君。私では貴方を守れないです」
「大丈夫。公の場では何も俺にはしないだろうし、お前も怖いだろ、城に一人残されたら。蟹座は恐怖属性なんて持ってねぇんだから、お前は安心して甘えろ。偶にはお前が甘えろ」
「――我が君は、偶に無意識に殺し文句を言うからタチが悪い。判りました、残酷な貴方をプラネタリウムの仕組みに反してまで好きになってしまったときから覚悟はしております。……貴方の側に。ただ、あいつを見て貴方が何か思ってたら嫉妬しても構いませんよね?」
「……――何か思うまでの感情かどうかは、まだ判んねぇってば」
部屋で身支度を調えて、それから城の外で待ってる皆をこれ以上遅らせてはならないと思って近道の通路を駆けているとき。
「……ッの馬鹿が!」
鞭の音が聞こえて、陽炎はびくりと反応した。
鴉座は即座に、昔の奴隷時代に受けた鞭を思い出したのだろうと悟ると陽炎の耳になるべく音が入らぬように己が壁となろうとするが、その前に陽炎は音のする方へ歩み出して、音のする部屋を覗く。
「この皿はね、代々この国に仕えてるアノバラーダ騎士様がくださった、お前よりも高い皿なんだよ!」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
「どうしてくれるんだい! 嗚呼、私が怒られるじゃないか! お前なんか、お前なんか買わなければよかったよ!!」
鞭の音が、目の前の状況と一致する。
奴隷がどうやら高い皿を真っ二つに割ってしまい、それ故に仕置きを受けているのだ。
陽炎は、昔の己をそこに見ている気がして気づけばそこに出ていた。
「あ。おやおや、これは第二王妃の御子様じゃないですか。どうしました? 何か臭ってつられてきましたか? 嗚呼、すみませんね、この奴隷、臭いですからね」
陽炎に対して見下すような、それでも媚びを売るような態度の女に陽炎は、にこりと笑いもせず、奴隷を見やる。
奴隷は震えてお皿を見ている。自分に気づいては居ない。
まだ、何と幼い子供なのだろうか。自分が売られた頃と同い年くらいに見える。
紫の髪の毛に、子供のとき特有のくりくりの丸い目をしていて、その目の色は片目が黒いが、片目が不気味に銀色をしている。
銀色と黒いそれはひたすらに皿を目に映していて、陽炎は、無言で無表情にその皿の欠片を取り上げる。
女が何かを言う前に、陽炎はその皿を地面に叩き付けて割る。
「アノバラーダさんに、俺が割っちゃったからごめんって言っておいて。この皿、俺が割ったから、この仔はもう鞭は要らないよな? そうだ、それに丁度奴隷が欲しいと思ってた所なんだ。明日からその子、俺の世話役にしておいて」
陽炎はそれだけ言うと、背を向けてその部屋を出る。
それから、そこで腕を組んでため息をついて待っている鴉座に、申し訳なさそうな顔をする。
「……――全ての奴隷を救えるとは思ってない。俺が国から出て行ってしまったら、アノコは余計に拙くなるだけ。判ってる。判ってるよ。どうせ偽善者だよ」
「……――貴方は、誰にでも残酷ですね。……私から世話役を奪うなんて。でもね、我が愛しの君」
「ンだよ、文句ならもう後で――」
「惚れ直してしまいました、と言ったら貴方はお叱りに?」
鴉座は優しく微笑み、陽炎の頭を丁寧に撫でる。
本当ならば抱きしめたいのだが、それは今してはいけないのだろうと思う。
少し頬を朱に染めて、睨み付けながらも何も言わず、先へ勝手に早歩きしだした陽炎を見守るだけで満足しよう。
とても、とても愛しさが、胸の内で募るから。
(貴方は、優しくないとか卑怯だからとか言いますけれどね。それより相応しいのは、残酷だという言葉だと思いますよ? 嗚呼、八方美人でもいいですね。でも、何故かな。人間くさく、人間の汚さも持ち合わせているとそれが表しているのに、人間嫌いになってしまった私にも、プラネタリウムの欲目抜きに、とても――親しみを持ててしまうのです)
己の主人は別格だ――他の人間とは何かが違う、そう感じるのは何故だろうか。
外まで行くと外には外出用の衣服に包まれた紫の皇子、黒雪がそこに居て、陽炎を見つけるなり、にこりと微笑んだ。サングラスで目元も笑っているかどうかは判らないが、鴉座がいるときは大抵心から微笑んでいるときだ。
陽炎は、緑の正装に白い上品なマントで身を包ませて、舌打ちしてから馬車へと乗り込む。
馬車の中には、綺麗なのに男のように髪の毛を刈られた女騎士がいて、自分を見るなり睨み付けて、いつまでも女騎士に見惚れている自分へ、さっさと座るように促す。
慌てて陽炎はぶしつけな視線を与えていたのに気づき、謝罪しながらも馬車に乗り込む。
外で鴉座は黒雪に絡まれていて、何かからかわれている。
嗚呼可哀想にと思っていると、女騎士が挑発するように己へ声をかけてきた。
「元奴隷の皇子様。馬車の乗り心地は如何ですか? 高級な乗り物すぎて判らない?」
「……――そうだね、馬車にはいい思い出は中々ないな」
陽炎は奴隷、という言葉に反応し、少し半目で相手へ振り返ってお愛想の笑みを浮かべる。
相手はにやにやと蟹座が揶揄する時よりも苛ついてしまうような、心底悪意のある笑みを浮かべていて、そうですか、と答える。
「普通はね、第一子から生まれた順に馬車に乗るんですよ、この国では」
「嗚呼、ごめんね。俺、この国生まれでも、育ちは別だから」
「そうですね、育ちは確か野山でしたっけ? 牢屋でしたっけ? それとも奴隷小屋……」
「あのさ、あんまりこういう言葉好きじゃないけど、これ以上は気分が悪くなるから聞きたくないから言うからな? ――此処に普通に居る以上は、俺は第二皇子なんだけど? そんな口をきいていいのかな、女騎士殿」
陽炎はその言葉を口にするのでさえ心底気分が悪そうに口にすると、女騎士は口を噤み、己を憎らしげに睨んでいる。
別にこういった視線は珍しくない。先ほど、奴隷を痛めつけていた女もそうだ。
この城には、己の出生が気にくわない故にこうやって嫌味を言う者もいて、まともにかつて信頼出来ていたのは赤蜘蛛だけで、赤蜘蛛がそういう輩を取り締まっていたのだが、彼はもう定年退職をしてしまい――この国の側近というのは定年が速いようだ――、赤蜘蛛は「貴方がこの国を離れるときまでご一緒できずすみません」と謝罪しながらも、城から去ってしまった。
赤蜘蛛は黒雪が何をやっているかは知らないとはいえ、いい人だった。
そして誰よりも城の中では親身になってくれて、母親との最初の再会も躊躇いがちだった自分たちに気を遣い、彼のお陰で今では母親とは喧嘩も出来るような間柄になった。
実際、彼に何度救われてきただろうか。自分こそ、何もお返しが出来なくて申し訳がなかった。
――赤蜘蛛がいなくなってからは、嫌味をおおっぴらに言う者が増えてきた。
中には赤蜘蛛の意志を引き継いでくれている者、先ほどアノバラーダ騎士の皿を割ってしまったが、彼ならば自分が割ったというのなら笑って許してくれると思ったからこそ出来た。そういう己の味方も居るが、赤蜘蛛ほど信頼は出来ない。
やはり、黒雪の方が少なくとも己より力も人望もあるからだ――。赤蜘蛛に言えなかったのだって、黒雪への人望が彼にはあるから。
己にとっては何もかもが不利な土地なのだ、この国は。
生まれ故郷だからといって、味方になってくれるわけではないし、どの国にだって完璧な味方なんていないのだ。
黒雪は鴉座をからかうのに満足したのか、鴉座を先に馬車に乗せてから、己も乗り、馬車を出発させる。
「……皇太子様、何故先に妖仔を乗せるのですか」
「妖仔は俺にとっては、人間より親しみやすいからだよ。嗚呼、ごめんね、紹介が遅れて。陽炎君、この仔はね、スリーパーっていう女騎士。うちの国の女騎士どもの隊長だよ」
「初めまして」
陽炎は興味なく、ただ街の流れるような景色に目を向けて、昔の燃えさかった家の思い出を脳に蘇らせ、気持ちがどんどん悪くなっていく。
黒雪は、それを知っているからこそ馬車を選び、陽炎を乗せたのだ。そして、鴉座を。
にこりと微笑み、気分が悪くなったら鴉の妖仔に甘えなさい、と穏やかに笑いかける。
陽炎は少し青い顔をしながらも、黒雪を眼鏡越しにはっきりと敵意の眼差しを向ける。
「よくも言えたもんだよな。お前と向かい合わせに座ってるこいつが、恐怖属性になってしまったんだって知りながらも。目の前のお前に、怯えて居るんだって知りながらさ!」
「貴様、皇太子にお前などとっ!!」
スリーパーがその言葉に反応し、陽炎にとっつかかろうとしたが、黒雪が一声冷たく彼女の名を呼んで、止める。
「兄弟の会話だよ、気にするな。兄弟なんだから別に、お前でも、テメェでも構わないよ。王になっても、変わらない。父は同じなのだから、問題はない。……ねぇ、陽炎君。鴉の妖仔に関してはね、本当にすまないと思っている。蟹の妖仔にまで影響が出なくて幸いだけどね、君の騎士達には別に何もするつもりはなかったんだよ――」
「何処まで信じられますかね」
鴉座は黒雪に怯えながらも陽炎が側にいて心強いので、こうして憎まれ口を叩ける。だが、黒雪の反応よりも陽炎の顔色の方が気になるので、黒雪へ馬車をもう少しゆっくりと走らせるよう頼んだ。
黒雪は頷き、スリーパーへ命令させる。
「陽炎様、大丈夫ですか?」
「――……気分悪い」
「気持ちも悪いのでしょう? 嗚呼、カーテンを閉めても宜しくて? きっとこの方の場合は景色が見えるから、気持ちが……」
「驚きですね。妖仔の方が、次期国王への言葉遣いがなっているだなんて」
スリーパーの嘲るような言葉が、鴉座の行動の引き金の一つだった。
扉をあけて、ゆっくりと走っている馬車から陽炎を抱えて、そこから飛び降りた。
黒雪は滅多に見開かぬ目を瞬かせて驚き、大声で彼らを呼ぶ。
「陽炎君! 鴉の妖仔!」
だが、もう彼らは人混みに紛れて消えている。黒雪は髪の毛を少し紫色に染めていた。
その姿を見もしないうちから、彼女は怯える。
かしゃかしゃと震える体にあわせるように、甲冑が音を立てて怯えに反応する。
「……――スリーパー。こうなるって判って、言ったね?」
温度の低い声に、彼女は怯えて、がたがたと震える。そして、目を強くつぶって今は居ない彼に許しを必死に乞う。
「……申し訳御座いません、陽炎様……ッ。すぐに誰かに探させ……」
「いいよ。鴉の妖仔の気配は、判るから。何処にいるかも判るし、いざとなったらオレの妖仔を使いに出すから。君だけ特別扱いしたのは、間違いだったかな――?」
「ッ……す、すみません!!」
ひたすら頭をさげる彼女に、黒雪は穏やかな顔のまま微笑ませて、まぁいい、と許しを与えた。
それに安堵するスリーパーは首元のネックレスを必死に掴み、有難う御座います、と礼を告げた。
ネックレスを見つけると、黒雪は愉快そうな声をあげる。
「何のネックレスをしているの? 嗚呼、黒水晶を丸く削った奴だね。……――信仰心が、あついね」
スリーパーは何も答えず、ネックレスをしまい込み、そして馬車の開いたままの扉を睨み付けて、ゆっくりと閉めるのだった。
馬車に乗って、蟹座は気性が危険すぎるしあの外見が少し目立つので黒雪には禁止され、付き添って良いのは鴉座一人となった。
それならばと陽炎は黒雪に、お前も一人だけの護衛兵にしろと睨んだが、それはあっさりと承諾された。
きっと、彼は己が星座と恋愛するならば何でも惜しまないし、その過程も見たいのだろうし、護衛なんて居たって居なくたって同じなのだろう。
陽炎と鴉座は思わず、黒雪に中指を立てたくなったが、それは許されない。
何故城下街を見に行くことになったかと言うと、城専用妖術師がこの日、街の人々によって選ばれる日だからだ。
だからか、黒雪はいつもに比べて、威圧感がより増していて、恐怖属性を持ってしまった鴉座はそれに怯える。
「……我が愛しの君。私では貴方を守れないです」
「大丈夫。公の場では何も俺にはしないだろうし、お前も怖いだろ、城に一人残されたら。蟹座は恐怖属性なんて持ってねぇんだから、お前は安心して甘えろ。偶にはお前が甘えろ」
「――我が君は、偶に無意識に殺し文句を言うからタチが悪い。判りました、残酷な貴方をプラネタリウムの仕組みに反してまで好きになってしまったときから覚悟はしております。……貴方の側に。ただ、あいつを見て貴方が何か思ってたら嫉妬しても構いませんよね?」
「……――何か思うまでの感情かどうかは、まだ判んねぇってば」
部屋で身支度を調えて、それから城の外で待ってる皆をこれ以上遅らせてはならないと思って近道の通路を駆けているとき。
「……ッの馬鹿が!」
鞭の音が聞こえて、陽炎はびくりと反応した。
鴉座は即座に、昔の奴隷時代に受けた鞭を思い出したのだろうと悟ると陽炎の耳になるべく音が入らぬように己が壁となろうとするが、その前に陽炎は音のする方へ歩み出して、音のする部屋を覗く。
「この皿はね、代々この国に仕えてるアノバラーダ騎士様がくださった、お前よりも高い皿なんだよ!」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
「どうしてくれるんだい! 嗚呼、私が怒られるじゃないか! お前なんか、お前なんか買わなければよかったよ!!」
鞭の音が、目の前の状況と一致する。
奴隷がどうやら高い皿を真っ二つに割ってしまい、それ故に仕置きを受けているのだ。
陽炎は、昔の己をそこに見ている気がして気づけばそこに出ていた。
「あ。おやおや、これは第二王妃の御子様じゃないですか。どうしました? 何か臭ってつられてきましたか? 嗚呼、すみませんね、この奴隷、臭いですからね」
陽炎に対して見下すような、それでも媚びを売るような態度の女に陽炎は、にこりと笑いもせず、奴隷を見やる。
奴隷は震えてお皿を見ている。自分に気づいては居ない。
まだ、何と幼い子供なのだろうか。自分が売られた頃と同い年くらいに見える。
紫の髪の毛に、子供のとき特有のくりくりの丸い目をしていて、その目の色は片目が黒いが、片目が不気味に銀色をしている。
銀色と黒いそれはひたすらに皿を目に映していて、陽炎は、無言で無表情にその皿の欠片を取り上げる。
女が何かを言う前に、陽炎はその皿を地面に叩き付けて割る。
「アノバラーダさんに、俺が割っちゃったからごめんって言っておいて。この皿、俺が割ったから、この仔はもう鞭は要らないよな? そうだ、それに丁度奴隷が欲しいと思ってた所なんだ。明日からその子、俺の世話役にしておいて」
陽炎はそれだけ言うと、背を向けてその部屋を出る。
それから、そこで腕を組んでため息をついて待っている鴉座に、申し訳なさそうな顔をする。
「……――全ての奴隷を救えるとは思ってない。俺が国から出て行ってしまったら、アノコは余計に拙くなるだけ。判ってる。判ってるよ。どうせ偽善者だよ」
「……――貴方は、誰にでも残酷ですね。……私から世話役を奪うなんて。でもね、我が愛しの君」
「ンだよ、文句ならもう後で――」
「惚れ直してしまいました、と言ったら貴方はお叱りに?」
鴉座は優しく微笑み、陽炎の頭を丁寧に撫でる。
本当ならば抱きしめたいのだが、それは今してはいけないのだろうと思う。
少し頬を朱に染めて、睨み付けながらも何も言わず、先へ勝手に早歩きしだした陽炎を見守るだけで満足しよう。
とても、とても愛しさが、胸の内で募るから。
(貴方は、優しくないとか卑怯だからとか言いますけれどね。それより相応しいのは、残酷だという言葉だと思いますよ? 嗚呼、八方美人でもいいですね。でも、何故かな。人間くさく、人間の汚さも持ち合わせているとそれが表しているのに、人間嫌いになってしまった私にも、プラネタリウムの欲目抜きに、とても――親しみを持ててしまうのです)
己の主人は別格だ――他の人間とは何かが違う、そう感じるのは何故だろうか。
外まで行くと外には外出用の衣服に包まれた紫の皇子、黒雪がそこに居て、陽炎を見つけるなり、にこりと微笑んだ。サングラスで目元も笑っているかどうかは判らないが、鴉座がいるときは大抵心から微笑んでいるときだ。
陽炎は、緑の正装に白い上品なマントで身を包ませて、舌打ちしてから馬車へと乗り込む。
馬車の中には、綺麗なのに男のように髪の毛を刈られた女騎士がいて、自分を見るなり睨み付けて、いつまでも女騎士に見惚れている自分へ、さっさと座るように促す。
慌てて陽炎はぶしつけな視線を与えていたのに気づき、謝罪しながらも馬車に乗り込む。
外で鴉座は黒雪に絡まれていて、何かからかわれている。
嗚呼可哀想にと思っていると、女騎士が挑発するように己へ声をかけてきた。
「元奴隷の皇子様。馬車の乗り心地は如何ですか? 高級な乗り物すぎて判らない?」
「……――そうだね、馬車にはいい思い出は中々ないな」
陽炎は奴隷、という言葉に反応し、少し半目で相手へ振り返ってお愛想の笑みを浮かべる。
相手はにやにやと蟹座が揶揄する時よりも苛ついてしまうような、心底悪意のある笑みを浮かべていて、そうですか、と答える。
「普通はね、第一子から生まれた順に馬車に乗るんですよ、この国では」
「嗚呼、ごめんね。俺、この国生まれでも、育ちは別だから」
「そうですね、育ちは確か野山でしたっけ? 牢屋でしたっけ? それとも奴隷小屋……」
「あのさ、あんまりこういう言葉好きじゃないけど、これ以上は気分が悪くなるから聞きたくないから言うからな? ――此処に普通に居る以上は、俺は第二皇子なんだけど? そんな口をきいていいのかな、女騎士殿」
陽炎はその言葉を口にするのでさえ心底気分が悪そうに口にすると、女騎士は口を噤み、己を憎らしげに睨んでいる。
別にこういった視線は珍しくない。先ほど、奴隷を痛めつけていた女もそうだ。
この城には、己の出生が気にくわない故にこうやって嫌味を言う者もいて、まともにかつて信頼出来ていたのは赤蜘蛛だけで、赤蜘蛛がそういう輩を取り締まっていたのだが、彼はもう定年退職をしてしまい――この国の側近というのは定年が速いようだ――、赤蜘蛛は「貴方がこの国を離れるときまでご一緒できずすみません」と謝罪しながらも、城から去ってしまった。
赤蜘蛛は黒雪が何をやっているかは知らないとはいえ、いい人だった。
そして誰よりも城の中では親身になってくれて、母親との最初の再会も躊躇いがちだった自分たちに気を遣い、彼のお陰で今では母親とは喧嘩も出来るような間柄になった。
実際、彼に何度救われてきただろうか。自分こそ、何もお返しが出来なくて申し訳がなかった。
――赤蜘蛛がいなくなってからは、嫌味をおおっぴらに言う者が増えてきた。
中には赤蜘蛛の意志を引き継いでくれている者、先ほどアノバラーダ騎士の皿を割ってしまったが、彼ならば自分が割ったというのなら笑って許してくれると思ったからこそ出来た。そういう己の味方も居るが、赤蜘蛛ほど信頼は出来ない。
やはり、黒雪の方が少なくとも己より力も人望もあるからだ――。赤蜘蛛に言えなかったのだって、黒雪への人望が彼にはあるから。
己にとっては何もかもが不利な土地なのだ、この国は。
生まれ故郷だからといって、味方になってくれるわけではないし、どの国にだって完璧な味方なんていないのだ。
黒雪は鴉座をからかうのに満足したのか、鴉座を先に馬車に乗せてから、己も乗り、馬車を出発させる。
「……皇太子様、何故先に妖仔を乗せるのですか」
「妖仔は俺にとっては、人間より親しみやすいからだよ。嗚呼、ごめんね、紹介が遅れて。陽炎君、この仔はね、スリーパーっていう女騎士。うちの国の女騎士どもの隊長だよ」
「初めまして」
陽炎は興味なく、ただ街の流れるような景色に目を向けて、昔の燃えさかった家の思い出を脳に蘇らせ、気持ちがどんどん悪くなっていく。
黒雪は、それを知っているからこそ馬車を選び、陽炎を乗せたのだ。そして、鴉座を。
にこりと微笑み、気分が悪くなったら鴉の妖仔に甘えなさい、と穏やかに笑いかける。
陽炎は少し青い顔をしながらも、黒雪を眼鏡越しにはっきりと敵意の眼差しを向ける。
「よくも言えたもんだよな。お前と向かい合わせに座ってるこいつが、恐怖属性になってしまったんだって知りながらも。目の前のお前に、怯えて居るんだって知りながらさ!」
「貴様、皇太子にお前などとっ!!」
スリーパーがその言葉に反応し、陽炎にとっつかかろうとしたが、黒雪が一声冷たく彼女の名を呼んで、止める。
「兄弟の会話だよ、気にするな。兄弟なんだから別に、お前でも、テメェでも構わないよ。王になっても、変わらない。父は同じなのだから、問題はない。……ねぇ、陽炎君。鴉の妖仔に関してはね、本当にすまないと思っている。蟹の妖仔にまで影響が出なくて幸いだけどね、君の騎士達には別に何もするつもりはなかったんだよ――」
「何処まで信じられますかね」
鴉座は黒雪に怯えながらも陽炎が側にいて心強いので、こうして憎まれ口を叩ける。だが、黒雪の反応よりも陽炎の顔色の方が気になるので、黒雪へ馬車をもう少しゆっくりと走らせるよう頼んだ。
黒雪は頷き、スリーパーへ命令させる。
「陽炎様、大丈夫ですか?」
「――……気分悪い」
「気持ちも悪いのでしょう? 嗚呼、カーテンを閉めても宜しくて? きっとこの方の場合は景色が見えるから、気持ちが……」
「驚きですね。妖仔の方が、次期国王への言葉遣いがなっているだなんて」
スリーパーの嘲るような言葉が、鴉座の行動の引き金の一つだった。
扉をあけて、ゆっくりと走っている馬車から陽炎を抱えて、そこから飛び降りた。
黒雪は滅多に見開かぬ目を瞬かせて驚き、大声で彼らを呼ぶ。
「陽炎君! 鴉の妖仔!」
だが、もう彼らは人混みに紛れて消えている。黒雪は髪の毛を少し紫色に染めていた。
その姿を見もしないうちから、彼女は怯える。
かしゃかしゃと震える体にあわせるように、甲冑が音を立てて怯えに反応する。
「……――スリーパー。こうなるって判って、言ったね?」
温度の低い声に、彼女は怯えて、がたがたと震える。そして、目を強くつぶって今は居ない彼に許しを必死に乞う。
「……申し訳御座いません、陽炎様……ッ。すぐに誰かに探させ……」
「いいよ。鴉の妖仔の気配は、判るから。何処にいるかも判るし、いざとなったらオレの妖仔を使いに出すから。君だけ特別扱いしたのは、間違いだったかな――?」
「ッ……す、すみません!!」
ひたすら頭をさげる彼女に、黒雪は穏やかな顔のまま微笑ませて、まぁいい、と許しを与えた。
それに安堵するスリーパーは首元のネックレスを必死に掴み、有難う御座います、と礼を告げた。
ネックレスを見つけると、黒雪は愉快そうな声をあげる。
「何のネックレスをしているの? 嗚呼、黒水晶を丸く削った奴だね。……――信仰心が、あついね」
スリーパーは何も答えず、ネックレスをしまい込み、そして馬車の開いたままの扉を睨み付けて、ゆっくりと閉めるのだった。
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