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第二話

狼と出会い

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「田中くん、あと三十分で出るわよ」
「あ、はい。もうすぐ終わります」

 「卍」に来て、早二週間。総吾郎は新人の一人として「卍」のメンバーに紹介され、正式に加入が認められた。しかしやはり「純血種」は珍しいらしく、あちこちでつつかれる。それでも、自分の加入が疎まれているわけではないようだった。
 支給された普段着のTシャツとジーンズの上に、「卍」と印字された白いコートを羽織る。実際着てみて思ったが、しっかりした素材のせいか重い。夏になるとまた違うものになるらしいが、春に入ったこの時期では少し暑苦しかった。

「やっぱり似合わない」

 真顔で言うということは、本当にそうなのだろう。それ以前に、アキラは冗談や世辞を言わない。二週間ほぼ毎日顔を合わせていると、さすがに少し彼女のことが分かってきた。

「分かってますよ……」
「まあ、まだ若いしね。大人になったら貫禄とかついてくるんだろうけど」

 そう言いながら、彼女は自分のリュックの中身を確認し始めた。
 今日は、総吾郎の初任務の日だ。それまではアキラの強い希望もあり、みっちりと「卍」の理念と作戦部の概要、「種」についてを叩き込まれた。杏介の言う通り、アキラは総吾郎の教育係となっている。そして、今日の任務にも彼女が同行することになっていた。

「そっちは手荷物大丈夫?」
「あ、はい。もう出れます」
「分かった。行きましょう」

 アキラは座っていた椅子から立ち上がると、足で扉を開けた。一見上品そうに見えて、案外そうでもない。杏介がある日愚痴るように「アイツは残念な美人やねんよなあ」と言っていた意味が、よく分かる。
 「卍」からは、私室として寮棟に六畳程の一室があてがわれた。孤児院では他の子ども達と雑魚寝していたせいか、どうも慣れない。その部屋を出て、廊下を歩き始める。

「緊張する?」

 ふと、そう聞かれた。「いいえ」と答えると、アキラは軽く頷くだけだった。
 任務の内容は、既に聞いている。初めてなせいか、簡単なものだった。なので、嘘ではない。
 広場に出ると、何人かの職員がうろついていた。「卍」では杏介のような研究員が半分で、残りが「作戦部」や事務員、看護士らしい。色々な研究をしているらしく、そもそも「卍」は実際研究機関として世に認識されているらしい。「種」を始めとした研究が、今のメインだそうだ。
 アーデルの目論見が、どこまで浸透しているかは分からない。そもそも、他の職員がどうやって「卍」に入ったのかもいまいち分からない。しかし、改めて聞くことでもない気がした。ただでさえ自分は拾われた身であり、新参者だ。杏介も「訳ありが多い」とも言っていたため、あまり突っ込むことではないだろう。
 広場の隅に設置されているエレベーターを起動させると、すぐに扉が開いた。だだっ広い空間に乗り込むと、すぐに上昇が始まる。エレベーターを降りると、コンクリートの広い空間が広がっていた。一番初めに見たトラックや、沢山の自動車が並んでいる。

「駐車場ですか?」
「そう。こっち」

 アキラに手招かれ、彼女についていく。やがて、一台のワゴン車の前で止まった。中に、人がいる。アキラが運転席のドアをノックすると、後部座席のロック解除の音がした。扉をスライドすると、先に入るように目で指示される。乗り込むと、アキラもまた続いた。

「大丈夫ですか?」

 運転席に座っている男性が、こちらを振り返ってくる。どうやら、事務員らしい。アキラの「大丈夫、出して」の声に頷くと、彼は車を発進させた。
 駐車場を出ると、すぐに外の世界が広がっていた。地下にいたせいで気付かなかったが、もう小春日和と言っていい程の晴天だった。後ろの窓を見ると、大きなガレージのような建物がある。どうやら、あれが「卍」の外観らしい。

「意外?」

 アキラの問いに、頷く。「でしょうね」と呟くと、彼女も窓を見た。

「眠ってたものね、あの時。一応『卍』は研究機関ではあるけれど『neo-J』からはほぼほぼテロ組織扱いされているから、あまり目立たないようにわざと質素にしてるの」
「でも、あのトラックは? あれ、堂々と『卍』って書いてましたけど」
「ああ、あれね。あれは取引先と使うやつだから。それに、乗るのは作戦部だけだし。もし見つかったら蹴散らせるように」

 彼女の言う「蹴散らす」、の意味はよく分かっていた。だからこそ、何も言えない。そんな総吾郎の気持ちを分かっているのかいないのか、彼女はリュックから書類を取り出した。

「くどいようだけれど、今日の任務の確認するわよ」
「あ、はい」

 業務用のタブレットを開き、アキラは総吾郎に身を寄せた。前々から思っていたが、女性独特のいい匂いがする。最初はどきどきしたものの、最近になっては彼女を知ってきたせいであまりときめかない。

「まず、今から三十分くらいかけて『ドリフェ』に向かう。で、そこの店長に現在の状況を確認。問題はその後よ」

 彼女は最初、この任務を聞いた時苛立っていた。それを今も尚、引きずっているらしい。眉根が寄っていた。

「……どうするかはその場で決まるんですよね」

 ハラハラしながら、ぼそりと言った。アキラは不機嫌そうに頷くと、書類を強く握り締める。大きな皺が書類を潰した。

「田中くんの初任務なのに、何でこんな不確定なもの回すのかしら。もう本当、上層部引きずりまわしてやろうかと思う」
「だ、大丈夫ですよっ! 俺、ちゃんとやりますから!」

 実際一度、彼女は本部に乗り込みかけた。それを杏介と総吾郎が必死で止めて、結局任務を受諾したのだ。アキラは不満そうだったが、何とか落ち着いてくれた。
 車の少ない車道をすいすいと走っていく中、『ドリフェ』の確認を受ける。あらかた終わると、小さな町の中へと入った。ここに、『ドリフェ』があるという。

「ついたわよ」

 ワゴン車が停車した。降りると、目の前に小さなカフェがある。ここが、「ドリフェ」だそうだ。

「ああ、二人とも。実は前もって店長から言われているんですが」

 扉に手をかけようとすると、運転士が振り返ってきた。頭だけこちらへ向け、気まずそうに口を開く。

「コートは脱いできてほしいそうです。あと、『卍』とバレそうな素振りは避けてほしいとのことで」

 アキラは一瞬眉を寄せたが、「分かったわ」とだけ言う。やはり、今回の任務をいぶかしんでいるようだった。
 コートを脱ぎシンプルな黒いワンピースになると、アキラは総吾郎を見た。総吾郎もまた、コートを脱ぐ。
 コートをおいたまま、車を降りる。運転士に頭を下げると、二人で「ドリフェ」の自動ドアをくぐった。すると、いきなり珈琲の香りが包んできた。

「いい匂いですね」

 漏れ出した総吾郎の呟きに被さるようにして、店員達の「いらっしゃいませ」という声が響いてきた。店内の客はまばらであり、どうやら店もそこまで広いわけではないようだった。しかし、珈琲の香ばしい匂いと緩やかなBGMが、店を居心地の良いものにしている。

「ああ、架根さん」

 奥から、一人の女性がやってきた。まだ若いのだろうが、それは顔の話だ。ふくよかな体系が、第一印象である。

「お久し振りです、店長。田中くん、こちらが『ドリフェ』店長の重手アリヴィさん」

 名前そのままじゃないか、と思いつつ「田中総吾郎です」と頭を下げる。重手はそんな彼の考えに気付いていないようで、にこにこしながら「よろしく」と言ってくる。彼女は店員に合図を送ると、二人を一つのテーブルへ案内した。
 席につくと、店員の一人がお冷やとおしぼりを持ってやってくる。アキラが「日替わり珈琲二つで」と店員に告げると、改めて重手に向き合った。

「で、一体何があったのですか」

 単刀直入である。重手はそんな彼女の威圧に怯えたのか、一瞬その巨体を縮ませる。そして、ぼそぼそと話し始めた。

「すみません、筆談でも構いませんか」
「……はい」

 重手はエプロンから紙とペンを取り出すと、何かを書き始めた。視線だけが、あちこちを泳いでいる。少し気になって店内を見回すと、他の客は皆こちらを気にしていないように見えた。それでも、何か違和感がある。
 ペンを止め、紙の向きが変えられる。

『「neo-J」が店を張っているんです』

 アキラはそれを見ると、表情を軽く緩めた。どうやら、今までの状況についてを納得したらしい。ペンを受け取ると、重手の文の下に何かを書き始めた。それを、紙をあちらに向ける前に総吾郎へと向けてくる。

『いつからですか』

とりあえず頷くと、紙とペンが重手へと渡った。

『一週間程前、最初に「neo-J」の職員が来ました。うちの店の研究内容が少し漏れたらしく、探りを入れに来たんです。白は切ったのですが、それ以来「neo-J」の車がうろついていて、どうしようかと思って』
『店にまでいるんですか』
『一度店員が、うちの店の様子をメモしている客を発見したんです。内容が、研究を探っている成果の報告書のようだったと。変装をしているようで、一般の客と見分けがつかなかったんです。あと、盗聴器も見つかりました。それからは店としてかなり警戒していて、詳しい要請が出せなかったんです。すみません』
『スパイの可能性は?』
『そこは調査済みで、無いと信じています。「neo-J」がうろつき始めてからは新人も採っていません』

 そこで、筆談の流れが止まった。アキラが紙を眺めていると、珈琲が運ばれてきた。緩い湯気が立ち上る珈琲を受け取ると、二人して口に運ぶ。

「……美味しい」

 ふと、総吾郎の口から漏れ出した。珈琲など全然飲んだことがないが、素直にそう感じた。重手は緊張した空気が壊れたことに対してか、最初の笑顔になる。

「それ、マンデリンっていう豆なんですよ。インドネシア産なんですけど、あっちは革命が終わってから珈琲栽培により力が入っているんです。『旧』時代から元々盛んだったそうなんですけど」
「へえ」

 ふと隣を見ると、アキラもまた珈琲をすすっていた。そのまま彼女はペンを取り、紙に走らせる。その顔は、珈琲のおかげかどこか穏やかだ。今までの空気が、一気に和んだように思われた。

『ぶっ潰しましょう』
「へっ?」

 そうでもなかった。
 アキラは紙に再び、言葉を連ね始める。

『「卍」として、ここの研究が奪われるのは痛いですから。相手は「neo-J」です、不足はありません』
「ちょちょちょちょちょっ!」

 思わず声を上げた総吾郎を見、一考する素振りを見せてからアキラは紙とペンを回してきた。どうやら、そういう判断が出来る程度には冷静らしい。ただ単に元から物騒な人間なだけなのかもしれない。
 紙とペンを受け取り、総吾郎は慌てて書き始めた。

『どの客が「neo-J」なのか分からないのに、そういう判断ってよくないと思います』
「字ぃ汚っ」

 ぐ、と口をつむぐとアキラはペンを持ってしばし止まった。しかし、一度頷いてペンを走らせ始める。

『分かった。じゃあ、まず調査から始める。奴らがどこまで知ってるかも調べる。話はその後ね』

 ぶっ潰すのは確定なんだな、と思いながら総吾郎は頷いた。重手も内容を見て、何度も頷いた。

「すみません、よろしくお願いします」

 アキラは頷くと、席を立った。総吾郎も慌てて続く。

『作戦が決まり次第、上手く連絡します』

 そうとだけ書き残した紙と小銭を置き、アキラは重手に頭を下げた。そして、「行くわよ」と耳打ちしてきた。
 店を出て、車内に戻る。二人を確認すると、すぐに発進した。

「なるほどね、面倒なことになってるじゃないの」

 車が、夕日に染まる車道を走る。少しずつ、混雑し始めている。

「あの、アキラさん。さっきからずっと思ってたんですけど、研究って何なんですか?」

 あの筆談でのやり取りに、散々出てきていた。あの場では状況が状況だけに突っ込めなかったが、車に戻った今なら盗聴の心配もないだろう。
 アキラは「ああ」と総吾郎へと向き直った。

「『ドリフェ』が『卍』の管轄ってのは言った通りなんだけど、最近少しあることに気付いてね。店の経営の援助と引き換えにそれの研究をしてもらってる。珈琲持ってきてくれた子いるでしょ、あの子うちの研究員」
「そ、それで?」
「その内容っていうのが、これ」

 アキラはワンピースのポケットから、小さな何かを取り出した。それは、黒く光る珈琲豆だった。どこからとってきたのだろう。

「『種』の原材料は鉱石って言ったけど、限定じゃない。うまく行けば、こういう他の物質でも出来るんじゃないかって。それの研究」
「なるほど……」

そう相槌を打つと、彼女の表情が少し曇った。オレンジ色が差し込んでくる車内に、重い息を一つ吐く。

「調査ね……どうしようかしら、何かいい案ある?」

 いきなり振られ、少し驚く。しかし思いつかず、総吾郎も首をねじる。その様子に、彼女は更に溜息を吐いた。

「さすがに『neo-J』相手に派手なこと出来ないし、そこの手回しもしないと。まあどっちにしろまず目立たずに調査はしないといけない、か」
「目立たないって、潜入とか?」

 ふと、思いついたままに言ってみる。すると、アキラの目が少し大きく開いた。表情をそれ以上変えずに、感心したように「そうね」と呟く。

「田中くん」
「はい?」
「上には、私から言っておくわ。あなた、あそこでバイトしてきて」
「……はい?」






「ここが洗い場。名目が名目だけに多分そんな色々教えられることもないだろうから、基本ここにいてもらうことになるけど」
「はい、大丈夫です」
「接客はまず、ここの空気に慣れてからね。あまり慣れない子を出すと、下手したら感づかれるかもしれないし……でも怪しいとしたらやっぱりお客さんだろうから、出来るだけ早めに出てもらえるようになると助かるな」

 あれから二日が経った。今総吾郎は、『ドリフェ』のエプロンをつけて広いキッチンに立っている。

 結局アキラの案は可決され、「ドリフェ」側も人手が足りないから丁度いい、と快諾してきた。アキラはといえば、自身の仕事が多忙だと言ってこちらへは来ていない。何かあればすぐに駆けつける、とは言われているが正直すぐに何かが掴めるとも思えない。
 研究員である店員は一通り業務を説明すると、自分の仕事に戻っていった。とりあえず、言われた通りに汚れた皿を洗い始める。最初こそは手間取ったものの、一時間も経てばコツが掴めてきた。
 元々器用ではあるし、孤児院での経験から順応性もあると自負している。なので正直、潜入するのは自分でも向いている気がしていた。
 終業時間になり、挨拶をして店を出ようとする。すると、重手に呼び止められた。

「お腹空いてるでしょ、これ食べて」
「えっ、いいんですか?」

 手渡された箱は、ずっしりと重かった。中身は分からなかったが、重手はにこにこと笑っている。

「うわー、ありがとうございます。あっちに戻ったら頂きます」

 お疲れ様でした、と言い残して裏口から店を出た。箱からは、わずかに甘い香りがする。少しわくわくしながら、『卍』の送迎車へと向かった。

「ん?」

 何か、聞こえる。定期的な、感覚の短い風のような音だ。もう九時を回っており、電灯の少ない夜道では心細い程度には暗い。目をこらしてあたりを見回すと、小さな弱い光が二つ見えた。疑問に思い、近付いてみる。

「……犬?」

 犬にしては、大きい。慣れた闇の中に居たそれは、灰色の獣だった。犬のような、しかしどちらかと言えば狼に近いだろう。とにかく大きい。二足になれば、きっと二メートルはあるだろう。それはきゅんきゅん鳴きながら、ぼんやりと総吾郎を見てくる。どうやら、元気が無いようだった。しかし、鼻だけがせわしなく動いている。
 少しずつ、近付いてみる。狼は大人しいまま、緩く尻尾を振り始めた。視線は、総吾郎の持っている箱だった。

「腹減ってるのか?」

 狼が、頷く。人語が分かるのだろうか。
 辺りに誰もいないことを確認してから、総吾郎は狼の脇にしゃがんだ。箱を開けると、一気に甘い香りが漂う。中身は、大きめのホールのパンケーキだった。何もかかっていないようなので、一枚手で掴んで狼へと差し出す。すると、狼は恐る恐る咥えた。しかし耐えられなくなったのか、勢いよく屠りだす。余程空腹だったのだろう。一枚を平らげ、狼は舌で口についたかすを拭った。

「もう一枚いるか?」

 どうやら、三枚入っていたらしかった。狼は頷くと、尻尾を勢いよく振り出す。何だか微笑ましさを感じ、もう一枚差し出した。それに再びかぶりつくと、今度は幸せそうに目を細めた。まるで、甘党な人間のようだ。
 その様子に触発されたのか、総吾郎の腹の虫が鳴った。半分程食べていた狼は口を止めて総吾郎を見上げる。そして、黒く濡れた鼻でパンケーキをぐりぐりと押し始めた。その意味が何となく分かって、苦笑が漏れた。

「俺のはまだあるから、これは全部いいよ。食べな」

 それを聞き、狼は遠慮がちにパンケーキを頬張り始めた。しかしやはり幸せそうである。
 やがて二枚目も食べきり、満足したのか狼は尻尾をぶんぶん振り始めた。総吾郎は箱を元に戻すと、軽く狼の頭を撫でてやる。怒るどころかすりすりと頭を押し付けてくるあたり、やはり狼ではないのだろうか。
 そして、そこまでして思い出す。

「やっべ、怒られる! じゃあな!」

 送迎車の存在を思い出し、駆け出した。その背中に向かい、狼は一度だけ高く吠えた。
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