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第七話
予兆と出会い
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栄佑は集中治療室へ運ばれた。いくら医師が診たとはいえ、さすがに予後観察は必須だ。何か仕込まれていたりしたら一大事でもある。
プラサートには一応客室が宛がわれた。しかし内部からの脱出は出来ない、一種の牢屋だ。それでも彼は一切文句は言わなかった。もっと言えば船の運転は彼に代わってもらって大正解だった。
アキラはアキラで、早速本部に今回の顛末の報告に呼び出されている。彼女いわく、独断で『neo-J』と交渉した事に関してはしこたま怒られるだろう、との事だった。しかしフィトンとのやり取りを思い返すと、断じて間違っていなかったと総吾郎は思う。ちなみに船の運転をプラサートに取って代わられたことはかなり不満げだった。
そして総吾郎は今、集中治療室のガラス窓に張り付いている。
「栄佑さん……」
未だ狼化を解く事無く、意識も戻る事も無く。
すべてが『neo-J』の後手に回ってしまっている。ヒラリの時と同じだ。コローニアには、本当にかなわない。どうすればいいのかも、今の総吾郎には分からない。
肉体的な死は、あの女医師によって免れたと『卍』でも保障された。しかし、目を覚まさない事には……それでは、死んでいるのと同じ。
……それだけは、絶対に嫌だ。
「やあ」
背後から、声。振り返ると、プラサートが立っていた。首には、感知器を兼ねた首輪が取り付けられている。それさえ付けていればある程度の自由は効く、と確か言っていた気がした。
「心配か、彼が」
頷く。首から上が、重い。そういえば基地に戻って二日程、ろくに眠れていない。
「合成人間は元々、動物と合成する前に特殊薬物によって肉体強化が為される。その薬物の拒否反応で死ぬのが半分、更に動物DNAとの混合によっての拒否反応で死ぬのがそこから三分の二。私もそうだが、彼もそれを生き延びた」
何故急にそんな話をするのか分からなかった。彼は硝子越しに、栄佑をただ真っすぐ見ていた。
「安西栄佑は日本人の純血種で初の成功例だ。何故か、純血は混血より拒否反応に遭いやすい。だからこそ貴重なサンプルとして、『neo-J』でもかなり重宝されていた」
「サンプルって……」
「だからこそ須藻々光精が傍に置いていた。安西栄佑の存在を、重要視していた」
話が、見えない。睡眠不足のせいで脳の処理が追いついていないだけなのか。それでも、プラサートは話を止める気配が無い。
「……一度だけ、安西栄佑と話す機会があった。私は私で母国からの贈答という形で『neo-J』で処置を受けた。体よく言っているが、売られたようなものだ」
売られた。その一言で、栄佑との会話の記憶がよみがえる。
「彼の存在は、合成人間の中で有名だった。初の日本人純血種成功例、しかも『門』に所属。『neo-J』で言う『門』は、言わば戦闘部隊の中でも精鋭の存在だ」
光精の事を思い出す。彼は、『門』の管理を行っていると言った。そこで、栄佑を……飼っていたかのような、言いぐさ。実際栄佑も彼に対してかなりの憎悪と殺気を抱いているようだった。
「たまたま点滴の時間が被ってな。そこで聞いた、合成人間にされた事を恨んでいないのかって。私はその時、恨んでいたんだ。『neo-J』の事も母国の事も」
「…………」
「『恨む力より、この先の希望に賭ける力が大事だから』と答えられた。その時、私の中で……何か、荷が下りたような。何かが軽くなった感触があった」
希望。
「さすがに皆無では無かっただろう。『neo-J』に縛られ、殺人もせざるをえないような任務にばかり出され。彼が『neo-J』を脱し『卍』に入った時、暗殺命令が出された。それでも」
プラサートの手が、硝子に触れる。わずかに、力んでいた。
「……我々合成人間は全員、固辞した。彼の希望を、信じた。遠く離れ、敵の立場に立たされたと分かっていても、我々は……彼を、信じた」
あの人懐っこい、たまに煩わしくも温かい心を持ったヒトを。
「あの人は、死なない。こんなところなんかで。あの人は今、きっと自らの希望のために戦っている」
そうだ。彼は、そういうヒトだ。
プラサートを見上げる。彼もまた総吾郎を見ると、そっと微笑んだ。
「……君も信じてやってくれ。私は今こういう立場だし、恐らく彼も私を覚えていないだろう。けれど、礼を言いたいんだ。目を覚ましてもらわねば困る」
涙腺が熱くなる。心の奥が、ぎゅっと締まる。そうだ、今の自分に出来る事は、それだ。
ふと、聞こえる車輪の音。通路の方を見ると、アレッタがいた。見かけるのは実に久しぶりだ。彼女は、まっすぐ総吾郎とプラサートに向かって車輪を走らせてくる。その顔は、どこか消沈しているように見える。そして、少しやつれていた。
「そーごろ……おかえりなさい」
「アレッタ、今までどうしてたんだ。アマイルスさんに聞いても面会謝絶って」
アレッタは泣きそうなのを必死に堪えている顔で、総吾郎を見上げた。
「えーすけが……しんじゃうかもって、アマイルスがいってて。ちょうせいがおわったからいいよ、って。だから、きたの」
「調整? 何の?」
「えーすけ、そのおへやにいるんでしょ。でもいれてもらえないの、アレッタ」
ぼろぼろと、大粒の涙が落ちた。それを隠すように、アレッタの小さな手が顔を覆う。
「えーすけをそんなにしたやつ、アレッタぜったいゆるさない。えーすけ、きっといたかったよね。だから、アレッタがかたきをうってやるの。そのために、アマイルスともやくそく、したの」
アレッタを、抱きしめる。涙で胸が濡れるが、かまわない。
「大丈夫だアレッタ。だから、今は栄佑さんが早く目を覚ますように、祈ろう」
頷かれる。そうだ、この子も待っている。
その時だった。
『――架根アキラ、田中総吾郎。至急、本部まで来られたし。至急、本部まで来られたし』
放送だった。恐らく、来た。
プラサートを見る。彼もまた頷いた。
「私もついていこう」
「アレッタも、いく」
アレッタを見ると、彼女は強い目をしていた。泣いてはいるが、何か……決心しているかのような。
「『ねおじぇー』がくるんでしょ。アレッタも、いく」
「いいんじゃないか。もし門前払いされたらその時はその時だ」
「……そう、ですね」
最後にもう一度、栄佑を見る。彼は未だ、目覚めない。
本部へと続く廊下をひたすら歩く。アレッタもまた、二人に速度を合わせて走行している。そこで、ある事に気づいた。
「アレッタ、腰のところそんなんだったっけ」
前回は、腰の部分にそのまま生身と機械化された胴が繋がっていてそこから足代わりの車輪が伸びていたはずだった。しかし今は、接続部に何か掛け金のような部品がたくさんついている。
アレッタは誇らしげに胸を張った。
「アマイルスがね、つけてくれたの! 『つよくなりたい』っていったらね、かいぞーしようってはなしになってね」
「……改造?」
「これいじょーはおとめのないしょ!」
どこか嫌な予感がする。しかし、アレッタもそう思っていたのか。自分だけではなかった。
本部の扉の門番に事情を話すと、彼はプラサートとアレッタを追い返しはしなかった。扉が開き、薄暗い……一度だけ見た、あの部屋。
アキラの姿が見えた。先に到着していたらしい。そして、千場樹アーデルと一号も。
「足音が、多いな」
そうだ、彼は目が見えない。一号が口を開いた。
「田中総吾郎、アレッタ・アニェージ、そして今回の捕虜です」
「ふむ、呼び出す手間が省けたか。よろしい、掛けなさい」
アキラの座るソファに、並んで腰かける。彼女は完全にぐったりしていた。恐らく、怒られ疲れているのだろう。
向かい合うアーデルは、表情こそ穏やかだったが……だからこそと言うべきか、心情が見えない。
「さて、アキラと総吾郎くん。今回呼び出したのは他でもない」
ごくり、と生唾を飲む。緊張する総吾郎とは裏腹に、アキラはただぐったりとした顔を崩さなかった。
「……まず、君たちの功労を讃えたい。君たちは、実によくやってくれた」
ぽかん、とする。予想外だ。何か叱責か何かを受けると思ったのに。アキラも同じだったらしく、いぶかし気に目を見開いていた。
「確かに安西栄佑を危険に晒したのは褒められた事ではない。しかし、これで堂々と『neo-J』に接触する機会を得た。あちらの下っ端との小競り合いではなく、今回はそれなりの者が来る」
「それなり?」
アキラの問いに、アーデルは頷く。一号が空中ディスプレイに映像を出現させた。少しノイズめいた映像に映っているのは、メール文書だ。
「読み上げます。『先日話した医師と当組織職員の引き渡しは第七都市公園にて行う。当日、二名を必ず無事に連れてくるように。さもなくば法的措置をとる』。一週間後の予定です」
「自分たちこそ真っ黒な事してるくせに何が法よって感じだけど」
アーデルは僅かに笑ったが、それだけだった。すぐに厳めしい表情を浮かべる。
「第七都市公園は、国家管轄……即ち奴らの領域だ。この呼び出し自体が罠である可能性が高い」
「というより、罠そのものでしょう。調べてみましたが」
一号の手が空中ディスプレイを細々と操作する。次に浮かび上がったのは、大量の戦車が格納されているガレージだった。
「第七都市公園から百メートル程先に、『neo-J』の軍事施設があります。小規模ではありますが、都市公園を占拠し簡易戦場にするには十分過ぎる程です」
「行けば蜂の巣は免れん。捕虜の二人に自主的に向かわせようにも、恐らくそれはそれで何か策は容易してあるだろう。つまり、捨て身の戦闘員を投入するしかあるまい」
淡々というが、要約するとなかなか絶望的だというところだろうか。プラサートを見るも、彼は申し訳なさそうに目を伏せるだけだった。アキラは未だに憔悴しきった面持だ。
そんな中、口を開いたのはアレッタだった。
「そこ、こーえんなの? おそら、あいてる?」
一瞬、なにを言っているのか全員が分からなかった。しかし一号はすぐに場面を展開させた。公園の風景になり、空を映す。
「屋根はありません。多少樹木はありますが」
「んー、ひろい?」
「5400平方程です。この基地総面積の倍程ですね」
何故、そんな事を確認しているのか。意図が分からなかったが、アーデルは思い出したように口を開いた。
「そうか。君は……ふむ、もう完成したのかい」
「んーん、まだ! アマイルスがあと3日くらいかかるって」
「間に合うな。恐らくあちらもそれなりの用意を行ってから来るはずだ」
何が何だか分からないが、恐らくアーデルは何か知っている。しかし、どうも探りづらい。アキラは退屈そうに欠伸をしていた。ぐったりしているように見えたが、もしかすると実は眠いだけだったのだろうか。
アーデルは少し考える素振りを見せたが、一つ頷いた。そして、告げる。
「アキラ、総吾郎くん。そして、レディアレッタ。君たち三人と、あと整備のためアマイルス達も付けよう。罠を、破壊せよ。可能であれば首謀者を生け捕りにし」
そしてそっと、ひとつだけ。
「……この世界に、新たな『革命』を起こす手立てを、回収するのだ」
「……結構『種』使ったやろ」
杏介がカルテを見ながら、呟く。アキラは首をひねった。
いつも白い、ただの白。そんな病室を、アキラは十年以上見てきた。月に二度の検診は、もはや実験経過の調査に過ぎない。アキラの体は、既にただの人間が生活を営む器とは意味を別していた。
定期健診は、最近ずっと杏介が行っている。
「結構『根』が伸びてきとるな。痛かったやろ」
「耐えたわ」
日ノ丸号の時点で感じていた。総吾郎には決してバレまいと表情にも口にも出さずにいたが、確かにそれは年々増してきている。戦闘終了後に限った話ではあるが。
潮時かもしれない、とは最近ずっと思っていた。しかし、今となっては体内に巣食う『種』こそがアキラの一部となり得ている。
「一週間後に大規模作戦があるの、聞いたでしょう。『卍』の未来に関わるかもしれない。万全で臨みたいわ」
「抑制剤増やすか。次回はあまり体内の『種』使うな、出来るだけ吸収する方のやつにしとき」
杏介はアキラに対してはいつもこんな感じだ。根は人間臭いものの、仕事上ではあくまで淡々としている。アキラもそこに、どこかシンパシーを感じなくはない。
自身に自我が無いとは思えない。ただ、何かに執着することも今までなかった。『卍』は大切だ。アーデルのことも、恩人だと思っている。
それでも。最近、おかしい。
「ひとつ、相談してもいいかしら」
杏介は「珍しい」とだけ言い、アキラを見た。少しずつ、唇を動かす。
「最近、夢を見る」
眠る時のように。心の奥底に何かがたゆたっているのを、白昼夢のようなまどろみの中感じる。
あの、男の顔。自身を捉えた時の恍惚とした表情、アキラの秘密に対し泣きそうになっていたあの男。忘れられないというより、二度と忘れてはならないと思う。
……二度と?
「心の中に、記憶の中にこびりついているの。忘れられない」
「それは、人の事か」
「……須藻々光精。滝津マトキと品野アレクセイの時に再会して以来、ずっと」
杏介はデスクにカルテを置いた。改めて、腕を組み椅子に深く腰掛ける。
「『再会』言うたな。その前に会ってんのか」
「分からない」
額の奥が、熱い。何かが、暴れている。
「ただ、あの時会ったのは絶対に初めてじゃない。当時は気付かなかったけれど、最近になって……自分の記憶を整理したの」
杏介は何も言わない。ただ、聞いている。
「……記憶が、あやふやなのよ。5歳頃からいきなり記憶がはっきりしてる」
「架根」
「深夜に、情報部に侵入して私の記録を調べた。データベースじゃ信用出来ないから、紙媒体のファイルを朝まで漁った」
そして、感じた。紙の感触から何まで、すべてに違和感。
「5歳以降の記録は、何もおかしくなかったわ。問題はそれ以前。紙が、新しかった。印字のフォントタイプも調べたら、数年前に出来たばかりのものだった。紙媒体の資料はそれより前に廃止されてる」
「ストップ」
杏介の手が、アキラの口元をふさいだ。彼の目は、揺れている。
「……今は口には出すな。俺が調べたる」
小声で、耳打ちされる。ひとまず頷くと、掌が口から離れた。
やはり、そういうことなのだろう。そして、『卍』の中でそれなりの立ち位置に……しかも基地内の情報には自分以上詳しい杏介すら知らない事実がある。
……いろいろ、疑いだしてもいいのかもしれない。
「それはともかく、須藻々光精の夢か。そんな頻繁に見るんか」
「ええ。恐らく、5歳以前に彼とは何かあった。それを忘れずに私に執着しているのは、ある意味なかなか気持ち悪い話だけれど」
「どんな夢なんや」
「何て事はないの。ただ、彼がいる。とくに話す事はなく。彼が……何も無い空間に居て、私が眺めている感じ」
ふむ、と杏介は呟いた。今気づいたが、どこかコローニアの口癖に似ている。アキラ自身は先日まで彼が『neo-J』にスパイに出ていた事など知らなかったが、やはり幼少期の影響は色濃く現在に反映されてしまうらしい。
そう、アキラですら知らない事実が『卍』にはある。
「あっちはお前に相当執着してるって言ってたな。『neo-J』の人物データベース調べても、あいつに関しては『門』の担当いう事しか分からん」
それは、とっくに試して知っていた。
「でも、逆に言えばそれがまずおかしい。意図して隠しとるな、あれは。お前の記憶戻るのまずいって言ってたんやっけ?」
「ええ。変な影響が出る可能性あるから。そしてその記憶を消したのは……」
口をつぐむ。もし、それが真実だとしたら。
どこか悩む素振りを見せ、杏介の口がへの字に曲げられる。
「お前とは十年くらいしか付き合いが無いから、俺にとってのお前は今のお前や、架根。昔っから何も変わっとらん。仏頂面で不愛想、鉄の仕事人。……それは多分もとの人間性や、どうせ」
彼の目が、アキラを捉える。真っすぐな、疑いも何も見えない目。
「仮にお前の5歳より前も、そんなもんや。お前は結局お前や」
ぶっきらぼうな物言いだが、そこには確かな信頼を感じた。
どこかで確かに感じていた、けれど無意識だった不安。そうだ、その言葉が結局ほしかった。
もし自分の5歳までの記憶が確かにねつ造であるというのなら、きっと彼しかその事を知っている人間はいない。すなわち、この『卍』には……誰にも。
目頭が熱くなる。しかし、泣く事はなかった。長い年月訓練され実験台にされた体は、どこか生物としての機能を失っているようにも思える。まるで、本当にあの『種』の苗床だ。
杏介の手が、わしゃわしゃとアキラの頭をなでる。
「須藻々光精のことは、どうせお前の記憶が戻らな正体は掴めん。あまりそこを考えるな。安心せぇ、奴らは俺らにとっていつまでも敵や。接触する機会はいくらでもある」
「ええ」
そうだ。まだ、チャンスはある。彼にもう一度会い、確かめる機会は必ずあるはずだ。
「……ありがとう、林古くん」
「まあ、幼馴染みたいなもんやからな」
コーヒーを差し出される。受け取り口づけると、久しぶりの味がした。杏介はいつも、蜂蜜を入れる。
「ちなみに、記憶戻りそうな兆候とかはあるんか」
首を振る。むしろ最近こういう夢を見だした事自体が兆候かと思ったが、そこから一切進展はない。
杏介はまた少し考え込む。彼は話をしていると、よくこうなる。
「……お前が須藻々光精に会ったのは、ここ二、三か月の話やでな。夢に出てくる須藻々光精は、どんな姿や」
「どんな?」
「もし5歳より前のお前と奴に関わりがあるって言うなら、お前の……その、潜在意識か。その中に、奴の幼少期の姿とかあるんちゃうか」
考えてもみなかった。確かにそうだ、有り得る。
改めて思い出そうとする。何度も見た夢を、手繰り寄せる。しかし。
「――っ!」
「大丈夫か」
突き刺すような、頭痛。まるで、阻害されているかのような。しかし、これではっきりした。
やはり須藻々光精は、関わりがある。そして、自身の5歳以前の記憶は、確実に……ねつ造されている。
「架根、大丈夫か」
「……ええ」
掴まなければならない。
「……なぁに勝手にやってくれてんだか」
久しぶりに聞く、光精の声。わざわざ直々に足を運んで彼がギルベルトを呼びに来た時、正直心臓が止まると思った。久々に二人で通路を歩いている時、正直ずっと勃起しっ放しだった。ずっと憧れ、焦がれた男が傍を颯爽と歩いている姿は、とにかく……興奮した。
しかし、実際連れてこられたのは。先日自身がアレクセイを監視していた部屋だった。その時点で嫌な予感はしたが、彼を止めるのは不可能だった。
「いや本当お前最近ちょっと目に余るよ。勝手な事し過ぎ」
彼の端正な顔が、どこか歪む。その表情を歪ませているのが自分だと思うと、不謹慎ながらも興奮が止まらなくなる。心臓の脈打ちが止まらない。
「で、どこまで押さえてんの」
「はいっ、戦車は12台。精鋭Aクラス戦闘員二十名。全員、万全の準備で待機しています!」
この短期間でよくもそこまで集めたものだ。まあ恐らく、どこか強請ったりなどはしているだろう。こいつはそういう男だ。しかもそれを光精のためだなどとのたまう。自分の予想外の施しなど、煩わしいだけだというのに。
しかしそれだけの戦力があれば、確かに『卍』からすればひとたまりも無いだろう。問題は、そこに誰が来るかだ。
まず、当事者として……あとはあの責任感の強さからして、総吾郎は確実に来るだろう。アキラは正直分からない。
「相手がどう出るか掴んだ?」
「そ、それはまだですが……でも絶対、確実な戦果は保障いたします。必ずや、あのボンクラ二人を取り戻し現れた『卍』を蹴散らします!」
溌剌と、褒めてもらいたいがために胸を張るギルベルトに少しイラつくも表情には出さなかった。あれ以来、秘密裏にコローニアに彼の見張りを依頼していたが上がってくる報告はどれも頭痛のタネになるものばかりだ。
ドイツにて出会ったあの時、彼はまるで神を見るかのような目で光精を見ていた。自分とそこまで歳が離れているわけでもないのに、彼の目は既に光精に魅入られていた。
「もしアキラが来たらどうする?」
一瞬、ギルベルトの表情が固まった。ああ、やはりそういう事か。
……潮時かもしれない。
ギルベルトの首に、手をかける。彼の目は見開かれたまま、光精を見ていた。その顔は、少しずつ紅潮していく。ぐっと、力を籠める。
あの時あの女に感じたものとは違い、体温がある。ヒトとしての、ぬくもり。
「お前のその髪の色、アキラに似てるね。目も、コンタクト入れてるんだろう? あいつと同じ、綺麗な赤茶色だ」
彼にとっては、最大の侮辱……悔しさを感じているだろうに、下半身に目を向けるとかなりの主張が見えた。呆れる。
唇を重ねる。舌で、ギルベルトの唇をなぞる。首が絞められているせいで声が呻きと化しているが、どうでもいい。
手と、唇を離す。そのまま、彼の目を見据えた。その目は、戸惑いと興奮のあまり揺れている。
「……俺の望む戦果、挙げられる?」
こくこく、とギルベルトは何度も頷いた。それに返事する事なく、彼を置き去りにして部屋を出た。
通路の壁にもたれかかるようにして、ザラーヴァントが待機していた。彼は光精の姿を見ると、姿勢を正す。
「なんだ、一人か」
「あいつはしばらく出てこないさ、多分な。それよりザラ、頼みがある。今動けるか」
久方ぶりに聞く、光精の真面目な硬い声。正直ギルベルトの最近の動き含めて予想はしていた。
「分かった、すぐに手配しよう」
「助かる。俺の勘が正しけりゃ」
すぐさま、歩き出す。
「……アキラが、来る。あいつだけは、あいつだけは守らないと」
そうやってきっとあなたはもう一度微笑んで、手を取って。●●の声をきっと、聴いてくれる。
絶対逃がさないし離れられない。必ず最後は一つに溶け合う。
やがてはじまる三度目の創生を、生き延びるために。
プラサートには一応客室が宛がわれた。しかし内部からの脱出は出来ない、一種の牢屋だ。それでも彼は一切文句は言わなかった。もっと言えば船の運転は彼に代わってもらって大正解だった。
アキラはアキラで、早速本部に今回の顛末の報告に呼び出されている。彼女いわく、独断で『neo-J』と交渉した事に関してはしこたま怒られるだろう、との事だった。しかしフィトンとのやり取りを思い返すと、断じて間違っていなかったと総吾郎は思う。ちなみに船の運転をプラサートに取って代わられたことはかなり不満げだった。
そして総吾郎は今、集中治療室のガラス窓に張り付いている。
「栄佑さん……」
未だ狼化を解く事無く、意識も戻る事も無く。
すべてが『neo-J』の後手に回ってしまっている。ヒラリの時と同じだ。コローニアには、本当にかなわない。どうすればいいのかも、今の総吾郎には分からない。
肉体的な死は、あの女医師によって免れたと『卍』でも保障された。しかし、目を覚まさない事には……それでは、死んでいるのと同じ。
……それだけは、絶対に嫌だ。
「やあ」
背後から、声。振り返ると、プラサートが立っていた。首には、感知器を兼ねた首輪が取り付けられている。それさえ付けていればある程度の自由は効く、と確か言っていた気がした。
「心配か、彼が」
頷く。首から上が、重い。そういえば基地に戻って二日程、ろくに眠れていない。
「合成人間は元々、動物と合成する前に特殊薬物によって肉体強化が為される。その薬物の拒否反応で死ぬのが半分、更に動物DNAとの混合によっての拒否反応で死ぬのがそこから三分の二。私もそうだが、彼もそれを生き延びた」
何故急にそんな話をするのか分からなかった。彼は硝子越しに、栄佑をただ真っすぐ見ていた。
「安西栄佑は日本人の純血種で初の成功例だ。何故か、純血は混血より拒否反応に遭いやすい。だからこそ貴重なサンプルとして、『neo-J』でもかなり重宝されていた」
「サンプルって……」
「だからこそ須藻々光精が傍に置いていた。安西栄佑の存在を、重要視していた」
話が、見えない。睡眠不足のせいで脳の処理が追いついていないだけなのか。それでも、プラサートは話を止める気配が無い。
「……一度だけ、安西栄佑と話す機会があった。私は私で母国からの贈答という形で『neo-J』で処置を受けた。体よく言っているが、売られたようなものだ」
売られた。その一言で、栄佑との会話の記憶がよみがえる。
「彼の存在は、合成人間の中で有名だった。初の日本人純血種成功例、しかも『門』に所属。『neo-J』で言う『門』は、言わば戦闘部隊の中でも精鋭の存在だ」
光精の事を思い出す。彼は、『門』の管理を行っていると言った。そこで、栄佑を……飼っていたかのような、言いぐさ。実際栄佑も彼に対してかなりの憎悪と殺気を抱いているようだった。
「たまたま点滴の時間が被ってな。そこで聞いた、合成人間にされた事を恨んでいないのかって。私はその時、恨んでいたんだ。『neo-J』の事も母国の事も」
「…………」
「『恨む力より、この先の希望に賭ける力が大事だから』と答えられた。その時、私の中で……何か、荷が下りたような。何かが軽くなった感触があった」
希望。
「さすがに皆無では無かっただろう。『neo-J』に縛られ、殺人もせざるをえないような任務にばかり出され。彼が『neo-J』を脱し『卍』に入った時、暗殺命令が出された。それでも」
プラサートの手が、硝子に触れる。わずかに、力んでいた。
「……我々合成人間は全員、固辞した。彼の希望を、信じた。遠く離れ、敵の立場に立たされたと分かっていても、我々は……彼を、信じた」
あの人懐っこい、たまに煩わしくも温かい心を持ったヒトを。
「あの人は、死なない。こんなところなんかで。あの人は今、きっと自らの希望のために戦っている」
そうだ。彼は、そういうヒトだ。
プラサートを見上げる。彼もまた総吾郎を見ると、そっと微笑んだ。
「……君も信じてやってくれ。私は今こういう立場だし、恐らく彼も私を覚えていないだろう。けれど、礼を言いたいんだ。目を覚ましてもらわねば困る」
涙腺が熱くなる。心の奥が、ぎゅっと締まる。そうだ、今の自分に出来る事は、それだ。
ふと、聞こえる車輪の音。通路の方を見ると、アレッタがいた。見かけるのは実に久しぶりだ。彼女は、まっすぐ総吾郎とプラサートに向かって車輪を走らせてくる。その顔は、どこか消沈しているように見える。そして、少しやつれていた。
「そーごろ……おかえりなさい」
「アレッタ、今までどうしてたんだ。アマイルスさんに聞いても面会謝絶って」
アレッタは泣きそうなのを必死に堪えている顔で、総吾郎を見上げた。
「えーすけが……しんじゃうかもって、アマイルスがいってて。ちょうせいがおわったからいいよ、って。だから、きたの」
「調整? 何の?」
「えーすけ、そのおへやにいるんでしょ。でもいれてもらえないの、アレッタ」
ぼろぼろと、大粒の涙が落ちた。それを隠すように、アレッタの小さな手が顔を覆う。
「えーすけをそんなにしたやつ、アレッタぜったいゆるさない。えーすけ、きっといたかったよね。だから、アレッタがかたきをうってやるの。そのために、アマイルスともやくそく、したの」
アレッタを、抱きしめる。涙で胸が濡れるが、かまわない。
「大丈夫だアレッタ。だから、今は栄佑さんが早く目を覚ますように、祈ろう」
頷かれる。そうだ、この子も待っている。
その時だった。
『――架根アキラ、田中総吾郎。至急、本部まで来られたし。至急、本部まで来られたし』
放送だった。恐らく、来た。
プラサートを見る。彼もまた頷いた。
「私もついていこう」
「アレッタも、いく」
アレッタを見ると、彼女は強い目をしていた。泣いてはいるが、何か……決心しているかのような。
「『ねおじぇー』がくるんでしょ。アレッタも、いく」
「いいんじゃないか。もし門前払いされたらその時はその時だ」
「……そう、ですね」
最後にもう一度、栄佑を見る。彼は未だ、目覚めない。
本部へと続く廊下をひたすら歩く。アレッタもまた、二人に速度を合わせて走行している。そこで、ある事に気づいた。
「アレッタ、腰のところそんなんだったっけ」
前回は、腰の部分にそのまま生身と機械化された胴が繋がっていてそこから足代わりの車輪が伸びていたはずだった。しかし今は、接続部に何か掛け金のような部品がたくさんついている。
アレッタは誇らしげに胸を張った。
「アマイルスがね、つけてくれたの! 『つよくなりたい』っていったらね、かいぞーしようってはなしになってね」
「……改造?」
「これいじょーはおとめのないしょ!」
どこか嫌な予感がする。しかし、アレッタもそう思っていたのか。自分だけではなかった。
本部の扉の門番に事情を話すと、彼はプラサートとアレッタを追い返しはしなかった。扉が開き、薄暗い……一度だけ見た、あの部屋。
アキラの姿が見えた。先に到着していたらしい。そして、千場樹アーデルと一号も。
「足音が、多いな」
そうだ、彼は目が見えない。一号が口を開いた。
「田中総吾郎、アレッタ・アニェージ、そして今回の捕虜です」
「ふむ、呼び出す手間が省けたか。よろしい、掛けなさい」
アキラの座るソファに、並んで腰かける。彼女は完全にぐったりしていた。恐らく、怒られ疲れているのだろう。
向かい合うアーデルは、表情こそ穏やかだったが……だからこそと言うべきか、心情が見えない。
「さて、アキラと総吾郎くん。今回呼び出したのは他でもない」
ごくり、と生唾を飲む。緊張する総吾郎とは裏腹に、アキラはただぐったりとした顔を崩さなかった。
「……まず、君たちの功労を讃えたい。君たちは、実によくやってくれた」
ぽかん、とする。予想外だ。何か叱責か何かを受けると思ったのに。アキラも同じだったらしく、いぶかし気に目を見開いていた。
「確かに安西栄佑を危険に晒したのは褒められた事ではない。しかし、これで堂々と『neo-J』に接触する機会を得た。あちらの下っ端との小競り合いではなく、今回はそれなりの者が来る」
「それなり?」
アキラの問いに、アーデルは頷く。一号が空中ディスプレイに映像を出現させた。少しノイズめいた映像に映っているのは、メール文書だ。
「読み上げます。『先日話した医師と当組織職員の引き渡しは第七都市公園にて行う。当日、二名を必ず無事に連れてくるように。さもなくば法的措置をとる』。一週間後の予定です」
「自分たちこそ真っ黒な事してるくせに何が法よって感じだけど」
アーデルは僅かに笑ったが、それだけだった。すぐに厳めしい表情を浮かべる。
「第七都市公園は、国家管轄……即ち奴らの領域だ。この呼び出し自体が罠である可能性が高い」
「というより、罠そのものでしょう。調べてみましたが」
一号の手が空中ディスプレイを細々と操作する。次に浮かび上がったのは、大量の戦車が格納されているガレージだった。
「第七都市公園から百メートル程先に、『neo-J』の軍事施設があります。小規模ではありますが、都市公園を占拠し簡易戦場にするには十分過ぎる程です」
「行けば蜂の巣は免れん。捕虜の二人に自主的に向かわせようにも、恐らくそれはそれで何か策は容易してあるだろう。つまり、捨て身の戦闘員を投入するしかあるまい」
淡々というが、要約するとなかなか絶望的だというところだろうか。プラサートを見るも、彼は申し訳なさそうに目を伏せるだけだった。アキラは未だに憔悴しきった面持だ。
そんな中、口を開いたのはアレッタだった。
「そこ、こーえんなの? おそら、あいてる?」
一瞬、なにを言っているのか全員が分からなかった。しかし一号はすぐに場面を展開させた。公園の風景になり、空を映す。
「屋根はありません。多少樹木はありますが」
「んー、ひろい?」
「5400平方程です。この基地総面積の倍程ですね」
何故、そんな事を確認しているのか。意図が分からなかったが、アーデルは思い出したように口を開いた。
「そうか。君は……ふむ、もう完成したのかい」
「んーん、まだ! アマイルスがあと3日くらいかかるって」
「間に合うな。恐らくあちらもそれなりの用意を行ってから来るはずだ」
何が何だか分からないが、恐らくアーデルは何か知っている。しかし、どうも探りづらい。アキラは退屈そうに欠伸をしていた。ぐったりしているように見えたが、もしかすると実は眠いだけだったのだろうか。
アーデルは少し考える素振りを見せたが、一つ頷いた。そして、告げる。
「アキラ、総吾郎くん。そして、レディアレッタ。君たち三人と、あと整備のためアマイルス達も付けよう。罠を、破壊せよ。可能であれば首謀者を生け捕りにし」
そしてそっと、ひとつだけ。
「……この世界に、新たな『革命』を起こす手立てを、回収するのだ」
「……結構『種』使ったやろ」
杏介がカルテを見ながら、呟く。アキラは首をひねった。
いつも白い、ただの白。そんな病室を、アキラは十年以上見てきた。月に二度の検診は、もはや実験経過の調査に過ぎない。アキラの体は、既にただの人間が生活を営む器とは意味を別していた。
定期健診は、最近ずっと杏介が行っている。
「結構『根』が伸びてきとるな。痛かったやろ」
「耐えたわ」
日ノ丸号の時点で感じていた。総吾郎には決してバレまいと表情にも口にも出さずにいたが、確かにそれは年々増してきている。戦闘終了後に限った話ではあるが。
潮時かもしれない、とは最近ずっと思っていた。しかし、今となっては体内に巣食う『種』こそがアキラの一部となり得ている。
「一週間後に大規模作戦があるの、聞いたでしょう。『卍』の未来に関わるかもしれない。万全で臨みたいわ」
「抑制剤増やすか。次回はあまり体内の『種』使うな、出来るだけ吸収する方のやつにしとき」
杏介はアキラに対してはいつもこんな感じだ。根は人間臭いものの、仕事上ではあくまで淡々としている。アキラもそこに、どこかシンパシーを感じなくはない。
自身に自我が無いとは思えない。ただ、何かに執着することも今までなかった。『卍』は大切だ。アーデルのことも、恩人だと思っている。
それでも。最近、おかしい。
「ひとつ、相談してもいいかしら」
杏介は「珍しい」とだけ言い、アキラを見た。少しずつ、唇を動かす。
「最近、夢を見る」
眠る時のように。心の奥底に何かがたゆたっているのを、白昼夢のようなまどろみの中感じる。
あの、男の顔。自身を捉えた時の恍惚とした表情、アキラの秘密に対し泣きそうになっていたあの男。忘れられないというより、二度と忘れてはならないと思う。
……二度と?
「心の中に、記憶の中にこびりついているの。忘れられない」
「それは、人の事か」
「……須藻々光精。滝津マトキと品野アレクセイの時に再会して以来、ずっと」
杏介はデスクにカルテを置いた。改めて、腕を組み椅子に深く腰掛ける。
「『再会』言うたな。その前に会ってんのか」
「分からない」
額の奥が、熱い。何かが、暴れている。
「ただ、あの時会ったのは絶対に初めてじゃない。当時は気付かなかったけれど、最近になって……自分の記憶を整理したの」
杏介は何も言わない。ただ、聞いている。
「……記憶が、あやふやなのよ。5歳頃からいきなり記憶がはっきりしてる」
「架根」
「深夜に、情報部に侵入して私の記録を調べた。データベースじゃ信用出来ないから、紙媒体のファイルを朝まで漁った」
そして、感じた。紙の感触から何まで、すべてに違和感。
「5歳以降の記録は、何もおかしくなかったわ。問題はそれ以前。紙が、新しかった。印字のフォントタイプも調べたら、数年前に出来たばかりのものだった。紙媒体の資料はそれより前に廃止されてる」
「ストップ」
杏介の手が、アキラの口元をふさいだ。彼の目は、揺れている。
「……今は口には出すな。俺が調べたる」
小声で、耳打ちされる。ひとまず頷くと、掌が口から離れた。
やはり、そういうことなのだろう。そして、『卍』の中でそれなりの立ち位置に……しかも基地内の情報には自分以上詳しい杏介すら知らない事実がある。
……いろいろ、疑いだしてもいいのかもしれない。
「それはともかく、須藻々光精の夢か。そんな頻繁に見るんか」
「ええ。恐らく、5歳以前に彼とは何かあった。それを忘れずに私に執着しているのは、ある意味なかなか気持ち悪い話だけれど」
「どんな夢なんや」
「何て事はないの。ただ、彼がいる。とくに話す事はなく。彼が……何も無い空間に居て、私が眺めている感じ」
ふむ、と杏介は呟いた。今気づいたが、どこかコローニアの口癖に似ている。アキラ自身は先日まで彼が『neo-J』にスパイに出ていた事など知らなかったが、やはり幼少期の影響は色濃く現在に反映されてしまうらしい。
そう、アキラですら知らない事実が『卍』にはある。
「あっちはお前に相当執着してるって言ってたな。『neo-J』の人物データベース調べても、あいつに関しては『門』の担当いう事しか分からん」
それは、とっくに試して知っていた。
「でも、逆に言えばそれがまずおかしい。意図して隠しとるな、あれは。お前の記憶戻るのまずいって言ってたんやっけ?」
「ええ。変な影響が出る可能性あるから。そしてその記憶を消したのは……」
口をつぐむ。もし、それが真実だとしたら。
どこか悩む素振りを見せ、杏介の口がへの字に曲げられる。
「お前とは十年くらいしか付き合いが無いから、俺にとってのお前は今のお前や、架根。昔っから何も変わっとらん。仏頂面で不愛想、鉄の仕事人。……それは多分もとの人間性や、どうせ」
彼の目が、アキラを捉える。真っすぐな、疑いも何も見えない目。
「仮にお前の5歳より前も、そんなもんや。お前は結局お前や」
ぶっきらぼうな物言いだが、そこには確かな信頼を感じた。
どこかで確かに感じていた、けれど無意識だった不安。そうだ、その言葉が結局ほしかった。
もし自分の5歳までの記憶が確かにねつ造であるというのなら、きっと彼しかその事を知っている人間はいない。すなわち、この『卍』には……誰にも。
目頭が熱くなる。しかし、泣く事はなかった。長い年月訓練され実験台にされた体は、どこか生物としての機能を失っているようにも思える。まるで、本当にあの『種』の苗床だ。
杏介の手が、わしゃわしゃとアキラの頭をなでる。
「須藻々光精のことは、どうせお前の記憶が戻らな正体は掴めん。あまりそこを考えるな。安心せぇ、奴らは俺らにとっていつまでも敵や。接触する機会はいくらでもある」
「ええ」
そうだ。まだ、チャンスはある。彼にもう一度会い、確かめる機会は必ずあるはずだ。
「……ありがとう、林古くん」
「まあ、幼馴染みたいなもんやからな」
コーヒーを差し出される。受け取り口づけると、久しぶりの味がした。杏介はいつも、蜂蜜を入れる。
「ちなみに、記憶戻りそうな兆候とかはあるんか」
首を振る。むしろ最近こういう夢を見だした事自体が兆候かと思ったが、そこから一切進展はない。
杏介はまた少し考え込む。彼は話をしていると、よくこうなる。
「……お前が須藻々光精に会ったのは、ここ二、三か月の話やでな。夢に出てくる須藻々光精は、どんな姿や」
「どんな?」
「もし5歳より前のお前と奴に関わりがあるって言うなら、お前の……その、潜在意識か。その中に、奴の幼少期の姿とかあるんちゃうか」
考えてもみなかった。確かにそうだ、有り得る。
改めて思い出そうとする。何度も見た夢を、手繰り寄せる。しかし。
「――っ!」
「大丈夫か」
突き刺すような、頭痛。まるで、阻害されているかのような。しかし、これではっきりした。
やはり須藻々光精は、関わりがある。そして、自身の5歳以前の記憶は、確実に……ねつ造されている。
「架根、大丈夫か」
「……ええ」
掴まなければならない。
「……なぁに勝手にやってくれてんだか」
久しぶりに聞く、光精の声。わざわざ直々に足を運んで彼がギルベルトを呼びに来た時、正直心臓が止まると思った。久々に二人で通路を歩いている時、正直ずっと勃起しっ放しだった。ずっと憧れ、焦がれた男が傍を颯爽と歩いている姿は、とにかく……興奮した。
しかし、実際連れてこられたのは。先日自身がアレクセイを監視していた部屋だった。その時点で嫌な予感はしたが、彼を止めるのは不可能だった。
「いや本当お前最近ちょっと目に余るよ。勝手な事し過ぎ」
彼の端正な顔が、どこか歪む。その表情を歪ませているのが自分だと思うと、不謹慎ながらも興奮が止まらなくなる。心臓の脈打ちが止まらない。
「で、どこまで押さえてんの」
「はいっ、戦車は12台。精鋭Aクラス戦闘員二十名。全員、万全の準備で待機しています!」
この短期間でよくもそこまで集めたものだ。まあ恐らく、どこか強請ったりなどはしているだろう。こいつはそういう男だ。しかもそれを光精のためだなどとのたまう。自分の予想外の施しなど、煩わしいだけだというのに。
しかしそれだけの戦力があれば、確かに『卍』からすればひとたまりも無いだろう。問題は、そこに誰が来るかだ。
まず、当事者として……あとはあの責任感の強さからして、総吾郎は確実に来るだろう。アキラは正直分からない。
「相手がどう出るか掴んだ?」
「そ、それはまだですが……でも絶対、確実な戦果は保障いたします。必ずや、あのボンクラ二人を取り戻し現れた『卍』を蹴散らします!」
溌剌と、褒めてもらいたいがために胸を張るギルベルトに少しイラつくも表情には出さなかった。あれ以来、秘密裏にコローニアに彼の見張りを依頼していたが上がってくる報告はどれも頭痛のタネになるものばかりだ。
ドイツにて出会ったあの時、彼はまるで神を見るかのような目で光精を見ていた。自分とそこまで歳が離れているわけでもないのに、彼の目は既に光精に魅入られていた。
「もしアキラが来たらどうする?」
一瞬、ギルベルトの表情が固まった。ああ、やはりそういう事か。
……潮時かもしれない。
ギルベルトの首に、手をかける。彼の目は見開かれたまま、光精を見ていた。その顔は、少しずつ紅潮していく。ぐっと、力を籠める。
あの時あの女に感じたものとは違い、体温がある。ヒトとしての、ぬくもり。
「お前のその髪の色、アキラに似てるね。目も、コンタクト入れてるんだろう? あいつと同じ、綺麗な赤茶色だ」
彼にとっては、最大の侮辱……悔しさを感じているだろうに、下半身に目を向けるとかなりの主張が見えた。呆れる。
唇を重ねる。舌で、ギルベルトの唇をなぞる。首が絞められているせいで声が呻きと化しているが、どうでもいい。
手と、唇を離す。そのまま、彼の目を見据えた。その目は、戸惑いと興奮のあまり揺れている。
「……俺の望む戦果、挙げられる?」
こくこく、とギルベルトは何度も頷いた。それに返事する事なく、彼を置き去りにして部屋を出た。
通路の壁にもたれかかるようにして、ザラーヴァントが待機していた。彼は光精の姿を見ると、姿勢を正す。
「なんだ、一人か」
「あいつはしばらく出てこないさ、多分な。それよりザラ、頼みがある。今動けるか」
久方ぶりに聞く、光精の真面目な硬い声。正直ギルベルトの最近の動き含めて予想はしていた。
「分かった、すぐに手配しよう」
「助かる。俺の勘が正しけりゃ」
すぐさま、歩き出す。
「……アキラが、来る。あいつだけは、あいつだけは守らないと」
そうやってきっとあなたはもう一度微笑んで、手を取って。●●の声をきっと、聴いてくれる。
絶対逃がさないし離れられない。必ず最後は一つに溶け合う。
やがてはじまる三度目の創生を、生き延びるために。
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