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第七話

彼の話と出会い

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 最初はまず栄佑が反対した。『neo-J』が絡む時の彼は勇ましく恐ろしさすら感じさせる気迫すら見せる彼ですら、半涙目になっていた。総吾郎もそれに加勢するようにやんわりと反対を申し出たが、アキラはそれに気付きもしなかったらしい。
 アキラの言い分は「今は人員不足で、送迎なんかで余分な人員を割くわけにはいかない」との事で、成程それはもっともな話ではある。仕方無いので見送りに来た杏介が特殊調合したという酔い止めを念入りに服用し、挑んだ。
 そして一時間が経過。その効果はしっかり上回られてしまっている。

「久々だわ、船の運転なんて」

 さっきアキラの口からはやっと50ノットに到達したと聞こえた。ノットを時速メートル換算にした結果を栄佑から伝えられ、唖然とする。そもそもジェットスキーではない通常の小型船でどうしてそこまで飛ばせるのか。栄佑は総吾郎と入れ替わりでトイレへと向かったばかりだ。先にダウンしかけたとはいえ同じくらい苦しいのに先に譲ってくれたあたり、彼の優しさを感じる。
 今回の任務の行き先。それは、『卍』基地から港、そこから更に海を渡った先の島だという。アキラが無駄に飛ばしているおかげで予定よりもかなり早く着くらしいが、着いたところで暫く動けなさそうだ。

「見えてきたわ、あそこよ」

 アキラは平然とした声で船内に放送した。本当になぜ彼女は無事なのだろう。やはり自分で運転しているからだろうか。というかこんな運転をするような彼女が何故船舶免許を取得出来たのだろう。杏介いわく「『卍』の七つの七不思議のひとつ」との事らしいが、そんなおぞましい不思議があと四十八もあるのかと思うと気が遠くなる。
 すっかり胃の中の物を追い出してきた栄佑が、床に座り込む総吾郎の隣にぐったりと横たわる。どうやら未だに酔いがさめていないらしい。船内は恐らく6畳くらいのワンルームのような形で、簡易ソファやテーブルが置かれているが最初船が出た時の原型を留めていなかった。ほぼほぼ室内の後方へと偏ってしまっている。

「総吾郎……最後に一回行っておいで……」
「いや……アキラさんを……信じます、あと少しならもう……」
「健気ぇ……」

 正直口を開くだけで戻しそうだ。嫌な空気が体内に充満している。それは栄佑も同じらしく、すぐに口を噤んだ。同時に、衝撃。

「んわっ!!」
「ぎゃっ!!」

 一瞬体が浮いた。船体が何故か斜めになっており、着地と同時にごろごろと転がり下降する。二人揃って壁に全身を打ちつけ、意識が飛びそうになった。同時に開く、扉。

「到着したわ。少し乗り上げてしまったけれど、船は無事。降りましょう」

 アキラはそうとだけ告げると、背を向けた。よろよろと立ち上がりながら、栄佑が呟く。

「帰りさ……俺達のどっちかが運転しない……? 無免だけどさ……絶対マシだよ……」
「そうですね……」

 二人でよろめきながら船の床を這い登り、外に出る。「アキラの運転だと海に振り落とされるから」という理由でずっと外に出られなかった為か、空気が一段美味く感じる。一度深呼吸してから、ゆっくりと地面へと降り立った。

「陸だ……やっと揺れてない……」

 二人して感動している理由がどうしても分からないのか、アキラは首を傾げていた。彼女はすでに、三人分の荷物を船から運び出している。

「ひとまず、宿にチェックインしにいきましょう。荷物邪魔だし」
「ああ、そうだね。すぐ近くなんだっけ」
「ええ。あの山の麓の」

 確かに目視出来る位置に、少し大きめの旅館があった。今回の任務で世話になる宿で、すでに予約は済ませてあるらしい。『卍』の協力者、というわけではなくあくまで一般営業の旅館だそうだ。
 未だふらつく総吾郎の代わりに、回復し始めた栄佑が荷物も持ってくれた。アキラが怪訝そうな顔でこちらを見てくるが、こればかりは仕方ない。夏が始まりだしたせいで日差しも強まり、より体力を奪われる。

「アキラちゃん、ちゃんと日焼け止め塗ってる?」
「塗ってるわよ、うち特製の。焼けたら痛いもの」
「ああ、肌赤くなるやつ? 一緒だ俺と」

 そういった他愛無い話を交わす二人をぼんやりと見ながら、かつての事を思い返す。

『アキラちゃん自身が、須藻々光精を知らないのか?』

 栄佑は、確実に何かを知っている。あの時は完全に臍を曲げられたせいで話してくれなかったが、今なら何か聞けるかもしれない。またアキラの居ない隙を突いて聞いてみようか。
 旅館に到着し、スムーズにチェックインを済ませる。一応男女の分別という事で二部屋とっているが、二人居る分部屋も少し広いという事で男性部屋を集会所にする事にした。
 部屋に荷物を置いてきたアキラが、男性部屋へ入ってくる。その手には、大量の写真書類があった。

「集合、打ち合わせ始めるわよ」

 三人で円を囲むようにして、座り込む。中心に、一枚の写真が置かれた。森の中にある、大きな乗り物。総吾郎の知らないものだ。栄佑もらしく、首を傾げている。アキラはその乗り物を指差し、口を開いた。

「これは蒸気機関車と言って、『旧』時代に使われていた乗り物らしいわ。今みたいに自家用車が増えたのは『新』になってかららしくて、『旧』時代はたくさんの人間が一つの……こういう大型の乗り物に乗って移動をしていたそうよ」
「え、何か不便だなそれ」
「で、これなんだけど」

 とん、とん、とアキラの指が写真を突く。どうやら癖らしい。

「『旧』の資料を見る限り、こういった乗り物は多数存在していた。それこそ、これ以外のタイプが沢山あるのは勿論数も多くて。『革命』の影響で消え去ったと考えるのが定石だけど、それなら逆に何故これだけは消えずに済んだのか? それを調査するのが、今回の任務よ」

 古びた、全体的に黒っぽい色合いの……長い乗り物。一目だけだと何かの建物のようにも見える。しかし下方には自家用車のような車輪もついている。本当に、これが走っていたのだろうか。
 それを聞いてみようと、不意に栄佑を見る。しかし彼は、どこか空ろな目だった。肌がぼんやりと赤い。

「栄佑さん?」

 まさかと思い、肌に触れる。普段の体温とは、明らかに違っていた。

「あっつ!」
「あ、ごめん」
「やだ、もしかして熱中症?」

 栄佑は「そうかも」と呟く。全然気付かなかった。

「何で言わないんですか!」
「いや……今急にきた。ぼーって」
「普段毛皮纏ってるようなものだから、やっぱり暑さには弱いのかしら。とりあえず、お水汲んでくるわ」

 アキラが部屋から出るのを見ながら、総吾郎も布団を一組だけ敷いてその上に栄佑を寝かせた。敷きたての布団がどこか冷たいのか、幸せそうな目をしている。
 アキラが戻ってきて、栄佑に水を手渡した。

「おかしいわね、船であれだけ快適にしていたはずなのに……船からここまでで急激に火照ったのかしら」

 そこでふと原因の一つに気付いてしまったが、総吾郎はひとまず黙った。どうせ言ったところで彼女は気付かないだろう。それは栄介も同意らしく、無言で水を飲み干していた。

「今日はとりあえずゆっくりして、明日早朝出発しましょう。私も運転で疲れたし。ソウくんも十八になったらすぐに免許取った方がいいわよ」

 何なら今すぐにでも取りたいが、薄ら笑いしか返せない。しかし実際栄介の額に塗れたタオルを乗せるアキラの顔も、どこか疲れている様子だった。
 総吾郎は遠慮がちに、声をかけた。

「あの、アキラさんも休んでください。俺が看てるんで」
「そう? なら、私も温泉に行ってこようかしら」
「温泉あるんですか?」
「あるわよ、後で交代するからソウくんも入るといいわ」

 どこか浮き足立った様子でアキラは部屋を出た。そういえば、宿の手配は今回すべて彼女に任せている。この島に幾つ宿泊施設があるかは分からないが、恐らくそういうことだろう。
 小粒の、氷の『種』を吸収する。そのまま手の平を栄佑の額にある濡れタオルに添え、少しずつ冷気を放出していく。栄介の顔が、幸せそうに緩んだ。

「きもちー……『種』って本当万能だね」

 確かに、そう思う。前回の杏介の事もあるが、本当に『種』は万能機のようなものだ。相性も一覧表をアキラから貰ったが、正直覚えられる気がしなかった。

「どうですか、体調」
「ちょっと楽になってきたー……ごめんね、俺の方が大人なのに」

 その言葉に噴出しそうになるが、栄佑は本当に申し訳無さそうだった。ぶつぶつと呟きを繰り返している。

「いやさ、アレッタもそうなんだけど本当俺の周りって皆しっかりしてるなぁって思うよ。アキラちゃんもだし、総吾郎なんて俺の半分くらいの歳なのにさ」
「あ、そういえば最近アレッタどうしてます? なんか見かけないし、俺も入院してたし」

 それを聞いた途端、栄佑は一瞬固まった。そのまま、冷や汗を滝のように流しながら背を向けてくる。

「いやーそのー、ちょっと色々とーそのー」
「……何ですか」
「いやー俺はちゃんと止めたんだけどー本人とアマちゃんの意思が固すぎてちょっと挫けたというかー」
「何でそこでアマイルスさんが出てくるんですか、一体何を隠してるんです!?」

 のしかかるようにして覆いかぶさり、両膝で栄佑の腕を踏んで固定する。そして両手の平で栄佑の頬を固定し、目を合わさせた。合成人間にさせられた影響かヘーゼル色になっている栄佑の瞳を直視する。

「ちゃんと教えてくださいよ、気になります!」
「ちょ、そそそ総吾郎近い近い! このパターンは」
「ソウくん、とてもいいお湯だったわよ。こうた……」

 ガラリ、と扉がスライドされる。そこに立っていたのはやはり、アキラだった。湯上りで長い髪を上の方でまとめ上げており、うなじが丸見えになっている。その頬はうっすらと自然な桃色だった。しかしその表情は、一瞬にして固まる。

「あ」

 アキラは無言で背を向けた。総吾郎は慌てて飛び降り、アキラを追う。

「アキラさんアキラさんアキラさん!」
「せめて手と口を洗ってきて頂戴」
「違います本気で違います! むしろ狙って入ってきてませんか!?」

 何とか必死に説得したが、どうも再び目がじっとりとしている気がしてならない。栄佑に継続して誤解を解くよう頼み込み、看病交代のアキラと栄佑を置いて総吾郎も温泉へ向かった。
 温泉があるという大浴場は、かなり広大だった。『卍』には大浴場が無く個室シャワーのみなためか新鮮みがある。正直総吾郎のテンションはかなり上がっていた。しかも中途半端な時間な為か、人が自分しか居ない。
 ひとまず体を洗い、全身を綺麗にする。そして広い浴槽に浸かった。じんわりとした熱が、体をじっくりと包み込む。

「っくぁー……」

 思わず声が出た。腕をいっぱい動かしても、浴槽からはみ出ない。こんな体験はしたことが無い。何だか少し楽しくなってきて、泳ぎにならない程度に浮遊してみる。
 ……こんなに広い風呂なら、『卍』の皆と入っても楽しそうだ。孤児院の皆とも。
 孤児院の皆は、今頃どうしているのだろう。自分は比較的早くに『neo-J』の手に落ちかけたせいで、全員の安否が分からない。あの火事だ、完全な無事を期待するのは難しいのかもしれない。
 今、自分は一体なにをしているのだろう。『卍』に助けられ、『卍』の任務をこなして。でも、それだけだ。孤児院の事を、今まで考える余裕も無かった。
 あの火の犯人は恐らく『neo-J』だろう。しかしあの大組織の中で、放火犯を見付けるのはかなり至難の業だ。しかし、それを……自分が『neo-J』を討つ理由になる、と思い始めた。
 実際、孤児院に関する事は今まで調べようが無かった。しかし今の自分なら、ある程度の事は出来るかもしれない。また、アキラ達に相談しようか。
 少し、ふらついてきた。少し外で体を冷やそうか。そう思った瞬間、扉がスライドされる音がした。ふとそちらを見て、ギョッとする。
 肩より少し長いくらいの、艶やかな黒髪。アキラよりも癖がなく、前髪も真っ直ぐ切りそろえられている。一見東洋人に見えるが、顔立ちは明らかに西洋のものだった。大きく強気そうな目も、深い青だ。顔だけ見ると美少女だが、さらけ出された上半身はあくまで男性のものだった。その事に少し安心する。
 男はあたりをきょろきょろ見回し、そっと足を大浴場に踏み入れた。しかし滑ったのか、全力で転倒した。

「だ、大丈夫ですか!?」

 ざぱぁ、と大きく飛沫を上げ浴槽から飛び出す。駆け寄ると、丁度立ち上がろうとしている様子だった。

「あー……鼻血出てら」

 流暢な日本語だった。もしかすると体だけ西洋人なのかもしれない。それにしても、本当に綺麗な黒髪だ。パッと見では西洋人とは分からないだろう。

「あの、よかったらこれタオルどうぞ」
「あー……悪い。助かる……」

 タオルは温水に漬けて温めていたお陰か、どうやら鼻血は凝固したらしい。彼は総吾郎を見るが、どこか焦点が合っていない。

「悪いな、洗うわ。水道どこ」
「え?すぐそこですけど……もしかして見えてないんですか?」

 何となく、転んだあたりから察していた。男は頷くと「コンタクト、部屋で外してきたんだ」と申し訳無さそうに言った。
 ひとまず水道まで誘導し、湯も出してやる。ついでに体も洗うということで石鹸やら湯やら色々誘導もし、最後に浴槽まで誘導した。

「おわはぁー……」

 同じように声に出す男が面白くて噴出すと、彼もまたニカッと笑った。女性のような顔立ちだが、その笑い方は明らかに男性の仕草だった。

「助かったぜ、次からはちゃんとコンタクト付けてくるわ」
「そもそもここまではどうやって辿りついたんですか」
「眼鏡。錆びるらしいから脱衣所に置いてんだ」

 声が反響するが、今は他に誰もいない。ひとりでここに居るよりかは、知らない人間でも二人でいる方が楽しい気がした。

「つーかお前、こんな所に何しにきたんだよ。何も無いだろ、この島」

 さすがに、任務でとは言えない。言った所でどうにもならないし、そもそも漏洩して得するものなど何も無いだろう。それは前回のヒラリの件で嫌というほど学んだ。

「ここの旅館を、たまたま抽選で当てて。……姉とその旦那さんと来たんだ」

 念の為、後で二人にも口裏を合わせてもらうように言おう。男はさして怪訝そうな様子も見せず、納得したようだった。

「君は?」
「俺様? 俺様はこの辺りの……地質調査で来たんだ。部下と」

 自分の事を様付けで呼ぶ人間など初めてで少々面食らったが、素直に感心した。自分と同年代に見えるのに、もう部下などいるのか。確かの今の時世、幼い頃から才能さえ示せば職に就けるしそれが重宝されている兆しすら見える。

「調査……学者さん?」
「んーまあ、そんなとこだな。俺様だけ夜にここを出るから、最後にひとっ風呂と思ってよ」

 せっかく出会えたのに、もう出ていくのか。マオの時のように少し親近感を覚え始めたが仕方無いのだろう。一応、予定では自分達がこの宿に滞在するのは三日間。入れ替わりのようなものか。
 ざぱあ、と音を立て男は立ち上がった。

「そろそろ行くわ。世話になったな、まだ居るだろ?」
「あ、入り口まで一緒に行くよ。また転んだらアレだし」
「お前本当にいい奴だな」

 無邪気な男と共に浴槽から出て、入り口まで歩みを進める。扉の前で止まった。

「出たらすぐに眼鏡かけるからよ、もう大丈夫だ。ありがとよ、また会えるといいな」
「そうだね。気をつけて」

 男は笑顔で手を振り、扉の向こう側へと出て行った。一瞬入り込む冷気が気持ちいい。
 どこかマオに雰囲気の似た男だった。無邪気で、可愛らしい男。フランスの血筋を引くマオとはまたどこか違う雰囲気ではあったが、海外の同年代の少年は皆あんな感じなのだろうか。
 再び浴槽に漬かる。ぬくもりが、満ちる。

「……皆」

 孤児院で周りに居たのは皆純血種で、自分が『卍』に来てからそれはなかなか特殊な環境だったのだと知った。アキラは純血種ではないとは杏介から前にぼそりと聞いたが、出自は分からないらしい。その杏介もまた、日本がベースとはいえ多数の人種の血が入っていると前回言っていた。
 下手をすると『卍』の中で純血種は自分と栄佑だけ、かもしれない。しかしその栄佑も、合成人間にされたせいで純血種離れした見た目になっている。灰色がかった髪、ヘーゼルの瞳。大した意味は無いはずなのに、何故か……胸が、苦しかった。
 孤児院の仲間達は皆自分と同じ、黒髪と黒い目。自分以外のそれが、ひどく……懐かしく、恋しい。

「会いたい」

 ぼそり、と。落ちた。

「恵理、雅也、高正、紫苑、光」

 あの時の皆の顔。

「次郎、愛、佐和」

 あの炎の、奥。

「……皆……」

 目頭が、熱くなる。自分のように、どこかに居るのだろうか。そうであれば、どうか。
 扉が盛大に開く音。びくっとして扉の方を見ると、栄佑が居た。彼はすっかり顔色を元に戻し、総吾郎を見た瞬間顔を輝かせた。

「よかったー、まだ居た」
「栄佑さん……体調は」
「もう大丈夫だよ、総吾郎がなかなか戻らないってんだから様子見にきたんだ。あ、誤解は……多分、とけた」
「多分って……って、え? 今何時ですか?」
「六時半。ごはん七時半からだよ」

 結構長い間ここに居たらしい。確かに、体がかなりふやけている。そろそろ上がろうかと思ったが、さすがに入りたての栄佑を置いていくのは気が引けた。
 栄佑はどっかりと、総吾郎の隣に腰を下ろした。

「ひゅふぅー……」

 その顔はかなり安心しきっている様子だった。少し長くふわふわしている髪の毛は、一つにまとめられている。湿気を吸って、どうも広がっているようだった。
 改めて、栄佑をまじまじと見詰める。美形というわけではないが、決して不細工ではない整った顔。まつげも長く、髪だけでなくそこすらもどこか灰色がかって見える。その視線が気になったのか、栄佑はきょとんとして総吾郎を見返した。

「何、どうしたの」
「いや……その、髪とか目とか、色変わったんですよね」

 どこか気まずい事を聞いたか、と思ったが栄佑は笑っていた。

「そそそ。元々は総吾郎みたいな黒髪だったよ。あーでも目はもう少し茶色かったかな、多分」

 想像してみる。確かに、その方が栄佑にはしっくり来る気がした。しかし彼も望んでこの姿になったわけではないだろう。言いたい事を察したのか、栄佑は笑みを少し鎮めた。

「……ごめん、総吾郎」
「え?」

 突然の謝罪に面くらうも、ハッとした。どこか、彼の目が。

「総吾郎、お前はまだ若いんだよ。本当は、こんなとこで命かけて戦う必要なんて……本来は、無いんだ」

 この世界が、そうならざるを得ないように変質を始めているだけなのだ。『革命』が国を変え、日本の内部はまっさらにされ、掻きまわされ。何も分からない気付かない、そんな中いつの間にかとばっちりを食らって。

「田中孤児院が潰れた事で、最悪一歩手前の結末がどさくさ紛れにやってきた。でも、本当の最悪に行く前に、アキラちゃん……『卍』が、助けたんだって聞いた」

 アキラとの出会いを、思い返す。そうだ、あの時自分は『neo-J』に攫われかけた。もしあの時アキラが居なかったら、確かに最悪の結末になっていたに違いない。それは杏介も言っていた。
 ……ならつまり、栄佑は? その、救済は?

「俺ね、元々北海道ってところで生まれたんだ。聞いた事あるだろ、ずっと北にある準自治区。そこで農家やってんだ、家が。でもあそこには変な風習があってさ」
「風習?」
「子どもを生んで『neo-J』に売る、これが合法なんだよ」
「!?」

 栄佑は何ともないように、続けた。

「勿論純血種であれば値段は跳ね上がる。あっちでも純血種ってそうそう居ないからさ、親戚皆が勧めるんだよ。早く生め、生まれたら売れ、そして『neo-J』に家を継続させられるように媚びろって」
「何、それ」
「準自治区ってのは、自治が認められる代わりに『neo-J』に対してかなり税金払わないといけないみたいでさ。まあ、それが金か人体かなんて、些細な違いってことだよ」

 そんな、惨い話があっていいのか。
 確かに、かつて『neo-J』に買われたとは聞いていた。まさか、そういうところからだったのか。

「唯一の救いは、それが風習としてちゃんと根付ききってたってところ。だから俺は納得したよ。一番上の兄ちゃんは家を継ぐし、姉ちゃんは気候に負けて二人とも死んだ。そうなるとまあ、俺しかいないってなって。親も歳でもう生めなかったからね。それが二十歳の時」
「それで、『neo-J』に?」
「最初に出会ったのは、ジジイの博士だった。もう死んだっつーか殺されたけどね。そいつが俺に狼の遺伝子を組み込んだ。純血種の遺伝子組み込みの成功前例はゼロ、失敗例は覚えちゃいないってね」

 酷すぎる。しかし彼は実際、生き残った。

「成功したら成功したで、そこからはひたすら検査。お前本当に純血種かって疑われたりもしたなあ。それも無理無いんだけどさ」
「何でですか」
「北海道って、血統書発行されないんだ。準自治区だからって言ってたけど、本当かは分からない。だから自称とかなりの検査が必要になって、地味にコストがかかる」

 そこで、合点がいった。いくら合法とはいえ血統書が無い以上北海道から純血種を買うとそういった事になるのなら、確かに本土の純血種を攫った方が確実性があるという事か。アキラはあの時『neo-J』から血統書を受け取ると面倒だとは言っていたが、不可能とは一切言っていなかった。おまけに国家病院を子飼いにしているという事は、誰が純血種なのかも把握出来るという事だろう。
 田中孤児院のように純血種を養育はしても『neo-J』にすぐに流さないのは、血統書発行にかなり時間がかかるからだと聞いた。つまりは、そういう事だろう。
 唇を噛む力が強まる。そんな総吾郎の肩にそっと手を置き、栄佑は悲しそうに視線を伏せた。

「今この話をしたのはさ、伝えたかったんだ。最近、根詰まってそうだったから」

 どきり、とした。まさか、見破られているとは。

「『卍』に恩を感じるのはよく分かる。俺もそうだもん。でも俺は同じくらい、総吾郎にも恩を感じてる。総吾郎と出会って、助けてもらって、俺は救われたんだよ。身も、心も」

 言葉が、熱い。きっと、悲痛な程の気持ち。

「だから俺は、総吾郎の味方でありたいんだ。同じ純血種だからってのも正直ある。だってそれってつまりさ、この世界で誰よりも近くて……俺と総吾郎は兄弟みたいなものってことだろ?」

 きょうだい。

「本当に、大切なんだ。この間総吾郎が内臓ブチ破って帰ってきて、本当に……冗談抜きで、怖かった。居なくなってほしくないって、本当に、本当に、思ったんだ」

 手術のために麻酔をかけ、ずっと意識が朦朧としている中で彼の声は確かに聞こえていた。
 しぬな、たのむ、そうごろう、いきろ。と、ずっと。

「不思議だよな。帰ってきた時も会話出来てたし、意識もちゃんとしてた。でも、とにかく怖かった。応急処置しか出来てなかったって聞いてたし……信じるより先に、不安が勝った。万が一、って」
「すみません……」
「だから、俺がこれから絶対総吾郎を守るよ。死なせない」

 湯の中で、ふやけた手を握られる。その力は強く、瞳も……綺麗な色の瞳も、熱かった。
 頷く。握り返す手に、力を込めた。

「ありがとうございます」

 そうだ、自分は何て瑣末な事を。
 こんなにも、想ってくれる人が居る。仲間が、居るのだ。ひとりでは、決してない。この間守ると誓いを立てたばかりなのに、もう見失いかけていた。それは、恥ずべきだ。
 栄佑ももう、普段の穏やかな表情に戻っていた。
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