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4.浅田光が赴いた喫茶店にて。

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 前河原駅は比較的賑わっている場所だ。電車を降りると、やはり人が多い。しかし流れをよく見てみると、例のカフェへ向かう若者が多く見えた。その流れに紛れるようにして進むと、そのカフェはすぐ近くにあった。看板には、『混雑のため一時間交代制』と書いてある。事前に調べたところによると、このカフェは女性人気が全国的に高くチェーンではあるが地元では初出店らしかった。

「……3時45分か」

 3時から入って1時間で出てくるから、丁度いい時間帯だろう。しばらく周辺をうろつく事にした。
 あまりにも、緊張する。同窓会で見かけた時ですら、脳味噌が沸騰する心地がしたというのに。実際会って話す、と想像しただけで胸の奥がざわめく。
 正直、修治や修治に頼まれた奴が見張りに来ている可能性も否めない。けれど大丈夫だ、偶然さえ装えば。とくにこの駅は色々な店が集まっているから、あとで何かしら買い物すれば言い訳も立つ。今日は、会うだけだ。どちらにせよ早めに帰らないと彩がうるさい。
 時計を何度見ても、そんなにすぐに時間は進まない。手汗も酷くて、慌てて拭いた。
 そして、カフェの出口が開いた。注視すると、少しずつ客が出てくる。どうやら同じ時間枠の客達らしい。つまり、あの中に……紛れてくる。

「いた」

 確かに渡さんと葵だった。どくり、と心臓が跳ねる。一つだけ息を呑み、歩き出す。
 近付く。少しずつ。まだ、二人は俺に気付かない。いや、渡さんはこちらを見た。小さく頷いてくるのが見えた。

「渡さん?」

 渡さんが顔をこちらに向けてきた。すると、大袈裟に目を見開いてくる。

「あれ、浅田くん!?」

 芝居が上手い事だ。
 葵がバッとこちらを見た。目が合った途端、泣きそうになった。それを、必死に堪える。葵もまた、表情を揺らしていた。

「なになにー、すごいね同窓会で会ったばっかなのに!」
「そうだな。偶然だな」

 言い聞かせるように呟く。葵は、目を逸らした。だめだ、その仕草すら懐かしい。修治に縛られだした時と、同じ。

「今日は葵ちゃんと二人でここに来てたの。今日からオープン、ってことで」
「ああ、有名らしいな」

 渡さんと会話しながらも、俺の視線は葵に釘付けだった。葵は、震えている。それでも、逸らせなかった。
 葵の手が、渡さんの袖を掴む。

「ご、ごめんなさい渡さん……ちょっとお手洗い行ってくる」
「あーうん、いってらっしゃい」

 葵はぱたぱたと店に戻っていった。その後ろ姿を溜息混じりに眺めながら、渡さんは「満足?」と聞いてくる。頷くしかなかった。

「すっごい怯えようじゃん。何、トラウマ案件?」
「……かもな」

 何せ、あんな別れ方をしたのだ。それにきっと、修治からも色々刷り込まれているだろう。
 でも、会えた。そして……あれはもう、完全な拒絶だった。胸の奥は重いけれど、すとん、と何か落ち着いた気もする。
 この恋は、もうどうしようもないのだろう。互いに結婚している時点で分かりきっていた事ではあるが。

「ありがとう、渡さん。悪いけどフォローよろしく」
「はーい。今度元林くんと三人でご飯いこ、奢ってね」
「ああ、礼としてな」

 渡さんは「そういう事」と返してきた。
 ひとまず、歩きだす。遠目から見ると、渡さんに合流した葵が見えた。俺がいなくなるのを待っていたのだろう。その事実にも、泣きそうになる。
 ……諦めなければならないのに。その答えは、最初から分かっていたはずなのに。



 その日の深夜だった。彩は寝静まったものの何だか寝付けなくて、コーヒーを飲みながら録画していたドラマを観ていた時、スマートフォンが震えた。それは、知らない番号だった。市外局番がついているということは、何かの営業だろうか。しかし時間が遅過ぎる。
 恐る恐る、応答ボタンを押して「もしもし」と口にする。すると、息を呑む声。

『……光、くん』

 その声に、全身が粟立つ。嫌ではない、むしろ……ずっと、待っていた。

「葵?」
『うん』

 どうして。どうして、葵が。頭の中がぐるぐると掻き回される。混乱が止まらない。

『その、どうしても……今日あの後から、どうしても気になって。本当は同窓会で見掛けた時、話せるかなって思ったんだけど。でも』
「いや、いい。分かってる、気にするな」

 葵と会話している。それも、十年ぶりに。泣きそうになるのを必死に堪えながら、痛感した。
 ああ、駄目だ。俺は結局、葵の事が。

「その、大丈夫なのか。修治は」
『今お風呂入ってる。だから急に切るかも』
「いい、いい。大丈夫だ」

 だから小声なのか。いや、いい。そんな事はどうだっていい。

「でもよく俺の携帯番号分かったな。覚えてたのか」
『ごめん、流石にそれは……。でも今日、渡さんと高校の人の連絡先どれだけ持ってるかって話になって。電話帳開いてた時に見えたから、覚えた』

 そうだ、葵は元々頭がいい。入院があったりして成績が悪かっただけで、授業に追いつくようになったらすぐに取り戻していた。駄目だ、その記憶すら愛おしい。
 しかし渡さんは、そこまでしてくれていたのか。きっとわざとだろう。いよいよ本気で何かをご馳走しなければならない。

『スマホだと……その、修治が見ちゃうから。履歴消しても、消した事がバレると……』
「ああ大丈夫、それでいいと思う。固定電話の履歴は流石に気にしないだろ」

 賭けではあるが、こればかりは信じるしかない。そもそも俺は、浮かれていた。
 葵は『今日ね』と呟く。

『……嬉しかった、会えて』
「ああ、俺も」
『また電話していい?』
「ああ、いつでも待ってる」

 彩は固定電話にかかってくる電話は営業だと疑って絶対取らない。そもそもこの固定電話も、ファックスのために置いているだけだ。それに、かかってくれば俺が真っ先に取ればいい。

「俺のシフト、分かるよな」
『うん、大丈夫。ごめん、そろそろ』
「ああ、またな」

 ぶつり、と切れた。震える手で、受話器を戻す。
 泣きそうで、泣きそうで。必死に堪える。もう駄目だと思っていたのに……また、繋がれた。

「葵……」

 胸の奥が、じんわりと熱を持った。
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