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 周囲のネクロマンサーがいそいそと動きだす。その様子にいち早く気付いたギャムシアが動いた。背に隠していた仕込み長剣を抜き出して跳躍する。目にもとまらぬ速さでその場に居るネクロマンサーの首すべてを切りつけた。盛大な血の噴水があがる。全員分の血が落ち着くまでの時間、わずか十秒も無かっただろうか。
 刃の血を振って弾き、改めてディグレオを睨みつける。シャイネの目を、ディグレオは嫌味に歪ませた。

「ほう、最初から数減らしですか。いやらしい手に出ましたね」
「同じような手何度も食らうかよ」

 ギャムシアは溜息混じりに、額を抑えた。頭痛がしているのか、眉根が寄っている。

「……さすがにラチカがそこまで言うとは。嫉妬すればいいのか、状況が状況だけに悩むものだな」

 ネクロマンサー達が伏した場所から、数々の靄が上がってくる。やはり、前もって準備していたか。ラチカの前に戻り、彼は耳打ちしてきた。

「今度こそ、守る。俺から離れるな」

 頷く。ああ、こんなにも……心強い。
 ギャムシアが駆けた。それを追う。襲い掛かってくる靄を、破魔短刀でひたすら裂いた。もう、痛いだの苦しいだの言っていられない。普段の自分とは違う、奥底から無尽蔵の力が湧いてくる。
 ギャムシアはラチカに亡霊の処理をさせながら、ディグレオに突進した。しかし。

「っく……!」

 ディグレオの足が、綺麗に腹に決まった。吹き飛ばされる彼に目をやり、その名を叫ぶ。ディグレオはさもおかしそうに笑い声をあげた。

「ああ、軽い! やはり若い体は良い! それもレヂェマシュトル、この威力は嬉しいですねぇ」

 最悪だ。そうか、身体能力がすべて乗っ取った肉体に依存するというのなら。だからこそ、彼はその体を狙っていたのだろう。
 倒れ込むギャムシアに駆け寄ると、その胸倉を掴みあげた。そのまま下卑の笑みで、囁いてくる。

「くくっ……私の心も、彼の体も、喜んでおりますよ。何せ貴様をこうも痛めつけられるのだから」

 拳が、ギャムシアの顔を撃った。嫌な音。恐らく何かの骨が砕けたのだろう。
 何度も何度も、ディグレオの拳がギャムシアの顔を潰す。ラチカはその様子を見て泣きそうになったが、沸いて出る亡霊の相手で精一杯だった。

「ギャムシア……!!」

 彼は右手を弱弱しく上げた。その合図が気に食わなかったのか、ディグレオの顔が歪む。もう一発、打ちこまれた。

「何を余裕ぶっているのだか。初恋の君にいいところでも見せたいのですか?」
「っは、違ぇよ」

 声は、笑っている。あの、意地の悪い笑み。血に塗れていながらも、変わらない。

「お前、本当にあいつの事分かってねぇな。最低限、観察してりゃいいと……抜かってやがる。いつもそうやってきたんだろ」
「……何が言いたい」

 声が、強張り始めている。しかし逆に、ギャムシアは……余裕だった。

「あいつが! あの執着心は一級品で俺の妻になる女に手を出すようなとんでもなく図々しいクソガキが! てめぇなんかに乗っ取られるほど弱くねぇってことだ!!」

 ギャムシアの蹴りが、ディグレオの腹に入る。レヂェマシュトルの肉体なら防ぐことなど容易なはずなのに、ディグレオの体がとんだ。油断しきっていた証拠だろう。
 床に転がる彼の肩を、強く踏みつける。うつ伏せの状態で、ディグレオは悲鳴を上げた。しかしすぐに、静かな笑い声に変わる。それがどこか不気味で背筋がぞっとしたが、言葉を待った。

「……ええ、ええ。しかし事実ですよ。彼の魂はこの体から追い出しました。この体の支配権は、私にある」

 それを聞き、涙腺が痛みだす。溢れそうになる涙を堪えながら、ラチカは残り少なくなった靄を再び裂いた。

「そもそも何故私がいまこうやって行動を始めたかご存知ないでしょう、貴様らは。サガリオット様を召喚するために十年もかける必要など、そもそも無いのです。一週間もあれば足りました」

 そうだ、そういえば。
 ギャムシアはつまらなさそうに溜息を吐く。それを見上げながら、ディグレオは笑みを深めた。

「……レヂェマシュトルはじき崩壊する」

 不意に出た、名。

「レヂェマシュトルの頭が、私を待っている。私の力、サガリオット様を待っている。そう、すべては」
「大陸をひっくり返すために、だろ」

 ギャムシアの言葉に一瞬目を見開くも、すぐに「気付いていたか」と笑い声をあげる。ギャムシアはただ、冷たい目で見下ろしていた。

「我らの力を持ってすれば大陸の人間、仕組みなどすべて崩壊させる事が可能です。頭の命令に、島のレヂェマシュトルは一切抗えない」
「そんな……っあんたの目的は、ロドハルトの崩壊でしょ!? なんでわざわざ大陸ごと……!」

 ラチカの問いに、ディグレオは鼻を鳴らした。

「『結局は同じ』だという事ですよ。レヂェマシュトルは数百、数千年と微温湯へ浸りきったこの大陸を崩し支配権を得る。私はその中の、アスパロロクの領土をもらい受ける。ビジネスライクにやっていく盟約ですよ」

 結局はそうなのか。ラチカが歯噛みするも、ギャムシアはただ黙っていた。しかしその目に、先程の冷徹な色は無い。ただの無感情だった。
 そんなギャムシアを見上げながら、ディグレオは笑う。

「ふふ、どうです。ここまでやるとは思っていなかったでしょう。この大陸にサガリオット様を始めとした上級亡霊を多数解き放ち、人類を滅亡させる。エクソシストどもはレヂェマシュトルにやらせれば、効率的にこの大陸を更地に出来る。あとは国という国の文化を分解させ、新たに作り変えればいい」

 あまりにも、勝手過ぎる。これが数百年生きていた人間の、醜悪たる目論見か。
 ……しかし、レヂェマシュトルの頭が絡んでいるだなど。そうなれば、シャイネは。シャイネにも、その目的があったのか。その上で。
 ギャムシアは何も言わなかった。ただ、一瞬彼の肩を踏んでいた足を浮かせ……再び、鋭く落とし込む。ディグレオは一瞬だけ悲鳴を上げたが、すぐに余裕のある表情に戻った。

「クク、もう止まらない。止まりませんよ。すでにレヂェマシュトルの頭には連絡を飛ばしてある。彼女の一声で、すべてのレヂェマシュトルが集結するのです。分かりますか、ラチカ様」

 彼の声が、ラチカを揺らす。もうすでに、亡霊は全滅していた。ただ一心に短刀を振るった体が、緊張を解いて震えだす。

「貴女の従者は……貴女のシャイネさんは、ずっと。貴女を裏切っていたのです。彼がその目論見を知らぬはずはない。私と関わっていることは知らなくても」

 足の力が、抜ける。そんな事など、あるわけがない。あるわけがない、のに。
 しかしもう、弁明してくれるシャイネは……いない。
 話しているのはディグレオだ。しかし、その姿と声はシャイネのものだ。分かっている、シャイネはそんな話をしないしこんなにも醜い笑みを浮かべたりしない。ただ穏やかに、たまに苛烈に、ラチカを……守ってくれていた。
 ギャムシアは深く溜息を吐く。

「お前のやり方も何もかも昔のまま止まってんだな」
「な、に……」

 思いもよらぬ言葉に、ディグレオは目を見開く。

「やり方も、情報も、その驕りも。お前の敗因と言えば、そこだろうな」
「な、何を言っている? クハ、分かったぞ。恐怖のあまり気でも触れたか」
「よし、お望みなら正気のまま真実を教えてやるぜ」

 何の話か、分からない。ただギャムシアは、口を止めなかった。

「……レヂェマシュトル総帥は暗殺されたよ。とうにな」

 ディグレオの顔がぽかん、と開く。しかしすぐに盛大に笑い出した。

「なぁにを言い出すかと思えば!! 残念でしたねぇ、そんなはった」
「とどめを刺した男の名はベルロイ・オーティ」

 その名を聞き、ディグレオの笑いが止まる。

「正体を掴めぬレヂェマシュトル、だったか。こいつが時期頭だろ。元帥といったか」
「貴様……何故、その名を……」
「勿論一国主程度の俺じゃそんな大御所の名前なんざ知る由もねぇ。しかしあのクソガキが俺にだけはって全部開示してたんだよ」

 知らない、そんな事。ラチカはただ、黙るしかない。そんなラチカに、ギャムシアは声を飛ばした。

「『お嬢様に余計な心配をかけさせたくない』って言ってたぜ。それは汲んでやれよ」

 とりあえず、頷く。それしか出来ない。そしてそれも、腹立たしいが……非常に彼らしい、納得のいく理由だ。
 ギャムシアの言葉は、まだ続いた。

「前回のレヂェマシュトル集会の時の事だ。本来は三日のはずの集会が、あの時だけ四日間あった」

 それに、ハッとする。そうだ、そういえば。前回初めて出向いたせいで気付いていなかったが、よく考えるとそうだった。試合が二日間に伸びていた。

「お前の事に気付いた数年前から、綿密に計画を練っていたらしいぜ。お前と頭が組んでるんじゃないかって……参加したレヂェマシュトルは動ける者全員だったそうだ。とんでもないクーデターだな」
「そ、そんな……馬鹿な……」
「ふん、やっぱり知らなかったか。お前が前の頭の亡霊すら利用するんじゃねぇかってあっちは予測してたらしいが、杞憂だったな。まあ用心に越した事は無いんだろうが」

 ディグレオの体が、わなわなと震えだす。本当に知らなかったのだろう。
 ギャムシアは一瞬だけ、ディグレオの肩から右足を上げた。そのまま、顔面を踏みつぶす。醜い悲鳴が聞こえた。

「そろそろ詰んだか?」

 ギャムシアの問いは、応えを得られなかった。口元を固い靴底で何度もこすられ、かなり痛そうだ。一応シャイネの体である分、直視がしづらい。
 ……彼は、もう戻らないのか。

「……まだだ、まだだ……」
「あ?」

 ディグレオの手が、ギャムシアの足を掴む。そのまま、勢いよく捻った。バランスを崩したギャムシアは、床に倒れ込む。うめき声をあげ手を振り払おうとするが、その力はあまりに強いようだった。

「……私には、サガリオット様が、いる……!!」

 その時だった。
 奥に倒れ込んでいたディグレオの遺体の懐が、輝きだす。ハッとしてそちらを見ると、その光は一瞬にして強まり……一気に、室内を覆った。

「っ、んだこれ……!」

 ギャムシアの呻きに、ディグレオの笑い声が響く。

「っはは、やっと終わった。そう、解けないなら……全力を持って、砕けばよいのですよ!」


 モシェロイは結界がはじけ飛ぶさまを目にした。薄赤い氷のような欠片が悲惨し、室内に降り注ぐ。結界とはいえ、現在は質量を持つ物体だ。使用人を部屋から全員撤退させておいて良かった。
 サガリオットの体の靄は、その場に留まった状態でひたすら旋回していた。ずっと、呻き声を上げ続けている。そんな彼に、溜息混じりに語り掛けた。

「……大丈夫そうですね」

 返事は無い。彼はひたすら、ぐるぐると回る。とんでもない気配だ。近くに居るだけで、吐き気が昇ってくる。侵食の初期症状だが、エクソシストであるモシェロイすら影響を受ける程なのか。
 ……これが、奴の。ディグレオの理想とした姿か。

「サガリオット殿」

 彼は応えない。ただ、少しずつその身を下降させる。そのまま床に到達し、床を腐食させながら……地下を、潜っていく。それは彼の意志で掘っているのかどうか、そこまでは分からない。
 しかし、モシェロイには分かる。サガリオットの考えも、目論見も。結界の中で彼はずっと、考えていたはずなのだ。
 彼の姿が完全に失せた。モシェロイは深く溜息を吐く。
 ……残りは、賭けるしかない。
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