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⒍形だけでも取り繕い始めたか。
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ヴィエロが帰宅したのは、日付が変わってからだった。それはいつも変わらない。
彼は国主邸に勤めている、とだけ聞いている。仕事の内容は詳しく知らないが、国主の傍に仕えるというのだからそれなりにすごい仕事なのだとはわかる。何より……身内には苛烈ながらも世渡りは上手い彼の事だ。出世にも恵まれるのだろう。
サエラはいつも、ヴィエロにだけは個別で夕食を作っていた。ダニスとニエットは普段ずっとこの屋敷で仕事をしていたので彼らと自分はその時あわせて食事を摂っていたものの、彼だけは帰宅時間の都合でそういうわけにはいかなかった。
彼の食の好みは偏っていたので最初こそ苦労したが、流石に数年仕えていれば慣れてきた。
まず彼は帰宅早々入浴する。その間にサエラが夕食を用意するという形だ。入浴を終え、髪がまだ湿ったままのヴィエロが居間に現れると配膳を開始する。料理を並べ終えてから、ヴィエロはサエラを見た。
「お前は」
「先に済ませました」
習慣というものは、意識しない限りそうそう変えられない。いつもと同じ時間に腹が空き、軽食だけ作って食した。たった一人の食卓は、苦しかった。
ヴィエロはそれを聞き、溜息を吐く。その機嫌は悪そうだった。
「これからは俺を待っていろ。一緒に食う」
「……かしこまりました」
意図が分からなかった。そんなサエラの心境に、ヴィエロは何ともないように口を動かす。
「夫婦が食事を共にするのは当たり前だろう」
……どうも、拘っているらしかった。やはり分からない。それでも「そうですね」と答えるしか出来ない。
ひとまず洗い物をしようと台所へ向かう。本当はヴィエロの食事が終わるまで待てばいいのだが、彼と同じ空間に居るのはやはり息が詰まる。
冷たい水は、少しずつ暖かくなっている気候でも少し辛い。それでも、もう慣れた。
まさか、自分が夫をもつことになるとは思いもしなかった。とはいえあくまで戸籍の都合上内縁のものなので、厳密な意味では違うのだが。
もし戸籍が生きていたら、自分はきちんとヴィエロの妻になってしまうのだろうか。使用人としてここに拾ってもらった立場の自分に夫を選ぶ権利が無い、というのは分かっている。それでも、もし自分に選ぶ権利があれば。それならば。
洗い物を終える。この後は実質、自由な時間だ。だいたいダニスの仕事の手伝いとして帳簿をつけていたが……よく考えれば、それもこれから一人でやっていかなければならないのだろうか。気が進まないが、ヴィエロに相談するしかないだろう。
居間に戻ると、彼は食事を終えていたようだった。片付けてから、「ヴィエロ様」と声をかけた。彼はちらりとサエラを見るに留めた。
「旦那様とニエット様の仕事の件なのですが」
そう口にすると、彼は向かいの椅子を指差した。どうやら、まともに話してくれる気ではいるらしい。少し安堵して、腰掛けた。ヴィエロは一つ息を吐く。
「親父の業務のいくつかは俺が引き継ぐ。主に分家当主の内容だな」
「国主邸のお仕事と並行されるのですか」
「当たり前だ。別にあっちの仕事は隙があるからな。大して労力は増えない」
よくわからないが、頷くしかない。
「日常業務の方はお前が手伝っていたなら、勝手はよく知っているだろう。従業員の采配やら何やらはお前に任せる。決済の時だけ俺を通せ」
「かしこまりました」
それならば、実質今までと変わりない。ただ上司の首がすげ替わっただけのようなものだ。ニエットの仕事も、ダニスの下で行われていたものだ。それを肩代わりするという意味では変わりない。その事に安堵する。しかしヴィエロの眉は顰められた。
「何惚けた顔してるんだ」
「え……も、申し訳ございません」
嫌な気配だ。機嫌を損ねているかのような。そしてそれは、実際当たりだった。
「お前の今の主人は誰だ」
その問いは、鋭い錐のようだった。一瞬、息が詰まる。そんなサエラに向かって緑色の目を一度滾らせると……ヴィエロは、立ち上がってサエラの胸倉をテーブル越しに掴んだ。
「言え」
「……っ」
「言えよ!」
後頭部に手を当てられ、ガン!と大きな音を立てテーブルに叩きつけられる。頬骨から衝撃が走り、目の前がちかちかした。ギリギリ、とテーブルに押さえつける力を強めながらヴィエロの唸りは始まった。
「何で言えないんだよ……あいつらはもういないだろうが……」
その言葉で、疑念は確信にほぼ変わった。それでも、口はテーブルに押し付けられていて開くこともままならない。
「聞き方を変える」
サエラのシニヨンを掴み、無理やり顔を向けさせられる。その顔を見て、サエラは目身開く。彼は、泣きそうな顔をしていた。
「お前の夫は、誰だ」
口が、つられそうになる。それでも、耐えた。それ程までに、サエラの心の中も……沸騰していた。
だが。ここで下手に動けばきっと自分が不利だ。だからこそ。
「……ヴィエロ様です」
感情を込めずにものを言う事には、慣れていた。それは記憶の無いほどの昔から培ってきたものなのだと、自分でも分かる。
ヴィエロは力を緩めた。表情もすっと元に戻すと、サエラの腕を引いて起こした。そして唇を噛み締めると、口を開いた。
「待ってろ」
彼は居間から出ると、すぐに戻ってきた。その手には、脱脂綿と小さな瓶があった。サエラの脇に座ると、瓶の蓋を開けて脱脂綿を漬け込むとサエラの頬に乱暴に当てた。
「っ!」
どうやら切っていたらしい。ヴィエロは顔を顰めるサエラを気にする事もなく処置を終えると、ぼそりと呟いた。
「自覚しているなら、それでいい」
彼は、そうとだけ言った。その表情は変わらず冷たいものだったが、不思議と暴虐性は感じなかった。
躾、のつもりだったのだろうか。
ヴィエロは「寝るぞ」と口にして立ち上がると、そのまま歩き出す。サエラはそれを訝しげに見つめる。
この男の狙いも、思惑も分からない。それでも、ひとつの嫌疑は生まれた。
もし、この男が……ダニスとニエットを殺したのであれば。自分は、何をすべきなのだろうか。
「何してる愚図、早く来い」
内心奥深くで煮えたぎる感情を無表情で押し殺しながら、サエラは「すぐに」と返した。
彼は国主邸に勤めている、とだけ聞いている。仕事の内容は詳しく知らないが、国主の傍に仕えるというのだからそれなりにすごい仕事なのだとはわかる。何より……身内には苛烈ながらも世渡りは上手い彼の事だ。出世にも恵まれるのだろう。
サエラはいつも、ヴィエロにだけは個別で夕食を作っていた。ダニスとニエットは普段ずっとこの屋敷で仕事をしていたので彼らと自分はその時あわせて食事を摂っていたものの、彼だけは帰宅時間の都合でそういうわけにはいかなかった。
彼の食の好みは偏っていたので最初こそ苦労したが、流石に数年仕えていれば慣れてきた。
まず彼は帰宅早々入浴する。その間にサエラが夕食を用意するという形だ。入浴を終え、髪がまだ湿ったままのヴィエロが居間に現れると配膳を開始する。料理を並べ終えてから、ヴィエロはサエラを見た。
「お前は」
「先に済ませました」
習慣というものは、意識しない限りそうそう変えられない。いつもと同じ時間に腹が空き、軽食だけ作って食した。たった一人の食卓は、苦しかった。
ヴィエロはそれを聞き、溜息を吐く。その機嫌は悪そうだった。
「これからは俺を待っていろ。一緒に食う」
「……かしこまりました」
意図が分からなかった。そんなサエラの心境に、ヴィエロは何ともないように口を動かす。
「夫婦が食事を共にするのは当たり前だろう」
……どうも、拘っているらしかった。やはり分からない。それでも「そうですね」と答えるしか出来ない。
ひとまず洗い物をしようと台所へ向かう。本当はヴィエロの食事が終わるまで待てばいいのだが、彼と同じ空間に居るのはやはり息が詰まる。
冷たい水は、少しずつ暖かくなっている気候でも少し辛い。それでも、もう慣れた。
まさか、自分が夫をもつことになるとは思いもしなかった。とはいえあくまで戸籍の都合上内縁のものなので、厳密な意味では違うのだが。
もし戸籍が生きていたら、自分はきちんとヴィエロの妻になってしまうのだろうか。使用人としてここに拾ってもらった立場の自分に夫を選ぶ権利が無い、というのは分かっている。それでも、もし自分に選ぶ権利があれば。それならば。
洗い物を終える。この後は実質、自由な時間だ。だいたいダニスの仕事の手伝いとして帳簿をつけていたが……よく考えれば、それもこれから一人でやっていかなければならないのだろうか。気が進まないが、ヴィエロに相談するしかないだろう。
居間に戻ると、彼は食事を終えていたようだった。片付けてから、「ヴィエロ様」と声をかけた。彼はちらりとサエラを見るに留めた。
「旦那様とニエット様の仕事の件なのですが」
そう口にすると、彼は向かいの椅子を指差した。どうやら、まともに話してくれる気ではいるらしい。少し安堵して、腰掛けた。ヴィエロは一つ息を吐く。
「親父の業務のいくつかは俺が引き継ぐ。主に分家当主の内容だな」
「国主邸のお仕事と並行されるのですか」
「当たり前だ。別にあっちの仕事は隙があるからな。大して労力は増えない」
よくわからないが、頷くしかない。
「日常業務の方はお前が手伝っていたなら、勝手はよく知っているだろう。従業員の采配やら何やらはお前に任せる。決済の時だけ俺を通せ」
「かしこまりました」
それならば、実質今までと変わりない。ただ上司の首がすげ替わっただけのようなものだ。ニエットの仕事も、ダニスの下で行われていたものだ。それを肩代わりするという意味では変わりない。その事に安堵する。しかしヴィエロの眉は顰められた。
「何惚けた顔してるんだ」
「え……も、申し訳ございません」
嫌な気配だ。機嫌を損ねているかのような。そしてそれは、実際当たりだった。
「お前の今の主人は誰だ」
その問いは、鋭い錐のようだった。一瞬、息が詰まる。そんなサエラに向かって緑色の目を一度滾らせると……ヴィエロは、立ち上がってサエラの胸倉をテーブル越しに掴んだ。
「言え」
「……っ」
「言えよ!」
後頭部に手を当てられ、ガン!と大きな音を立てテーブルに叩きつけられる。頬骨から衝撃が走り、目の前がちかちかした。ギリギリ、とテーブルに押さえつける力を強めながらヴィエロの唸りは始まった。
「何で言えないんだよ……あいつらはもういないだろうが……」
その言葉で、疑念は確信にほぼ変わった。それでも、口はテーブルに押し付けられていて開くこともままならない。
「聞き方を変える」
サエラのシニヨンを掴み、無理やり顔を向けさせられる。その顔を見て、サエラは目身開く。彼は、泣きそうな顔をしていた。
「お前の夫は、誰だ」
口が、つられそうになる。それでも、耐えた。それ程までに、サエラの心の中も……沸騰していた。
だが。ここで下手に動けばきっと自分が不利だ。だからこそ。
「……ヴィエロ様です」
感情を込めずにものを言う事には、慣れていた。それは記憶の無いほどの昔から培ってきたものなのだと、自分でも分かる。
ヴィエロは力を緩めた。表情もすっと元に戻すと、サエラの腕を引いて起こした。そして唇を噛み締めると、口を開いた。
「待ってろ」
彼は居間から出ると、すぐに戻ってきた。その手には、脱脂綿と小さな瓶があった。サエラの脇に座ると、瓶の蓋を開けて脱脂綿を漬け込むとサエラの頬に乱暴に当てた。
「っ!」
どうやら切っていたらしい。ヴィエロは顔を顰めるサエラを気にする事もなく処置を終えると、ぼそりと呟いた。
「自覚しているなら、それでいい」
彼は、そうとだけ言った。その表情は変わらず冷たいものだったが、不思議と暴虐性は感じなかった。
躾、のつもりだったのだろうか。
ヴィエロは「寝るぞ」と口にして立ち上がると、そのまま歩き出す。サエラはそれを訝しげに見つめる。
この男の狙いも、思惑も分からない。それでも、ひとつの嫌疑は生まれた。
もし、この男が……ダニスとニエットを殺したのであれば。自分は、何をすべきなのだろうか。
「何してる愚図、早く来い」
内心奥深くで煮えたぎる感情を無表情で押し殺しながら、サエラは「すぐに」と返した。
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