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1.すべてを隠されたまま、始められたのか。

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 昔から、ずっと夢を見る。内容は記憶に残らない。だが、目を覚ますと体の火照りとほんの僅かな頭痛を伴っている。それは今日とて、変わらない。

「っ…………」

 サエラは頭を押さえながら、寝台から身を降ろした。体は、重い。
 夢の頻度は、十日に一度程。きっとそれは、生まれた時からずっと。生まれてすぐの記憶など、とうに薄れてしまっているが。
 ……こんなにも、悲しいのに。それでも変わらずやってくるというのか。
 鏡台の前に座る。質素な部屋で異様に存在感を放つこの豪奢な鏡台は、唯一の友人から与えられたものだ。彼女を友人と呼んでいいと、彼女自身が認めてくれた。また、ぼたぼたと涙が零れ落ちる。

「うっ、ううっう……」

 心臓が嫌に音を立て、脳の奥が軋む。辛い、辛過ぎる。これこそ、すべてあの正体の分からない夢であればいいのにと願ってしまう。
 それでも、静かなこの朝そのものが……現実である証だ。
 鏡を見る。酷い顔だった。泣き腫らして、銀灰色の目がいつもより小さく見える。赤い癖毛もぐしゃぐしゃだ。

「っ、う……あ、ああ……」

 この髪を撫でてくれたあの人も、文句を言いながらも飾り付けてくれた彼女ももう居ない。駄目だ、涙が止まらない。嗚咽がこぼれ続ける。
 部屋の扉が開かれた。はっとして振り返ると、不機嫌そうに彼は目を歪めていた。

「廊下まで響いてんだよ、目が覚めた」
「も、申し訳ありません……」

 彼もどうやら寝起きのようで、身支度は出来ていなかった。サエラの姿を上から下までじろりと見ると、溜息を吐く。

「呑気に泣いてんな。今日忙しいんだろうが」
「……はい」

 言い方の棘は、今に始まったわけではない。それでも、歯噛みしてしまう。それを感付かれたのか、彼は目を歪め足を踏み入れてきた。サエラの胸倉を掴み、暗い目で見下ろす。

「逆らうのか、俺に」
「……いいえ」
「逆らう目をしてんだよ」

 そのまま、鏡台に叩きつけられる。呻くサエラを放って、彼は部屋を出て行った。
 ゆっくり身を起こし、鏡台を確認する。傷は入っていない。その事に安堵する。
 そうだ、今日は……忙しいのだ。動かなければならない。彼に対して考えを割いている場合ではない。
 顔を彼女に教わった化粧で整えて、あの人がかつてあつらえてくれた礼服で身を固める。初めて着る時がまさか……こんな日だなど。
 身支度を終えると、彼はすでにリビングにいた。じとりと見てきたことで察し、彼のために白湯を用意する。彼はそれを無言で受け取り、口にした。温度の調整を間違える度にそれをかけられたものだが、ここしばらくは安定しているらしく大人しい。カップをテーブルに置き、彼は立ち上がる。

「行くぞ」
「はい」

 歩き出す彼の背を追うように、サエラも歩き出す。
 迎えの馬車に乗り込み、扉を閉めた。走り出す馬車の窓の外を眺める彼の横顔を、サエラも見つめた。
 ……友人とは、その深緑色の目以外あまり似ていない。髪も美しい金髪だった彼女と違い、暗い赤毛だ。だが、あの人とはすべてが瓜二つだった。それこそ、彼が老いればあの人になるのが見える程に。
 馬車が停まった。扉が開かれ、御者が顔を出す。

「ヴィエロ・ピオール様。侍女様。到着でございます」
「ああ、ありがとう」

 ……自分には、礼なんて一切言わないどころか笑顔すら見せないのに。いや、自分だけでない。彼は結局、家外の外面だけ繕う。
 ヴィエロに続いて降りる。二人を見た瞬間、先に居た人々はハッと息を呑んだ。全員が全員、遠巻きにこちらを見ている。その視線を無視するヴィエロに、サエラも倣った。
 やがて一人の男が歩み寄ってきた。彼は恭しくお辞儀をすると、ヴィエロに「お待ちしておりました」と声を掛ける。

「奥へどうぞ」

 男に連れられるがまま、奥へと進んでいく。この建物の……教会の中でも、普段は一般人は入る事の出来ない領域だ。
 重い扉を開き、男は手で先に進むよう促した。ヴィエロはサエラを一瞥すると、何も言わずに進む。
 どくり、どくり、と心臓の奥が鳴る。それでも、足を踏み出した。
 置かれていた、二つの棺。蓋はまだ被せられていない。だからこそ、見えた。

「旦那様……ニエット様……」

 二人の顔は、眠っているかのようだった。今にも起き出して、挨拶でもしてきそうな程に。
 震え始めるサエラを置いて、ヴィエロは一つの棺に向かった。中にある遺体は、やはりヴィエロと瓜二つだった。少し白髪が入り込んでいるくらいで。

「親父……」

 そう、呟いただけだった。何も言わずに彼は部屋を出る。

「愚図、来い」
「えっ」
「そもそもここに入れるのは親族だけだ」

 そう冷たく言い放つヴィエロの背に、「僕が許したから大丈夫ですよ」と男が声を掛ける。

「そうだ、少し侍女様にはお手伝いいただきたい事が。ニエット・ピオール様も……遺体となったとは言え、男に身を整えられるのはお嫌でしょうから」

 その言葉を聞き、ヴィエロは振り返った。そして「そう言う事ならどうぞお使いください」とだけ言って、部屋を出た。
 彼の姿が見えなくなって、サエラは男を見た。

「あ、あの……ありがとうございます」
「いいえ。すみません、ああは言いましたがもう完了していまして。さあ、今のうちに。ご遺体には触れないようにだけお願いします」

 頷くと、サエラは一つの棺に向かった。そして、跪く。
 棺の中には、美しい金髪を波打たせた少女が眠っていた。普段眠っている姿より大人しく、安らかな……。

「ひぐ、うぅっ……」

 もう、目覚める事は無い。やっと心を許しあえたというのに。
 立ち上がり、もう一つの棺へと向かう。そこには……ダニス・ピオールが目を閉じていた。

「旦那様……」

 棺に縋り付く。もう、その姿すら直視出来なかった。
 認めたくない。こんな、酷い事実。自分を見つけ出して掬い上げてくれた人物を、まさかこんな形で看取る事になるなど。

「……女様、侍女様」

 肩を揺らされ、ハッと顔を上げる。男はハンカチを差し出してきて、微笑んだ。

「そろそろお時間です、参列のご用意を」
「はい……すみません」

 ハンカチで涙を拭いて返すと、一礼して部屋を出た。



 葬儀は滞りなく終わった。
 エヴァイアン国の中でも一等大きい農園を所持するピオール家。その中の分家とは言え主とその令嬢が亡くなったという事で、参列者は多かった。その中の誰もが当人なりに悲しみを感じているようだったが、ヴィエロはひたすらに涼しい顔を貫いていた。それが、サエラにとって不可解でしかなかった。
 教会を出て、二人は真っ直ぐにピオール家本邸へと向かった。この後は、緊急の一族会議だ。とは言え、内容は知れているが。

「……なら、やはり製薬の方はヴィエロが継ぐと言う事で皆異論はないな」

 席に着いた瞬間、ピオール筆頭の老人は口にした。他の分家家長たちは次々頷いていく。ヴィエロの後ろに立つサエラは、何も言えなかった。
 筆頭は「うむ」と頷く。

「ヴィエロ、やれるか」
「ああ。今やってる仕事の延長線のようなものだ」

 ヴィエロは表情を変える事なく口にした。筆頭は「そうだな」と返す。

「……流石に驚いておる。まさか……こんな、事が」
「タロニだ」

 ヴィエロの言葉に、全員の視線が向かう。それはサエラも同じだった。

「二人を暗殺したのはタロニ家だ。少なくとも俺はそう思っている」
「根拠は」

 ヴィエロはあくまで表情を崩さない。

「単純な話だ。親父とタロニ家は製薬権のゴタゴタを抱えてた。俺が仕事で国主邸に行ってなきゃ、俺だって危なかった」
「ならお前が次に狙われるのではないか」

 筆頭の言葉には、微塵も心配は感じられなかった。単純な質疑だ。ヴィエロはようやく、薄く笑った。

「あり得ないな。俺は国主邸地下に勤めてる、言わば国家にパイプがある。あいつらもそこまで馬鹿じゃないだろ、少なくとも親父よりはな」

 その言葉に、サエラの目がぴくりと動く。駄目だ、抑えなければならないのに。察したのかは分からないが、筆頭は息を吐いた。

「まあよかろう。お前も次の代を決めておけ、いざという時その方が我々も楽だ」

 嫌な言い方だとは思うが、事実なのだろう。何も言えなかった。
 筆頭が「他に何かあるか」と口にした。すると、ヴィエロが筆頭に目線を向ける。

「最後に一つ」
「何だ」
「この場で言うのもおかしいかもしれないが、俺は結婚する」

 全員の目が見開かれる。それはサエラも同じだった。そんな事、聞いていない。
 筆頭はただ冷静に首を傾げた。

「余程空気を読みたくないのか」
「単純に全員が揃ってるいい機会だと思った、それだけだ。それに、ようやく叶うからな」

 意味が分からない。サエラはただ混乱していた。だからこそ、身を弁える事を忘れた。

「っヴィエロ様! さすがに不謹慎過ぎます!」
「そこの侍女の言う通りだ。お前、さすがに父親と妹が……」
「だからこそ叶うようになったって言ってるんだよ」

 その言葉で、辺りは押さえつけられた。それはサエラとも同じで、息を呑む。
 ヴィエロはサエラを見る事無く、「こいつだ」と指で差した。

「こいつには籍が無い。だかられっきとした婚姻関係では無いが……これからはこいつを妻として扱う」

 わけが、分からなかった。
 全員、鎮まり返っていた。真っ先に声を上げたのは、サエラだった。

「何を……仰ってるんですか……!?」

 サエラの声を「思考まで愚図か」とヴィエロは潰した。その目線が、ようやくこちらへ向く。ダニスとは大違いの、冷たいものだった。

「そのままの意味だ。俺はお前を今この時をもって妻にする。だがお前には籍が」
「そういうことじゃありません!」

 話が通じないのか。それは全員が同じ気持ちなのか、少しずつざわめきだす。筆頭が「静粛に」と声を上げると、再び落ち着いた。そんな筆頭に、ヴィエロはじっとりとした眼を向けた。

「と、いうわけだ。駄目だとはあんたと言え言わせない」
「反対する気も必要も無いわけだが。場違いではあるというのが素直な感想だな」

 自分からの発案というわけではないのに、何故かサエラが責められている気になって胸が痛い。実際、あらゆる視線がヴィエロと……その背後に控えているサエラに向いている。
 筆頭は改めて、サエラに目線を合わせた。

「と、こいつは言っているが。君はどうだね」
「わ、私は……」
「拒否なんてさせない」

 ヴィエロは変わらず、声を冷やしたまま口にする。

「拒否したら強制解雇で追い出すまでだ」

 言うと思った。この横暴さは、知り合ってから本当に変わりない。
 全員の視線を浴びながら、サエラは唇を噛み締めた。この男の妻になるなど、考えるだけでゾッとする。しかし、追い出されるという事は……ダニスとニエットとの思い出の詰まったこの場所から、出て行くという事になる。それを考えるだけでも、また泣いてしまいそうになる。
 すう、と息を呑んだ。そして、ヴィエロを見下ろしながら口を開く。

「……かしこまりました。お受けいたします」


 それは、この世の誰が行うよりもひりついた求婚の儀だった。
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