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9.サスペンス的なドラマで名のある俳優さんがチョイ役を演じてたら犯人の可能性大
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ヴ、ヴ、ヴ。
朝食の跡片付けが終わったタイミングで、左手首に感じる振動。
「あ、仁ちゃんからメッセージ……」
うん。やっぱり便利だ。
家事をしている最中、常にスマホを見ているわけじゃないし。
近くに置いといても、前夜に設定したマナーモードがそのままになっていて、着信にもメッセージにも気が付かないって言う事も、度々あるし(今がまさにそうだったんだけど)。
【一輝によろしく言っといた。あいつも唯によろしくって】
「ふふ……よろしくに、よろしくが返ってきた」
考えてみれば、よろしくって便利な言葉だな。
お世話になってます。いつもありがとう。これからもお願いします。
たった一言に、色んな気持ちを込める事が出来る。
「これで簡単なメッセージの返信も出来るって言ってたけど……」
左手首のスマートウォッチをチラリと見つつ……今はやめとこう。と、自分のスマホを手に取る。
慣れない操作で時間がかかりそうだから、忙しい仁ちゃんの迷惑にならないように。
「ありがとう。また美味しいもの、贈りますって伝えてね……と」
一輝さんは、仁ちゃんの親戚であり幼馴染であり、親友。
アーティストのようなおしゃれなパーマ頭で、眼鏡をかけてて(ファッション伊達メガネなのか、本当に目が悪いのかは知らない)チェックのスーツとかばっちり着こなしちゃうような……仁ちゃんとはまた違った魅力のある、素敵な人。
私も、中学生の時から仁ちゃんのお家に居候させて貰って以来、長くお付き合いさせて頂いてるけど。
とっても気さくで、私みたいな根暗キャラが圧倒されてしまう位、明るい。
一輝さんがいてくれて、本当に良かったと思う。それは、私の護衛の為にスーちゃんを貸してくれているから、だけではなく。
ギスギスしがちな飛鳥一族の中で、一輝さんは仁ちゃんが心を許せる唯一無二の存在だから。
ヴ、ヴ、ヴ。
「えーと? だからいらないって。あいつに貢ぐ位なら、唯がうまいもんでも取り寄せろよ。か……う~ん」
私はこの前、いつもはただのモヤシでナムル作るのに、豆もやしにグレードアップするっていう贅沢をしちゃったばっかりだしな。
「じゃあ、勝手に選ばせてもらおうかな。と」
『ふざけるな! 次期社長は俺だぞ!』
送信をタップするタイミングで聞こえてきた、テレビの音。
『なに言ってるのお兄様! 後継ぎは私の息子! それがお父様の遺言よ!』
『皆さん落ち着いて下さい! 社長が殺されたっていうのに、もう次の社長の話ですか!?』
再放送の2時間サスペンスの会話だ。
「お。相続争いドロドロ系のサスペンス……。飛鳥の家に来るまでは、こういうの、ドラマの中だけの話だと思ってたなぁ……」
飛鳥の家は、大きい。
親族として認められている世帯は100以上。
一族の人は当然ながら全員が血統種で。その大半がアスカセレスチャルグループ系列の会社で働いているらしい。
資産があり、地位があり、権力がある、華麗なる一族。
でも……あるのはそれだけじゃない。
2時間サスペンスではおなじみのドロドロの覇権争いが、常に繰り広げられているんだ。
『○○家の人間として、恥ずかしい真似はしないでちょうだい!』
『飛鳥家の人間として』……仁ちゃんも、今まで何度同じ事を言われ続けてきただろう。
引き続き聞こえて来た、ドラマの台詞が、私の思考とリンクする。
華麗な一族には、華麗な一族に見せる為の苦労がある。身も、心も、蝕むほどの。
仁ちゃんと会って、それを知った。
学校の成績、習い事の成果、身なりや振舞いを含めた生活態度。そして……血統種にとって絶対的評価ともいえる。血統種ランク。
全てにおいて、常に一流を維持し続けなければならない重圧。
それを成し遂げなければ、まるで罪人のように責められる苦痛。
『父さんと母さんがそんなだから、僕はずっと苦しんできたんだ! 二人が望む結果を出さないと僕は愛されない、必要とされないって、ずっと――!』
「仁ちゃんも昔……似たような事言ってたな……」
ドラマの中で涙を浮かべて訴える青年に、かつての仁ちゃんを重ねてしまう。
「……大丈夫です。私も愛されていませんが、この通り元気に生きています」
そして、そんな仁ちゃんに、当時の自分が掛けた言葉を思い出し……つぶやく。
『そんな事ないわ! ご両親はあなたに期待しているから厳しくしたのよ! 子供を愛さない親なんているものですか!』
「……うん。そうだよね。普通の人はそう言うよね。私も、そうやって言ってあげれば良かったんだろうな……」
2時間サスペンスに学ぶ、会話術。
私も普通に産まれて普通に育ってたら……こんな風に、普通に励ましてあげられたんだろうか。
仁ちゃんが本物のお嫁さんとして選ぶような女の子に……なれていたんだろうか。
「あ~ダメダメ! パーティーの後遺症とはいえ、たられば妄想で落ち込むなんて不毛! よし! 次はバルコニーのお掃除でもしようかな! 雨が降る前に溝の砂とかゴミとか、取り除いておこう!」
一人で喋りながら、テレビのリモコンを手に取って、電源ボタンに指をかける。
……でも、押せなかった。
不安定な精神状態下での無音は、怖い。
想い出してしまう。
井戸の底に突き落とされたような、あの絶望感を。
思わず、自分で自分を抱きしめるように両肩に手を回し、うずくまってしまう。
そのタイミングで再び左手首に感じた、わずかな振動。
ヴ、ヴ、ヴ。
【唯、大丈夫か?】
「え……」
まるで今の私の姿を見ているかのような、仁ちゃんのメッセージ。
驚いて、返信する。
【どうしたの急に?】
【ホテルであんな事があったばっかりなのに、一人でいるの、怖くねえ? 朝は大丈夫だって言ってたけど】
【あれは無理して言ったわけじゃないよ。その事は本当に大丈夫】
【その事は? 他に大丈夫じゃない事があんの? なに?】
「仁ちゃん……刑事さんになれそう……」
鋭い指摘に、苦笑いしてしまう。
どうしようかな。正直に言っていいものか。
でも……何て返信すればいいんだろうって、悩ませちゃうよね。
あの時の事を思い出してるなんて言ったら……。
【なんでもないの。思ったより早く雨が降りそうだから、部屋干しの洗濯物乾くかなって心配してただけ】
迷った末、嘘を送信。
【ランドリールームっつー位だから、普通の部屋より乾きやすい構造になってんじゃねえの】
「よかった……誤魔化せた。えっと……」
【そうだね。忙しいのに、つまらない事言っちゃってごめんね。お仕事頑張ってね】
「と……。ふう~」
ほっと一息ついて、小さな箒と塵取りをもって窓を開けた。
リビング、ランドリールーム、そして、仁ちゃんのお部屋と……ぶち抜く形で広がっているバルコニーは、これまた広い。
室内のスペースと同じ位奥行もあって、ここを縁取る全ての側溝をお掃除するのを想像するだけで……背中を汗が伝う。朝晩こそひんやりとする最近だけど、日中はまだ半袖でも暑い位の気候だから。
でも、今のメンタルには、長時間もくもくと集中できる作業が適している気がする。
「よし、始めよう」
スマホで音楽を流してから、テレビを消す。
最近は電気代も値上がりしているし、私のメンタルヘルスなんかの為に、仁ちゃんの大切なお給料を無駄使いするわけにはいかない。
「私……なんでこんなに弱いんだろう……」
ふがいない自分に、落ち込み、苛立つ。
時間が癒してくれているであろう傷を、いつまでも痛がって。
「考えない考えない。もくもく、もくもく――」
ちょっと危ない人のように、呪文を繰り返すしながら、溝に溜まったゴミを掃く。
元気にならなきゃ。いつも通りにしなきゃ。
疲れて帰ってきた仁ちゃんに暗い顔を見せて、陰気な気持ちにさせたくない。
ヴ、ヴ、ヴ。
「あれ……?」
再び手首に振動を感じて、スマホを手に取る。仁ちゃんからのメッセージだ。
なんだろう。私からの返信で、やり取りは終了したと思ってたのに。
「ん? URL?」
首をかしげつつ、送られてきたURLをタップしてみる。
「え」
辿り着いたサイトは『ランドリールームの上手な活用方法』。
「あ、そっか。私が、ちゃんと乾くか心配って言っちゃったから……」
ヴ、ヴ、ヴ、ヴ、ヴ、ヴ、ヴ……。
「わわわ……」
次から次へと送られてくるURL。それに伴い、震えっぱなしになる、私の左手。
【生乾き臭を防ぐするためには】
【知ってる? エアコンのランドリー機能】
【雨の日のランドリールーム、注意点と対策】
「仁ちゃん……」
誤魔化す為についた嘘なのに……めちゃめちゃ調べてくれてる。
お仕事、忙しいだろうに……。
ヴ、ヴ、ヴ。
そして最後に送られてきたのは……メッセージアプリの『もっと見る』をタップしないと全文を表示できない程の、長文。
【ざっくり調べたんだけど。ランドリールームは、特別に洗濯物が乾きやすい造りになってるわけじゃないっぽい。床材とかは普通のフローリングじゃなく、脱衣所みたいに湿気に強いやつにしてある事が多いらしいけど、うちのがどうなのかは今不動産会社に確認中。返事が来次第、唯にも転送する。あと、洗濯物の干し方にはコツがあるんだと。洗濯物同士の感覚はなるべくあけるとか、洗濯ばさみつきの物干しを使う時は長いものはなるべく端っこに干すとか。あ。あとうちのランドリールームはガラス張りだから日光はよく当たるけど、洗濯物を乾かすには日光以上に風が重要だって書いてあった。生乾き臭抑えるにはランドリールームのエアコンを除湿モードにするのが無難かもな。それでも乾きが微妙ならファンも一緒に回すか? 俺の部屋のクローゼットの中に使って無いのあるし。あ、必要あれば、ファンも除湿機ポチっていいから。それと、もし生乾き臭がついちゃっても、高温のアイロンでプレスすると、臭いの原因になってる雑菌を退治出来るって書いてあったから、そんなに心配しなくてもいいんじゃね? そもそもそんなに心配なら洗濯機の乾燥機能か、浴室乾燥機を使えば確実だと思う。それが大変なら、帰宅した後俺がクリーニング屋に――】
「っふ……全然ざっくりっていう内容じゃない……」
思わず、笑ってしまう。
ちょろっとこぼしただけの私の『心配』に対して、仁ちゃんの対応力がすごい。
いつでも私の事を気遣ってくれているんだとわかる。
私が……不自由な結婚生活を送らないように。
「……お掃除は、もう少し涼しくなってからにしようかな」
真夏では無いとはいえ、この気候の中、延々とバルコニーで作業をしていたら、倒れてしまうかもしれない。
そうなったら、また仁ちゃんに迷惑をかけてしまう。
そうしたら、今度は『秋、熱中症、対策』の検索結果を、大量に送らせてしまうだろうから。
箒と塵取りを玄関横収納にしまいながら、私は心が軽くなったのを感じていた。
過去の傷がうずいて、不安や心配に襲われても、仁ちゃんがいてくれれば大丈夫。
淀んだ心がどうしたら晴れるか、一緒に考えてくれる仁ちゃんがいれば。
たとえその思い遣りが、純粋な愛情ゆえのものではなくても……私には、仁ちゃんの存在そのものが、救いだから。
朝食の跡片付けが終わったタイミングで、左手首に感じる振動。
「あ、仁ちゃんからメッセージ……」
うん。やっぱり便利だ。
家事をしている最中、常にスマホを見ているわけじゃないし。
近くに置いといても、前夜に設定したマナーモードがそのままになっていて、着信にもメッセージにも気が付かないって言う事も、度々あるし(今がまさにそうだったんだけど)。
【一輝によろしく言っといた。あいつも唯によろしくって】
「ふふ……よろしくに、よろしくが返ってきた」
考えてみれば、よろしくって便利な言葉だな。
お世話になってます。いつもありがとう。これからもお願いします。
たった一言に、色んな気持ちを込める事が出来る。
「これで簡単なメッセージの返信も出来るって言ってたけど……」
左手首のスマートウォッチをチラリと見つつ……今はやめとこう。と、自分のスマホを手に取る。
慣れない操作で時間がかかりそうだから、忙しい仁ちゃんの迷惑にならないように。
「ありがとう。また美味しいもの、贈りますって伝えてね……と」
一輝さんは、仁ちゃんの親戚であり幼馴染であり、親友。
アーティストのようなおしゃれなパーマ頭で、眼鏡をかけてて(ファッション伊達メガネなのか、本当に目が悪いのかは知らない)チェックのスーツとかばっちり着こなしちゃうような……仁ちゃんとはまた違った魅力のある、素敵な人。
私も、中学生の時から仁ちゃんのお家に居候させて貰って以来、長くお付き合いさせて頂いてるけど。
とっても気さくで、私みたいな根暗キャラが圧倒されてしまう位、明るい。
一輝さんがいてくれて、本当に良かったと思う。それは、私の護衛の為にスーちゃんを貸してくれているから、だけではなく。
ギスギスしがちな飛鳥一族の中で、一輝さんは仁ちゃんが心を許せる唯一無二の存在だから。
ヴ、ヴ、ヴ。
「えーと? だからいらないって。あいつに貢ぐ位なら、唯がうまいもんでも取り寄せろよ。か……う~ん」
私はこの前、いつもはただのモヤシでナムル作るのに、豆もやしにグレードアップするっていう贅沢をしちゃったばっかりだしな。
「じゃあ、勝手に選ばせてもらおうかな。と」
『ふざけるな! 次期社長は俺だぞ!』
送信をタップするタイミングで聞こえてきた、テレビの音。
『なに言ってるのお兄様! 後継ぎは私の息子! それがお父様の遺言よ!』
『皆さん落ち着いて下さい! 社長が殺されたっていうのに、もう次の社長の話ですか!?』
再放送の2時間サスペンスの会話だ。
「お。相続争いドロドロ系のサスペンス……。飛鳥の家に来るまでは、こういうの、ドラマの中だけの話だと思ってたなぁ……」
飛鳥の家は、大きい。
親族として認められている世帯は100以上。
一族の人は当然ながら全員が血統種で。その大半がアスカセレスチャルグループ系列の会社で働いているらしい。
資産があり、地位があり、権力がある、華麗なる一族。
でも……あるのはそれだけじゃない。
2時間サスペンスではおなじみのドロドロの覇権争いが、常に繰り広げられているんだ。
『○○家の人間として、恥ずかしい真似はしないでちょうだい!』
『飛鳥家の人間として』……仁ちゃんも、今まで何度同じ事を言われ続けてきただろう。
引き続き聞こえて来た、ドラマの台詞が、私の思考とリンクする。
華麗な一族には、華麗な一族に見せる為の苦労がある。身も、心も、蝕むほどの。
仁ちゃんと会って、それを知った。
学校の成績、習い事の成果、身なりや振舞いを含めた生活態度。そして……血統種にとって絶対的評価ともいえる。血統種ランク。
全てにおいて、常に一流を維持し続けなければならない重圧。
それを成し遂げなければ、まるで罪人のように責められる苦痛。
『父さんと母さんがそんなだから、僕はずっと苦しんできたんだ! 二人が望む結果を出さないと僕は愛されない、必要とされないって、ずっと――!』
「仁ちゃんも昔……似たような事言ってたな……」
ドラマの中で涙を浮かべて訴える青年に、かつての仁ちゃんを重ねてしまう。
「……大丈夫です。私も愛されていませんが、この通り元気に生きています」
そして、そんな仁ちゃんに、当時の自分が掛けた言葉を思い出し……つぶやく。
『そんな事ないわ! ご両親はあなたに期待しているから厳しくしたのよ! 子供を愛さない親なんているものですか!』
「……うん。そうだよね。普通の人はそう言うよね。私も、そうやって言ってあげれば良かったんだろうな……」
2時間サスペンスに学ぶ、会話術。
私も普通に産まれて普通に育ってたら……こんな風に、普通に励ましてあげられたんだろうか。
仁ちゃんが本物のお嫁さんとして選ぶような女の子に……なれていたんだろうか。
「あ~ダメダメ! パーティーの後遺症とはいえ、たられば妄想で落ち込むなんて不毛! よし! 次はバルコニーのお掃除でもしようかな! 雨が降る前に溝の砂とかゴミとか、取り除いておこう!」
一人で喋りながら、テレビのリモコンを手に取って、電源ボタンに指をかける。
……でも、押せなかった。
不安定な精神状態下での無音は、怖い。
想い出してしまう。
井戸の底に突き落とされたような、あの絶望感を。
思わず、自分で自分を抱きしめるように両肩に手を回し、うずくまってしまう。
そのタイミングで再び左手首に感じた、わずかな振動。
ヴ、ヴ、ヴ。
【唯、大丈夫か?】
「え……」
まるで今の私の姿を見ているかのような、仁ちゃんのメッセージ。
驚いて、返信する。
【どうしたの急に?】
【ホテルであんな事があったばっかりなのに、一人でいるの、怖くねえ? 朝は大丈夫だって言ってたけど】
【あれは無理して言ったわけじゃないよ。その事は本当に大丈夫】
【その事は? 他に大丈夫じゃない事があんの? なに?】
「仁ちゃん……刑事さんになれそう……」
鋭い指摘に、苦笑いしてしまう。
どうしようかな。正直に言っていいものか。
でも……何て返信すればいいんだろうって、悩ませちゃうよね。
あの時の事を思い出してるなんて言ったら……。
【なんでもないの。思ったより早く雨が降りそうだから、部屋干しの洗濯物乾くかなって心配してただけ】
迷った末、嘘を送信。
【ランドリールームっつー位だから、普通の部屋より乾きやすい構造になってんじゃねえの】
「よかった……誤魔化せた。えっと……」
【そうだね。忙しいのに、つまらない事言っちゃってごめんね。お仕事頑張ってね】
「と……。ふう~」
ほっと一息ついて、小さな箒と塵取りをもって窓を開けた。
リビング、ランドリールーム、そして、仁ちゃんのお部屋と……ぶち抜く形で広がっているバルコニーは、これまた広い。
室内のスペースと同じ位奥行もあって、ここを縁取る全ての側溝をお掃除するのを想像するだけで……背中を汗が伝う。朝晩こそひんやりとする最近だけど、日中はまだ半袖でも暑い位の気候だから。
でも、今のメンタルには、長時間もくもくと集中できる作業が適している気がする。
「よし、始めよう」
スマホで音楽を流してから、テレビを消す。
最近は電気代も値上がりしているし、私のメンタルヘルスなんかの為に、仁ちゃんの大切なお給料を無駄使いするわけにはいかない。
「私……なんでこんなに弱いんだろう……」
ふがいない自分に、落ち込み、苛立つ。
時間が癒してくれているであろう傷を、いつまでも痛がって。
「考えない考えない。もくもく、もくもく――」
ちょっと危ない人のように、呪文を繰り返すしながら、溝に溜まったゴミを掃く。
元気にならなきゃ。いつも通りにしなきゃ。
疲れて帰ってきた仁ちゃんに暗い顔を見せて、陰気な気持ちにさせたくない。
ヴ、ヴ、ヴ。
「あれ……?」
再び手首に振動を感じて、スマホを手に取る。仁ちゃんからのメッセージだ。
なんだろう。私からの返信で、やり取りは終了したと思ってたのに。
「ん? URL?」
首をかしげつつ、送られてきたURLをタップしてみる。
「え」
辿り着いたサイトは『ランドリールームの上手な活用方法』。
「あ、そっか。私が、ちゃんと乾くか心配って言っちゃったから……」
ヴ、ヴ、ヴ、ヴ、ヴ、ヴ、ヴ……。
「わわわ……」
次から次へと送られてくるURL。それに伴い、震えっぱなしになる、私の左手。
【生乾き臭を防ぐするためには】
【知ってる? エアコンのランドリー機能】
【雨の日のランドリールーム、注意点と対策】
「仁ちゃん……」
誤魔化す為についた嘘なのに……めちゃめちゃ調べてくれてる。
お仕事、忙しいだろうに……。
ヴ、ヴ、ヴ。
そして最後に送られてきたのは……メッセージアプリの『もっと見る』をタップしないと全文を表示できない程の、長文。
【ざっくり調べたんだけど。ランドリールームは、特別に洗濯物が乾きやすい造りになってるわけじゃないっぽい。床材とかは普通のフローリングじゃなく、脱衣所みたいに湿気に強いやつにしてある事が多いらしいけど、うちのがどうなのかは今不動産会社に確認中。返事が来次第、唯にも転送する。あと、洗濯物の干し方にはコツがあるんだと。洗濯物同士の感覚はなるべくあけるとか、洗濯ばさみつきの物干しを使う時は長いものはなるべく端っこに干すとか。あ。あとうちのランドリールームはガラス張りだから日光はよく当たるけど、洗濯物を乾かすには日光以上に風が重要だって書いてあった。生乾き臭抑えるにはランドリールームのエアコンを除湿モードにするのが無難かもな。それでも乾きが微妙ならファンも一緒に回すか? 俺の部屋のクローゼットの中に使って無いのあるし。あ、必要あれば、ファンも除湿機ポチっていいから。それと、もし生乾き臭がついちゃっても、高温のアイロンでプレスすると、臭いの原因になってる雑菌を退治出来るって書いてあったから、そんなに心配しなくてもいいんじゃね? そもそもそんなに心配なら洗濯機の乾燥機能か、浴室乾燥機を使えば確実だと思う。それが大変なら、帰宅した後俺がクリーニング屋に――】
「っふ……全然ざっくりっていう内容じゃない……」
思わず、笑ってしまう。
ちょろっとこぼしただけの私の『心配』に対して、仁ちゃんの対応力がすごい。
いつでも私の事を気遣ってくれているんだとわかる。
私が……不自由な結婚生活を送らないように。
「……お掃除は、もう少し涼しくなってからにしようかな」
真夏では無いとはいえ、この気候の中、延々とバルコニーで作業をしていたら、倒れてしまうかもしれない。
そうなったら、また仁ちゃんに迷惑をかけてしまう。
そうしたら、今度は『秋、熱中症、対策』の検索結果を、大量に送らせてしまうだろうから。
箒と塵取りを玄関横収納にしまいながら、私は心が軽くなったのを感じていた。
過去の傷がうずいて、不安や心配に襲われても、仁ちゃんがいてくれれば大丈夫。
淀んだ心がどうしたら晴れるか、一緒に考えてくれる仁ちゃんがいれば。
たとえその思い遣りが、純粋な愛情ゆえのものではなくても……私には、仁ちゃんの存在そのものが、救いだから。
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