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10:デート

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 ガイナはシャワーを浴びて汗を流した後、私服の中で一番上等な服に着替えた。今夜は待ちに待ったラウトとのデートである。デートだと思っているのはガイナだけだ。ラウトには、一緒にバーに飲みに行こうとだけ伝えてある。
 数日前に、遠い昔の初恋の時のようにドキドキしながら、ラウトを誘った。ラウトはゆるい笑顔で快諾してくれた。嬉しくて堪らず、その日は胸がドキドキと高鳴って、眠ることができなかった。

 今夜は、フィガロはラウトの家に泊まる。ニーズと一緒に寝るそうだ。ニーズはフィガロのお泊りをとても楽しみにしている。フィガロも嫌そうではなかった。お泊りの準備をしている時に、フィガロが小さな頃からお気に入りの絵本も鞄に入れていた。きっとニーズに読んでやりたいのだろう。まるで弟ができたみたいで、ニーズが可愛いらしい。素っ気ない素振りを見せることが多いが、フィガロはニーズのことをとても気にしている。傍から見ていて、実に微笑ましい。
 ガイナは気合を入れて、伸ばしてる顎髭を念入りに手入れした。

 フィガロと共にラウトの家に向かうと、既にテンションが高いニーズに出迎えられた。ラウトはいつもの草臥れた感がある服ではなく、こざっぱりとした白いシャツと黒いズボンを着ていた。髪はいつも通りくしゃくしゃだが、普段とは少し違う格好をしているラウトに、ドキッと小さく心臓が跳ねた。
 バスクに手土産の果物を渡し、子供達のことを頼んだ。バスクは穏やかな笑顔で『楽しんでおいで』と見送ってくれた。

 ラウトの家を2人で出て、前々からラウトと行きたいと話していたバーへと向かう。暗くなった道を歩きながら、ラウトが口を開いた。


「こんな時間に外に出るなんて、すごく久しぶりです」

「子供がいたら、そうなるよな。俺も仕事以外じゃ10年ぶりくれぇだわ。あ、そうそう。酒の図鑑を持ってきた」

「わぁ。いいですねぇ。飲みながら一緒に読みましょう」

「おう」

「ガイナさんは夏休みってあるんですか?」

「一応な。来週一週間だけ。あるだけありがてぇけど、もうちょい長くてもいいよなぁ」

「一週間じゃ、旅行とか行くのには少し厳しいですね」

「そうなんだよ。フィガロに色んなもんを見せてやりてぇんだけどなぁ」

「僕もニーズに色んなものに触れてもらいたいですねぇ」

「先生は夏休みあんのか?」

「はは……今月末までの締切のものが三本ありまして……」

「休みなしか」

「はい……いや、お仕事があるだけで本当にありがたいんですけどね」

「作家先生も大変だなぁ」

「……まだ未確定なんですけど、来月の半ばは割と余裕がありそうなんです。もしよかったら、近場にピクニックにでも行きませんか?」

「お。いいな。街の外だろ?」

「えぇ。小さな子供も連れていけるような原っぱがあるんです。ちょっとした遊具もあって、トイレとか水場もあるんです。大きな公園みたいな感じですね。気候も今よりも過ごしやすくなっているでしょうし、子供達も喜んでくれるかなぁと」

「アンジーも誘っていいか?」

「えぇ。勿論。人数が多い方が楽しいでしょうから。お弁当を頑張らなきゃいけないですね」

「だな。……いっそ2人で作るか? 別々に作るより、まとめて作って重箱にでも詰めた方が荷物が少なくてすむ」

「いいですね! そうしましょうか」

「おう。あ、着いたな。ここだろ?」

「はい。入りましょう」

「おう」


 ガイナが手を伸ばすよりも先に、ラウトがバーの入口のドアノブを掴み、ドアを開けてくれた。ラウトに促されて、先にバーに入る。なんだかエスコートでもされているみたいだ。ガラじゃないのに、また小さく心臓が跳ねた。乙女か。自分で自分にツッコミを入れるが、嬉しいという気持ちは抑えられない。

 初めて訪れるバーは落ち着いた雰囲気の店で、バーテンダーがいるカウンターの奥には、ズラッと数多くの酒瓶が並んでいた。ラウトと並んでカウンター席に座る。バーテンダーとラウトは顔見知りらしく、『随分と久しぶりだ』と笑っていた。
 ラウトがガイナの方を見て、分厚い眼鏡の下で目をキラキラと輝かせた。


「ガイナさん、どれから飲みます?」

「オススメはあるか?」

「珈琲のお酒は確かまだ飲んだことがありませんよね? 甘いお酒ですけど、軽く飲めちゃいますから、それからいきますか?」

「おう。先生」

「はい」

「今夜はとことん飲もうぜ」

「はい!」


 ガイナがニッと笑うと、ラウトも穏やかな楽しそうな顔で笑った。バーテンダーが手渡してくれた黒い酒で満たされたグラスを片手で持ち、カツンとラウトのグラスと軽くぶつける。
 乾杯をして黒い酒を一口飲めば、珈琲の香ばしい香りと微かな苦味、程よい甘みが口の中に広がった。素直に美味しい。ガイナはグラスの中の黒い酒をまじまじと見て、頬をゆるめた。


「うめぇな」

「でしょう? ミルクで割っても美味しいんですよ」

「ニ杯目で試してみるわ」

「是非是非。ガイナさん、お酒の図鑑を見せてください。折角ですから、飲んだことがないものを探してみたいです」

「いいな。よっと。ほら」

「ありがとうございます」


 ガイナは、自分とラウトとの間に酒の図鑑を置き、目次の頁を開いた。一緒に読もうとすると、どうしたって2人の距離が近くなる。ラウトのくしゃくしゃの髪の先がガイナの頭に触れそうなくらい顔が近くなった。ガイナはチラッと横目にラウトを見た。酒の図鑑に視線を落としているラウトの睫毛は、間近で見ると意外なことに長めだった。分厚いレンズの眼鏡で気づいていなかった。目の下に小さな黒子も見つけた。ふっと、ラウトが視線をガイナに向けた。視線が絡んで、ガイナは誤魔化すように酒を口に含んだ。見過ぎていたかもしれない。顔が熱い。頬が赤くなっているのは酒のせいだ。そういうことにしておきたい。

 時折バーテンダーも交えながら、ラウトと一緒に酒の図鑑を読みつつ、酒の話で盛り上がった。店に置いてある酒の中でも珍しいものをどんどん頼んで、2人で飲んで、感想を言い合う。ラウトがずっと楽しそうに笑っている。ガイナも楽しくて堪らず、顔が弛みっぱなしである。
 結局、バーの閉店時間ギリギリまで2人で酒と会話を楽しんだ。





ーーーーーー
 真っ暗な道を歩いて家へと帰る。久しぶりに色んな種類の酒を飲んだからだろう。自分でも酔っていると自覚する程酔っている。ガイナはご機嫌に下手くそな鼻歌を歌いながら、ラウトと並んでのんびり歩いていた。ラウトはクスクスと楽しそうに笑っている。ラウトもかなり酔っている。


「ガイナさん」

「んー?」

「もうちょっと飲みませんか? この時間帯だと花街にあるお店しか営業してませんから、今度は家で」

「いいねぇ。俺ん家でいいよな。先生ん家はチビッ子達が寝てっし」

「えぇ」

「酒は前に一緒に飲んだ時の蒸留酒が残ってる。1人じゃ飲まねぇからよぉ。全然減ってねぇ」

「ふふっ。蒸留酒なら肴は塩でも舐めれば十分ですね」

「酒飲みの飲み方だな」

「一度やってみると、結構癖になりますよ?」

「ははっ。じゃあやってみっかな」


 お互い酔っているからだろう。気の所為でもなく、距離が近い。ただ並んで歩いているだけなのに、腕が触れ合いそうな程だ。時折、手の甲が微かにぶつかる。手を繋ぎたい。一度でいい。そう思うが、自分からはどうしても行動に移せなかった。ガイナはチラッとラウトの顔を見下ろした。ラウトの顔は、暗がりでも赤くなっているのが分かる。機嫌良さそうに口角を上げて、前を見ている。ラウトが楽しいのなら、それで十分だ。手を繋げなくても、最初で最後のデートは成功である。ガイナも機嫌良く口角を上げた。

 ガイナの家に着いた。鍵を開けて、玄関のドアから入り、真っ直ぐに台所へと向かう。ラウトもついてきた。
 ガイナがグラスを出している間に、低い棚から蒸留酒の瓶を取り出してもらうよう頼んだ。ガイナがお気に入りのグラスを食器棚から取り出すと、次の瞬間、つるっと手が滑り、グラスがガイナの手から逃げた。


「「あっ」」


 ガイナはすかさず身体ごとしゃがんで落下していたグラスを掴んだ。同時に、ラウトの手もガイナの手ごとグラスを掴んだ。グラスはギリギリ床に落ちる前に掴めたので無傷である。2人揃って、ほぅと息を吐いた。
 気づけば、ガイナとラウトは、しゃがんで、まるで寄り添うような体勢になっていた。グラスを掴む手は重なったままで、顔も近い。二の腕同士が完全に触れていて、ラウトから酒の匂いに混じって練り香の香りがする。お互い言葉はなく、顔を見合わせ、視線を絡めた。どんどん顔が更に近づいて、鼻先を擦り合わせる。

 自然と2人の唇が重なった。ちゅっと優しく唇を吸い合う。ガイナはグラスから手を離し、ラウトの手を握った。ラウトのほっそりとしたペン胼胝のある指が、ガイナの太い指に絡む。視線を絡め合わせながら、何度も何度も優しいキスを繰り返す。

 キスをしながら、ガイナはラウトの身体をやんわりと抱きしめた。ラウトも腕をガイナの背に回して抱き返してくれる。2人で夢中でキスをして、台所の床に抱きしめ合いながら寝転がった。足も絡め合い、ピッタリと密着して、互いの熱い体温を感じ合う。

 心臓が口から出てしまいそうなくらい高鳴っている。ガイナは思い切って、かさついたラウトの唇に舌を這わせた。
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