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一晩ぐっすり眠り、翌朝にはナイルの熱は下がっていた。身体は痛いが、動けない程ではない。尿意を感じた為、ベッドから下りると、ディリオがやってきた。


「……便所借りていいか?」

「どうぞ。あっちの奥です」


ディリオが指差した方に向かって、ゆっくり歩く。トイレのドアと思わしきドアを開けると、便器と隣に狭い浴槽が目に入った。トイレと風呂が一緒らしい。用を足して、風呂の蛇口を開けて手を洗い、痛む身体を引きずるようにして部屋に戻る。
改めて部屋を見回してみた。狭い部屋は壁いっぱいの本棚とベッド、小さめのテーブルと3体の骨格標本で更に狭くなっている。壁の本棚をチラッと見れば、きれいに並べられている本の背表紙に書かれているタイトルは明らかにエロ本だ。ざっと見ただけでも本棚の殆んどがエロ本である。正直引くレベルの量だ。
骨格標本といい、大量のエロ本といい、なんだこの家。世話になっておいてなんだが、早く出ていきたい。
ディリオがいい匂いのする皿を両手に持ってきて、テーブルに置いた。昨日無理矢理食べさせられた白いスープのような米を煮たものもある。


「飯食って薬飲んで寝てください」

「もう下がった。仕事に行く」

「今日までは寝ててください。多分ろくに仕事できませんよ。きっちり休んで早く治してください」


ムッとするが、ディリオの言うことの方が端からみたら正論だろう。渋々頷いて椅子に座った。確かに熱は下がったが、全身は痛むし、動かしづらい。この状態でまともに仕事ができるとは自分でも思わない。目の前に差し出された皿に視線を落とす。食べたくはない。食べ物を口に入れると、いつも吐き気がする。しかし、身体を治さねば仕事に支障が出続ける。ナイルは腹をくくって、スプーンを手に取り、どろどろの米を口に含んだ。薄く塩味のついたそれは不味くはない。むしろ薄味であっさりしていてナイルの好みの味付けとも言える。しかし吐き気がする。無理矢理何口か飲み込むと、スプーンを置いた。すぐにコップに注がれた水を口に含む。テーブルの上に置かれた薬の袋を手にとって、痛み止めと栄養剤の錠剤を取り出し、コップの水で流し込んだ。


「班長は少食ですか?」

「……あぁ」

「食べられないものは?」

「肉」

「肉全般?魚は?」

「……脂の少ない鶏肉なら少しは食える。魚は一応食える」

「分かりました」


ディリオは朝から信じられない程大量の料理を平らげると、寝ていてくださいと言い残して出勤していった。
ナイルはベッドに横になって溜め息を吐いた。早く治さないと仕事ができない。天井を見上げると目が合う骨格標本から顔を背けて、ナイルは目を閉じた。






ーーーーーー
ディリオは出勤するとすぐに、顔に青アザのある身体の動きがぎこちないクインシーを呼び止めた。ナイルが今日も休むことを班の皆に伝えるよう頼むと、ナイルの執務室に入る。
ナイルの机に置かれた書類の山に目を通しながら、ナイルでなければできないもの、ディリオが処理しても問題ないものに仕分けていく。執務室のドアがノックされた。入室を促すと、ダブリンがおずおずと入ってきた。


「し、失礼します。補佐をしに参りました」

「よろしくー。普段は班長の補佐してんの?」

「は、はい」

「そ。じゃあ勝手が分かるね。お手伝いよろー」

「は、はい」


緊張しているのか、どこかビクつくダブリンと共に書類の山を捌いていく。午前中でディリオができる仕事は終わってしまった。1度家にナイルの様子を見に帰ろうかとも思ったが、昼食の用意はしてきたし、多分大丈夫だろうと思い直した。昼休憩の時間になるとすぐにクインシーが執務室にやってきた。


「ふっくはんちょー、昼飯いきましょー」

「食堂?」

「うっす!」

「行かねぇ」

「えー」

「ダブリンは食堂か?」

「い、いえ……近くの店でいつも食べてます」

「あ、じゃあダブリンと同じ店行くわ。案内してよ」

「は、はい」


国軍詰所の食堂に初日に行ってエグい目にあったので絶対に食堂には行きたくない。人生で初めて食事を残してしまった程不味かったのだ。腐りかけの材料を使っているような臭さと強烈な濃すぎる塩味。かと思えば、全く味がないものまであった。とてもじゃないが食えるものではない。朝と夜は家で食べればいいが、昼だけは外で食うしかない。
ダブリンに案内されて、国軍詰所のすぐ近くにある店に行く。クインシーもついてきたので3人でテーブルにつき、日替わり定食を頼む。メニューが日替わり定食しかなかったので、問答無用で3人とも同じだ。適当な世間話をしながら料理がくるのを待っていると、割とすぐに店員が料理を運んできた。
塩焼きの魚とパンが1つ、野菜の少し浮いたスープだけである。食べてみなければ味は分からないが、少なくとも量が全然足りない。ディリオは大食漢だ。持っている魔力が人並み外れて大きい為、かなりの量を食べる。保有する魔力が多いと大食いになる傾向があるのだ。ディリオは膨大な魔力をもつ土の神子の血を引いているので魔力がかなり多い。追加注文しようかと思ったが、口に合わなかった時がツラいことになる。追加注文をやめて、とりあえず魚を一口食べてみる。塩がだいぶキツめだが、まだ食べられる味だ。パンは固くパサパサしていて、お世辞にも美味いとは言えない。スープは塩味がキツすぎて、ぶっちゃけ不味い。それでも食堂の料理よりもマシだったので、なんとか食べきった。追加注文しなくて正解だった。ディリオは明日からは弁当を自分で作って持参することを決意した。

午後からクインシーと共に巡回に出て、街を一通り歩き回り、1度国軍詰所に戻ってから帰宅した。
ベッドを覗きこむと、ナイルはぐっすり眠っている。初対面では顔色の悪さと痩せ具合、目の下の濃い隈に少し驚いた。こいつ大丈夫かよ、と。
昨日の訓練で結構根性があり、今日の書類の様子とクインシーやダブリンの話でとても有能なことが分かった。ディリオの上に立つのに相応しいかはまだ様子見中だが、ディリオを性的な目で見ないし、無駄に絡んでくることもない。人の言うことを聞く耳も持っているようである。まぁ、動けなくなるまで怪我をさせたのはディリオだし世話してやるか、と思う程度には気に入った。何度ディリオにぶっ飛ばされても立ち上がって斬りかかってくる所はディリオ的に及第点だ。根性がある奴は割と好きだ。

ディリオはベッドから離れて、愛しの可愛い骨格標本達にキスをすると、台所へと向かった。明日持っていく弁当の仕込みをしながら晩飯を作る。ナイルの分は粥に脂を取り除いた少しの鶏肉を入れた。あとは刻んだ数種類の野菜を放り込む。今夜の分は塩ではなく、少量の醤油で味をつけた。祖母である土の神子マーサは様々な調味料を開発して広く普及させた。そのお陰で土の宗主国は他国に比べて食文化が豊かだ。しかし、トリット領はそれから外れているらしい。初日に行った渚亭は割と美味かったが、そう言えば塩をふって焼いた魚しか食べていない。トリット領に着いてすぐに行った市場に米がなかったのは確認している。米は基本的に南のサンガレア領とその近隣の領地でしか作られていないので仕方がないが、肉や卵、野菜等もあまり質がいいとは言えなかった。魚は港が一応あるから、そこそこ新鮮なものが置いてあった。そこそこ新鮮な魚が食べられるということ以外、トリット領での食事には期待できない。何年トリット領にいることになるかは分からない。これからの食生活が不安になる。実家に手紙を書いて、保存のきく食料を送ってもらうしかないだろう。ディリオは憂鬱な溜め息を吐いた。大食漢で食い道楽の気があるディリオには結構堪えるが仕方がない。うっかりやり過ぎた自分も悪いのだ。性的に襲ってきた連中に対して、派手に暴れずに、もっと狡猾に仕返ししてやれば良かったのだ。
ディリオは若干反省しつつ、夕食を作り上げて、眠るナイルを起こした。

夕食を食べながら、もそもそ粥を少しずつ口にするナイルに話しかける。


「明日から昼は俺が班長の分まで弁当作りますね。夜は家で食べてください」

「……必要ない」

「あるんですよ。アンタ普段ろくに食べてないでしょ。折角剣も体術も筋がいいのに、今のままじゃ痩せすぎて、斬撃もなにもかも軽すぎる。班長には太ってもらいます」

「何故だ」

「皆弱すぎて俺の相手にならないからですよ。張り合いないでしょ、それじゃあ。見所あるのは班長とクインシーくらいですもん。2人を鍛えて俺の相手をしてもらうことにします」

「勝手に決めるな」

「残念。決定事項です。それとも、弱いままでいいんですか?」


ディリオが鼻で笑ってやると、ナイルの眉間に深い皺がいくつもできた。ナイルが少し考えるような顔をした。


「……量は食えない」

「徐々に増やしていきますよ」

「食費は払う」

「当然いただきますよ。と言ってもアンタ1人の食費なんて、たかが知れてますけどね。まぁ、月終わりにまとめて請求させてもらいます」

「あぁ」

「あ、あと俺ん家で寝てくださいね」

「はぁ?」

「普段寝れてないんでしょ?健康で丈夫な肉体はバランスのとれた食事と良質な睡眠から!家ならばあ様の結界があるから、嫌でも落ち着いて寝れるでしょ」

「……毎日はイヤだ」

「あ、そうか。毎日だと俺も困りますわ。オナニーできない」

「…………」

「じゃあ、2日に1回ってことで」

「……分かった」


ナイルが心底嫌そうな顔で渋々頷いた。
思っていた通り、向上心もあるらしい。冷静に自分を客観的にみて、何が自分に足りていないかということを考えることもできるようだ。ディリオはニンマリ笑った。ナイルと、おまけにクインシーを鍛えたら、それなりに面白くなりそうだ。ド田舎に左遷されて、まるで何の期待もしていなかったが、少しは愉快な生活ができそうである。
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