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10:クリスという男

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クリス・カーターは幼少の頃より、何故か存在感が薄かった。
人から、あれ?いたの?と言われることは日常茶飯事で、店に行っても声をかけるまで気づかれないことは常である。
兄弟が多かったこともあり、親に忘れられることもよくあった。小学校に上がる前、家族旅行に行く時に忘れられ、家に一人で置いていかれたので、隣町の祖母の家まで歩いて行ったエピソードは今では鉄板ネタと化している。

産みの親の母にさえ、存在を気づかれないことが多々あったが、祖母だけはいつだってクリスの存在に気づいてくれた。
自然と祖母の側にいることが多くなり、編み物をする祖母の側で、亡くなった祖父が残した民俗学の様々な本を読むのが日課であった。見知らぬ土地の見知らぬ文化に憧れを抱いた。
家は農家で裕福ではなく、兄弟も多く、親は存在感の薄い息子を高等学校に行かせるつもりはまるでなかったが、唯一の理解者であった祖母がお金を出してくれて、奨学金制度も利用して王都の高等学校に進学することができた。

王都の高等学校での出会いがクリスにとって転機となった。
高等学校に入学しても、存在感の薄さから中々友人ができないでいた。友人をつくろうにも、そもそも気づいてもらえないのである。クリスから話しかけてみても、次に会った時に忘れられていたりして、中々うまく友人をつくれないでいた。
そんなある日、講義の一環で2人組で調べものをしなければならなくなった。当然、クリスに声をかける者はいない。どうしたものかと思っていると、1人の女生徒に声をかけられた。祖母以外で先に声をかけられたのは初めてであった。驚いているうちに一緒に講義の課題をすることが決まっていた。それが後に親友とも呼べる存在になるケーシャ・サンガレアとの出会いであった。

ケーシャは土の神子の娘である。
クリスもケーシャの噂は耳にしたことがあったが、話すのは初めてであった。
ケーシャは地味な眼鏡とお下げ髪の一見目立たない、クリスと同じ存在感の薄い印象だった。実際は人目を惹き付ける美人であったが、無駄に目立つのを避けるためにわざと地味な格好をし、わざわざ気配を消していた。
どうして自分に声をかけたのかと聞くと、存在感が薄すぎて逆に目立ってたから、と驚く答えが返ってきた。
ケーシャとは馬があったのだろう。課題を終えた後も、親しく話す間柄になった。ケーシャは卒業後は高等学校の更に上、研究院に進むつもりであった。クリスも同じように進みたかったが、如何せん金銭的な問題があった。
悩んでいると、サンガレア領の奨学金制度をケーシャに薦められた。曰く、卒業後、サンガレア領の学校施設で一定年数働けば返済額が減額されると。
高等学校3年の春に最愛の祖母を亡くしたこともあって、クリスは故郷を捨て、サンガレアに移住することを決意した。

それからは必死だった。ひたすら勉学と研究に励んだ。サンガレアで求められる教員としての水準は高い。そこに到達するまで脇目もふらずに、がむしゃらに頑張った。大変だったが、ケーシャという親友がいた。キツイ思いもしつつ、それ以上に充実して楽しい日々であった。

サンガレア中央小学校に無事就職して数年後。上司の勧めで見合いをすることになった。
見合いの相手は美しい女性だった。
一目惚れであった。
サンガレアは公務員の給与や福利厚生が良い。クリス自身も、存在感が薄い為あまり気づかれないが、そこそこ見目がいい。
見合いはトントン拍子に進み、結婚して子供が2人できた。
幸せだと思っていた。妻にねだられて少々無理をして家を買った。空いてる時間は全て家族の為に使っていた。育児にも積極的に参加し、妻のことも大切にしていた。

しかし、幸せの形は一瞬で崩れ去った。
ある日家に帰ると、クリスの私物が玄関先に置いてあった。訝しく思いながら家の中に入ると、妻に離婚届を渡された。子供は2人とも本当の父親は違う男だと言われる。

この世界は男女比が平等ではない。6:4で男の方が多い。その為、複婚や同性婚が認められている。
クリスは妻に惚れ込んでいた。他に男がいるのならば、複婚でも構わないと伝えたが、ダメだった。居るも居ないも分からず気味が悪いと言われた。
そのまま離婚届の書類とわずかな私物を持たされ、家から追い出された。クリスが所持していた研究用の書籍や民俗調査地で仕入れた様々な物は全て処分されていた。
ショック過ぎて何も考えられず、フラフラと交流のある後輩でケーシャの弟トゥーリャの元を訪ねた。事情を話すと、暫くトゥーリャの家に泊めてくれて、茫然としているクリスに代わり、トゥーリャが新しい家の手配や請求されていた法外な額の慰謝料の撤廃、勝手に変更されていた家の権利の復権など全てのことをしてくれた。たとえ違う男の子供だとしても、産まれてから数年間、実の子と思って育ててきた子供達に関しては、本当に愛しているので養育費だけは払うことにした。
家を購入するときに銀行から借りた返済せねばならないお金と養育費を捻出する為に家を売った。
処分された物は諦めざるを得なかった。

失意のドン底にいた時、救いになったのは、ケーシャの年の離れた弟ニーファの存在だった。

ニーファはクリスが初めて担任をした生徒の一人である。領主家の子息であるが、街の子供達と一緒に小学校に入学した。ケーシャを通じて彼女の家族とも親しくしていた為、担任を任されることになった。ニーファは可愛らしい子供でいつだって真っ直ぐな瞳でクリスを見た。
クリスは子供達に存在を気づいてもらえるように腰に鈴をつけるようにしていた。しかし、それがなくても、姉同様、ニーファもクリスの存在にいつだって気づいてくれていた。
離婚したのは彼が卒業した後だったが、ある日、民俗学に興味があるから教えて欲しいと請われ、以来休日などに会ってニーファに持てる知識を教える日々が始まった。
ニーファは頭のいい子であった。そしてなにより素直で真っ直ぐな子だった。
クリスのことを真っ直ぐに慕い、教えることをみるみる吸収し、成長していくニーファ姿に、うちひしがれていた心が少しずつ元の形に戻っていった。
ニーファが王都の高等学校に行っても交流は続き、彼がサンガレア中央小学校の教員になった時は誰よりも喜んだ。
もはや我が子の様に愛していると言っても過言ではない。

ニーファは兎に角美しい。
彼に恋する男も女も絶えなかった。クリスは心配でならなかった。ニーファが不埒な輩に狙われたり騙し討ちのような目に合わないかと。
クリスはマーサが昔言っていた『せこむ』とやらになる決意をした。自分の手が届く所にいるうちはニーファを守ると。
ニーファにはいつか最高の伴侶を得て、幸せになってもらいたい。その為には何だってする覚悟だ。

そのニーファが精霊の子を宿した。
父親はクリスだという。困惑する思いはあったが、それ以上に安堵した。相手が自分で良かったと。これが他の男だったら、必要だからと無理に身体の関係を迫られていたに違いない。
ニーファは以前一緒に酒を飲んでいる時に童貞だと言っていた。初めてはニーファが心底惚れた相手とがいい。
性行為はできないし、する気も更々ないが、それ以外のできることは全てやるとクリスは決意をした。







ーーーーーー
マーサと共に新居となる家を目指して街中を歩く。ニーファはお留守番だ。本人は行きたがったが、危険であると判断して置いてきた。

どこか見覚えのある通りを歩く。
雑談しながら歩いていたが、段々クリスの口数は減っていった。
此処だと言われた家は、嘗てクリスが別れた家族と暮らし、結果として売り払った家であった。


「マーサ様。……此処ですか?」

「そう。私もこないだ知ったばかりなんだけどね」

「……何故……」

「貴方が離婚した時、リチャードにたまたま情報が入ってきて、先んじて手を回していたそうよ。貴方が処分されていたと思っている私物も、全部ではないかもしれないけど集めて保管してあるんですって。本当はすぐに返そうと思ったらしいけど、タイミングじゃなさそうだったから今までとっておいたそうよ」

「どうして……」

「リチャード、貴方のこと気に入っているのよ。ケーシャの友達ってこともあるけど、単純に貴方のことを好ましく思ってるみたい。勿論、私もだけど」

何と表現したらいいのかも分からない様々な感情が溢れかえり、言葉にならなかった。グッと唇を噛み締める。
ただ、一言しか言えなかった。


「……ありがとうございます……」


マーサが俯くクリスの肩を軽く叩いた。


「貴方は確かに1度捨てられたけど、貴方のこと、大切に思ってる人は沢山いるのよ」

「……はい」


涙が零れないようにするので、精一杯だった。
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