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31:ファビラの町へ

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アイディーはうとうとしているミケーネを膝にのせ、乗り合い馬車に揺られていた。ぽかぽかと温かいミケーネの体温が少し暑いが、同時に気持ちが落ち着いて、アイディーまで眠くなってしまう。隣に座るロバートは、アイディーに寄りかかって寝ている。

昨夜は遅い時間まで旅行の準備をし、朝早くに家を出た。
朝一の乗り合い馬車は人が少なく、アイディー達以外には老夫婦が1組乗っているだけだ。午前のお茶の時間にはファビラの町に着く。乗り合い馬車の窓から外を見れば、田畑とそこで働いている人々の姿が見える。
アイディーは、サンガレア中央高等学校への進学が決まり、1人で乗り合い馬車に乗った時の事を思い出した。あの時は、家族と離れて寮生活をする不安と期待で、ずっと緊張していた。今も少し緊張している。
運動する時以外で、普通の男物の服を着るのは随分と久しぶりだ。女装に慣れすぎて、ぶっちゃけ違和感が強い。ガーディナには、女装をして、尚且つロバートの夜の相手をしていることは伝えていない。ただ、金持ちの魔術師が破格の給料で家政夫兼子守りとして雇ってくれたとだけ伝えてある。
ガーディナに会えるのが嬉しい。でも、少しだけ怖い。
男に抱かれるのが日常になり、別の男に恋をして、自分は何か変わってしまったのかもしれない。自分ではよく分からない。ガーディナが1人で寂しかったり、不自由な暮らしをしている時に、自分は美味しいものを食べて、恋をして、笑っていた。今更ながらに、後ろめたい罪悪感が胸の中に広がっていく。
ガーディナに会いたい。でも、変わってしまったかもしれない自分をガーディナに見られるのが怖い。
アイディーは複雑な思いで、小さく溜め息を吐いた。眠ってしまったミケーネの小さな柔らかい手をやんわり握ると、少しだけ気持ちが落ち着く。
会いたい。でも少し怖い。
アイディーはこれ以上溜め息が出ないように、下唇を強く噛んだ。






ーーーーーー
肩を優しく叩かれて、はっと目覚めると、そこはもうファビラの町だった。
ロバートはミケーネを抱っこしたアイディーと共に、乗り合い馬車を降りた。
ファビラの町に来るのは初めてである。町の入り口から見た感じ、長閑で静かだ。
旅行用に急遽買った大きな鞄を片手に、何気なくアイディーの顔を見上げれば、アイディーの表情がなんだか固い気がした。


「アイディー?」

「あ?何だ?旦那様」

「どうかしたか?」

「……何もねぇ。それよか早く宿に行こうぜ。荷物置いたら、何か食おう。朝飯が早かったから腹減ってるだろ」

「あぁ」


気のせいだったか。アイディーがいつもと同じ顔で、抱っこをしているミケーネに、ニッと笑いかけた。


「坊っちゃん。何食いてぇ?」

「けーき!」

「いいぜー。中央の街みてぇに店はいっぱいねぇけど、確かケーキも置いてる喫茶店があった筈だぜ」

「宿は何処だ?」

「あー……宿の名前は?」

「ヒイラギ亭」

「あぁ。知ってるわ。こっち」

「あぁ」


ロバートは歩き出したアイディーの隣を歩いて、宿へと向かった。
静かな町だ。ここでアイディーが育ったのか。
人通りが少ない道を通り、町の大通りと思われる少し賑やかな道を通り抜け、再び静かな細い道を歩いた先にこじんまりとした宿があった。
宿に入って、中年の宿の主人に挨拶をして宿泊の手続きをし、主人の案内で部屋に移動した。そこそこ広い部屋には内風呂もついていた。宿自体の大きさはそんなに大きくないので、部屋数が少ないのだろう。2階建ての建物の1階に泊まる部屋がある。廊下を挟んで向かい側がアイディー達兄弟が泊まる部屋になる。
部屋に荷物を置いて、ロバートはアイディーとミケーネと一緒に宿を出た。

ロバートは歩きながら、ミケーネと話しながら歩いているアイディーをチラッと見上げた。やはりなんとなく、表情が固い気がする。もしかして、今回の旅行は余計なお世話だったのだろうか。じわじわと不安が込み上げてきた。

今回の旅行を思いついたのは、ロバートの職場で、休憩中に兄弟の話題が出たからだ。
アイディーが弟と頻繁に手紙のやり取りをしているのは知っている。しかし、もう1年近く、2人は会っていない。弟は確か、今は13歳くらいだった筈だ。まだまだ子供である。アイディーも弟も、お互いに会いたいのではないかと、ふと思った。アイディーに休みをやってもいいのだが、ロバート1人で何日もミケーネの世話をできる自信がなかったので、ロバート達も一緒に里帰りをすればいいと思い、少し無理を言って休みをとった。単純に、里帰りができたらアイディーが喜ぶだろうと思ったのだが、違ったのだろうか。

喫茶店にて、ミケーネがケーキを食べるのを手伝いつつ、自分もケーキを食べているアイディーの顔を、ロバートはじっと見た。普段通りのような、そうじゃないような、微妙な感じである。
ミケーネの口元を拭いていたアイディーが、ロバートの方を見た。


「旦那様、食わねぇの?」

「……食べる。食べたら弟の所に行く」

「……おーう」

「……1人で会いたいのなら、俺達は宿に戻るが」

「いや?どうせ紹介すんだし、一緒でいいぜ」

「あぁ」


ロバートは自分が少しだけ緊張し始めるのを感じた。
これから、アイディーの家族に会う。なんだか少しだけドキドキしてしまう。
ロバートは緊張を誤魔化すように、やや苦味が強い珈琲を飲んだ。






ーーーーーー
町の小さな神殿へと歩いて行き、神殿の前で、アイディーは本当に小さく震える息を吐いた。
小さな神殿の狭い庭にガーディナの姿が見える。庭に張ったロープにシーツを干しているガーディナは、背が少し伸びている気がする。
アイディーは小さな声でガーディナの名前を呼んだ。


「……ガーディナ」


本当に小さな声だったのに、聞こえたのか、ガーディナがアイディーの方を見た。ガーディナが、ぽかんとした顔で、持っていたシーツを落とした。


「……兄ちゃん?」

「ガーディナ」

「兄ちゃんだ!」


ガーディナがパァと顔を輝かせて、走りだし、勢いよくアイディーに抱きついてきた。アイディーはしっかりとガーディナの身体を受け止めて、強く抱き締めた。


「ガーディナ。元気にしてたか?」

「うん……うん……兄ちゃんは?」

「おう。見ての通り元気だわ」

「……なんか痩せてない?」

「暫く筋トレしてなかったからな。筋肉が落ちたんだよ。最近また筋トレ始めたからよぉ。そのうち戻る。お前、背が伸びたな」

「うん。兄ちゃん」

「おう」

「おかえり」

「……ただいま」


ぐずっとガーディナが鼻を鳴らした。目の奥が熱くなるような感覚がして、アイディーはぎゅっと目を瞑った。
ガーディナは背は伸びているが、痩せた感じはない。ちゃんと十分な食事をもらっているようだ。服も清潔で、微かに洗剤のいい香りがする。
預かってくれている神官を信用していなかった訳ではないが、こうして直接ガーディナに会うと、ちゃんと大事にしてくれているのが分かり、安心する。

 アイディーは1度だけ小さく、ぐずっと鼻を鳴らした。

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