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17:変わっていく

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ニルダは、書類を片手に部下と話しているセベリノをこっそりと眺めた。セベリノは飄々としたゆるい笑みを浮かべて、部下から報告を聞き、次の指示を出している。聞こえてくる指示は的確で、部下の特性や長所を活かす指示内容だった。ニルダよりもセベリノの方が部下について詳しい。セベリノから部下達のことを聞いているので、ニルダも多少は知っていると思うが、部下と毎日のように仕事の話だけではなく雑談等をして交流しているセベリノの方が、圧倒的に部下達をよく知っているし、其々の得手不得手を把握した上で、仕事の采配をすることができる。ニルダは、現場での指示や犯罪者の確保等の荒事はしっかりできるし、それなりに評価されている。しかし、それはセベリノの十二分過ぎる補佐があって、できる事だ。

『外』用の笑みを浮かべて次々と仕事を捌いていくセベリノは、普段通りである。しかし、これが家に帰ると、少し変わる。
ここ最近、セベリノの行動が少しおかしい。一緒に帰宅している間までは以前と変わらない。しかし、家の中に入った瞬間、ずさぁっと勢いよくニルダから離れて、顔を真っ赤に染めてオロオロしてから、自室に走っていく。目が合う事が減った気がするし、普通に話していたかと思えば、突然顔を真っ赤にして、挙動不審にニルダから離れていく。かと思えば、ニルダが1人で庭の手入れをしていると無言で近寄ってきて、ニルダのすぐ隣でニルダがやることを眺めている。ニルダが寝酒を飲んでいると、温かいミルクが入ったマグカップを持って、ニルダのすぐ隣に座り、それから寝るまで側にいる。ニルダがセベリノの頭を撫でると、少し困ったように眉を下げ、目元を赤らめて嬉しそうに小さく笑う。

このセベリノの変化は、ニルダがセベリノにズリネタを提供し、結果としてセベリノを泣かせ、腹を割って一晩中セベリノと話をした翌日からだ。
セベリノの行動が何故変化したのか、何を意味するのか、全然分からない。ニルダはセベリノに正直に思っていることを話した。セベリノもニルダに沢山話してくれた。まだまだお互いに知らないことも沢山あるのだろうが、それでも、多くのことを知り合えたと思った。
セベリノを愛していると言ったのは嘘でも誇張でもない。恋愛的な意味ではないと思うが、確かにニルダはセベリノを愛している。亡くなった両親や妹達への思いと非常によく似たものを、セベリノに対して抱いている。セベリノが本当に大事で、笑っていてほしくて、セベリノが側にいることで心が満たされる。この思いが、どうラベリングしたらいい感情なのか判断に困っていた時期もあったが、自分の中で、これは家族愛なのだという結論に落ち着いた。エロ本に書いてあった、好きな相手に欲情するということは無いので、おそらく恋愛感情ではない。多分。恋愛感情なんて、ニルダには無縁だったので、いまいちよく分からない。セベリノに身体を触られるのは全然嫌じゃなかったし、本当にすごく気持ちよかった。興奮したかと聞かれたら、頷くしかない。また同じ事をしたいかと聞かれても、頷くしかない。それでも、セベリノをズリネタにしようとまでは思わないし、エロ本に載っているような感じで、セベリノの一挙一動に胸を高鳴らせたりしていない。セベリノを押し倒して、セックスをしたいとは思わない。普段のセベリノに対して、ムラムラしたりはしない。故に、ニルダがセベリノに対して抱いている感情は、家族愛だ。性欲を伴う恋愛感情ではない。
あれから半月が過ぎている。最初のうちは、セベリノは恥ずかしがり屋なところがあるし、多分気まずいのもあるのだろうと静観していた。しかし、セベリノの家での挙動不審な行動は未だに続いている。セベリノに嫌われたとは思わない。むしろ、好かれていると思う。だからこそ、セベリノの行動の変化の意味が分からない。

ニルダは小さく溜め息を吐き、手元の書類に目を落とした。これは、またお話し合いをした方がいいのかもしれない。






------
ニルダは完成した腹巻きを丁寧に畳み、チラッとすぐ隣を横目に見た。セベリノが真剣な顔で編み物をしている。ゆっくりと慎重に動く手は不器用だが、一生懸命、丁寧にやろうとしている事が分かる。セベリノは料理上手なのに、意外な程手先が不器用だ。
ニルダは居間の壁にある時計を見た。そろそろ今日の作業を切り上げる時間だ。ニルダは使った道具や残りの毛糸玉を紙袋に片付け、セベリノに声をかけた。


「セベリノ」

「はい」

「時間」

「あとちょっと」

「駄目」

「あとちょっとだけ」

「駄目。終わり」

「……むぅ。分かりました」


自分の手元に視線を落としていたセベリノが顔を上げ、ローテーブルの上に編みかけのマフラーを慎重に置いた。自分の肩を片手で揉みながら、セベリノがニルダの方を見た。


「ニルダさん。寝酒飲むでしょ。持ってきます。今日の酒は葡萄ですか?麦ですか?」

「麦」

「はい。じゃあ麦の蒸留酒を持ってきますね。ちょっと待っててください」

「あぁ」


セベリノが手早く籐製の籠に編み物セットを片付け、ソファーから立ち上がった。自分の温かいミルクを作るついでに、ニルダの寝酒も用意してくれる。
ニルダは台所へ向かうセベリノを見送りながら、どう話し合いを切り出そうかと考えた。セベリノの行動の変化の理由が分からないと、素直に言えばいいのだろうか。それとなくセベリノから聞き出すなんて高等話術は、ニルダには逆立ちしたってできない。ニルダは腕を組んで少し悩み、セベリノに聞きたいことを素直に聞いてみることにした。

お盆にグラスと酒瓶、マグカップを乗せて、セベリノが戻ってきた。ゆるい笑顔で酒を注いだグラスを手渡してくれたセベリノが、ニルダのすぐ隣に座った。自分のマグカップを持ち、温かいミルクを飲み始めたセベリノに、ニルダは蒸留酒を一口飲んでから話しかけた。


「セベリノ」

「んー?」

「お前の行動が最近少しおかしい。何故だ」

「ぶっ!!」


セベリノが勢いよくミルクを口から吹き出した。余程動揺しているのか、セベリノの顔が瞬時に真っ赤に染まり、手に持っているマグカップからミルクが溢れた。
今はあまり関係ないが、不思議なことに、セベリノは『外』用の顔の時は、全然顔色が変わらない。だが、家ではコロコロ顔色が変わる。顔色とは自分で調節できるものなのかと、ニルダには不思議でならない。
ギギギッと古いブリキの人形の様なぎこちない動きで、耳まで真っ赤になったセベリノがニルダの方を向いた。


「……お、俺、おかしいですか……?」

「前と少し違う」

「……マジで?」

「あぁ」


ニルダがじっとセベリノのこげ茶色の瞳を見つめると、セベリノが気まずそうな感じで目を逸らした。そのまま無言でじーっとセベリノの顔を見つめていると、セベリノが小さくボソッと呟いた。


「……だって、なんかドキドキするから……」

「ん?」

「なっ、なんか、こう……ねっ!さっ、察してくださいっ!!」

「無理だ。分からん」

「うぐぅっ……」

「俺の人間関係の経験値の少なさを舐めるな。家族と師匠しか親しい人間はいなかった。今はお前がいるが」

「う、うぅっ……」

「セベリノ」

「……あ……愛、してるとか、ニルダさんが言うから……」

「言ったら悪かったのか」

「悪くないです。その、えっと、すごく、嬉しいんですけど……本当に嬉しいんですけど、あの、えっと……そんなこと言われたら、その……どうしても、意識、しちゃうじゃないですか……」

「意識、とは」

「……なにこれ拷問?死ぬ程恥ずかしいんですけど」

「セベリノ」


ニルダがじーっとセベリノを見つめて答えを待っていると、セベリノが落ち着かない様子でマグカップをローテーブルの上に置き、スリッパを脱いでソファーの上でお山座りをして、自分の膝に顔を埋めた。


「……だ、だから……あの……」

「なんだ」

「あの……えっと……す、好きになる……みたいな……」


よくよく耳をすませなければ聞こえないような小さな声で言ったセベリノの言葉に、ニルダはこてんと首を傾げた。相手を意識すると好きになるのか。好きになるから相手を意識するのか。いまいちよく分からない。というか、セベリノが言う『好き』は、恋愛感情の『好き』なのだろうか。家族愛的な『好き』なのだろうか。それとも親愛という意味での『好き』なのだろうか。


「どれだ」

「……何がです」

「親愛。家族愛。恋愛」

「えっ。それを俺に言わせるの!?」

「どれだ」

「~~~~~~っ!れっ、恋愛ですよっ!!悪いですかっ!!」


やけくそのようにセベリノが大きく叫んで、膝に顔を埋めたまま器用に寝間着の上から着ていたカーディガンを素早く脱ぎ、頭からカーディガンを被って、完全に自分の顔を隠した。
ニルダはぽかんと口を開けて、まじまじとセベリノを見た。セベリノは同性愛者だ。男しか愛せない。ニルダは確かに男にしか見えないが、ふたなりである。まんこがある。セベリノには好きな男がいる筈だ。何故、ニルダに恋愛感情を抱くのだろうか。
ニルダが困惑して無言でいると、セベリノがずずっと鼻を啜った。ニルダは驚いて、慌てて小さくなっているセベリノの身体を抱きしめた。何故だか分からないが、セベリノがまた泣いた。ニルダが泣かせてしまった。オロオロしながらニルダがセベリノを抱きしめる腕に力を入れると、セベリノが明らかな涙声で口を開いた。


「なんか言え鈍感野郎」

「セベリノ」

「……なんですか」

「好きか」

「好きですよ。なんか文句あるんですか。悪いですか」

「俺はふたなりだ」

「知ってます」

「男じゃない」

「知ってます」

「……好きな男は」

「貴方のせいで色々吹き飛びました」

「そうか」

「……迷惑なら迷惑ってちゃんと言ってください。俺、粘着質だから多分何年も好きなままだろうけど。貴方が不快な事は絶対にしないんで」

「粘着質」

「こちとら1人の男に6年も片思いしてたんですよ。貴方のお陰でそれどころじゃなくなりましたけど」

「そうか」

「……嫌ですか」
 
「嫌ではない」

「気持ち悪いですか」

「気持ち悪くない」

「……ほら。そうやって俺のことを肯定して優しくするから、俺に好かれちゃうんですよ」

「そうか。セベリノ」

「はい」

「俺とセックスもしたいのか」

「……したい」

「俺にはまんこがある」

「……その時になってみないと分からないけど、多分大丈夫です。ていうか、別に絶対に俺がニルダさんを抱かなきゃいけないって訳じゃないでしょ。俺がニルダさんに抱かれたっていいでしょ」

「……ん?」

「なんで、ふたなりが絶対抱かれるって思ってるんですか。ちんこがあるじゃないですか。使わないきゃ勿体無いじゃないですか」

「ん?ん?」

「……ニルダさんに抱かれたいって、ニルダさんのちんこ突っ込まれたいって、思う俺は気持ち悪いですか……」

「それは別に。俺が抱くという発想が無かったから混乱している」

「……ニルダさんがセックスしたくないならしなくていいです。でも……あの……」

「なんだ」

「……ニルダさんが嫌じゃなかったら、その……キスを、してみたい……です」

「キス」

「……嫌ならいいです。無理もしなくていいです」

「したいのか」

「……したいです」

「する」


混乱の極みという感じの状態だが、ニルダはセベリノとキスをしてみることにした。
何はともあれ、ぐずぐず鼻を鳴らして泣いているセベリノを泣き止ませるのが先だ。泣き止ませる為にキスをするのもどうかと思うが、別に嫌ではない。キスなんて、子供の頃に、頬やおでこに親からされたり、妹にしていたくらいだ。流石に、ここでセベリノの頬やおでこにキスをするのは違うということは分かる。キスをするならセベリノの唇である。誰かの唇にキスをするなんて、生まれて初めてだ。

ニルダはセベリノを抱きしめていた腕を解き、おずおずとセベリノが頭から被っているカーディガンを取り、カーディガンを丸めて適当にローテーブルの上に置いた。


「セベリノ」

「…………」

「顔」

「……ちょっと待って恥ずかしくて死にそう」

「死なん。セベリノ」


セベリノがゆっくりと顔を上げ、ニルダの方へと顔を向けた。セベリノの顔は赤く染まっていて、ポロポロと涙が零れており、鼻水も垂れていた。とりあえず泣きやんで欲しくて、ニルダはセベリノの頬を両手でできるだけ優しく包み込んだ。セベリノの涙を拭う為に、親指の腹でセベリノの目の下を優しく擦る。
ニルダはほんの一瞬だけ躊躇って、思い切ってセベリノの顔に顔を寄せ、涙で濡れているこげ茶色の瞳をじっと見ながら、セベリノの唇に自分の唇をくっつけた。
間近にあるセベリノの瞳が、嬉しそうに輝いた。
セベリノの唇の柔らかい感触に、何故だか小さくニルダの心臓が跳ねる。
ゆっくりと唇と顔を離せば、追いすがるようにセベリノが顔を寄せ、ニルダの首に両腕を絡めて、再びニルダの唇に自分の唇をくっつけた。
唇を触れ合わせたまま、セベリノが少し困ったように囁いた。


「ごめんね。ニルダさん」

「なにが」

「俺、ニルダさんのこと好きになった」

「そうか」


ニルダに抱きついたまま、セベリノがニルダの頬に自分の頬をくっつけた。髭が伸びかけているのか、少しだけチクチクした感触がする。
ニルダは抱きついているセベリノの背中をなんとなくポンポンと軽く叩きながら、じわじわと顔が熱くなっていくのを感じた。
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