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11:忙殺

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セベリノは自分の机に積み上がった書類の山を見て、小さく溜め息を吐いた。すっかり冬本番になり、年末の忙しい時期になった。警邏隊に入隊してから、年末年始をまるっとゆっくり過ごせた事などない。特に副班長になってからは、死ぬ程忙しい。年末年始は街のイベントが多いので浮かれてトラブルを起こす連中が激増し、その対処に追われる。特に年越し前後は本当に多くの人が浮ついていて、そこを狙った犯罪も増えるので、普段よりも警戒態勢を強くしている。
ガランドラの年末年始は賑やかで、年越し前後の数日間、街の中心の広場では屋台が立ち並び、プロアマ含めた様々な楽団が夜通し交代で音楽を奏でる。街の人々は踊り、歌い、酒を飲んで、騒ぎながら新しい年の訪れを祝う。子供の頃は、年越しの日が楽しみだった。普段は当然ながら夜には外に出してもらえないが、この日だけは家族で街の広場に出かけ、屋台で買い食いしながら、家族や友達と一緒に踊ったりして楽しんでいた。警邏隊に入隊してからは、くっそ忙しいだけの日になったが。

今年も胃が痛くなる程忙しい時期がやって来てしまった。年越しまであと半月はあるが、諸々の準備で連日のように会議や打ち合わせがある。通常業務は当然普通にあるので、毎日が忙しくて、本当に慌ただしい。
山のような書類を眺めていても、仕事は減らない。むしろ増える。セベリノは机の引き出しから緑色の硝子ペンを取り出し、すっかり手に馴染んだそれを暫し眺めてから、書類を手に取った。

黙々と書類を捌いていると、巡回に出ていたニルダ達が戻ってきた。今日はかなり冷え込んでいる。ガランドラは雪は降らないが、それでも冬場はそれなりに寒い。『お疲れ様です』と言いながら書類から顔を上げ、ニルダを見れば、ニルダの鼻の頭が赤くなっていた。セベリノが買って渡した紺色のマフラーを外しながら、ニルダがセベリノに近寄ってきた。


「空き巣とスリ」

「げっ!またですか……どっちも1件だけですよね?」

「スリは2人」

「うーわ。しょうがない。さっさと取り調べしてから留置所にぶち込みましょう」

「あぁ」

「ははは……俺、お仕事、だいすき……」


増えた仕事に、思わず遠い目をしてしまうセベリノである。追加の取り調べを3人分、その報告書の作成に、上への報告その他諸々、やる事がどっと増えた。唯でさえ書類が山積みで、今日は残業が確定どころか日付が変わるまでに終わるかも怪しかったのに。
乾いた笑みを浮かべるセベリノの頭を、ニルダがやんわりと撫でた。


「空き巣はヴァーダン。スリ1はキリック。スリ2はお前」

「了解です。手の空いてる奴を取り調べの補佐に回します。班長は、机に班長の処理待ちの書類を置いておくんで、そっちを片付けてください。取り調べで人手が一気に減るんで、申し訳ないんですけど、夕方の巡回もお願いします。誰でもいいから手が空いてる奴を連れて行ってください」

「あぁ」

「あ、巡回に出るついでに晩飯買ってきてください。俺はサンドイッチがいいです。一緒に仲良く深夜まで残業しましょうね!」

「ん」


やけくそで笑うセベリノの頭をもう一度撫でてから、ニルダが自分の机へと向かった。セベリノは急いでニルダに処理してもらわないといけない書類をまとめて、ニルダの机にドンと置き、一番近くにいた部下に声をかけて、スリ2がいる取り調べ室へと足早に移動した。


取り調べを終え、セベリノは班の部屋に戻ると、追加の書類を書き始めた。本気で死ぬ気でやらないと仕事が終わらない。ニルダ班は警邏隊の中でも検挙率が上位である。特にこの時期は、ニルダが巡回に出ると、結構な確率で何かしらの犯罪者を確保してくる。何故だ。やってもやっても終わらないどころか、書類仕事がどんどん増えていく。書類仕事に関しては、ニルダや他の者に投げるよりも、セベリノがやった方が早い。この時期は、セベリノは普段はやっている巡回等を一切やらずに、書類仕事を主にやっている。書類仕事以外の仕事は全てニルダ達に投げる。これが適材適所だと、副班長に就任して2年目に開き直った。人手が足りなかったら取り調べだけはやるが、それ以外は本当にやらない。ひたすら書類と忙し過ぎて折れそうな己の心と戦っている。勿論ニルダやベテランの部下も手伝ってくれるが、それでも追いつかない勢いで仕事が増える。ニルダは警邏隊の隊員としては非常に優秀だ。勘がよく、観察力があり、雑多な人混みの中でのスリのような見つけにくい犯罪も見逃さない。副官としては鼻が高くなる優秀な上官だが、この時期だけはニルダの優秀さが憎らしくなる。だって、本当に仕事が終わらない。
セベリノは周囲が引く勢いの鬼気迫る表情で、黙々と書類を書き続けた。

聞き慣れた地獄の底から響くような低音の声で名前を呼ばれ、セベリノは書類に落としていた視線を上げた。巡回に出ていたニルダが帰ってきていた。セベリノは『お疲れ様です』と言いながら、ニルダが無言で差し出してきた紙袋を受け取った。


「ありがとうございます。班長。今度は何人ですか?」

「1人。ひったくり」

「ははは……男ならちんこもげろ」

「キリック」

「あぁ。取り調べはキリックですか。キリックならサクサク吐かせてくれますね。班長の分もありますよね。班長に処理してもらわなきゃいけない書類をまとめてあるので、さっさと食って書類と一緒に踊りましょう」

「あぁ」

「珈琲淹れてきます」

「いい」

「飲み物ないと食いにくいですよ」

「俺がやる」

「えー。じゃあ、お願いします。俺は切りがいいところまで書き上げちゃいます」

「ん」


ニルダがセベリノの頭をやんわりと撫でて、足早に部屋から出ていった。給湯室は3つ隣の部屋だ。此処にも珈琲を淹れられるくらいの設備があればいいのにと、毎年この時期になると思う。
セベリノはサンドイッチが入った紙袋をスペースに余裕があるニルダの机の上に置くと、書類の続きを書き始めた。
書類を書きながら、セベリノはふと思った。なんだか普通にニルダに頭を撫でられたが、此処は職場である。セベリノはその事に気がついて、ピシッと固まった。室内には、普通に部下達がいる。ニルダとセベリノが夫婦なのは勿論皆知っているが、当然公私は分けなければいけない。セベリノは内心冷や汗をかきながら、そろそろと顔を上げ、室内を見回した。部下の1人と目が合い、そっと目を逸らされた。セベリノは顔を引き攣らせた。
帰ったらニルダと少々お話し合いをしなければいけないかもしれない。いつ頃からかは分からないが、時折、ニルダに頭を撫でられるようになった。全く嫌ではないので、普通に撫でられているが、職場でやると、仕事中にイチャイチャしていると捉えられてもおかしくない。それは流石に駄目だ。完全に駄目駄目である。
セベリノは多忙以外で微妙に痛み始めた胃の辺りを擦って、小さな溜め息を吐いた。

マグカップを両手に持って戻ってきたニルダと、ニルダの机の所で一緒に急いでサンドイッチを食べ、ニルダがおまけで買ってきてくれたクッキーを数枚ボリボリと頬張ってから、少し冷めた濃いめの珈琲をごくごくと飲み干す。
ニルダが片付けてくれるというので、ニルダにゴミの始末やマグカップの後片付けを頼み、セベリノは再び自分の机の椅子に座って、硝子ペンを手に取った。今日の仕事は今日終わらせないと、明日地獄を見る。明日だって、仕事がどんどん舞い込んでくるのだ。この忙しさは、新年を迎えて数日経ち、街の浮かれモードが落ち着くまで続く。
仕事が落ち着いたら、絶対に連休を取る。絶対にだ。毎日ひたすら寝て過ごしてやる。
セベリノは毎年思うことを今年も思いながら、黙々と書類に硝子ペンを走らせた。

日付が変わって暫く経った頃に、漸く今日の仕事が終わった。室内には力尽きて机に突っ伏すセベリノと書類を確認しているニルダしかいない。他の者は日付が変わる前に全員帰した。明日も忙しいのが確定しているのだから、少しでも休ませたい。
セベリノが作った書類を確認し、サインが必要なものにサインをしているニルダが終わるのを待つ。セベリノは僅かでも疲れた脳みそを回復させようと、だらしなく机に頬をつけたまま、ニルダが買ってくれたクッキーを頬張った。セベリノが好きなジャムクッキー、その中でも一番好きな苺のジャムクッキーの甘さが、疲れた身体に優しく染み渡る。
ニルダに名前を呼ばれたので、セベリノは椅子から立ち上がり、ニルダの側に移動した。念の為、ニルダに手渡された書類を全てざっと確認してから、提出する先ごとに分類して、其々ファイルに挟む。明日の朝一で提出すれば、今日の仕事は完全に終わりである。

ニルダが立ち上がり、帰り支度を始めたので、セベリノもファイルを抱えて自分の机に移動した。提出する書類を机の上に置いて、帰り支度をする。
部屋の照明を消してから、ニルダと一緒に部屋を出た。

外は真っ暗で、空気が冷たく、一疲れた身体が一気に冷えていく。マフラーも手袋もして、厚手のコートを着ているが、素直に寒い。これから冷えきった暗い家に帰る。数時間もすれば、また出勤である。ちょっと泣きたい。いよいよ切羽詰まれば職場に泊まり込むが、仮眠室は数人しか眠れないような小さなものだし、医務室のベッドも限られていて、この時期は争奪戦になる。暖房はあるが、椅子か床で寝ることになるので、どれだけ疲れていても、できるだけ家に帰る。僅かな時間でもベッドで寝ないと、疲れが全然とれない。

セベリノがぶえっくしょんと大きなくしゃみをすると、ニルダが立ち止まった。セベリノがずずっと鼻を啜りながら、同じく立ち止まってニルダを見ると、ニルダがセベリノの前で背を向けてしゃがんだ。
セベリノはニルダの突然の行動に、きょとんと目を丸くした。


「ニルダさん?」

「おんぶ」

「……はい?」

「早く」

「え、あ、はい?」


セベリノは混乱したまま、言われるがままにニルダの広い背中にくっついた。すぐにニルダがセベリノの足裏に太い腕を回し、そのまま立ち上がった。疑問符しか頭に浮かばないセベリノをおんぶして、ニルダが早足で歩き始めた。ビックリする程の安定感である。規則正しい少しの振動とニルダの体温の温かさが心地よくて、何も考えられなくなる。
疲れきっていたセベリノは、ぐったりとニルダに体重を預け、そのままストンと寝落ちた。

翌朝、起きてすぐに羞恥で悶えてベッドの上で転げ周り、朝っぱらから土下座をかましたセベリノの頭を撫で回し、ニルダは普通の顔で朝食を差し出してくれた。セベリノは買い置きのパンに少し焦げた目玉焼きを乗せたものをいくつも腹におさめ、濃いめの珈琲を飲んでから、ニルダと一緒に出勤した。
それから修羅場が明けるまで毎日のように、セベリノはニルダにおんぶされて帰るようになった。恥ずかしくて死にそうだが、ぶっちゃけ楽だし、ニルダの背中が快適過ぎてマジで寝れる。セベリノは数日で開き直り、ニルダの安定感が半端ない背中で寝落ちる日々を送った。
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