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セベリノは床を掃く手を止め、窓の外へ目を向けた。庭でニルダが草むしりをしている。ニルダの家の中は散らかり放題なのに、庭だけはキレイにされている。前の休みの日にも掃除をしたが、台所や居間が少し汚れたり散らかっていたので、今日も掃除をすることにした。掃除が終わったら昼食を作る予定である。
セベリノとニルダが結婚することになり、2ヶ月近くが過ぎた。来月の半ばに、結婚式が控えている。
セベリノはなんとなく庭にいるニルダの姿を眺めながら、小さく溜め息を吐いた。セベリノの婚約者殿は見かけによらず、甘い。優しいを通り越して、お人好しというか、いっそ甘いと評していい程だ。セベリノの秘密を知っても一切態度が変わらず、セベリノの自分本位で卑怯な申し出を普通に受け入れてしまった。
セベリノは、何度めか分からない『勿体無い』の言葉を小さく呟いた。ニルダは仕事に関しては厳しい方だと思うが、それ以外だと、甘いと言ってもいい程優しい。ニルダの威圧感と迫力のある顔面と体格を気にせず、ニルダの中身をちゃんと見てくれる相手なら、きっとすぐにニルダのことを好きになるだろう。ちゃんと愛し合えないセベリノと結婚するよりも、ニルダを愛してくれる相手と結婚した方が、ニルダは幸せになれる。
ニルダのことを怯えた目で見る奴らは、本当に見る目がない。ニルダは優しいのに。もし、ニルダが男だったら、セベリノはニルダに恋をしたかもしれない。セベリノは柔らかい雰囲気の容姿の明るい笑みが素敵な男が好きなので、ニルダは好みではないが、それを上回るレベルで、ニルダは優しいし、よくしてくれている。男が好きなセベリノを気持ち悪いと白い目で見ないし、ずっと秘密にしていた事を知っても、それを誰にも言い触らさない。それどころか、『人を好きになって何が悪い』と、セベリノの恋心を肯定してくれた。これがどれだけセベリノの救いになったか、ニルダにはきっと分からないだろう。
自分が男が好きだと自覚をしてから、セベリノはずっと秘密を抱えて、怯えながら生きていた。友達と呼べる親しい者は何人もいる。しかし、それと気づかれないように、一歩引いて彼らと接している。好きにならないように。秘密がバレないように。幸い、友達を好きになることはなかった。好きになったのは、1つ年下の後輩の男だ。きっかけは本当に些細なものだ。その男は学生時代の友達の弟だった。職人になった友達から、『弟を気にかけてやってくれ』と頼まれて、ちょこちょこ様子を見に行き、それとなく世話をした。明るくて人懐っこい男で、先輩、先輩と慕ってくれた男が次第に可愛くて堪らなくなり、気づいたら、どうしようもなく好きになっていた。
男の結婚は笑顔で祝福した。子供の誕生も笑顔で祝った。そうするしか無かった。男は今でもセベリノにとても懐いてくれている。いい加減、男への恋心を捨ててしまいたいのに、捨てることができない。秘密がバレるのに怯えて、自分と違う誰かと幸せになっている惚れた相手を間近で見続けることが苦しくて、周囲に置いていかれるのが怖くて、常に息苦しさを感じる程、辛くて辛くて堪らなかった。
セベリノは、ぼーっと草むしりに励むニルダを見つめた。ニルダの側にいると、少しだけ楽に息ができる。多分、ニルダがセベリノの秘密を知って尚、セベリノを否定しないからだと思う。ニルダは口数がかなり少なく、基本的に必要最低限以外は口を開かないし、喋っても単語に近い言葉しか発さない。しかし、だからこそ、ニルダの言葉はいつだって真っ直ぐで、嘘や適当な上っ面の慰めなんかを感じない。ニルダは、本当に信用も信頼もできる人だと思う。
やはり勿体無いと思う。ニルダの結婚相手がセベリノじゃなかったら、きっとニルダは幸せになれただろうに。どうしても、そんな事をぐるぐると考えてしまう。セベリノは、対外的には取り繕っているが、基本的に思考が後ろ向きで、一度ドツボにハマってしまうと中々抜け出せない性格なのである。セベリノなんかと結婚することになったニルダが気の毒で仕方がない。だからといって、ニルダとの結婚を取り止める勇気はない。せめてもの償いとして、休みの度にニルダの家を掃除したり、食事を作ったりしている。少しでもニルダに快適に過ごしてもらえたら、良心の呵責が減るのではないかという打算も大いにある。我ながら、とんだ最低野郎だ。
こちらに背を向けてしゃがみ、黙々と草むしりをしているニルダを見ていると、ニルダが立ち上がり、チラッと此方を見た。セベリノがひらひらと片手を振ると、ニルダが控えめに右手を小さく振り、今度は抜いた草や落ち葉を一か所に集める作業を始めた。
ニルダは、濃い茶色の髪に薄めのアンバーの瞳、鋭すぎる三白眼、彫りが深過ぎる上に薄めの眉毛、薄めの唇をしており、鼻は通っている方だが、どうしても厳つくて怖い印象を受ける顔立ちをしている。背は一応高身長の部類に入るセベリノよりもずっと高いし、筋肉質で身体の厚みも段違いだ。本人が言っていた通り、「幸福の導き手」らしさは欠片もない。
性格は、真面目で、仕事に関しては厳しいところもあるが、その厳しさは他人よりも先にニルダ自身に向けられていると思う。婚約者ということになって初めて知ったが、毎朝必ず鍛錬をしているし、掃除の為に入ったニルダの部屋には、仕事関連の様々な書籍が沢山あった。勤勉で、努力家で、とにかく優しい。
以前は、ニルダは人嫌いなのだろうと思っていた。本当に必要最低限しか話さないし、昼食をいつも1人で皆とは違う場所で食べている。誰かと親しく話すところなんて見たことがないし、職場の飲み会や結婚式などの祝い事に参加したこともない。ニルダはきっと人と関わるのが嫌いなのだろうと思い、セベリノはそれなりに距離を保ってニルダに接していた。
しかし、最近になって気づいたのだが、どうもニルダは自分に対して怯える相手が気の毒だから、自分から相手と距離をとっているようである。確かに、ニルダは「恐怖の巨人」と二つ名が着けられる程、見た目が怖い。背が高くて筋肉だるまな身体つきだから、近づけば近づく程、威圧感を感じる。女子供は勿論、男も怯えてしまうのも分からないではない。実際、ニルダの班の連中も皆ニルダに怯えているし、ニルダの班に配属されるのは『最低最悪の貧乏くじ』なんて言われているくらいだ。
セベリノは未だに、ニルダに脅されて結婚を強要された可哀想な男と噂されている。友達から真剣に心配されているし、祖母以外の家族からも、上司や部下、同期、ほんの少ししか関わったことがないような人間にまで心配されている始末だ。あまりにもあんまりである。ニルダを一体なんだと思っているのか。なんだか本気で腹が立つ程、ニルダが悪様に言われ、セベリノは悲劇の主人公みたいに扱われている。セベリノが自分の意志でプロポーズをしたと言っても、誰も本気で信じない。
ニルダが「幸福の導き手」だということは知られているので、セベリノが実は同性愛者だという噂は今のところない。確かに、セベリノは保身の為に、咄嗟に「幸福の導き手」であるニルダと結婚の約束をしていると嘘をついた。ある意味、セベリノの狙い通りになった。それが非常に腹立たしい。セベリノの秘密がバレないのは本当にありがたい。しかし、それでニルダが以前よりも悪様に言われるようになったのが、ニルダにものすごく申し訳ないし、ニルダが優しいことを知ろうともしない癖にと、好き勝手に言う連中に腹が立つ。
いくらニルダが普段は男にしか見えなくても、セベリノはニルダに恋はできないし、仮に恋をしたとしてもセックスはできない。セベリノにはどうしても好きな男がいるし、ニルダは「幸福の導き手」だ。男ではない。仮にニルダに恋をしても、いざセックスをするとなった時に、ニルダの性器を見たら萎える自信がある。カモフラージュでたまにエロ本を買うし、友達と貸し借りをしたりもするので女性器の絵は見たことがある。セベリノは、どうしても女性器を受け入れることができない。興奮なんかしないし、気持ちが悪いとすら思ってしまう。
セベリノは、ニルダと『普通』の夫婦になることができない。ニルダに対する罪悪感と自己嫌悪感が日に日に大きくなっていく。
セベリノは小さく溜め息を吐いてから、居間の掃除を再開した。
掃除を終わらせて昼食を作り、ニルダと一緒に食べて、後片付けまでしてしまうと、セベリノはニルダを昼寝に誘った。
今は初夏で、今日は天気がよくて心地よい風が吹いている。ニルダと出掛けるのもありかと一瞬思ったが、ニルダは仕事以外じゃ必要最低限しか家の外に出ないので、午後は家でのんびり過ごすことにした。
居間にある年季の入った2つのソファーは大きく、どちらも大人でも寝転がれる程だ。ニルダは身体が大きいのではみ出るが、寝るのには然程問題ない。セベリノは午前中に庭に干していたブランケットを持ってきて、ソファーに寝転がった。窓を開けているので、風が室内に入ってきて心地よい。ニルダもローテーブルを挟んだ向かい側のソファーに寝転がり、すぐに豪快な鼾をかき始めた。何度かニルダと昼寝をしているが、ニルダはとても寝つきがいい。
セベリノは、ニルダの鼾を聞きながら目を閉じて、自分も寝る体勢に入った。
昼寝から起きて珈琲を飲んでいると、ニルダがズボンのポケットから何かを取り出し、セベリノに手渡した。自分の掌に置かれたものを見れば、それは家の鍵だった。
「好きに使え」
「いいんですか?」
「来月には同居が始まる」
「まぁそうですね。じゃあ、預かりますね」
「あぁ」
セベリノは掌の上の鍵を見下ろしながら、ふと思いついた。
「ニルダさん。今日から俺が弁当も作りますね。弁当は一緒に食いましょうよ。ついつい楽できるように食堂を利用してましたけど、結婚したら毎日弁当作るし。明日から昼飯を一緒に食いましょう。その方が俺もゆっくり休憩できそうな気がするし。弁当箱を2つに分けなくていいから、作るのも洗うのも楽だし」
「あぁ」
「デカい弁当箱ってあります?」
「ない」
「んー。じゃあ、今から買ってきます。デカい水筒も。帰ったら晩飯と明日の弁当を作るんで、洗濯物と布団の取り込みをお願いします」
「あぁ」
「明日の弁当は何がいいですか?」
「サンドイッチ。ハムとチーズ」
「いいですよ。卵のサンドイッチも作りますか。他にもちょっとしたのを作るかな。じゃあ、ちょっと出てきます」
「あぁ。……待て」
「ん?」
「ん」
「金は俺が出しますけど」
「それから出せ」
「えー。ていうか、そんなにポンと人に財布を渡しちゃダメですよ」
「お前だ」
「相手が俺でもダメです」
「知らん。問題ない」
「えー。もう。……じゃあ、折半で。俺も使うものだし。全部合わせた金額の半分だけ使わせてもらいます」
「ん」
「じゃあ、今度こそいってきます」
「あぁ」
セベリノは、ポンと自分の財布を渡してきたニルダに少し呆れつつも、自分がニルダに信頼されている証拠だとなんだか嬉しくなって、ゆるく口角を上げた。
セベリノは1人でニルダの家を出ると、足早に弁当箱等を売っている雑貨屋を目指した。雑貨屋で弁当箱を物色していると、蓋に可愛らしい小さな花弁の彫り物がしてある弁当箱を見つけた。丈夫そうだし、大きさが2人分にはちょうどいい。値段が想定よりもかなり高いが、セベリノは即決で購入を決めた。他にも買うものがあるし、弁当箱一つの値段にしては高過ぎるので、これだけは完全に折半ではなく、1割だけニルダに出してもらうことにした。本当ならこれはセベリノが全額を出して買いたいが、ニルダが納得しないだろう。
ニルダは花が好きだ。この弁当箱を気に入ってくれるといい。セベリノは弁当箱の蓋の花弁をそっと撫でて、小さく笑った。
セベリノとニルダが結婚することになり、2ヶ月近くが過ぎた。来月の半ばに、結婚式が控えている。
セベリノはなんとなく庭にいるニルダの姿を眺めながら、小さく溜め息を吐いた。セベリノの婚約者殿は見かけによらず、甘い。優しいを通り越して、お人好しというか、いっそ甘いと評していい程だ。セベリノの秘密を知っても一切態度が変わらず、セベリノの自分本位で卑怯な申し出を普通に受け入れてしまった。
セベリノは、何度めか分からない『勿体無い』の言葉を小さく呟いた。ニルダは仕事に関しては厳しい方だと思うが、それ以外だと、甘いと言ってもいい程優しい。ニルダの威圧感と迫力のある顔面と体格を気にせず、ニルダの中身をちゃんと見てくれる相手なら、きっとすぐにニルダのことを好きになるだろう。ちゃんと愛し合えないセベリノと結婚するよりも、ニルダを愛してくれる相手と結婚した方が、ニルダは幸せになれる。
ニルダのことを怯えた目で見る奴らは、本当に見る目がない。ニルダは優しいのに。もし、ニルダが男だったら、セベリノはニルダに恋をしたかもしれない。セベリノは柔らかい雰囲気の容姿の明るい笑みが素敵な男が好きなので、ニルダは好みではないが、それを上回るレベルで、ニルダは優しいし、よくしてくれている。男が好きなセベリノを気持ち悪いと白い目で見ないし、ずっと秘密にしていた事を知っても、それを誰にも言い触らさない。それどころか、『人を好きになって何が悪い』と、セベリノの恋心を肯定してくれた。これがどれだけセベリノの救いになったか、ニルダにはきっと分からないだろう。
自分が男が好きだと自覚をしてから、セベリノはずっと秘密を抱えて、怯えながら生きていた。友達と呼べる親しい者は何人もいる。しかし、それと気づかれないように、一歩引いて彼らと接している。好きにならないように。秘密がバレないように。幸い、友達を好きになることはなかった。好きになったのは、1つ年下の後輩の男だ。きっかけは本当に些細なものだ。その男は学生時代の友達の弟だった。職人になった友達から、『弟を気にかけてやってくれ』と頼まれて、ちょこちょこ様子を見に行き、それとなく世話をした。明るくて人懐っこい男で、先輩、先輩と慕ってくれた男が次第に可愛くて堪らなくなり、気づいたら、どうしようもなく好きになっていた。
男の結婚は笑顔で祝福した。子供の誕生も笑顔で祝った。そうするしか無かった。男は今でもセベリノにとても懐いてくれている。いい加減、男への恋心を捨ててしまいたいのに、捨てることができない。秘密がバレるのに怯えて、自分と違う誰かと幸せになっている惚れた相手を間近で見続けることが苦しくて、周囲に置いていかれるのが怖くて、常に息苦しさを感じる程、辛くて辛くて堪らなかった。
セベリノは、ぼーっと草むしりに励むニルダを見つめた。ニルダの側にいると、少しだけ楽に息ができる。多分、ニルダがセベリノの秘密を知って尚、セベリノを否定しないからだと思う。ニルダは口数がかなり少なく、基本的に必要最低限以外は口を開かないし、喋っても単語に近い言葉しか発さない。しかし、だからこそ、ニルダの言葉はいつだって真っ直ぐで、嘘や適当な上っ面の慰めなんかを感じない。ニルダは、本当に信用も信頼もできる人だと思う。
やはり勿体無いと思う。ニルダの結婚相手がセベリノじゃなかったら、きっとニルダは幸せになれただろうに。どうしても、そんな事をぐるぐると考えてしまう。セベリノは、対外的には取り繕っているが、基本的に思考が後ろ向きで、一度ドツボにハマってしまうと中々抜け出せない性格なのである。セベリノなんかと結婚することになったニルダが気の毒で仕方がない。だからといって、ニルダとの結婚を取り止める勇気はない。せめてもの償いとして、休みの度にニルダの家を掃除したり、食事を作ったりしている。少しでもニルダに快適に過ごしてもらえたら、良心の呵責が減るのではないかという打算も大いにある。我ながら、とんだ最低野郎だ。
こちらに背を向けてしゃがみ、黙々と草むしりをしているニルダを見ていると、ニルダが立ち上がり、チラッと此方を見た。セベリノがひらひらと片手を振ると、ニルダが控えめに右手を小さく振り、今度は抜いた草や落ち葉を一か所に集める作業を始めた。
ニルダは、濃い茶色の髪に薄めのアンバーの瞳、鋭すぎる三白眼、彫りが深過ぎる上に薄めの眉毛、薄めの唇をしており、鼻は通っている方だが、どうしても厳つくて怖い印象を受ける顔立ちをしている。背は一応高身長の部類に入るセベリノよりもずっと高いし、筋肉質で身体の厚みも段違いだ。本人が言っていた通り、「幸福の導き手」らしさは欠片もない。
性格は、真面目で、仕事に関しては厳しいところもあるが、その厳しさは他人よりも先にニルダ自身に向けられていると思う。婚約者ということになって初めて知ったが、毎朝必ず鍛錬をしているし、掃除の為に入ったニルダの部屋には、仕事関連の様々な書籍が沢山あった。勤勉で、努力家で、とにかく優しい。
以前は、ニルダは人嫌いなのだろうと思っていた。本当に必要最低限しか話さないし、昼食をいつも1人で皆とは違う場所で食べている。誰かと親しく話すところなんて見たことがないし、職場の飲み会や結婚式などの祝い事に参加したこともない。ニルダはきっと人と関わるのが嫌いなのだろうと思い、セベリノはそれなりに距離を保ってニルダに接していた。
しかし、最近になって気づいたのだが、どうもニルダは自分に対して怯える相手が気の毒だから、自分から相手と距離をとっているようである。確かに、ニルダは「恐怖の巨人」と二つ名が着けられる程、見た目が怖い。背が高くて筋肉だるまな身体つきだから、近づけば近づく程、威圧感を感じる。女子供は勿論、男も怯えてしまうのも分からないではない。実際、ニルダの班の連中も皆ニルダに怯えているし、ニルダの班に配属されるのは『最低最悪の貧乏くじ』なんて言われているくらいだ。
セベリノは未だに、ニルダに脅されて結婚を強要された可哀想な男と噂されている。友達から真剣に心配されているし、祖母以外の家族からも、上司や部下、同期、ほんの少ししか関わったことがないような人間にまで心配されている始末だ。あまりにもあんまりである。ニルダを一体なんだと思っているのか。なんだか本気で腹が立つ程、ニルダが悪様に言われ、セベリノは悲劇の主人公みたいに扱われている。セベリノが自分の意志でプロポーズをしたと言っても、誰も本気で信じない。
ニルダが「幸福の導き手」だということは知られているので、セベリノが実は同性愛者だという噂は今のところない。確かに、セベリノは保身の為に、咄嗟に「幸福の導き手」であるニルダと結婚の約束をしていると嘘をついた。ある意味、セベリノの狙い通りになった。それが非常に腹立たしい。セベリノの秘密がバレないのは本当にありがたい。しかし、それでニルダが以前よりも悪様に言われるようになったのが、ニルダにものすごく申し訳ないし、ニルダが優しいことを知ろうともしない癖にと、好き勝手に言う連中に腹が立つ。
いくらニルダが普段は男にしか見えなくても、セベリノはニルダに恋はできないし、仮に恋をしたとしてもセックスはできない。セベリノにはどうしても好きな男がいるし、ニルダは「幸福の導き手」だ。男ではない。仮にニルダに恋をしても、いざセックスをするとなった時に、ニルダの性器を見たら萎える自信がある。カモフラージュでたまにエロ本を買うし、友達と貸し借りをしたりもするので女性器の絵は見たことがある。セベリノは、どうしても女性器を受け入れることができない。興奮なんかしないし、気持ちが悪いとすら思ってしまう。
セベリノは、ニルダと『普通』の夫婦になることができない。ニルダに対する罪悪感と自己嫌悪感が日に日に大きくなっていく。
セベリノは小さく溜め息を吐いてから、居間の掃除を再開した。
掃除を終わらせて昼食を作り、ニルダと一緒に食べて、後片付けまでしてしまうと、セベリノはニルダを昼寝に誘った。
今は初夏で、今日は天気がよくて心地よい風が吹いている。ニルダと出掛けるのもありかと一瞬思ったが、ニルダは仕事以外じゃ必要最低限しか家の外に出ないので、午後は家でのんびり過ごすことにした。
居間にある年季の入った2つのソファーは大きく、どちらも大人でも寝転がれる程だ。ニルダは身体が大きいのではみ出るが、寝るのには然程問題ない。セベリノは午前中に庭に干していたブランケットを持ってきて、ソファーに寝転がった。窓を開けているので、風が室内に入ってきて心地よい。ニルダもローテーブルを挟んだ向かい側のソファーに寝転がり、すぐに豪快な鼾をかき始めた。何度かニルダと昼寝をしているが、ニルダはとても寝つきがいい。
セベリノは、ニルダの鼾を聞きながら目を閉じて、自分も寝る体勢に入った。
昼寝から起きて珈琲を飲んでいると、ニルダがズボンのポケットから何かを取り出し、セベリノに手渡した。自分の掌に置かれたものを見れば、それは家の鍵だった。
「好きに使え」
「いいんですか?」
「来月には同居が始まる」
「まぁそうですね。じゃあ、預かりますね」
「あぁ」
セベリノは掌の上の鍵を見下ろしながら、ふと思いついた。
「ニルダさん。今日から俺が弁当も作りますね。弁当は一緒に食いましょうよ。ついつい楽できるように食堂を利用してましたけど、結婚したら毎日弁当作るし。明日から昼飯を一緒に食いましょう。その方が俺もゆっくり休憩できそうな気がするし。弁当箱を2つに分けなくていいから、作るのも洗うのも楽だし」
「あぁ」
「デカい弁当箱ってあります?」
「ない」
「んー。じゃあ、今から買ってきます。デカい水筒も。帰ったら晩飯と明日の弁当を作るんで、洗濯物と布団の取り込みをお願いします」
「あぁ」
「明日の弁当は何がいいですか?」
「サンドイッチ。ハムとチーズ」
「いいですよ。卵のサンドイッチも作りますか。他にもちょっとしたのを作るかな。じゃあ、ちょっと出てきます」
「あぁ。……待て」
「ん?」
「ん」
「金は俺が出しますけど」
「それから出せ」
「えー。ていうか、そんなにポンと人に財布を渡しちゃダメですよ」
「お前だ」
「相手が俺でもダメです」
「知らん。問題ない」
「えー。もう。……じゃあ、折半で。俺も使うものだし。全部合わせた金額の半分だけ使わせてもらいます」
「ん」
「じゃあ、今度こそいってきます」
「あぁ」
セベリノは、ポンと自分の財布を渡してきたニルダに少し呆れつつも、自分がニルダに信頼されている証拠だとなんだか嬉しくなって、ゆるく口角を上げた。
セベリノは1人でニルダの家を出ると、足早に弁当箱等を売っている雑貨屋を目指した。雑貨屋で弁当箱を物色していると、蓋に可愛らしい小さな花弁の彫り物がしてある弁当箱を見つけた。丈夫そうだし、大きさが2人分にはちょうどいい。値段が想定よりもかなり高いが、セベリノは即決で購入を決めた。他にも買うものがあるし、弁当箱一つの値段にしては高過ぎるので、これだけは完全に折半ではなく、1割だけニルダに出してもらうことにした。本当ならこれはセベリノが全額を出して買いたいが、ニルダが納得しないだろう。
ニルダは花が好きだ。この弁当箱を気に入ってくれるといい。セベリノは弁当箱の蓋の花弁をそっと撫でて、小さく笑った。
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