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3:『異端』

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ニルダは椅子に座る上司の前に直立していた。一歩下がった隣には、セベリノも立っている。
勤務時間は既に終わっている。上司に結婚の報告をしに来た。ニルダに対して隠しきれない怯えの色を浮かべていた上司である中年の男が、ニルダとセベリノが結婚をすると告げると、ぽかんと間抜けに口を開けて固まった。
暫く無言で次の反応を待っていると、上司がバァンと強く机を叩きながら椅子から立ち上がった。


「セベリノ!おおおお脅されているのだろう!?ニ、ニルダ・ラーベン……ぶ、部下を無理矢理、その、あれだ、えっと、あの……けっ、結婚を強要するのはよくないっ!!」

「ダーヴィト上官。自分は脅されておりません。プロポーズは自分がしました」

「はぁっ!?……はぁっ!?」

「自分が、ニルダ班長にプロポーズをしました」

「へあっ!?だっ、おまっ、いやっ、だって、あの、なんだ……あれだぞ!?その、あれだぞ!?」

「あれとは何ですか?」

「ニ、ニルダ班長は、その、確かに『幸福の導き手』らしいが……全然そうは見えないし……セベリノ。本当の本当の本当に脅されていないのか?無理矢理なんじゃないのか?実は脅されているんじゃないか?」

「違います。流石に今の発言は俺のニルダさんに失礼です。ニルダさんへの謝罪を要求します」

「『俺のニルダさん』っ!?」


目の前の上司がセベリノの発言で再び固まった。先程までよりも長い硬直の後、上司がなんだか一気に老けたような表情で、『了解した。結婚式の日取りが決まったら教えてくれ』と、力ない声で言った。
ニルダは上司に向かって敬礼をしてから、セベリノを連れて上司の執務室を出た。
隣を歩くセベリノが、はぁっと大きな溜め息を吐いた。


「ダーヴィト上官の発言はあまりにもあんまりでしたね。失礼にも程がある」

「心配していた」

「非常に頓珍漢な心配でしたね。余計なお世話ですよ。自分の部下をなんだと思ってるんですかね」

「さぁ」

「腹は立たないんですか」

「別に」

「悲しくないんですか」

「慣れている」

「そうですか……班の連中には俺から言っておきます」

「あぁ」

「今日の晩飯の用意はしてありますか?」

「いや」

「じゃあ俺の家で食いませんか。話しておきたいことがまだあります」

「あぁ」

「俺は、今夜は魚の気分です」

「あぁ」

「塩焼きと蒸し焼き、どっちがいいですか?」

「塩」

「じゃあ、塩焼きにします。途中で魚屋に寄りますね」

「あぁ」


ニルダは自分達の班の部屋に戻ると、手早く帰り支度をしてから、セベリノと一緒に警邏隊の詰所から出た。

上司の言葉に傷つかなかった訳ではない。自分はずっと真面目に仕事をしてきたと思っていたし、仕事を任されている以上、それなりに信頼してもらっていると思っていた。しかし、上司には、人を脅して無理矢理結婚しようとしている人間だと思われていた。人に怯えられるのには慣れている。しかし、あぁも言われると、正直キツいものがある。ニルダの顔と体格は、そんなに恐ろしいのだろうか。もっと穏やかな顔立ちで、愛想がよくて、話上手だったら、また違った反応があったのだろうか。上司は小心者なところがあるが、部下思いのいい上官だ。実際、上司はとてもセベリノのことを心配していた。ニルダに脅されて意に沿わぬ結婚を強いられているのではないのかと。これが本当にニルダがセベリノを脅して結婚をする流れで、その事をセベリノが告げたら、きっと間違いなく、上司は普段恐れている部下である自分に対して、セベリノを守る為に立ち向かってくる。ニルダ達の上司はそういう男だ。だからこそ、ニルダは上司のことを尊敬しているし、上官として慕っている。今回の件で、完全な一方通行だと分かったが。地味にキツい。

ニルダがついつい眉間に力を入れていると、ぽんぽんと軽く二の腕を叩かれた。歩きながら隣に顔を向ければ、セベリノがヘラっと笑った。


「酒も買って帰りましょう」

「……明日も仕事だ」

「いいでしょ。少しくらい」

「……あぁ」


魚屋の前に酒屋に入り、セベリノが酒を選ぶのを待っている間に、ニルダはセベリノに気遣われたことに気がついた。セベリノが食事に誘ってくれたのも、酒を飲もうと言ったのも、多分ニルダを気遣ってのことなのだろう。もしかしたら違うかもしれないが、そうだったら嬉しい。誰かに気遣ってもらえることなど、今の生活では全くない。
ニルダの酒の好みを聞いてくるセベリノに答えながら、ニルダはほんの少しだけ口角を上げた。








------
セベリノが作ってくれた夕食を食べ終え、酒を飲んでいる。ニルダは職場の飲み会に参加したことがないので、こうして家族や剣の師匠以外と酒を飲むのは初めてだ。少し落ち着かない。
セベリノが自分のグラスの酒を一息で飲み干した後、ニルダを真っ直ぐに見て口を開いた。


「ニルダさんに隠したまま結婚するのは、いくらなんでも失礼だと思うので、正直に言います。俺、好きな人がいます」

「そうか」

「……そいつは一昨年に女と結婚しました。子供も半年前に生まれてます。……それでも……今でも好きです」

「あぁ」

「……すいません」

「何が」

「俺、卑怯っていうか、最低だなぁと思って」

「何が」

「……好きな男がいて、女と結婚したくないからって、ニルダさんに結婚してもらうなんて、最低でしょう」


セベリノが自嘲するように顔を歪めた。空のグラスを持つ手が微かに震えている。ニルダは酒瓶を手に取り、セベリノのグラスに酒を注いだ。


「別に。誰かを想うのは自由だ。心は誰にも縛られない。無理をしてもいつかは限界がくる。お前は自分自身を守っただけだ」

「…………」

「俺はどうせ結婚なんてできなかった。親が死んだ後は妹とも殆ど会っていない。親と師匠が死んだら、誰とも話さなくなった。俺は人に好かれない。……俺を利用するならしておけ。どうせ誰も困らない」

「……寂しくないんですか」

「……さぁな」

「俺は……俺は寂しいです。想い合って、熱を分け合って、側にいてくれて、笑いあってくれる人がいないのが寂しい」

「そうか」

「俺はおかしいですか」

「普通だろう」

「男が好きなのに?」

「だから何だ。人を好きになって何が悪い」

「俺は異端です」

「それなら俺も異端だ。『幸福の導き手』らしさなんて欠片もない」

「……今日も多めに喋ってますね。いつもそれくらい喋ってくださいよ」

「喋るのは苦手だ」

「知ってます」


セベリノが今にも泣きそうな不細工な笑みを浮かべた。自分のグラスの酒を半分飲み干してから、セベリノが酒の瓶を手に取り、殆ど無くなっていたニルダのグラスに酒を注いだ。


「ニルダさんは好きな人はいないんですか?」

「いない」

「恋をしたことは?」

「ない。……怯える者に、想いを抱くことはない」

「勿体無いですね」

「何が」

「貴方は優しいのに」

「……そうでもない」

「優しいですよ。いっそお人好しのレベルだ。普通はね、男が好きなんていう男は気持ち悪いと白い目で見るものだし、この結婚だって、『馬鹿にするな』って殴るもんなんですよ。だって、そうでしょう?誰が好き好んで他に好きな相手がいる奴と結婚なんかするんです。『他に好きな相手がいる。でも色々と不都合だから隠れ蓑にしろ』なんて、あんまりでしょ。……女に生まれるか、女を好きになれたらよかったのに。そうしたら『普通』でいられた」

「……酔ったか」

「あー……少し?うーん。酔ってるかも」

「……お前は何故怯えない」

「ん?ニルダさんにですか?」

「あぁ」

「怯える理由がないからですよ。俺には貴方よりももっと怖いものがあるし。男が好きだってことがバレる方が余程怖い。それに、好きな相手に俺の気持ちがバレるのも怖い。貴方はちょっと顔と身体が厳ついだけでしょ。部下に暴力をふるったり、理不尽なことを言ったりしない。真面目に仕事にも訓練にも取り組んでる。ものすごく口数が少なくて単語でしか喋らないけど、ちゃんと俺の話を聞いてくれるでしょ。怯える必要性がまるでない」

「……そうか」

「……貴方に恋ができたら、貴方と愛し合えたら、多分幸せなんでしょうね。誰にも言えない不毛な恋なんかしてないで」

「辛いか」

「割と辛いですねぇ。……友達がね、どんどん結婚していくんですよ。子供が生まれた奴が何人もいて。俺だけが取り残されていくんです。俺はいつだって怯えてる。心臓に剛毛なんて生えてない。ばあちゃんに似てるってよく言われるけど、本当は俺は親父に似てるんですよ。小心者で臆病で。それに加えて卑怯者だ。……あー、ダメですね。俺、酔ってます」

「あぁ」

「泣きそう。つーか、吐きそう」

「悪酔いか」

「うん。気持ち悪い。ヤバい。出そう」

「少し堪えろ」

「……ぅぷっ」


本当に吐きそうなのだろう。セベリノがグラスをローテーブルの上に置いて、自分の口を片手で押さえた。ニルダは急いでグラスを置いて立ち上がり、できるだけセベリノの胃を刺激しないように、慌ててセベリノを横抱きで抱え上げ、トイレへと急いだ。トイレの便器の前にセベリノの下ろした瞬間、セベリノが吐いた。ニルダはセベリノが吐き切るまで、嘔吐くセベリノの背中を擦ってやった。

ぐったりとしたセベリノを再び横抱きで抱え上げ、ベッドの所に移動して、静かに寝かせると、セベリノは青褪めた顔で小さく溜め息を吐いた。


「水は」

「……いる」

「酒に弱いのか」

「……うん」

「水を飲んで寝ろ」

「……うん」


ニルダは台所へと向かい、マグカップに水を入れてから、セベリノの所に戻った。ぐったりしているセベリノを起こしてやり、水を飲ませる。
マグカップに注いだ水を半分飲み終えると、セベリノがすとんと寝落ちた。本当に酒に弱いらしい。
家の鍵を閉めてもらわなくてはいけないのだが、セベリノを起こすのも気が引ける。此処は警邏隊の官舎だ。一晩くらい玄関の鍵を閉めなくても多分大丈夫だろう。
ニルダはそう思って、簡単に後片付けをしてから、部屋の照明を消し、静かにセベリノの家から出た。 

暗い道を歩きながら、ニルダはぼんやりと考えた。ニルダもセベリノも『異端』だ。『異端』同士、協力して生きていけたら、多分今よりもマシに過ごせる気がする。少なくとも、一人ぼっちではなくなる。
セベリノはニルダに恋をしない。ニルダは恋とやらをしたことがない。
恋愛関係にならないからこそ、同居人として長く一緒にいられるのではないだろうか。

ニルダは明かりの灯っていない我が家に帰り着くと、真っ直ぐに台所へと向かった。買い置きの酒瓶を取り出し、酒を飲み始める。
明日も仕事なので、酒を飲まずに寝た方がいいのだが、もう少しだけ飲みたい気分だ。

誰かを恋愛的な意味で好きになるとは、一体どういう感じなのだろうか。ニルダには完全に未知の世界だ。
ニルダにも性欲はある。自慰をすることもある。だが、ニルダに誰かと熱を分け合う日が来ることはない。

なんだか胸の中に隙間風が吹いた気がして、ニルダは誤魔化すように、ぐっと酒を飲み干した。

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