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3:シグルドの溜め息

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 シグルドはなんとなしに対面に座るペーターを眺めていた。すぴーと小さな寝息を立てて涎を垂らしながら寝ている間抜け面を眺めながら、シグルドは小さく溜め息を吐いた。

 ペーターはゆるく癖のある亜麻色の髪を長く伸ばしており、今は見えないが新緑のような色合いの瞳をしている。顔立ちは柔和に整っており、気が弱そうに見えるが、意外と肝が据わっている。味方に攻撃魔法を当てるようなへっぽこ魔法使いだが、努力家で、拠点にしていた街にいる時は、毎日のように自主的に魔法の特訓をしていたのを知っている。へっぽこだが、すこーしずつ成長していたので、そのまま隊長として、ペーターの成長を見守るつもりでいた。が、まさかの誤算に溜め息を吐きたくなる。

 シグルドは辺境伯家の次男として生まれた。『神様の愛』なんて中途半端な身体に生まれたせいで、幼い頃はドレスを着て、淑女教育を受けさせられていた。
 8歳の時に、三つ年上の兄と一緒に剣をやりたくて、盛大に駄々をこねまくって、剣の練習をさせてもらえるようになった。その頃から日常的にズボンを穿くようになり、勉強そっちのけで剣の練習に励むようになった。

 シグルドは剣の才能があったのか、どんどん強くなり、身体も大きく逞しくなっていった。シグルドを娘のように扱っていた母や妹みたいに思っているらしい兄は、シグルドが男のような振る舞いをすると『あんなに可愛かったのに』と嘆いていたが、当時辺境伯だった父は、シグルドが強くなることを歓迎していた。今は隣国との関係が良好だが、先のことは誰にも分からない。辺境伯の家の者として、いざという時は剣を持ち、最前線に出て戦わなくてはいけない。辺境伯の家に生まれたのだから、『神様の愛』であっても強くあるべし、というのが父の考えらしい。

 シグルドは成人するとすぐに、魔獣討伐専門の騎士団に入団した。シグルドは騎士団での仕事に没頭し、騎士であることを誇りに思っていた。男とも女とも結婚をするつもりはなかったから、必死で『神様の愛』であることを隠し続けていた。騎士として魔獣と戦うことが性に合っていたのに、ほんのうっかりしたことで、ペーターに『神様の愛』だと知られてしまった。

 ペーターはへっぽこ魔法使いだが、存外気が利くし、人にも動物にも優しいのは知っている。初陣の時も味方に火球を当てまくっていたが、魔獣に怯えて動けないなんてことはなかった。へっぽこっぷりが無くなったら、隊の戦力の大きな一つになるだろうと期待していただけに、シグルドの事情にペーターを巻き込むことになって、なんとも申し訳なくなる。

 シグルドも騎士でありたかった。騎士団に入団する時に兄と交わした誓約がなければ騎士でいられたのにと、なんとも悔しくなる。シグルドは戦うことが好きだ。人々の生活を脅かす魔獣を狩ることに、やり甲斐も誇りも感じていた。故郷の領地に帰ったら、隣国と戦争でも起きない限り、剣を振るうことはなくなる。シグルドは自分でもうっすら戦闘狂だという自覚はあるが、それでも隣国との戦争が起きたらいいとは思わない。
 戦争が始まれば、多くの未来ある若者が死に、民草が死に、国が疲弊する。戦争が起きないのが一番だ。このまま国同士が良好な関係を保ってくれるといい。

 シグルドはなんとなく眺めていたペーターの間抜けな寝顔から目を逸らし、窓の外を見た。あと半月もせずに領地に到着してしまう。騎士団に入団してから帰っていないので、暫くは母や兄が放してくれないかもしれない。密かに自慢の髭も剃らなくてはいけないだろう。憂鬱で溜め息ばかりが出てしまう。結婚式もさせられるだろうし、本当に面倒だ。
 シグルドは小さく溜め息を吐いて、自分も少し寝ようと静かに目を閉じた。




―――――――
 シグルドの故郷の領地についに到着してしまった。随分と久しぶりの屋敷に入ると、ペーターがガチガチに緊張していることに気づいた。初陣でものほほんとしていたくせに、辺境伯の家だからと緊張しているらしい。生きるか死ぬかの戦いの時よりも、貴族の屋敷に踏み入る方が緊張するなんて、ペーターはどこかずれている気がする。

 緊張して委縮しているペーターの首根っこを掴んで、ずるずると引きずるように応接室に向かえば、記憶にあるより老けた両親と兄夫婦がいた。老いた母はシグルドを見るなり涙ぐんだ。父が声をかけてきた。


「シグルド。久しいな。そちらが婿殿か」

「お久しゅうございます。父上。婿のペーターです。ペーター。俺の両親と兄夫婦だ」

「ぺッ、ペーターと申しますっ!」

「平民か」

「はい。騎士団に所属していた魔法使いです」

「ふむ。まぁよかろう。ペーター。そなたを歓迎しよう」

「あ、ありがとうございましゅ……」

「シディ。結婚式の準備をしなくてはいけませんね。ドレスを作らなくては」

「……母上。俺にはドレスは似合いません。笑いものになるだけです」

「まぁ! 可愛いシディが笑いものになんかなる筈がありませんわ!」

「あー……母上。現実を見てください。こいつに言わせると、俺はおっさんらしいですよ」

「まぁ……シディ。もっと淑女らしい言葉使いをしなくてはいけませんよ」

「母上。淑女だった俺なんてもういませんよ。騎士団ですっかり鍛えられましたので」

「そんな……わたくしの可愛いシディが……」

「オリビア。もうよしなさい。シグルドは騎士として立派に働いていたんだ。辺境伯の子息として恥ずかしくない働きをしていたのだぞ」

「ですが旦那様。シディは『神様の愛』なのですよ」

「確かにそうだ。男でもあり、女でもある。シグルドはシグルドらしい生き方をしていればよいのだ。シグルドが淑女である必要はない」

「そんな……旦那様……」

「シグルド。ペーター。部屋を用意してある。長旅で疲れているだろう。まずはゆっくり寛ぎなさい。夕食の時にでも、また話をしよう。それでいいだろう。ジークハルト」

「はい。父上。シディ。おかえり。誓約を守って帰って来てくれて嬉しいよ」

「兄上もお元気そうで何よりです」

「まずは部屋に行っておいで。夕食の前に私の子供達を紹介しよう」

「はい。兄上。行くぞ。ペーター」

「は、はい」


 シグルドは、借りてきた猫みたいに大人しいペーターを連れて、応接室を出た。部屋から出た瞬間、思わず溜め息が出てしまう。まさか、母が未だにシグルドに淑女であることを求めているとは予想外であった。兄も変わらずシグルドのことを『シディ』と呼ぶし、本当に勘弁してほしい。『シディ』なんて女みたいな名前で呼ばれていい人相をしていないのだぞと言ってやりたいが、一言言ったが最後、十倍になってかえってくる気がする。
 シグルドはガチガチに緊張したままのペーターの首根っこを掴んで引き摺りながら、使用人の案内で部屋へと向かった。

 部屋の中に入った瞬間、シグルドはまた大きな溜め息を吐いた。ものすごく少女趣味な内装である。間違いなく、母と兄の仕業だ。何故、あの2人は厳ついおっさんと言われるようなシグルドに変な夢をみているのか。本当に不思議でならない。
 思い起こせば、成長期に入って、男ベースの『神様の愛』だと判明した後も、2人はシグルドを淑女のように扱いたがっていた。シグルドは10代半ばには、背が伸びて筋肉質な身体つきをしていたし、顔立ちも、顔が厳つくて怖い祖父によく似ていたのに。2人の目には謎のフィルターがかかっているとしか思えない。

 部屋の中を見回したペーターが、シグルドを見上げて、こてんと首を傾げた。


「おっさんの部屋にしては、なんか可愛いですね?」

「よし。殴る」

「暴力反対っ! あぎゃーー!」


 シグルドは溜め息を連発しながら、八つ当たりでペーターのこめかみをぐりぐりしまくった。夕食が今から憂鬱である。いつも通り『いたいいたい!』と騒ぐペーターになんとなく癒されながら、シグルドは堅苦しい貴族らしい振る舞いをしなければいけない面倒くささに、また溜め息を吐いた。

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