上 下
518 / 566
第二部

◆その515 聖女の往く道

しおりを挟む
 法王国の首都にあるホーリーキャッスル。
 聖騎士たちに守られたホーリーキャッスル内で自由に動ける存在は限られている。そんな限られた存在の一人――聖女アリス。
 アリスは歩きなれた廊下を歩き、見慣れた扉をノックする。

『アリスかえ? 入りなさい』

 奥から聞こえた元聖女、現皇后のアイビスの声。
 アイビスの部屋の入室許可を得たアリスは、不安な顔つきのまま扉を開けた。
 アリスは入室してすぐに硬直した。そこには驚くべき存在がいたからだ。
 ソファに座り、アリスに小さく手を挙げ迎える存在。

「ふふふ、来たな」
「こ、これは法王陛下っ!」

 かしこまったアリスは、その対面にいるアイビスに頭を下げながら言った。

「ご歓談中とは知らず申し訳ありませんでしたっ!」
「構わぬ、ちょうどアリスの話をしていたところだしのう」
「わ、私の……?」

 顔だけちょこんと上げ、おそるおそる二人を見るアリス。

「あのアリスがついに大規模な戦争に参加する、とな」

 そう言ったのは法王クルスだった。

「『きっとアドバイスを求めに来るぞ』と言いながらここにやってきた野次馬は、わらわの前に座っている男じゃ」

 呆れた様子で言ったのは皇后アイビス。
 それに対しアリスは乾いた笑いを浮かべる他なかった。

「でも、どうして私が参戦する事を?」
「指揮官から連絡が入った。それだけの事だよ」

 法王クルスの言葉を受け、アリスの頬がぷくりと膨らむ。
 指揮官とはすなわち、アリスの頭の中で爽やかな笑みを浮かべるミケラルドに他ならないからだ。
 そんな様子を苦笑しながら見た法王クルスが言う。

「そうミックを邪険にしなくてもいいだろう。法王国の庇護下にある聖女アリスを戦争に連れて行くのだ。私への報告は彼の義務だろう?」

 正に正論だった。そして相手が相手なだけに、アリスは何も言えなかった。

「すまんのうアリス。コレ、、はいつも通り。こんな雰囲気で迎えるつもりはなかったのじゃ」
「あ、いえ……」
「コレとは私の事かな、アイビス?」
「他に誰がいると?」

 アイビスの鋭い視線に、法王クルスが委縮する。

「あ、はい」
「アリス、そんなところにいても仕方がない。掛けなさい」

 アイビスの隣に着席を促されたアリスは、言われるがままそこへ腰を下ろす。

「……さて、こういう時、妾から掛けられる言葉は少ない。それが何故かわかるかえ?」

 アイビスの問いに、アリスが口を結ぶ。
 答えられない訳ではない。どれが正解なのかわからずいるのだ。

「そう、考えたとて答えがないからじゃ」

 アリスはアイビスを見上げ、きょとんと首を傾げた。

「無論、間違いはある。じゃが、正解は戦地に赴く者しか持っていない。多くの命が散る事などわかり切っている。しかし、アリスはそれを出来るだけ防ぐために行く。違うかえ?」

 コクリと頷くアリス。

「それも正解の一つじゃ。愛か忠義か正義か……それとも金か。どれも正解であり、人によってはどれも間違い。しかし、行かなければそれを守れないのも事実。アリスの心は既に決まっている。だからこそ我々が掛けられる言葉は少ない。わかるかえ?」

 諭すように言ったアイビス。
 しかし、その直後思い出したように正面にすわる法王おとこを見たのだ。

「もしかすれば、法王陛下ならばまた違った知見を得られるかもしれぬ。聞いてみるといい」
「うぇっ?」

 そんな声を出したのは、聖女アリス――などではなく、法王クルスその人だった。
 アイビスのパスを受け取らざるを得なかった法王クルスは、渋面しぶづらを浮かべながらアイビスを見た。

「全部君が言っちゃったじゃないか。これ以上何を言えっていうのさ?」
「何と、法王陛下の深淵の智謀もその程度だと?」

 わざとらしく驚くアイビスに、法王クルスが深く溜め息を吐く。

「まったく、困った皇后もいたものだよ」
「お褒めに与り光栄です、法王陛下」

 そんな二人のやり取りを見、アリスがわたわたと焦りを見せる。

「あ、あの、そんなに切羽詰まったお話じゃ――」
「「アリスは切羽詰まらないとここには来ないだろう?」」

 法王クルス、アイビスの言葉が揃う。

(何でこういう時は息がピッタリなんですかっ)

 アリスがそう思うも、それを零せる相手ではない。
 困り顔を浮かべるアリスに、掛けるべき言葉を考えていた法王クルスが言う。

「ふむ、どうせ行かなくても後悔するのだ。ならば行って後悔してみるといい」

 それは、アリスの目を丸くするのには十分というべき言葉だった。
 アイビスは自身の額を抱え、大きな溜め息を吐いている。

「……選びに選んだ言葉がそれかえ?」

 しかし、次の言葉がアイビスの口を結ばせた。

「綺麗な言葉で着飾れる程、戦争とは美しいものではない。そうだろう、アイビス?」

 すんと鼻息だけ吐いて押し黙ったアイビス。
 法王クルスは次にアリスを見た。

「相手が人間じゃないだけマシ――そう思うのも……今のアリスには厳しいのかもしれん」

 それは、今回の軍の指揮官が魔族だという事実から出た言葉だった。
 しかし、法王クルスは続けた。

「アリス、あそこはな地獄だ。別に怖がらせたい訳ではない。しかし、それ以外に形容する言葉が見つからん。血が大地を満たし、雨が降っていないのに血の泥が出来る。何かを勝ち取る戦い、何かを守る戦い。それだけを糧に前に進むのは我らを信じる兵たちだ。彼らを守る力を持っている勇者エメリー、そして聖女アリス。確かに立ち上がるべきは今なのだろう。しかし、引くのも勇気だ」

 アリスをじっと見つめる法王クルス。
 強く芯のある目に、アリスは引かなかった。逸らす事も出来た。しかし、アリスの心がそれを許さなかったのだ。
 それを見、確信した法王クルスが言う。

「で、あろう? アリスの心はもう既に決まっている。だから答えを探しにここへ来た。そうだろう?」
「……はい」

 次に法王クルスから出た言葉は、アリスにとって非常に厳しいものだった。

「立場をわきまえよ、アリス」

 それは、決して法王という地位をかさに着た言葉ではなかった。
 理由はわからずとも、その真意が別にある事をアリスは理解していた。

「アリス、お前は既に求める立場にいない。導く立場、、、、にいるのだ」
「……ぁ」

 それを示された時、アリスの脳裏に一人の男がよぎった。

「戦地に赴くと決めた時……アリス、お前は、その背で皆を導かねばならない。アリス、ここが瀬戸際だ。引くのも勇気だぞ」

 先に掛けられた言葉を今一度言った法王クルスの真剣な眼差し。
 しかし、それでもアリスの瞳が揺らぐ事はなかった。

「私は……戦場に行きます」

 遂にアリスは自分からそう言い切ったのだ。
 その強い意思の宿った目を見た時、法王クルスはようやくアリスから目を離した。ふうと息を漏らし、その顔を揉み、再度アリスを見る。

「ならば足搔あがく事だ。自分で、自分だけの答えを見つけてみせよ」
「はいっ!」

 魂を奮わせ出た返事は、りんと部屋に響いた。
 アリスがここにいたのはほんのひと時だった。
 アリスがいなくなった皇后の部屋に残るアイビスと法王クルス。
 アイビスを窺うように見る法王クルスに、アイビスが言う。

「何とも、厳しい言葉だったのう?」
「え、え? ……や、やっぱりそう思う?」
「確か法王国の法王クルスは、過去何ヵ国かと小競り合いをしただけだったと思ったが?」
「法王となる前に一度戦地に行ったぞ!」
「一度?」
「一度……だな」
「まぁ、それだけ法王としての統治が優れていたというだけ。じゃが……」

 そう言ったところで、アイビスは言葉を控えた。
 だからこそなのだろう。法王クルスがその先を言った。言うしかなかったのだ。

「だが、我らは見送る事しか出来ない」
「……これも導く者の定めか……」
「……だな」

 そう言いながら、二人はソファにその背を預けるのだった。
 聖女と勇者、その背に背負うモノは大きく重い。
 遠いリプトゥアの地でやがて起こる戦争という名の悲劇。
 二人の乙女の決断に、世界は大きく喜び揺れるだろう。
 しかし、送り出す大人たちの心は、強く締め付けられるのだった。
 そしてそれは当然、今回の軍の指揮官にも言える事なのだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

母親に家を追い出されたので、勝手に生きる!!(泣きついて来ても、助けてやらない)

いくみ
ファンタジー
実母に家を追い出された。 全く親父の奴!勝手に消えやがって! 親父が帰ってこなくなったから、実母が再婚したが……。その再婚相手は働きもせずに好き勝手する男だった。 俺は消えた親父から母と頼むと、言われて。 母を守ったつもりだったが……出て行けと言われた……。 なんだこれ!俺よりもその男とできた子供の味方なんだな? なら、出ていくよ! 俺が居なくても食って行けるなら勝手にしろよ! これは、のんびり気ままに冒険をする男の話です。 カクヨム様にて先行掲載中です。 不定期更新です。

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

転生貴族のハーレムチート生活 【400万ポイント突破】

ゼクト
ファンタジー
ファンタジー大賞に応募中です。 ぜひ投票お願いします ある日、神崎優斗は川でおぼれているおばあちゃんを助けようとして川の中にある岩にあたりおばあちゃんは助けられたが死んでしまったそれをたまたま地球を見ていた創造神が転生をさせてくれることになりいろいろな神の加護をもらい今貴族の子として転生するのであった 【不定期になると思います まだはじめたばかりなのでアドバイスなどどんどんコメントしてください。ノベルバ、小説家になろう、カクヨムにも同じ作品を投稿しているので、気が向いたら、そちらもお願いします。 累計400万ポイント突破しました。 応援ありがとうございます。】 ツイッター始めました→ゼクト  @VEUu26CiB0OpjtL

修行マニアの高校生 異世界で最強になったのでスローライフを志す

佐原
ファンタジー
毎日修行を勤しむ高校生西郷努は柔道、ボクシング、レスリング、剣道、など日本の武術以外にも海外の武術を極め、世界王者を陰ながらぶっ倒した。その後、しばらくの間目標がなくなるが、努は「次は神でも倒すか」と志すが、どうやって神に会うか考えた末に死ねば良いと考え、自殺し見事転生するこができた。その世界ではステータスや魔法などが存在するゲームのような世界で、努は次に魔法を極めた末に最高神をぶっ倒し、やることがなくなったので「だらだらしながら定住先を見つけよう」ついでに伴侶も見つかるといいなとか思いながらスローライフを目指す。 誤字脱字や話のおかしな点について何か有れば教えて下さい。また感想待ってます。返信できるかわかりませんが、極力返します。 また今まで感想を却下してしまった皆さんすいません。 僕は豆腐メンタルなのでマイナスのことの感想は控えて頂きたいです。 不定期投稿になります、週に一回は投稿したいと思います。お待たせして申し訳ございません。 他作品はストックもかなり有りますので、そちらで回したいと思います

ヒューマンテイム ~人間を奴隷化するスキルを使って、俺は王妃の体を手に入れる~

三浦裕
ファンタジー
【ヒューマンテイム】 人間を洗脳し、意のままに操るスキル。 非常に希少なスキルで、使い手は史上3人程度しか存在しない。 「ヒューマンテイムの力を使えば、俺はどんな人間だって意のままに操れる。あの美しい王妃に、ベッドで腰を振らせる事だって」 禁断のスキル【ヒューマンテイム】の力に目覚めた少年リュートは、その力を立身出世のために悪用する。 商人を操って富を得たり、 領主を操って権力を手にしたり、 貴族の女を操って、次々子を産ませたり。 リュートの最終目標は『王妃の胎に子種を仕込み、自らの子孫を王にする事』 王家に近づくためには、出世を重ねて国の英雄にまで上り詰める必要がある。 邪悪なスキルで王家乗っ取りを目指すリュートの、ダーク成り上がり譚!

全校転移!異能で異世界を巡る!?

小説愛好家
ファンタジー
全校集会中に地震に襲われ、魔法陣が出現し、眩い光が体育館全体を呑み込み俺は気絶した。 目覚めるとそこは大聖堂みたいな場所。 周りを見渡すとほとんどの人がまだ気絶をしていてる。 取り敢えず異世界転移だと仮定してステータスを開こうと試みる。 「ステータスオープン」と唱えるとステータスが表示された。「『異能』?なにこれ?まぁいいか」 取り敢えず異世界に転移したってことで間違いなさそうだな、テンプレ通り行くなら魔王討伐やらなんやらでめんどくさそうだし早々にここを出たいけどまぁ成り行きでなんとかなるだろ。 そんな感じで異世界転移を果たした主人公が圧倒的力『異能』を使いながら世界を旅する物語。

転移した場所が【ふしぎな果実】で溢れていた件

月風レイ
ファンタジー
 普通の高校2年生の竹中春人は突如、異世界転移を果たした。    そして、異世界転移をした先は、入ることが禁断とされている場所、神の園というところだった。  そんな慣習も知りもしない、春人は神の園を生活圏として、必死に生きていく。  そこでしか成らない『ふしぎな果実』を空腹のあまり口にしてしまう。  そして、それは世界では幻と言われている祝福の果実であった。  食料がない春人はそんなことは知らず、ふしぎな果実を米のように常食として喰らう。  不思議な果実の恩恵によって、規格外に強くなっていくハルトの、異世界冒険大ファンタジー。  大修正中!今週中に修正終え更新していきます!

1×∞(ワンバイエイト) 経験値1でレベルアップする俺は、最速で異世界最強になりました!

マツヤマユタカ
ファンタジー
23年5月22日にアルファポリス様より、拙著が出版されました!そのため改題しました。 今後ともよろしくお願いいたします! トラックに轢かれ、気づくと異世界の自然豊かな場所に一人いた少年、カズマ・ナカミチ。彼は事情がわからないまま、仕方なくそこでサバイバル生活を開始する。だが、未経験だった釣りや狩りは妙に上手くいった。その秘密は、レベル上げに必要な経験値にあった。実はカズマは、あらゆるスキルが経験値1でレベルアップするのだ。おかげで、何をやっても簡単にこなせて――。異世界爆速成長系ファンタジー、堂々開幕! タイトルの『1×∞』は『ワンバイエイト』と読みます。 男性向けHOTランキング1位!ファンタジー1位を獲得しました!【22/7/22】 そして『第15回ファンタジー小説大賞』において、奨励賞を受賞いたしました!【22/10/31】 アルファポリス様より出版されました!現在第四巻まで発売中です! コミカライズされました!公式漫画タブから見られます!【24/8/28】 よろしくお願いいたします。 マツヤマユタカ名義でTwitterやってます。 見てください。

処理中です...