上 下
10 / 27

10. 蔓延る外道

しおりを挟む
 早朝、セットしたアラームがまだ鳴らないうちに肩を揺すられた。

「起こしてごめん、家帰るから鍵締めてね。お父さんに話してくるから。また学校でね」

 ぼんやりとした意識の中で、武井さんがお父さんに犯されている場面が頭に浮かんだ。
 いつからそんな事をされているのだろう。
 一回犯すごとに、腕に一本の傷。
 制服姿に興奮するからという理由で、高校に行かせる父親。
 まさに外道。
 相当の数があった事を思うと、もう何度そんな目に遭っているのだろう。
 早く一人暮らしをしたいが為に武井さんは風俗で働いているらしいが、一人暮らしをしたいというよりやはり家を早く出たいというのが本音といったところか……

 考えを張り巡らせている内に、アラームが鳴った。
 毎朝なんとか踏ん張って出勤する。
 いつか踏ん張れなくなった時は、潔く高校教師なんて辞めてやる。
 なんの未練も、思い入れもない。
 無理して命を削るくらいなら逃げてやる。
 ……そう、頭では思っているのだけれど、私の中の『責任』が重くのしかかり毎朝気付いた時には職員室で永井先生に嫌味を言われている。

 先日の大沢先生からの反撃に懲りず、というよりむしろ火を付けてしまったようだ。
 嫌味で終わっていたものが嫌がらせにランクアップした。
 すれ違いざまにわざとらしくぶつかってきて、コーヒーをかけられた。
 ついでにその時持っていた、次の授業で使用する予定だったプリントも台無しだ。

「熱っ!ちょっと!ちゃんと前見なさいよ!この服高かったのにクリーニング代いくらするのかしら……。あぁ、もうほんとあんたみたいな女は何も考えずにボケ~っと生きてるからこんな事になるのよ!人に迷惑かけて恥を晒すなんて私なら死んだ方がマシだわ」

 今は、大沢先生はいない。
 先日クスクスと永井先生を嘲笑い、私にフォローを入れてきた連中は案の定何も話し掛けてこなかった。
 こんなものだ。
 群れてしか発言出来ないような小バエどもに、そもそもなんの期待もしていない。
 適当に作ったプリントは無駄になった。
 仕方なく別のプリントを用意して授業に向かう。
 私が作ったプリントなんて、教科書に載ってあることをほぼ丸写ししたようなものなので労力自体はどうでもいい。
 どうせ自習だし。
 こいつも、外道。

 相変わらず騒がしい授業で、それでも見回りの大沢先生が美術室の前を通ることはなく私はここ最近呼び出しをくらっていない。
 職場で人と関わるなんて、以前はあんなにも面倒臭かったというのに、大沢先生と話して以来少し寂しさを感じていた。

「おい!お前やりすぎだろ!」

 突然、男子生徒の怒号が響いた。
 驚いて教室を見渡すと何やら生徒同士が取っ組み合いをしている。
 あぁ……面倒くさい。
 止めに入るお友達や、不安げに私の方を見てヘルプを求める女子生徒。
 勝手にやってくれ。
 ただし、私と無関係な場所で。

 いつの間にか騒ぎを聞きつけた、体育教師の松井先生が飛び込んできて暴れている生徒を連れ去っていった。
 何やら生徒たちの話に耳を傾けていると、絵の具の付いた筆を飛ばし合っている途中、それが目に入り喧嘩へと発展したらしかった。
 実にくだらない。
 授業終わりに松井先生に呼ばれ『なぜ仲裁に入らなかったのか』と詰められた。
 私は弱々しく右手のギプスを見せ、申し訳なさそうな顔をした。
 松井先生は少し戸惑ったように『ま、まぁ、怪我されてるなら仕方ないか』と話を終えた。

 面倒くさかったなぁと美術室でぼんやりしていると、大沢先生が入ってきた。
 私は彼が話すよりも先に、話し掛けた。

「あの、先日の永井先生の……ありがとうございました」

「あ、あぁ……逆効果だったみたいですね。それ……職員室で話題になってました。余計なことを……すみません」

 コーヒーで汚れた私の服を指さしながら、私がさっき松井先生に向けた申し訳なさそうな表情よりも落ち込んでる様子で謝られた。

「いえ、あんな風に人を敵に回すことを鑑みずに言ってくださって。大袈裟ですけど、感動しました」

「ほんと、大袈裟ですよ。あ、これ持ってきたんです」

 新品未開封のブラウスが入った袋を渡された。

「え?あの、これ」

「さっき、用事のついでに買ってきたんですけど、好みとかは分からなくて無難に白かなと……さすがに今日一日それじゃあ、ね」

「ありがとうございます。こんな、わざわざ。あ、そうだ、お金」

「あー!いいですいいです。大丈夫です」

「……じゃ、じゃあ、あの、前に言ってたデート?何かご馳走させてください」

「あぁ……もう……。今日僕の方から誘おうと思ってたのに。先越されちゃいました」

 大沢先生が優しく笑ってくれた。
 私は『着替えてきます』と一言言って、奥の部屋へ行き、買ってきてもらったブラウスに着替えた。

「サイズぴったりです。本当にありがとうございます」

「良かったです。それで、いつにしますか?僕の方は、いつでも」

「今日なんか、どうですか?」

「いいですね。何か食べたいものとかありますか?好きな食べ物とか」

「うーん、何でも好きですけど、あまり騒がしくないところがいいですかね……ゆっくりお話したいです」

「分かりました、どこか調べておきますね。放課後、また連絡しますね」

 久しぶりに楽しみができた。
 いつもなら、早く帰りたいから、早く時間が過ぎればいいのにと思っていた。
 今は、大沢先生との約束が楽しみで、早く帰りたいと思っている。
 何となく今日の部活動は部長に任せて、顧問不在でやってもらおうと決めた。
 それほど楽しみにしている自分がどこか滑稽に思えて、恥ずかしくなったが楽しみなものは楽しみなのだから仕方ない。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

どんでん返し

あいうら
ミステリー
「1話完結」~最後の1行で衝撃が走る短編集~ ようやく子どもに恵まれた主人公は、家族でキャンプに来ていた。そこで偶然遭遇したのは、彼が閑職に追いやったかつての部下だった。なぜかファミリー用のテントに1人で宿泊する部下に違和感を覚えるが… (「薪」より)

声の響く洋館

葉羽
ミステリー
神藤葉羽と望月彩由美は、友人の失踪をきっかけに不気味な洋館を訪れる。そこで彼らは、過去の住人たちの声を聞き、その悲劇に導かれる。失踪した友人たちの影を追い、葉羽と彩由美は声の正体を探りながら、過去の未練に囚われた人々の思いを解放するための儀式を行うことを決意する。 彼らは古びた日記を手掛かりに、恐れや不安を乗り越えながら、解放の儀式を成功させる。過去の住人たちが解放される中で、葉羽と彩由美は自らの成長を実感し、新たな未来へと歩み出す。物語は、過去の悲劇を乗り越え、希望に満ちた未来を切り開く二人の姿を描く。

密室島の輪舞曲

葉羽
ミステリー
夏休み、天才高校生の神藤葉羽は幼なじみの望月彩由美とともに、離島にある古い洋館「月影館」を訪れる。その洋館で連続して起きる不可解な密室殺人事件。被害者たちは、内側から完全に施錠された部屋で首吊り死体として発見される。しかし、葉羽は死体の状況に違和感を覚えていた。 洋館には、著名な実業家や学者たち12名が宿泊しており、彼らは謎めいた「月影会」というグループに所属していた。彼らの間で次々と起こる密室殺人。不可解な現象と怪奇的な出来事が重なり、洋館は恐怖の渦に包まれていく。

魔法使いが死んだ夜

ねこしゃけ日和
ミステリー
一時は科学に押されて存在感が低下した魔法だが、昨今の技術革新により再び脚光を浴びることになった。  そんな中、ネルコ王国の王が六人の優秀な魔法使いを招待する。彼らは国に貢献されるアイテムを所持していた。  晩餐会の前日。招かれた古城で六人の内最も有名な魔法使い、シモンが部屋の外で死体として発見される。  死んだシモンの部屋はドアも窓も鍵が閉められており、その鍵は室内にあった。  この謎を解くため、国は不老不死と呼ばれる魔法使い、シャロンが呼ばれた。

魔女の虚像

睦月
ミステリー
大学生の星井優は、ある日下北沢で小さな出版社を経営しているという女性に声をかけられる。 彼女に頼まれて、星井は13年前に裕福な一家が焼死した事件を調べることに。 事件の起こった村で、当時働いていたというメイドの日記を入手する星井だが、そこで知ったのは思いもかけない事実だった。 ●エブリスタにも掲載しています

ガレキの楽園

Olivia
ミステリー
一度終わった世界で旅をする話

アナグラム

七海美桜
ミステリー
26歳で警視になった一条櫻子は、大阪の曽根崎警察署に新たに設立された「特別心理犯罪課」の課長として警視庁から転属してくる。彼女の目的は、関西に秘かに収監されている犯罪者「桐生蒼馬」に会う為だった。櫻子と蒼馬に隠された秘密、彼の助言により難解な事件を解決する。櫻子を助ける蒼馬の狙いとは? ※この作品はフィクションであり、登場する地名や団体や組織、全て事実とは異なる事をご理解よろしくお願いします。また、犯罪の内容がショッキングな場合があります。セルフレイティングに気を付けて下さい。 イラスト:カリカリ様 背景:由羅様(pixiv)

処理中です...