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5. 気になるあの子
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放課後、美術部の部員たちが集まり始めた。
私は今日も変わらず、話しかけられない限りは自分から生徒に話すことはなかった。
しばらくして部員たちは「お疲れ様でした」と言いながら帰宅して行った。
一人の女子生徒を除いて。
生徒に関して一切関心のない私だが、この子だけは以前から少し気になる所があった。
何が、という理由もない。
敢えていうなら、視線を感じる……ということだろうか。
「先生、手、大丈夫?」
突然話しかけられて少しびっくりした。
「え、あぁ、うん。平気、ありがとう」
笑顔を取り繕ってはみたものの、普段生徒と話すことなんてほとんどないので上手く笑えた気がしない。
ふと彼女のキャンパスを見ると、先日目に留まったあの絵があった。
「あ、この絵……あなたのだったんだ」
「……武井 美奈」
「え?」
「私の名前。先生、生徒の名前なんて覚えてないでしょ。興味なさそうだし」
いや、さすがに部員の名前くらい……と言おうとしたが、実際に彼女の言う通りで生徒の名前なんてほとんど知らない。
「この絵、どう思う?」
「独特なタッチで素敵だなぁって。寂しそうで、怒ってそうで……モチーフでもいるの?」
どう会話していいか分からず、ぎこちない返事になっていないだろうかと不安になりながらも、モチーフが誰なのか大体の予想はついていてまた返事に困るのは自分ではなかろうかと質問してすぐに少し後悔した。
「先生だよ。いつもこう見えてる」
案の定困ってしまって、会話のテンポが悪くなる。
上手く話そうと思うほど何を話していいか分からず、それだけ自分は生徒と向き合っていないのだと実感した。
「手が治ったらさ、私のこと描いてよ」
「え?あぁ、まぁ……いいけど……」
「そんなあからさまに面倒くさそうにしないでよ」
「あ、ごめん、そういうわけじゃなくて。ちょっとびっくりしたっていうか、武井さんもほら……あんまり人に興味なさそうっていうか」
「入学したての時は早く卒業したいとしか思ってなかったけどね。先生来てからはちょっと変わったかな」
「え?私?」
「うん。教師って感じしないからかな」
「それ、ダメじゃない?」
武井さんが少し笑った。
とても意外だった。
この子もわざと人と距離を取っているのか、私の知っている限りでは友達と一緒にいるところを見たことがない。
浮いているといえば浮いているし、端正な顔立ちで、どこか大人びていて、澄ました顔をしている……気がする。
派手なギャルというわけでもなく、根暗そうなわけでもなく。
不良というわけではないのだけれど、どちらかといえばそういう近寄り難い感じではある。
「なんで教師になったの?なんとなく?他にやりたい事がなかったとか、そんな感じ?」
本当に、そんな感じ。
この職に憧れを持ったことなんて一度たりともなかった。
「まぁ……そんなとこかな……。武井さんはどうして美術部に?」
「んー、なんででしょう?」
からかうように微笑む武井さん。
いつもそんな表情でいれば、友達も沢山できるのに、と思ったけれど本人はきっとそんなことは望んでいないのだろう。
ガラガラ、と美術室の扉が開く音がして振り返ってみると大沢先生が入ってきた。
「お、武井発見」
「うわ、やっば」
武井さんは大沢先生の顔見た瞬間、逃げるように私の背中側に隠れた。
「体育の補習受けないならせめて課題だけでも出せって松井先生がうるさいんだよ。単位欲しいならどっちかやっとけ」
大沢先生は面倒くさそうに頭を掻いていた。
「はぁ……だるいなぁ。あ、ねぇ先生。課題一緒にやってくんない?」
武井さんは私の目を真っ直ぐに見つめながら、裾をクイッと引っ張ってきた。
「おい、迷惑だぞ。ちゃんと自分でやりなさい。というかもう帰りなさい、ほら」
武井さんは大沢先生に両肩を掴まれて、鞄を持たされていた。
「もうっ。せっかく先生と話せたのに。……先生!また明日ね!」
武井さんが帰っていった。
「あの子、あんな顔できるんですね。なんか意外でした」
「生徒と話してる長澤先生を見る方が意外ですよ」
「あ、ですよね……今日、ほぼ初めて話したんです。……実は、名前も今日初めて……」
「色々と複雑な家庭の子でしてね。父子家庭なんですけど、父親が酒浸りでその金欲しさに娘を風俗に売り飛ばしかけたところを保護されたとか噂があったり。大人を毛嫌いしてるようなところがあるんですけど、長澤先生には懐いてるみたいですね」
部員の名前すら把握していないのかと呆れられるかと思ったが、大沢先生はそんな事は気にしてなさそうだった。
「あぁ……そんなことより。先日のお返事、頂いてなかったと思いまして」
「え?返事?」
「はい、デートの」
「……あぁ、その、冗談なのかと思って」
「もちろん無理にとは言いません。ここでお話出来るだけでも助かるというか」
「助かる……?」
「なんて言ったら良いんだろうな……。同志を見つけた感じで親近感が湧くというか、それだけでなんだか救われた気がするというか」
大沢先生のその言葉の意味は、私もとても共感できた。
私は手の痛みを我慢しながら小さな紙に自分の連絡先を書いた。
「すみません、字が汚いんですけど……もし良かったら……」
「ありがとうございます、ちょうど良かったです。携帯、職員室に置きっぱなしにしてあったので……。字、綺麗ですよ」
メモを手渡した後で、デートなんて言葉を真に受けて良かったのか、本当に冗談ではなかったのだろうかと恥ずかしくなった。
「……これは、ご連絡しても大丈夫ということですか?」
「あ、はい。いつでも……」
大沢先生は生徒からとても人気があって、だけどそれは熱血教師とは程遠く、生徒と適度な距離感を保ちながらどこか適当に流しているから、生徒にとっても都合のいい教師なのだろうと感じる。
私もいつか、そうして上手くこの仕事に馴染めるんだろうか。
私は今日も変わらず、話しかけられない限りは自分から生徒に話すことはなかった。
しばらくして部員たちは「お疲れ様でした」と言いながら帰宅して行った。
一人の女子生徒を除いて。
生徒に関して一切関心のない私だが、この子だけは以前から少し気になる所があった。
何が、という理由もない。
敢えていうなら、視線を感じる……ということだろうか。
「先生、手、大丈夫?」
突然話しかけられて少しびっくりした。
「え、あぁ、うん。平気、ありがとう」
笑顔を取り繕ってはみたものの、普段生徒と話すことなんてほとんどないので上手く笑えた気がしない。
ふと彼女のキャンパスを見ると、先日目に留まったあの絵があった。
「あ、この絵……あなたのだったんだ」
「……武井 美奈」
「え?」
「私の名前。先生、生徒の名前なんて覚えてないでしょ。興味なさそうだし」
いや、さすがに部員の名前くらい……と言おうとしたが、実際に彼女の言う通りで生徒の名前なんてほとんど知らない。
「この絵、どう思う?」
「独特なタッチで素敵だなぁって。寂しそうで、怒ってそうで……モチーフでもいるの?」
どう会話していいか分からず、ぎこちない返事になっていないだろうかと不安になりながらも、モチーフが誰なのか大体の予想はついていてまた返事に困るのは自分ではなかろうかと質問してすぐに少し後悔した。
「先生だよ。いつもこう見えてる」
案の定困ってしまって、会話のテンポが悪くなる。
上手く話そうと思うほど何を話していいか分からず、それだけ自分は生徒と向き合っていないのだと実感した。
「手が治ったらさ、私のこと描いてよ」
「え?あぁ、まぁ……いいけど……」
「そんなあからさまに面倒くさそうにしないでよ」
「あ、ごめん、そういうわけじゃなくて。ちょっとびっくりしたっていうか、武井さんもほら……あんまり人に興味なさそうっていうか」
「入学したての時は早く卒業したいとしか思ってなかったけどね。先生来てからはちょっと変わったかな」
「え?私?」
「うん。教師って感じしないからかな」
「それ、ダメじゃない?」
武井さんが少し笑った。
とても意外だった。
この子もわざと人と距離を取っているのか、私の知っている限りでは友達と一緒にいるところを見たことがない。
浮いているといえば浮いているし、端正な顔立ちで、どこか大人びていて、澄ました顔をしている……気がする。
派手なギャルというわけでもなく、根暗そうなわけでもなく。
不良というわけではないのだけれど、どちらかといえばそういう近寄り難い感じではある。
「なんで教師になったの?なんとなく?他にやりたい事がなかったとか、そんな感じ?」
本当に、そんな感じ。
この職に憧れを持ったことなんて一度たりともなかった。
「まぁ……そんなとこかな……。武井さんはどうして美術部に?」
「んー、なんででしょう?」
からかうように微笑む武井さん。
いつもそんな表情でいれば、友達も沢山できるのに、と思ったけれど本人はきっとそんなことは望んでいないのだろう。
ガラガラ、と美術室の扉が開く音がして振り返ってみると大沢先生が入ってきた。
「お、武井発見」
「うわ、やっば」
武井さんは大沢先生の顔見た瞬間、逃げるように私の背中側に隠れた。
「体育の補習受けないならせめて課題だけでも出せって松井先生がうるさいんだよ。単位欲しいならどっちかやっとけ」
大沢先生は面倒くさそうに頭を掻いていた。
「はぁ……だるいなぁ。あ、ねぇ先生。課題一緒にやってくんない?」
武井さんは私の目を真っ直ぐに見つめながら、裾をクイッと引っ張ってきた。
「おい、迷惑だぞ。ちゃんと自分でやりなさい。というかもう帰りなさい、ほら」
武井さんは大沢先生に両肩を掴まれて、鞄を持たされていた。
「もうっ。せっかく先生と話せたのに。……先生!また明日ね!」
武井さんが帰っていった。
「あの子、あんな顔できるんですね。なんか意外でした」
「生徒と話してる長澤先生を見る方が意外ですよ」
「あ、ですよね……今日、ほぼ初めて話したんです。……実は、名前も今日初めて……」
「色々と複雑な家庭の子でしてね。父子家庭なんですけど、父親が酒浸りでその金欲しさに娘を風俗に売り飛ばしかけたところを保護されたとか噂があったり。大人を毛嫌いしてるようなところがあるんですけど、長澤先生には懐いてるみたいですね」
部員の名前すら把握していないのかと呆れられるかと思ったが、大沢先生はそんな事は気にしてなさそうだった。
「あぁ……そんなことより。先日のお返事、頂いてなかったと思いまして」
「え?返事?」
「はい、デートの」
「……あぁ、その、冗談なのかと思って」
「もちろん無理にとは言いません。ここでお話出来るだけでも助かるというか」
「助かる……?」
「なんて言ったら良いんだろうな……。同志を見つけた感じで親近感が湧くというか、それだけでなんだか救われた気がするというか」
大沢先生のその言葉の意味は、私もとても共感できた。
私は手の痛みを我慢しながら小さな紙に自分の連絡先を書いた。
「すみません、字が汚いんですけど……もし良かったら……」
「ありがとうございます、ちょうど良かったです。携帯、職員室に置きっぱなしにしてあったので……。字、綺麗ですよ」
メモを手渡した後で、デートなんて言葉を真に受けて良かったのか、本当に冗談ではなかったのだろうかと恥ずかしくなった。
「……これは、ご連絡しても大丈夫ということですか?」
「あ、はい。いつでも……」
大沢先生は生徒からとても人気があって、だけどそれは熱血教師とは程遠く、生徒と適度な距離感を保ちながらどこか適当に流しているから、生徒にとっても都合のいい教師なのだろうと感じる。
私もいつか、そうして上手くこの仕事に馴染めるんだろうか。
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