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第5部 慟哭のアヌビス

#16 我らの身体の中の相似形

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 角質化した皮膚を通しても、杏里の肌のやわらかさは充分に伝わってきた。
 まろやかな曲線を描く双丘。
 脇から引き締まった腰、そしてその腰から張りだした尻にかけてのなだらかなライン。
 そういったもののすべてを、彼は味わい尽くすように眺めた。
 階下では動きが生じていた。
 拡声器による呼びかけに彼が応えないのに業を煮やしたのか、警官たちがシャッターの破れ目から、工場内に入ってこようとしている。
 が、彼にとって、それはもはやどうでもいいことだった。
 廃工場の2階の杏里とふたりだけの空間。
 それが彼の全世界だった。
「触って」
 杏里があえぐようにいった。
 彼はうなずくと、もう一度おずおずとそのふっくらした乳房に手を伸ばした。
 そっとつかんだつもりだった。
 だが、爪が鋭すぎた。
 杏里がかすかに頬をゆがめる。
 マシュマロのような乳房に、赤い宝石のような血玉が浮かび上がった。
「気にしないで」
 目を閉じたまま、杏里がまたいった。
「あなたが気持ちよくなるなら、私はそれでいいから」
「・・・でも」
 ためらう彼の手首をつかんで、自分の胸元に引き寄せる。
「平気よ。大丈夫だから」
 こらえきれなくなって、両手を乳房にかぶせた。
 3本の指を動かして、ゆっくりともみしだく。
 やわらかい。
 あまりに甘美な感触に、彼は陶酔した。
 尖った乳首が掌をくすぐった。
「女の子の体を触るの、初めて?」
 薄目を開け、彼を真正面から見つめて、杏里が訊いた。
 彼はぎこちなくうなずいた。
 小学校高学年の頃、下着姿で酔っ払って眠り込んでいる耀子の体に触れたことがある。
 そのとき初めて、彼は勃起というものを経験した。
 薄い布に包まれた耀子の尻を撫で回しているうちに、股間がかちかちに硬直してくるのに気づいたのだ。
 目を覚ました耀子に彼はこっぴどく殴られたが、それは彼にとっては唯一無二の得難い体験だった。
 女の肉体に触れるのは、そのとき以来だった。
 乳房だけでは飽き足らず、彼は杏里の脇や腹にも指を這わせた。
 そのたびに真っ白な肌に赤い筋がつき、血が滲み出した。
 剃刀のような爪が、否応なしに杏里の柔肌を傷つけてしまうのだった。
「したい?」
 上半身裸で壁にもたれ、足を投げ出したままの姿勢で杏里がいった。
 上目遣いに見つめてくるその瞳には、何か誘うような表情が浮かんでいる。
 彼はどうしていいかわからなかった。
 ただ茫然と杏里のむっちりした太腿と太腿の間をみつめていた。
 杏里がおもむろに膝を立て、股間を開いた。
 ぴったりした小さなパンティの生地は、肌が透けて見えるほど薄い。
 膨らんだ丘と、その中心を通る谷間が浮き出ていた。
 肉の一部が、横からはみ出ている。
 彼の股間で変化が起こった。
 背中のほうに折れ曲がっていた節だらけの尾が、股間をくぐって前方に突き出てきたのだ。
 角質化した先端が割れて、ピンク色の亀頭が顔を出していた。
 尾のように見えたそれは、彼の生殖器だった。
「あ」
 杏里が小さく叫んだ。
 見る間に太く硬くなって行く彼のペニスを、食い入るように凝視している。
「秀樹君、あなた、もしかして、外来種・・・?」
「・・・え?」
 彼は動きを止めた。
 ガイライシュ?
 何のことだろう。
 初めて耳にする言葉だった。
「ううん、なんでもない」
 杏里が弱々しく微笑んで、かぶりを振った。
「でも、そのままだと私の体が壊れちゃうから、ちょっと待ってね」
 両膝を閉じ、両手両脚を床につくと、四つん這いになって彼の股間ににじり寄ってきた。
 両手でペニスの根元をつかみ、亀頭の先端に顔を寄せる。
 ピンクの長い舌を出して、舐めた。
「うぐ」
 彼は硬直した。
 えもいわれぬ快感が、亀頭から尾骶骨、尾骶骨から後頭部にかけて、瞬間的に突き抜けた。
「気持ち、いい?」
 上目遣いに彼の表情の変化を観察しながら、杏里がたずねた。
 彼はがくがくと頭をうなずかせた。
 言葉が出ない。
 それほどの快感だった。
「よかった」
 杏里がつぶやき、笑った。
 そして、その熱い口で、すっぽりと彼を包み込んだ。



 痛みは、種類によっては快感へと変化を遂げる。
 そしてその快感は、交感神経を活性化させ、アドレナリンやドーパミンの分泌量をMAXにする。
 今の由羅が、ちょうどそうだった。
 背骨を限界にまで曲げられ、首筋を食い破られた瞬間、痺れるようなエクスタシーに襲われた。
 全身が熱くなる。
 性器から愛液が溢れ出すのがわかった。
 足の指がつっぱり、体がびくんと跳ねた。
 イッたのだ。
「前に、教えてやったよな」
 ギリギリと無理矢理首をねじ曲げて、由羅は零に話しかけた。
「うちは、ドMなんだって」
 ニタリと笑う。
「いたぶられればいたぶられるほど、気持ちよくなっちまうんだって!」
 零の腕を跳ねのけ、上体を起こすと同時に頭突きをかました。
 パトスの頭蓋骨は最新式の装甲車並みに硬い。
 華奢な零が仰向けに吹っ飛んだ。
 数メートルコンクリートの上を滑って、給水塔に背中をぶつけて止まった。
 額の右半分が無惨に陥没し、首が奇妙な角度に傾いていた。
 零の切れ長の目の中で、眼球が左右ばらばらに動いて由羅を見た。
「死ね」
 由羅が飛びかかった。
 心臓を狙って、右腕を突き出した。
 由羅の必殺技は、この"心臓潰し"である。
 右手の一撃で、敵の胸板を表皮、筋肉、肋骨ごとぶち破り、心臓をつかみ出して握り潰す。
 それが可能なくらい由羅の指は強靭で鋭く、上腕部の筋肉が極限まで強化されている。
 "最終検定”のときの相手も、初めて実戦でタイマンを張った外来種、山口翔太もそれで倒してきた。
 が。
 やはり零はこれまでの相手よりも数段上のようだった。
 胸に届く寸前で、由羅の右腕を手の甲でとっさに払ったのだ。
 由羅の打撃のベクトルが逸れた。
 給水塔の鉄板を、拳がぶち抜いた。
 しぶきを上げ、水流がほとばしった。
「わ」
 腹にまともに奔流を喰らい、由羅は後方に吹っ飛んだ。
 噴水のように舞い落ちる水滴の中、零がすっくと立ち上がる。
「ちょっと休戦。まだ傷が完治してなくてね。ほら、おかげで首がずれちゃったじゃない」
 不自然か角度で曲がった首を両手で支え、いった。
「おまえ・・・」
 川のように流れる水の中に尻餅をついたまま、唖然として由羅はつぶやいた。
「やっぱりあのとき、首を切り落とされてたんじゃないか。なのに、なぜ生きてる?」
 最初に抱いた疑問が再燃したのだった。
「知らなかったの?」
 奇怪な角度に傾けた首のまま、零がいたずらっぽく目を見開いた。
「私たちは、似たもの同士なのよ。杏里にできることは、私にもできる。ただ、それだけ」
「どういうことだ?」
「帰って、あなたのご主人さまに訊いてみなさいよ。裸で鞭打たれるついでにね。この変態さん」
「なにい!」
 耳のつけ根まで真っ赤になって由羅が跳ね起きたときには、すでに零の姿は消えていた。
 噴き出す水流に虹がかかっている。
 その中に溶けてしまったかのようだった。
 由羅はその虹を見つめながら、しばし立ち尽くしていた。
 頭の中で、今聞いたばかりの零の声がこだましていた。

 外来種とうちらが、似たもの同士って・・・。
 いったいどういうことなんだろう?
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