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#39 現実

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 やがて、名前を呼ばれ、松村親子が出て行った。
 胸を撫で下ろしたところに、低い位置から手を引かれた。
 見下ろすと、絵本片手に、比奈が立っていた。
 一緒に絵本を読もうとでもいうのだろうか。
 胸がきゅんと締め付けられるように熱くなり、芙由子は比奈に手を引かれるまま、作業机に向かった。
 ふたり体をくっつけるようにして椅子に座り、比奈が開いた絵本に目を落とす。
 声を出して読んでやると、比奈が嬉しそうに目を細めた。
 ほかの子どもたちも、自分の作業を中断して、周りに集まってくる。
 芙由子はつかの間、とても幸せな空気に包まれた。
 自分が幼稚園の先生にでもなった気がした。
 楽しそうに身を乗り出してくる子どもたち。
 比奈は芙由子の手をぎゅっと握って離さない。
 しばらく夢中で子どもたちの相手をしていると、
「呼ばれてますよ」
 巧が子どもたちの頭越しに声をかけてきた。
「続きはまたね」
 わびるように子どもたちに言って席を立つ。
 廊下に出ると、窓越しに松村親子の後ろ姿が見えた。
 外来用の駐車スペースに留めた、黒光りのする大きな外車に向かって歩いていく。
 巧の軽自動車とは比べ物にならない、高級そうな車だった。
 運転席には運転手まで乗っているのが見て取れた。
「あれ、あの人たちの車だったんですね」
 早春の日差しにまぶしそうに眼を細めながら、巧が言った。
「車を止めた時から気になってたんです。養護施設には不似合いな高級車だったから」
「そうみたい。私は、全然気づかなかったけど」
 芙由子は車には興味がない。
 そのせいで、巧みには見えていたものが、見えなかったのだろうか。
 あるいは、比奈に会いたい一心で、周りの光景を気に留めているゆとりがなかったのか。
 
 部屋に入ると、年配の女性が立ち上がり、ふたりにソファを勧めた。
「この施設の代表を務めております、日向と言います。よろしくお願いします」
 ソファに座るのももどかしく、芙由子は単刀直入に用件を切り出した。
「あの、実は…」
「存じております。岩瀬比奈ちゃんの件ですよね」
「ええ」
「残念ですが、彼女の里親は、たった今決まったばかりです」
「え?」
 あまりに簡単に言われてしまったので、芙由子は呆けたように口を開けたまま、相手を見た。
「だ、誰に、ですか?」
「さっきまでご一緒だったでしょう? 松村製薬の社長さんのところですよ」
 何を当たり前のことを。
 そんな口調で、日向と名乗る女性が、あっさりと言ってのけた。
「で、でも…」
 信じられない。
 そんなに簡単に決まってしまうだなんて。
「里親にしろ、養子縁組にしろ、我々がまず注目するのは、子どもにいかに適切な環境を用意してやれるかということです。それには、引き取る側の経済力も重要なファクターになりますし、子育ての経験も大きくものを言うのです。ここまで言えば、もう、おわかりですね?」
 受付で書かされた簡単な申込書。
 あの一枚の紙切れで判断されたというのだろうか。
 未婚で貧しい私が、比奈の里親には不適格だということが。
「そんな…」
 涙があふれ、膝の上に落ちた。
 ついさっきまで一緒だった比奈の手のぬくもりが、手のひらによみがえる。
「どうぞ、お引き取りを」
 日向が言った。
「お互い、比奈ちゃんの幸せを祈りましょう」


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